フォログラムによる擬似会議場には、剣呑な表情を湛えた老人達が一堂に会していた。
「使徒、そしてその存在の公開かね?」
「はい」
 大仰に頷いたのはゲンドウである。
「いかん、まだ早過ぎる!」
「そうだ我々の体勢は整ってはいない」
 五人の老人、その全てが眉間に皺を寄せる。
「エヴァシリーズ、その数も十分には揃っていないのだぞ?」
 それに対してはゲンドウの側から提案が出された。
「第二計画の発動をご検討願います」
「第二……、使徒に対するエヴァの融合かね?」
「はい」
 議長らしき男とゲンドウを除いて、他からは動揺を示すどよめきが起こった。
「いかん、それだけは!」
「駄目だ危険過ぎる!」
「使徒にエヴァンゲリオンを渡すわけにはいかん!」
「あれは廃棄案となったはずだが?」
 議長……、キールは気を落ち付けよと目で制し、話を促した。
「ドイツ元支部長が極秘に行っておりました研究文書を確保いたしました」
 ここでゲンドウはアスカについての情報は伏せた、薮蛇を突く必要は無いからだ。
「また市内病院にて適格者を発見いたしました」
「適格者をか……」
 深く考え込むように老人は目を閉じた。
「『適格者』、準覚醒状態にある使徒、その重要性は今更説く必要は無いかと」
 動揺が広がる。
 一同はその判断をキールに委ねたのだろう。
 ゲンドウもキールだけを睨むように見つめた。
「……その件については碇に任せよう」
 議長の一言に全員が口をつぐんだ、それでもまだ、何か言いたげではあったのだが。
「だが公開のシナリオまで君が手を付ける必要は無い、台本はこちらで用意する」
「承知しました」
 うやうやしく頭を垂れるゲンドウ。
「第三新東京市についてもだ、次の役割を与えるとしよう」
 その言葉を皮切りに、次々とフォログラフが消えていく。
「碇、後戻りはできんぞ」
 ゲンドウはその念の押し様に、うすら笑い浮かべていた。


「聞いたか?」
「ああ」
 第三新東京市上部にあるオフィスの幾つかは、ジオフロントの地下に移転が開始されていた。
 その今は空きビルとなった綾波の持ちビルの一つに、高校生にも満たない歳の少年が三人、揃っていた。
 昼であるというのに、フロアが広く、閑散としているためだろうか?
 何処か陰湿な雰囲気がかもし出されている。
 そこら中に引っ越しに使ったと思われる緩衝材の切れ端や段ボール紙の残り、忘れられたガムテープなどが転がっていた。
「ノリオは……、食われたよ」
 少年の一人が、もたれていた壁を叩いた。
 そこにはピンで使徒であった少年少女達の写真が止められている。
「止められなかったのかよ、国松!」
 肩口まで髪を伸ばした少年は肩をすくめた。
「……電子回路経由でなら、尾を切り離せば逃げられると踏んだんだろう」
「ノリオも、俺達の力について何も理解していなかったって事か」
 顔を押さえてかぶりを振る。
「他の連中との接触が遅れた俺達にも責任はあるさ」
 国松はそんな角刈りの少年を慰めた。
「いや、元はと言えば青井だ」
 やや鋭い目を取り戻す。
「青井は焦っていたからな?」
 残りの眼鏡の少年がおずおずと割り込んだ。
「あの……、青井さんは、どうして綾波さんを?」
 全ての始まりは、青井がレイを襲った事に端を発しているのだ。
 軽率と言えば言えなくも無い。
「橘は知らなかったっけ?」
「綾波レイは『母体』にはならないんだよ、屑だからな?」
 ぺっと唾を吐き捨てる。
「でも作りは僕達と同じなんでしょう?、そうだ、それに碇君、あの人はどっちとでもいいのに、どうして僕達だけが……」
 相手が決まってしまっているのか?
「耐性の差さ」
 国松はポケットからタバコを取り出した。
「予防接種を知ってるだろう?、惣流アスカは碇ゲンドウによって早い時期に碇シンジのDNAを組み入れられたのさ」
「だから、どちらでもいい?」
 咥えたタバコに火を付ける。
 ジッポには六芒星が描かれていた。
「逆も可能なんだろうが……、綾波レイはもう覚醒状態にある、いまさら俺達の形質は受け付けないだろうな?、だから青井は先手を打って綾波レイを消し、エヴァンゲリオンの繁殖を防ごうとした」
「だけど結果はこれだ!」
 憤る。
「あいつさえ覚醒させなければ!」
 それはもちろんシンジのことを指している。
「問題は碇シンジがなんの理由で戦っているかだ」
 紫煙を立ち昇らせる国松。
「命令を受けているわけでも無い、だが積極的に関わろうとしているわけでも無い……」
「碇シンジは異常だ!、あの殺し方を見たか!?」
 それに対しては、国松は黙殺した。
「えっと……、じゃあ、今は?」
 取り繕うように橘が話を促す。
「俺だ、力に目覚めた」
 っと国松。
「アダムの本質は生物の頂点に立つ事にある、S……、なんだったかな?」
「S機関ですよ」
 眼鏡をくいっと持ち上げる橘に、国松は苦笑で礼を返した。
「アダムは現在の能力と形態を不十分であると判断した時、自然と活動を収束していく、S機関ってのは核みたいなものなんだったな?」
「はい、力に目覚めた人は細胞核の情報を0.11%程書き換えられます、そしてその0.11%の活動の停止が核の、細胞の減退、死滅」
「俺達の死を意味する……、か」
 生体活動が収縮してしまうのだ。
「細胞活性化が行われなくなりますからね、再生、分裂も当然……」
 だが逆にそのような状態にまで追い込まれなければ、シンジが、アスカがそうであったように、ほぼ無限とも思えるような寿命と再生能力を維持する事も可能なのである。
「でもどうしましょうか?、これから……」
 ふぅと、橘の口から溜め息が漏れた。
「決まってる、碇シンジを倒してだな!」
「でもアスカさんが僕達になびいてくれるとは限りませんよ?」
「その時は殺せばいい」
 国松の言葉に二人はギョッとした。
「おい……」
「エヴァもアダムと同じだ、発露するのは一体だけでも、予備の肉体は抱えている」
「そりゃ、そうだが……」
 呻きを漏らす、『仲間』を殺す事には抵抗を感じるのだろう。
「ま、とりあえずはノリオの教訓を生かすさ……」
「ノリオの?」
「ああ」
 タバコを投げ棄て、踏み潰す。
「国松?」
「上手くいけば、全ては丸く収まるさ」
 国松はゾッとするような微笑みを浮かべて、二人を一歩後ずらさせた。


 夜。
 淡い月明かりの中に少年の影が浮かび上がる。
「知らなかったな……、一人がこんなに落ちつくなんて」
 シンジはカーテンごしの光りに目を閉じ、そのままバタンと背後に倒れた。
 深く深く息を吸い込む。
「なんにもない、穏やかな日々だった……」
 ミサトが居て、加持が居て、カヲルが居て。
 そうじゃない、と強烈な嫌悪感にシンジは身悶えた。
「違う、なにも起こしたくなかったんだ……」
 卑怯な自分が。
 波風が立てば、そのしわ寄せは自分に来る。
 何故か世間はそうなっていたから、隅で小さくなっていた。
「どうしてこんなことになっちゃったんだろう?」
 どこかでレールが切り換えられていた。
 真っ直ぐに走るだけの列車は、布かれたレールから外れる事が絶対に出来ない。
 今の自分はその望まぬレールを走り出していると感じる。
 だからといって、どの様なものが望んでいた道なのか?、その具体的なビジョンは示せない。
「綾波レイ……」
 再会した時のことを思い出す。
「変だな……、どうしてあんなに嫌っちゃったんだろう?」
 名前を知るまで、いや、知ってからもまだ守ろうとした、不良達から。
 側に居られると落ちつかないのに、離れた途端にこれほどまでに冷静になれるのは……
「父さん……」
 レイの影に父の存在を感じるからだろうか?、あるいは母の?
「最低だな、僕って……」
 当たり散らしていただけだと気が付く。
「まるで子供じゃないか……」
 孤独は好きだった、一人でいれば傷つけられることが無いから。
 しかしそれは逃避でしかない、いつ誰に捕えられてしまうのか?
 孤独は何処で壊されるのか?
 常に緊張を強いられて、心休まる事が無かった。
 だがいま感じている孤独な安堵感はまったく別の所から来ていた。
(綾波、アスカ……)
 レイが、アスカが、常に側に居たために緊張し通しだった。
 そのために余裕を無くしていた、表層でしか物事を考える事が出来なかった。
(それは今も同じか……)
 張り詰めていた物をようやく緩められた事への開放感。
 それが今の安心感の正体だった。
「アスカか……」
 その顔を思い浮かべる。
 なぜ好きかと問われれば答えるのは簡単だった。
 顔が可愛いだからだ。
 奇麗と言い換えてもかまわない。
 何もかもが劣等感に苛まれてしまうほどに高貴で、逞しい。
 そんな女性に擦り寄られて、鼻の下を伸ばさない男児がいるだろうか?
(厭らしいんだ、僕って……)
 アスカを想うと組んだ腕の温もりや髪の香りと言った生々しい物が想い返されて股間が膨らむ。
(でもこれって、好きって事なのかな?)
 自分が認めている好きとは違うニュアンスの『好き』
 精神的な物と肉感的な物。
 愛情と欲望。
 その隔たりは大きかった。
「綾波は……」
 一応の答えを見つけて切り変える。
「多分、好きなんだと思う……」
 これはもっと、純粋に。
「きっとあの時から……」
 シンジはレイを初めて見かけた時のことを思い出した。
 穏やかな陽光。
 大きな庭、話しかけて来た女の子。
『誰?』
『レイ……、シンジくん?』
 その子は恐る恐ると言った感じで確認し、シンジが頷くととても嬉しそうにはにかんだ……
「え?」
 シンジは自分の記憶を疑い、飛び起きた。
「綾波レイ……、だよな?」
 もう一度確認する。
 屈託の無い笑顔は確かにあの少女のものなのに、何故これほどまでに違和感が募るのか分からない。
(自動販売機を……、知らなかった)
 再会した時、とても世間知らずに思えたが、それ以上に言葉たらずで……
(変だ)
『ママが、一緒に遊んであげてって』
 そう言って側に寄って来た女の子は、髪が青く、目が赤かっただろうか?
(忘れてるだけなのかな?)
 そうではないと、何かが叫ぶ。
 ではあれは自分の知っていたレイではないのだろうか?
(それも違う……)
 警鐘が鳴らされる、頭が割れるように痛くなる。
 フラッシュバックが起こった、それもシンジの知るはずのない映像が、頭の中を塗り潰す。
 奇妙に歪んだ女性が手を伸ばし、首を締めようと迫って来た。
(誰?、この顔知ってる……、先生!?)
 その顔には見覚えがあった。
 リツコの母、赤木ナオコだ。
(なんだこれ、なんだこれ?、なんだこれ!?)
 息が詰まる、まるで本当に首を締められているように。
 事実、首には指の痕がありありと浮かび、シンジの喉を圧し潰そうとした。
 目からは涙が滲み出し、鼻と口からはだらしなく汁が垂れる。
(息が出来ない、苦しい、助けてリツコさん、加持さん、ミサトさんっ、……綾波、アスカ!)
 意識が遠のき、シンジの視界は闇に閉ざされていく。
 キャウ!
 不可思議な泣き声にはっとする。
「げほっ、かほっ……」
 猫のような獣がベッドの足先に飛び乗っていた。
 喉を押さえて咳をするシンジを、ペタンとお尻を落として見つめている。
(今のは、一体?)
 酸素を思い切り胸に吸い込む。
 シンジは何度も喉をさすった。


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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元にでっちあげたお話です。