「それが加持さんとの出会いってわけよ」
シンジが夢うつつにアスカのことを考えていた事も関係していたのかもしれないが、確かにシンジの心の防壁は薄くなってしまっていた。
あるいはアスカが触れたからこそ、シンジはアスカの夢を見たのかもしれない。
それはともかくとして、アスカはシンジの深層にある苦悩を垣間見た、自分は決して受け入れられないと言う事実に基づいた悲しみを。
だがそれだけではなかった、その悲しみは『好き』だと言う感情があるからこそ痛みになるのだ。
アスカはシンジの心の奥底に、自分に対する好意を感じた。
ならば自分の真実を明かしてでも、シンジとの垣根を取り払おう、溝を埋めよう。
シンジの疑問、疑念、疑惑を払拭しさえすれば、二人の関係は良好なものとなる。
そう単純に考えてしまってよいものか?
しかし一度跳ね上がったテンションは下がることなく、アスカを雄弁にさせていた。
「だからね?、加持さんは頼れる人だってだけで、好きって言うのとは違うのよ」
アスカの話しに付き合わされて、シンジは窓の外が白んで来ているのに眠気を感じた。
それでもしっかり聞いていた事が、関心の高さとシンジの心境を物語っていた。
翌朝、ネルフ本部に一人の男が姿を見せていた。
昨夜の内にドイツから特別チャーター機で日本入りし、そのままヘリで綾波家邸宅に乗り付けた男である。
出迎えたのはゲンドウと冬月、それに『綾波サチ』であった。
「お久しぶりですな……、ユイ」
気安く話しかける赤毛の男に冬月は鼻白んだ。
「おっと、ここではサチ、でしたな?」
それをにやけた笑いではぐらかした。
男は勝ち誇った目をゲンドウに向けた。
「さて、本日この時点をもって、碇ゲンドウ氏には退任して頂きましょう」
「……了解した」
何事でも無い様にゲンドウは了承した。
それが面白くないのか?、男は付け足す。
「彼女とご息女のことならご心配なく……、わたしがしっかりと面倒を見よう、なぁに、知らない仲ではないのだからな?」
男は下卑た下心丸出しの顔をユイへと向けた。
しかしユイの瞳の焦点はどこか虚空を見つめたままで、ついに彼に合わさることは一度も無かった。
退屈なだけの授業を聞き流す。
(退屈?、そうじゃないよな……)
シンジは自身の変調について、ほぼ正確に把握していた。
こうして他の事を考えていても、教師の話は全て思い出せるのだ。
茫洋としてはいるのだが、集中すればその全ての内容を、『知らない』はずの事柄まで補足して解説する事が出来てしまう。
まるで以前から知っていた事のように、それは余りにも気味の悪い能力であった。
(うるさいんだよ……)
莫大な知識がシンジを苛む。
楽しくも無いのに頭の中に溜まっていく、それは雑音、ノイズでしかないのだが、確実にシンジの思考の大半を埋めていた。
だからシンジは本当に考えたい事を考えるために、疲れるほどの集中力を必要としていた。
(母さん……)
つい最近会った時、母の様子は何処かおかしかった。
(多分……、僕と同じだ)
知識の本流に自分の意識が押し流されていく。
それは他人の持っている記録、記憶に基づくものだった。
望んでもいないのに博識にされていく、記録できる容量をオーバーし、その分シンジ自身の記憶を勝手に消し飛ばそうとしていた。
記憶とは感情の連なりであり、これを失うことは人格の崩壊を意味している。
(嫌だよ、そんなの……)
シンジは泣きたくなっていた。
(心まで消されちゃうの?)
体はもう人ではない、だがこのままであれば、心までユイのように壊されてしまうのだ。
(飲み込まれるなんて……)
他人の、無数の意識の中に。
机の中で眠る獣を強く意識する。
(加持さん、ミサトさん、綾波、アスカ、母さん、……父さん)
誰かの事を考えて、自分と言う存在を強く意識する。
だがそれは失敗に終わってしまった。
(だめだ……)
誰も自分を求めてはいないのだから……
ここに居る事を強く願う事で、自分と言う存在を確定できるのだ、だがシンジには掴まっていられる相手が居なかった。
「今日は暗いわねぇ?、どうしたのよ」
「別に……」
(昨日あんな話しをしたばかりなのに……)
こうやっているのは仕事なのだろうと。
なのにアスカは、居直ったかの様に接して来る。
だからシンジは困惑していた。
「碇君」
「綾波?」
シンジはアスカの半歩後ろを歩いていたが、知った声に足を止めた。
帰宅途中の道路端。
車で登下校しているレイに話しかけられるには、あまりにも不自然な場所であった。
「なによあんた?」
キョトンとしたシンジの代わりに、ずいっとアスカが前に出た。
だがレイの視線はそんなアスカを完璧な程に透過して、シンジだけを見つめている。
「碇君」
「なに?」
妙な雰囲気だった。
さらには奇妙な緊張感が漂っていた。
「……わたしと、付き合って」
「うん、いいけど……」
「ちょちょ、ちょっとシンジ!」
「何処に行くのさ?」
がくーっとアスカは肩を落とした。
一瞬喜んだレイも無表情に近くなった。
「このバカ……」
思わず漏らしてしまうアスカだった。
真摯な眼差しと程よい緊張感、それに思い詰めたような表情と先の言葉。
汗ばんでいるだろう握られた小さな拳と、微妙な熱に犯されて赤らんだ白い頬。
(なんでわかんないのよ?)
つい『恋敵』と一瞬で判断した相手に味方すらしてしまう。
アスカは深く溜め息を吐いた。
「碇君」
仕切り直すレイ。
「わたしは……、碇君が、好き」
「え?」
「だから、わたしと、交際……」
そこでレイは言葉を途切れさせた。
(なに?)
シンジが脅えるように後ずさったからだった。
二人には分からなかった。
あるいは『心による接触』に目覚めたためか、今度は逆にシンジの表層の、思考の部分で辿り着いた結論に気が付かなかったのだ。
「なんだよそれ……」
「碇君?」
「シンジ?」
シンジは恐怖に引きつり、これまでに見たことがないような表情をしていた。
それはまさに……
(使徒?)
シンジと言う恐怖を目前にし、死に脅えていた使徒達と同じ目がそこにはあった。
「そんなの、おかしいよ」
「ちょっとシンジ!」
尋常じゃない様子にアスカは手を伸ばした、しかしシンジはそれすらも跳ねのけた。
「だっておかしいじゃないか!」
矛先はアスカにも向けられた。
「付き合えだって?、冗談じゃないよ!、今度はどういう命令なのさ!?」
びくんと震え上がったのはレイ、アスカ共々だった。
二人ともわずかに青ざめる。
「あんた……」
「僕を監視するんだ?、そうやって……、好きだとかって、手なずけて!」
「シンジ、言い過ぎよ!」
「アスカだってそうだろう!?」
言い負かすために大声を張り上げる。
「好きでも無いくせになにさ!、気のある振りをして、ほんとは父さんの味方の癖に!」
アスカはなんとか言い返そうとして言葉を探した、が、見つからない、見付けられなかった。
どれも言い訳臭く感じたからだ。
「でも、あたしは!」
「この間だって僕に脅えてたじゃないかっ、恐くて逃げようとしたくせに!」
血の気が引き過ぎて白くなるアスカ。
その横ではレイが唇を噛み締めている。
「どうせこいつが必要なだけなんでしょ?」
シンジは肩に手を置いた。
するとすうっと、獣が姿を現した。
正確には、人の意識に引っ掛かるようになった。
「エヴァンゲリオン……、それさえ手に入れば、他に」
「違うわ」
レイは遮った。
「碇君を、求めていた……」
告白だった、それは。
「でも、今は違う……」
愛おしげに胸元に手を当てる。
「何かを……、して、あげたいと思う」
与えてあげたいと願う心。
「これは、わたし」
利を考えない、得を取らない。
純粋な想い。
「だから」
だがシンジには届かなかった。
「今更なんだよ……」
シンジはレイを突き放して呻きを漏らす。
「シンジ……」
アスカは見ていられなくなった、後は任せろとレイに視線を送るのだが、レイは目でそれを拒否した。
自分が告げるべき想いだったからだ。
「碇君……」
「僕にしてあげたいことってなんだよ!」
「それは……」
「だったら!」
喚き散らす。
「母さんを……、父さんを返してよ!」
その叫びはレイの胸に突き刺さった。
「シンジ……」
アスカにもその慟哭は伝わって来ていた。
心の、ようやく気付けたエヴァの力で。
アスカはシンジを拒絶するつもりが無かったから、ぶつけられるものをそのまま受け入れていた。
防壁を薄くして……
しかしそれは逆効果だった。
「僕はそんなに憐れなの?」
暴走する想いが、無意識の内にシンジに同じ力でアスカの感情を読み取らせていた。
「僕は同情されなくちゃいけないの?、どうせ父さんの、命令があったら、僕だって殺しちゃうくせに!」
「いいえ」
即答にアスカは驚いた。
以前とは違い、レイが『拒否』を言い表したからだ。
「これは……、わたしの意思、だから」
「だから恵んでくれるんだ」
へらっと……
嘲るような笑みをシンジは浮かべた。
「アスカと同じで、幸せだから、だからおこぼれをくれるんだ?」
「シンジ!」
「なんだよ!」
怒鳴り返す。
「僕のことが気になってたって?」
それは今朝の、加持との出会いの中で触れた話しだ。
「ほんとに好きなのは加持さんのくせに!」
「違う、あたしは!」
「ならどうして!」
心のタガが外れていく。
「なんで寝言で加持さんを呼んでるのさ!」
それも何度も!
ガクガクとアスカの膝は震え始めた。
「ち、違う、誤解よ!」
確かに何度か、加持と対談していた頃のことを夢に見てはいた。
だが名前を呼んでいたとは思わなかったのだ。
「本当に好きなのは加持さんなんだ……、僕はおまけなんだよ、でなきゃなんでアスカが僕のことをかまうんだよ?」
「それは……、あたしは、シンジが」
「……好きだなんて、一度も言ってくれたこと無いくせに!、嘘でも言えなかった癖に!!」
先を取られて、アスカは言葉を失った。
言うタイミングを逸してしまった。
「碇君」
そのタイミングをレイが借り受ける。
「側に……、居るわ、ずっと」
「だから?」
「碇君……」
「綾波とキスしろっていうの?、抱けって言うの?」
シンジの無遠慮さに、レイの頬が羞恥に染まる。
しかしシンジはそんなレイでさえ、せせら笑った。
嘲った。
「そうやって、僕の中に居るこいつを手に入れるつもりなんだ?」
シンジの言わんとしている事を悟って、浮かれた自分を凍り付かせる。
「違う……」
「違わないじゃないか、なにも!」
愛し合う、その果てにある行為。
好き合えば当然となるその行ないそのものが、もっとも忌避されるべき事柄に当たるのだ。
信じたものが、それを求めてしまった瞬間に崩壊していく、瓦解していく。
ほらやっぱりと落胆する事になってしまう。
愛し合うと言う行為は、遺伝子の提供を受けようとしている『寄生体』の本能なのかもしれないと。
だが愛しているという証しは欲しいだろう。
それはまさに矛盾であった。
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元にでっちあげたお話です。