「シンジ君」
「カヲル君……」
シンジの弁当がパンに変わった、それだけではない。
なにかと気を使うように話しかけていたアスカが、今はそれ所ではないとばかりに忙しなく動き回っている。
まるでシンジの事を捨て置くように。
それは幾つかの憶測を呼んでいた。
「パン、三日目かい?」
カヲルはシンジの前の空席を借り受けた。
「ま、ね……、カヲル君は?」
「食堂でね、食べて来たよ」
「そう……」
何気ない会話だが、お互いに探り合うようなものが見え隠れしていた。
だからカヲルは切り出した。
「なにを……、悩んでいるんだい?」
「色々と……」
「そう」
カヲルはしばし迷った揚げ句に続けた。
「ねぇ、シンジ君」
「なに?」
さらに言い澱む。
「僕達は……、友達だよね?」
「え……」
なにを今更、と言う顔をする。
「どうして、そんな……」
「おかしいとは思わないかい?」
話しが見えない、が、次の言葉で氷解した。
「アスカちゃんだよ」
「あ……」
「そう、僕達は色々あって、ようやく友達として心を通わせた……、例え最初から引き合うものがあったとしてもね?」
「うん……」
「なのに何故……、僕達は彼女に対して、こうも無防備だったのか」
「無防備?」
「好意的に受け取り過ぎていると言うことさ」
ガバッとシンジは起き上がった。
「好意的、か……」
シンとした空気が張り詰めている。
シンジはベッドを見たが、そこに居るはずの少女はいない。
先程までのは回想というよりも夢うつつに見たものだった。
父の手の者であり加持を好きな女の子であり、自分には不釣り合いな女の子。
そして命じられるままに恋人の振りまでやってのけていた少女だった。
(そうだよな……)
「アスカのエヴァか……」
シンジには分かっていた、レイのエヴァと同じであろうから。
「シンクロって……、言ってたよな?」
シンジは押し倒そうとして実際に蜘蛛の足に貫かれたのを思い出して肩を押さえた。
無意識の内に身を守ろうとしたアスカの意識に同調を見せた、それこそが彼女の本当の気持ちであろうから。
「脅えてたっけ、アスカ……」
病院での戦いの時に見せたアスカの態度にも……
シンジは静かに、傷ついていた。
「使徒……、我らの計画を実践する存在」
「アダムを我らの意図通りに歩ませる模造品」
「それにしては、この所の動きは我らのコントロールを離れ過ぎている……、そうは思わないかね?、碇ゲンドウ君」
いつもの擬似空間での会議である。
今日もゲンドウに対しての不満と突き上げが行われていた。
「使徒の覚醒と殲滅が最優先事項です、その経過については問わないというのが、共通の認識であると……」
「奇弁はいい」
ゲンドウの言い訳は遮られた。
「使徒、その行動に繋がりが見えるというのだよ」
「彼らに情報をリークしている者が居る、心当たりは無いのかね?」
ピクリと、顔の前で合わせている手に反応があった。
「その様な話は初耳ですが?」
「ふん、ネルフの情報収集能力も知れたものだな?」
揶揄する声は議長によって押さえられた。
「ネルフと綾波家は我らが願いを実践するために作り上げた機関である、また碇君でなければここまで来ることは無かっただろう」
「……恐縮です」
「だが、これより先は君でなくとも遂行可能だ」
「わたしを解任すると?」
流石にゲンドウの顔にも剣呑なものが姿を見せた。
「解任はせんよ、だがネルフ総司令の座からは退いてもらう」
「そう言えば、そろそろ街は市長選の時期だろう?」
「同時に第三新東京市の本来の姿を公開する、君にはその長に着いてもらおう」
「……後任は」
「ラングレーに期待する」
ブッ、ブッと映像が消えて行く。
「碇、ご苦労だったな?」
その一言が、ゲンドウの全てを確定していた。
その頃、アスカはレイと共に碇ユイの元に居た。
「そう、シンジが……」
揺り椅子に腰掛けているユイは、まるで妊婦のような気怠さを見せていた。
世俗のことはもちろん、今目の前のことに対しても、顕著な反応と言うものを見せなくなってしまっていた。
「教えておば様!、エヴァって何なの!?」
それでもアスカは必死であった、シンジのあの狂気の姿を目の当たりにして悪寒に体を震わせていた。
目には隈が浮いている、眠れないのだ、夢に使徒であった少年の血を無骨な舌で舐めすくう悪魔が毎夜出て来るからである。
「碇君は……、碇君よ」
そんなアスカにレイは冷ややかな目を横向けた。
しかしアスカには反骨心を見せるだけの余裕も無かった。
「あんなものがエヴァだなんて……、あたしあんなのを宿してるの?」
誰にともなく、アスカは脅える。
この所、ずっとネルフの深部でエヴァに関する情報を漁っていた。
ATフィールドの悪用である。
「……宿しているのではないわ」
ようやくユイが口を開いた。
「エヴァはその人の本質……、本性を具現化しているだけだから」
以前と言っている事が変わっている。
「じゃあ、あれが本当のシンジだって言うんですか!?」
「そうよ……」
ユイは何処へ向けているとも知れない虚ろな目をしたままで肯定した。
「シンジはとても飢えているのよ……、夢に、希望に……、愛情に」
それをレイがしっかりとした口調で引き継いだ。
「碇君は人として本来誰もが与えられるべきもの全てに縁が遠かったから……」
「許せないのね……、使徒が、エヴァが、全ての存在が」
その仲にはユイ自身も含まれているのだが……
「シンジはただ優しくしてもらいたいだけ……、でもみんなシンジを傷つけて来たもの」
「なのにわたし達は碇君に期待している、何かを希望している、彼の望みを跳ね付け、壊して来たと言うのに」
『誰か僕に優しくしてよ!』
聞こえないはずの声が響いて、アスカは頭痛と共にその場に崩れた。
『誰か僕にかまってよ!』
頭痛は声の大きさに比例して大きくなる。
『……僕はいらない子供なの?』
声に抑揚が無くなっていく、それに合わせて、頭痛では無く胸に激しい疼きを覚えた。
『やっぱり……、いらない子供なんだ』
それはシンジが壊れた過程でもある。
(なんで、どうしてこんなものが『見える』のよ!?)
「う、げっ……」
アスカは吐き気を堪えるために手で口を塞いだ。
(レイ?、この子!?)
首の後ろで蜘蛛がもがいているのをアスカは感じた。
だからアスカは、これがレイからの侵食であると気が付いた。
ATフィールドが溶かされ、レイ経由で沢山の感情が流れ込んで来る。
(どうして!?)
その理由は分からない、だが……
(これも、エヴァの……)
シンジの言葉が蘇る。
『昔ちょっと会った事があるだけなのにさ?、それで好きとかって、変だよ』
もう一つ、稀にエヴァ同士の状態で声が通じた事も思い出した。
同じエヴァでありながら、何故か言葉を交わせない。
その理由を直感的にアスカは悟った。
(あたし?、あたしが悪いの?)
ATフィールドは人を隔てる垣根となる、それがシンジの使っている、自分と言う存在を希薄に感じさせる能力だ。
だが逆に、それだけ自分の意識を確立しているとも言えるのだ、自分と言う存在を明確に把握しているからこそ、フィールドで正しく区切ることができるのだから。
隔てられた空間の内側は碇シンジと言う存在が詰まっているのだ、それはレイもそうだろう。
レイがキスを重ねる事で、力は得られずともシンジの見えない心は覗けていた。
ATフィールドの内側に入る事で、シンジの溢れ出る感情に身を委ねていたのだ。
それが今、アスカの中でもがき狂っていた。
(嫌!、あたしを犯さないで!!)
自分の中に他人が出来上がっていく。
そのシンジは侮蔑を込めた目でアスカを見ていた。
『僕のことなんて、なにも知らないくせに、勝手なことしないでよ!』
(違う、あたしは!)
アスカは叫ぼうとしてハッとした。
(シンジ!?)
そのシンジとは違う、もっと別の、更に言えば生々しいシンジを感じた、遥か遠くに……
(シンジ、シンジぃ!)
物理的な距離は無関係であった、アスカが望めば望むほど、存在感は近くなり、シンジの形もはっきりとしていく。
(……そう、あたしは知っていた、あたしはシンジを、シンジの苦しみを知っていた!?)
そのシンジに触れた瞬間、アスカの中で何かが弾けた。
『……僕はもう、人間ですらないのかもしれない』
(違う、それは悲しむような事じゃないわ!)
アスカの明晰な頭脳は、急激にその理由を言葉の羅列に変換していった。
(逆なのよ、人である必要は無かった……、人ではないと嘆いているシンジ、レイだってどこかでシンジの同類だって思ってる、人と言う形が想いなんてあやふやなものを見せないようにしてしまっている、でもエヴァは違う!、人じゃないから……、心の形だから、人の心、想い、魂そのものだから!)
嘘のない姿を、言葉を見せ合い、交わし合える。
(そう、あたしは知っていた、シンジをずっと感じていた?、いつから?、それはわからないけど……、心の奥底でずっと感じていたんだわ、シンジの悲しみを……)
慟哭を。
嘆きを。
寂しさを。
(昔少しだけ顔を会わせた事がある、それは事実の一つでしか無かったのよ、あたしは……、シンジを感じていたから、心配していた?)
気にかけていた?
アスカの頭から痛みが引いていく。
(なまじそんなすれ違いがあったから、『これ』を、深層で感じていたものを表層で誤認識してしまっていたんだわ……)
「シンジ……」
なら、いまシンジが何を感じているかも分かるはずだと……
アスカの目は、まるでレイの様に冷静になり、ユイのように茫洋とした曇りを湛え始めた。
いつしか眠りに落ちてしまっていたシンジは、昼間交わしたアスカとの会話を夢に見ていた。
「アスカ?」
アスカの態度は前とは違ってしまっていた。
脅えるように……、そう、これまでシンジを怖れ、嫌っていた人達のように……
おどおどとしていた、だからシンジはアスカを恐れていた。
「アスカって……、僕の、なんなの?」
「なに……、って」
青くなる、教室だ、幾つかの視線が注がれ、聞き耳を立てられているのもアスカにとってはプレッシャーになってしまっていた。
「あたしは、あんたの……」
いつもなら簡単に吐ける言葉が口から出てはくれなかった。
誰よりもその事に動揺したのはアスカ自身であろう、しかしシンジは表面上のものだけを受け取った。
冷たい視線を投げかける。
「好きでも何でも無いくせに……、よく今まで我慢してたね?」
「違うわ、あたしは!」
「不自然なんだよ……、小さい頃に一度会っただけなのに、前にも言ったよね?、ねぇ?、おかしいとは思わないの?」
やけに落ちついた態度であるから、余計にアスカの心を掻き乱した。
「自分でいうのも何だけどさ……、運動も勉強も出来ない、カッコいいわけでも無い……、そんな奴にこだわる理由は、なに?」
「なに、……って」
「答えられないでしょ?、……それは」
キーンコーン……
本鈴が鳴る、そのため後半部はアスカ以外に聞き取られることは無かったが……
『同じ存在だからってだけじゃないの?』
それはアスカに、激しい動揺をもたらしていた。
目を開く、シンジはなんとなく時計を確認した。
(まだ帰って来ない……、当たり前か)
もう深夜一時である。
この所アスカの帰りは極端に遅くなっていた、それだけではない。
朝は先に、帰りは別に、そしてそのまま喫茶店にも顔を出さず、シンジが就寝した頃に帰宅する。
そんな状況が続いていた、が、ここまで遅くなるのは初めてだった。
(顔を会わせたくないって事か)
昼間のこともあるのだから。
何処かで落胆している自分が居た、だがそれはずっと表層でのことだった。
(おかしいかな?)
おかしくないよね?、と自問する。
またカヲルの言葉も思い出す。
どんな仕事にも我慢には限度があるだろう。
『なんで!』
カズアキをアスカの目の前で殺した。
カズアキを殺したことにではない。
アスカを傷つけた事に対して罪悪感が生まれていた。
(悪いのは僕だ)
違う、悪いのは父さんだ、何かをしている、父さんが悪いんだ!、僕をこんな風にした、綾波を作った、母さんを壊した!
言い訳がましい言葉が次々と浮かんだ、が、シンジは自嘲と共に切って捨てた。
(加持さんだけじゃない……、僕は確かに、カズアキ君にも嫉妬をしていた)
それは自身の感情だ、なら責任転嫁は利かないだろう。
(なんでかな……)
どうしてだろう?
それはカズアキが素直に好きと言い表していたからだ。
「そっか……」
天井を見上げる。
落ちつかない甘い香りで肺を満たす。
(理由も無く、僕は好きなんだ、アスカのことが……)
だがそれでは落ちつかない。
理由無き感情は理不尽な想いによって切り捨てられてしまうから。
説明できないと納得してはもらえないから。
「でも……」
幾つかの疑問符が沸き起こる。
「ただいまぁ!」
しかし結局は……
アスカの元気な声に、中断してしまう事になってしまった。
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元にでっちあげたお話です。