『アスカちゃん……』
 アスカの母親は壊れたように人形に向かって話しかけていた。
 刺激しないよう白で統一された何も無い病室で。
『ちゃんとお野菜も食べないと、あそこのお姉ちゃんに笑われちゃいますよぉ?』
 人形と娘の区別も付かなくなり、そしてある日……
「いやぁ!」
 アスカは耳を塞いで髪を振り乱した。
 ある日、いつものようにお見舞いに行くと……
 アスカの目の前で、首を吊って死んでいたのだ。
「だがそれでも彼らの研究は続いたんだ」
 哀れみを込めた目でアスカを見つめる。
「碇ユイから取れた『抗体』、リリス、それを碇ゲンドウは綾波レイに組み込んだ」
 使徒となり果ててしまわぬように。
「そして綾波レイ、君は後になって可能性を生み出した、それがエヴァンゲリオンと言う名の使徒の正体だよ」
「使徒!?、エヴァが……」
「そうだよ?、だけど惣流アスカ、君には『抗体』が打ち込まれず、逆に使徒として覚醒するよう誘発実験がくり返された、大人達は『使徒』をエヴァとすることで碇ゲンドウに先んじようとしたのかもしれない、けれど事実は……」
「もういい!」
(あたしは、ママの、碇ユイの代わりの)
 母体なのだと心を締め付けられてしまう。
 だが話しはまだ続くのだ。
「彼らの悪行はまだ終わらなかった……」
 遠い目をして語り続ける。
「母体は用意された、アダムは『それ』を目指して集まる、けれどどこで生まれるか分からないアダムは驚異でしかない」
 またどの様な怪物が生まれるとも知れない。
「そこで彼らは、君にも施したように、アダムを刺激して目覚めさせたんだよ……」
 都合の良い『進化系』の形をサンプルとしてプログラムして。
「そんな……、そんな!」
 それが青井以降の少年少女達である。
「半覚醒状態に置かれた彼らはとても不安定な存在だった……、いつ『起爆』するかわからない『使徒』だからね?」
 そして遺伝子に雛形として登録されていたテンプレート通りに使徒は覚醒していく。
 誰がどの能力を持つか、どの順で覚醒するかは不明であったが、能力については予想されていた。
「だけどそれには一つだけ問題点があったんだ……」
 それは生物の頂点となるべき存在の予測がつかなかった事である。
「最後の使徒が『反乱』を起こした時、『彼ら』の権威は失墜する、権力や武力は通じない、それだけの力を与えるウイルスだからこそ、人間は焦りを感じているのだから……」
「そんなの、そんなの!」
 ギリッと唇を噛む。
「そのためにも、エヴァンゲリオンが……」
 レイが淡々と補足した。
「そう、エヴァンゲリオンは『彼ら』の手足となるために作られた存在なんだよ」
「じゃああたしは!」
「君は先にも言ったように、使徒の為の聖母に過ぎない……、君が導くべきはエヴァではなく、使徒なんだよ」
 だが自分はとアスカは思った。
 ゲンドウの誘いに乗り、既に純粋な使徒では無くなっているのだからと。
「君は使徒のサンプルとして、何故日本人が選ばれたか知っているかい?」
 国松は唐突に暴露した。
「黄色人種だからだよ」
「……なんですって?」
 興味を惹かれて顔を上げる。
「高貴な白人でも反発心の強い黒人でもなく、今をただ漫然と受け入れるだけの怠惰な人種だからこそ選ばれたんだよ、実験台としてね?」
「そんな!」
「どうでも良かったんだと思う……、生き残ろうが、死滅しようが……、傲慢な話しだね?、彼らにとって大事なのは、『より純潔に近い血筋』を残す事らしい……、不純物の覆い汚れた種族はいらないって事さ」
 だが国松の言葉を信用するのなら、日本人は……
「どうなるのよ……」
 寒気を堪えて、自らの体を抱きしめる。
「どうにもならないよ……、言ったろう?、どうでもいいのさ、リスクやデメリットを抱えるよりも安寧を選び腐っていく様な人種など、どうでもね?」
「あたしだってこの国の血が入っているわ!」
「逆だよ」
 国松は冷徹に言い放った。
「実験体として日本人を選びたかった、けれどもテストケースのデータを再現できなかった時は?、君を格上げして使うしかない、だから君には『白人の血』が混ぜられたのさ」
「混ぜ……」
「少しでも純潔に近付けるようにね?」
 愕然とする。
「じゃあ、じゃあ!」
「妥協の産物なんだよ、君はね……」
 アスカの耳は全てを拒絶し、鼓膜が破れたかの様に静寂と言う轟音が鳴り響き出していた。
 しかし、それを貫く様に、澄んだ声が飛び込んで来た。
「綾波、アスカ?」
 アスカはその慣れ親しんだ響きに縋るよう、泣きそうな顔を持ち上げた。


「いけない、碇君逃げて!」
「え……」
 レイの叫びに、シンジは逆に足をすくわれる形となってしまった。
 驚き戸惑ったシンジは、足元に開いた黒い影に気付くのが遅れた。
「うあぁ!」
 ずぶずぶと足が沈み込んでいく。
「碇君!」
「シンジっ、この!」
 アスカは力の主であろう少年に回し蹴りを放った。
「消えた!?」
 揺らめきもせずに、少年の姿は消失した。
「どうなってんのよ!?」
「うわっ、うわああああああ!」
 シンジはもがき、壁に爪を立てようとして失敗した。
「シンジ!」
 爪が剥がれ、壁に血の筋が残される。
「いけない、このままじゃ碇君が……」
「シンジ、変身して!」
 その声が聞こえたのかどうかは分からなかったが、完全に影に飲み込まれてしまう前に、シンジの変身は間に合っていた。


 セカンドインパクト後に生まれた子供達へのウイルスの直接感染は確認されていない。
 アダム自らが休眠期に入ったがために、空気感染は起こらなくなったのだ。
 そしてアダム因子は血液ではなく、肉体の細胞そのものに取り付いて同化を果たす。
 シンジを考えてみた場合、唯一感染源として考えられる者はユイ、あるいはゲンドウの『遺伝子提供者』のみである。
 親の遺伝子が既に犯されていたのなら。
 しかしそれはあり得なかった。
 ユイが感染していたのならリリスの被験者としては不適当であったし、ゲンドウは幸か不幸か感染には至らず、だからこそネルフの司令に選ばれることになったのだから。
 だがシンジはその様な裏の事情は知らないでいた。
(この!)
 右腕を突き出す、しかしいつものように光は渦を巻いてはくれなかった。
(だめかぁ……)
 加速するほどの粒子が存在しないのだ。
(ここ、どこなんだろう……)
 真っ白で、上も下も何も無い。
 シンジは投げ出された様に宙に浮いて漂っていた。
「ここは自由の世界さ」
(誰!?)
 シンジの目の前に国松が現われた。
(この!)
 左腕を振って鞭を伸ばす、しかしアスカの蹴りと同様に、国松の影を切り裂いただけにとどまった。
(本物じゃないの!?)
「ここは君を束縛するものが無い、完全なる自由の世界だ」
(うっ……)
 シンジはがくんと眠気に襲われた。
(なに?)
 とても甘い気怠さに襲われる。
(凄く、眠い……)
 国松の影は、操る者のいなくなった人形のようにうなだれたエヴァンゲリオンに、不気味な笑みを投げかけた。


「次は、君の番だ」
 国松はアスカに視線を投げかけた。
 足元には黒い影が輪を広げている。
「冗談じゃないわよ!」
 変身する、いつもと違い蜘蛛の糸は竜巻の風のようにアスカの周囲を舞った。
 その勢いのままに散っていくと、アスカの変身は終えていた、驚いた事にわずか二秒足らずで変身を終えたのだ。
 明らかにシンクロ能力が上がっていた。
『シンジを返して!』
 フォウッと獣の雄叫びを上げて跳びかかる。
「だめだよ」
『くっ!』
 影が消え、代わりに闇が口を開く。
 アスカはそれを踏まぬよう、壁を蹴って向こう側へと降り立った。
 焦ったために気が付かなかったが、国松はアスカの言葉に『返事』をしている。
「アスカ、下がれ!」
(加持さん!?)
「だめ、碇君が」
 アスカよりも早くレイが答えた。
『そうよ、だから邪魔をしないで!』
 アスカは加持の姿を確認しないまま、言葉が通じないのも忘れて叫んでいた。


 シンジは多様な能力を身に付けていた。
 だがそれは彼らの遺伝子がシンジに組み込まれたわけでは無かった。
 シンジは決して、他人の遺伝子を取り込んだわけではないのだ。
 配列を読み取り、シンジの遺伝子は自ら配置を置換えていた。
 ジャンクDNAと呼ばれている普段用いられていない部分を、有用な力を生み出せるよう置換えたのだ。
 けっしてその部分に取り込み、交換したわけではない。
 それこそがシンジの超回復力にも関係していた、シンジからは『固定された形状』が失われつつあるのだ。
 そしてシンジは、いみじくもそれを言い当てている。
『僕はもう、人じゃない……』
 悲しくなる、辛くもなっていた。
 心が人であれば人なのだろうか?
 よく犬や猫は擬人化される、それは人と同じように見えるからだ、仕草から受け取れる物が。
 心があるように見える、実際に怒り、喜び、じゃれつくのだからそうなのだろう。
 動物にも心はあった、植物でさえも心に対して反応を示す。
 例えばサボテンの様に電流の流れで。
 なら人とそれ以外のものとの差は何なのだろうか?
 どこで線引きがなされるのだろうか?
(多分……)
 シンジにはそのラインが見えていた。
『人間』という枠組みから弾かれた瞬間に、そうなってしまうのだ。
 身体障害者が、浮浪者が、ときおり人として認められぬように。
(父さんとか、リツコさんとか……、ミサトさん、加持さん、綾波、アスカ……、そんなんじゃないんだ)
 そして自分はとっくの昔に弾かれていたのだと、暗い想いに取り付かれた。
 それにもう、自分は人から離れることを選んでいる。
 泣くのをやめて、諦める事を覚えて。
 それは人であり続けるのを、我慢するのをやめたと言うことだ。
 人として認められぬのに、どうして人であり続ける必要があるのだろうか?
『だから、僕は……』
 シンジは自分のして来た事に気が付いた。
 人に分かってもらえないのなら、分かってもらわなくてもいいじゃないか。
 理解してもらえないのなら、必要なんてないのだから。
『だって、理由なんて……』
 なにもない。
 この苦しみを訴えたとしてなんになる?
 慰めてもらえたか?、貰えなかった。
 母親でさえも抱き止めてはくれなかったのだ。
 温もりは、誰からも与えてはもらえなかった。
 見放されている。
 与えてくれる人もどこにも居ない、見つからなかった。
 ならいまさら何をしろというのだろう?
 自分の望む結果は得られない、それを実際に体験して、だからこそ全てを捨てたのだ。
『人である事も……』
 だから捨ててしまったのではなかっただろうか?
 飼犬のように、猫のように。
 首輪と紐を着けられて、限られた自由の中で機嫌を伺い、尻尾を振る事を選び出し、加持、ミサトに保護されることを望んだのだろう。
『なんだ、僕はもう……』
 人ではなかったのだ。
 獣にも劣る、ペットに過ぎない。
 リツコは情が移ったと言った。
 それもまた、愛着が沸いたからだろう、愛玩動物として。
『そうだ……』
 逆らわず、暴れず、適度に愛想のある……
『眠い……』
 シンジはその眠りを受け入れかけていた。
 今の悩みなど、全てが今更と気が付いたから。
 だがだからこそ、二人の声は鮮烈な程にシンジに届いた……


「だめ、碇君が」
『そうよ、邪魔をしないで!』
 二人の決然たる言葉の直後に、国松の体を異変が襲った。
「うっ……」
 突然、国松の影は心臓の辺りを押さえて体を折った。
『なに?』
 その異変に後ずさるアスカ。
 ぎりぎりと引き絞るように、闇の影もよじれ、小さくなっていく。
「あ、うっ、ああっ、あああ!」
 彼の体が、内側へとめくれていく、丸く、黒く。
『なにが、どうなって……』
 アスカは膝が震えるのを感じた、止められなかった。
 べきべきと異音を放って、骨が折れ、肉が千切れ、少年の体が裏返っていく。
『あああああああああ!』
 人ならざるものの絶叫が建物を揺らした。
 少年の裏側は赤くは無かった。
 黒い裏地に、引きつるような筋が白く引きつっていた。
 ブシ!
 やがてそれは限界を越えて、引きちぎれた。
「あ、ああ……」
 へたり込むアスカの目の前で、シンジが、エヴァンゲリオンが現われた。
 グニグニと国松だったものの体を割って、血まみれになりながら抜け出そうともがきまくる。
『ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!』
 吠えると同時に、シンジは大きく引き裂いた。
 国松だったものが、まるで果物の皮の様に転がった。
「碇君」
 へたり込むアスカを尻目に、レイは嬉しげに駆け出し、血に染まったシンジの首に抱きついた。
 アスカはシンジの目に射すくめられていた。
 それは人の本能に訴えかける、野獣と言う恐怖、そのものだった。


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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元にでっちあげたお話です。