暗い室内にタバコの種火とディスプレイの光がちらついていた。
浮かび上がるようにリツコの惚けた顔がモニターを眺めている。
何のことは無く、院内の監視カメラを端末に繋いで覗いているのだ。
ここは院内にある、リツコ専用の診察室だった。
「目が悪くなるぞ?」
パチッと蛍光燈に明かりが灯る。
リツコは眩しさに目を細めたが、滲み上がる様に視界に映り込んだ男性の姿に溜め息を漏らした。
「加持君……、面会時間はとうに過ぎてるわよ?」
加持は気にせず、そのまま戸口にもたれかかった。
「で、どうなんだい?、シンジ君の様子は」
「思わしくは無いわね?」
「そうか」
リツコはシンジとのやり取りを思い返した。
『……父さんの匂いが、してたから』
その一言に動揺し、リツコはついポケットに手を入れ、まさぐっていた。
無意識の内にタバコを探している自分を感じ、心よ落ちつけと内心唱える。
「……嘘を吐いても、仕方が無いんでしょうね?」
「え……」
意識的に表情を消すリツコ、でないと告白できなかったからだ。
「あなたのお父さんとはね?、不倫……、してたのよ」
「そうですか」
ああ、と、シンジはそっけなく答えた。
「怒らないのね?」
そんな反応に居心地を悪くする。
「……正直、僕にはよく分かりませんから」
それがシンジの本音であることは疑い様が無かった。
それ程までに考え込む間があったからだ。
「わたしはユイさんの代わりでしか……、いいえ?、代わりにもならなかったのよ」
「今は?」
シンジの問いに、リツコは肩をすくめる。
「そうですか……、酷いですね、父さんって」
シンジはそんな父親に嘆息した。
「そうかしら?」
「違うんですか?」
首を傾げるシンジに、リツコは心を決めたようにさばさばと答えた。
「誰でも寂しい時には側に居てもらいたいものでしょう?、それで慰める事が出来たのなら、女としては嬉しいものなのよ」
何かを思い出しているのだろう、遠い目をする。
「落ち込んだ心に活力を注いであげる、そのために体を合わせるの……、って、シンジ君にはまだ早いかしら?」
赤くなったシンジにはにかみを返す。
「喜びや悲しみ、寂しさや憤りをこの体で受けてあげるのよ……、そしてその感情をぶつけてくれた事に、ああ、この人は心を開いてくれているんだな、と実感できるの」
「父さんが……、リツコさんに?」
リツコは寂しげにかぶりを振った。
「わたしには……、無理だったわ」
ああ、と、シンジは理解した。
と言っても漠然としたもので、父には押し殺しているものがあり、それはこの人達には嗅ぎ取れる類の物なのだろうと、それを直感したにすぎない。
「いいな……、好きな人との繋がりって」
「絆にもならないほど細い物だったけど……、シンジ君はどうなの?」
「え?」
「今、付き合っている子、いるの?」
シンジはリツコの問いかけに、赤い髪を思い出した。
首筋をくすぐり、香りを伝えるように肩口で甘える、長い髪を。
「……いませんよ、そんなの」
「そう」
シンジの葛藤を見抜きながらも追及はしない。
(人の関係なんて、とかく不思議なものだもの)
他人と本人達とで、その認識は大きく異なるだろう。
ミサトから一通りの話を聞いている、リツコはアスカとの関係を『親密なもの』として捉えていた。
それも間違いではないだろう、ただ。
(認められないのね……)
不敏に思う、ただの中学生であったなら、それを一過性の初恋として熱を入れる事が出来ただろうにと。
「こんな事を言うのも変だけど」
シンジへと顔を寄せる。
「ゆっくりしていきなさい?、好きなだけ泊まっていっていいから」
リツコは微笑みと『姉』のようなキスを頬に与えて、その場を後にして行った。
わかっているのよ、と愚痴をこぼす。
あれ程ゲンドウにこだわっていたシンジが、リツコの話しにさほど動揺を見せなかった。
それはシンジが自閉症から立ち直った時と同様に、『あの人』のことを切り捨てた事に他ならない。
それも心情的にではなく、心でもなく、頭の配線を切ると言う、物理的な方法で、心を体から切り離したのだ。
「これでシンジ君は、また一つ階段を登ったわけか」
加持の台詞に、キッときつく睨み付ける。
それだけに、シンジはもう二度と父の背中を追わないだろうから。
「すまん」
加持もやるせない気分で居た、アスカに話を聞いたからだ。
(家族だと思ってたんだがな……)
それだけアスカの寝言がもたらしものは、シンジにとって小さくなかったと言う事だろう。
「そう言えば……、ネルフの動きが慌ただしい、近い内に動きがありそうだ」
「……あまり火遊びをしていると火傷するわよ?」
「こう見えても元情報室勤務だからな、知らない所で何かをされるのは落ちつかないのさ」
「そう言う裏があるから、シンジ君は貴方を信用しないのよ」
痛烈な非難を投げかける。
「肝に命じておくよ」
何かしら踏み込めない領域を隠し持っている。
そこにその人物の本質が在る事を、シンジのような顔色を窺うタイプの人間は嗅ぎ分けるのだろう。
リツコが言っているのは、そう言った内容のことなのだ。
「これ以上、シンジ君には嫌われたくないから……、ん?」
「なにかしら?」
リツコは加持の視線を追った。
「シンジ君?」
モニターの一つには、廊下を歩くシンジの姿が映されていた。
「こっち?」
無機質な廊下は何処までも続いているようで、先が見えず……
闇の奥へと続いている様な錯覚を起こさせる。
ゴク……
シンジは生唾を飲み込んだ。
この先に未知の……、幽霊、お化け、そういった心霊現象に出会うかもしれない。
そこまで考えてから、シンジは笑いが込み上げて来ておかしくなった。
(ほんっと、バカだな……)
恐いと言う点では自分こそが『何様』なのだ。
人にとってこれほどに恐い存在が他にあるだろうか?
(人間の中に紛れ込んで……)
何をしでかすか分からない存在。
及び腰だったのが真っ直ぐに伸ばされた。
闇の奥に誰かが居る。
そしてそれは正しかった。
「……綾波、アスカ?」
一人は顔を上げ一人は俯き……
だが同じように唇を引き結んで、二人の少女はそこに居た。
加持に頼み込んで、二人の少女は行動を起こした。
それはシンジの叫びが聞こえたからであった。
「碇君!?」
突然ピクンと反応し、レイはその名前を口走っていた。
「なによ!?、どうしたっての……」
雑誌を眺めていたアスカは、中空を見つめるレイに怪訝そうな目を向けた。
だがレイは取り合わず、やおら立ち上がると部屋を出て行こうとした。
「ちょ、ちょっと!」
焦るアスカ。
「待ちなさいって」
「駄目、碇君が呼んでる……」
アスカは慌て追いかけようとして、赤面しつつ舌打ちした。
ラフなシャツは首元を摘まんだだけでほぼ胸の全てが見えてしまう。
「ああもう!」
アスカは適当なYシャツを羽織り、そしてスカートに手を伸ばした。
それから店じまいをしていた加持を捕まえ、車を出してもらえるように頼み込み、ここへ来たのだ。
だが二人は予想外の人物に出会ってしまった。
「綾波レイ、惣流アスカ!?」
シンジの病室へと向かう途中、狼狽気味のうろたえた声に名前を呼ばれたのだ。
「誰よ、あんた……」
怪訝そうなアスカに対し、レイは彼女を庇う様に前に出た。
「……使徒」
「使徒!、あんたが!?」
長い髪を掻き上げる、薄明かりの中に見える顔は国松だ。
「まさか、シンジを!?」
(碇シンジはまだここに居るのか!?)
国松は何とかその驚きを押し隠した。
(ここにも発病寸前の使徒がいることを感じているのか……)
この院内に。
(だが今なら……)
目に危険な物が宿る、それを感じて二人は身構えた。
「最後通告だよ」
「……なによ?」
「碇シンジを捨てて、僕達と生きるつもりはないか?」
はっとアスカは吐き捨てた。
「冗談は寝てから言いなさいよ!」
「僕は君がレイプされるのを見捨ててはおけない」
「なんですって!?」
嫌悪に顔が歪む。
「レイプだよ、分かっているんだろう?、君はエヴァンゲリオン達とつがいになる事すら許されない、君は何十人、何百人と言う『素体』の遺伝子をその腹で受けて、生産するための母体としてこそ、その存在価値が認められているんだよ」
エヴァンゲリオンを増やすために。
「そんなの、あたしは認めないわよ!」
「認める認めないじゃないんだよ……、例えば僕達はみな日本人であるのに、どうして君だけがクォーターなんだい?」
「え……」
予想外の質問にアスカは戸惑った。
「エヴァシリーズ、いや、長い話しだよ……、始まりは使徒の開発からだった」
国松は目を閉じて、自ら調べた事柄を語りだした。
アダムの覚醒は人類の滅亡へ繋る序曲となりうる。
そこで人はエヴァを作った。
神がアダムから生み出したように。
アスカである。
「あた、し……」
「そう、君さ」
国松は言う。
「まずアダムに、生殖行為を覚えさせたのさ……」
ウイルスは同感染者に対して『警鐘』と言う形で情報をコピーする。
そうしてアダムは生体を同一の存在に造りかえていく、しかし猿と人が交尾しても子を成せないように、使徒化した人類は繁殖方法を失ってしまうこととなる。
生態として完全を極めても、それでは個体数は減少するだけとなるのだ。
そのことがアダムに『生命体の絶滅』を危惧させた。
それこそがアダムウイルス終息の真相である。
だがここでウイルスにそれ以外の道を示した者が居た。
「碇ユイだよ」
知り過ぎている名前に緊張が走る。
強力な繁殖能力……、0.11%前後であれば許容し、子を育める雌を用意する事という可能性を示したのだ。
「それが……、あたし?」
「違う」
国松は悲しげにかぶりを振った。
「碇ユイ、そして……、惣流キョウコが最初の被験者となった」
アスカはその名前に顔色を青くした。
母体に使徒は自らの可能性を求めた、そこから生み落ちる者に未来を見ようとしたのだ。
「そして失敗し、綾波レイが生まれた」
えっとアスカは驚きを漏らした。
「だが惣流キョウコは流産した」
レイもまたアダムから作られた者だったのだ。
アスカはレイの無表情な横顔を見つめた。
「そして碇ユイは、……いまだアダムとリリスによって精神を崩壊させ続けている」
ゆっくり、ゆっくりと、精神を削り減らされていくように……
「君も知っているはずだろう?、惣流アスカ」
そう、アスカは知っていた。
今の碇ユイの不安定さは自分の母親が壊れていった時の姿にとてもよく酷似したものであったから。
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元にでっちあげたお話です。