「碇君……」
「どうせ僕なんていらないんだ……、さっさと殺して、ううん、死なないものね?、どうせさ……」
 檻にでも閉じ込めたら?、とシンジは目で訴えた。
 ついに負けたようにレイは目を逸らしてしまう。
「あんた……」
 女としての同情がアスカの中に芽吹いていた。
 使徒であること、エヴァであること、心の奥底に別のものを内包する事がこれなのだろうかと思うと悲しくすらなる。
 しかし自分達はエヴァを宿しているのではない。
 もう、自分そのものがエヴァなのだ。
 アスカはもう、その事を知っていた。
「シンジ……」
「欺瞞なんだよ……、どうせ全部が嘘なんだ」
「違う!」
「アスカだって知ってるじゃないか!、僕はもう人間ですらないって!!」
「それを言うなら、あたしだってもう人間じゃないわよ!!」
「誰も僕のことを思ってくれない!、僕が父さんの子供だから……、エヴァだから、だから気にかけてくれてるだけで!!」
「それだけじゃないわよ!」
 言わずには居られなかった。
 人でなくなれば、人からは捨てられるというのであれば、自分はどうなってしまうのか?
 ただの実験動物だろうか?
(違うわよ)
 少なくともゲンドウは、そのため、人として生きるための道を用意してくれたのだから。
 だがシンジの心に届くには、あまりにも根拠に乏しかった。
 また口に出来る事柄でも無かった。
「僕には……、なにもないんだ、なにも」
 シンジは顔を上げてレイを見た。
「ねぇ?」
「なに?」
「あんなことがなくても……、綾波は僕を好きになってくれたの?」
 あり得ない仮定形に言葉が吐けない。
「特技も……、なにもない、こんな僕を誰が好きになってくれるんだよ?」
 いじけているだけの言葉、だが内容は切実だった。
「お願いだから……、僕を好きだなんて言わないで」
「碇君……」
「シンジ……」
 二人揃って歩み寄ろうとする。
 それを押さえたのは獣だった。
 フゥッと威嚇する様に毛を逆立てている。
「お願い……、僕を一人にしないで」
 シンジの中で分裂が始まっていた。
 誰かを好きになれば、嫌いと言う言葉も生まれてくるのだ。
 それは永遠の別れを意味する、でもその感情を隠し続ける事が出来たなら。
 ぬるま湯に浸るように、延々と付き合っていくことができるだろう。
 側に居て欲しいと願うからこそ、必要以上に近寄ってくれるなと願っているのだ。
 側に居て、近付かないで、抱きしめて、僕を嫌って。
 相反したものが雄叫びを上げる。
「いけない」
 レイはそのシンジの考えそのものに危惧を抱いた。
(似ている)
 それはレイの知っている人に良く似た症状だった。
 碇ユイ、綾波サチ。
 母としての自分、科学者としての自分と言う二つの理想。
 親としての理念、学者としての責務と言うかけ離れた精神。
 その結果が……
 だがアスカの見立ては違っていた。
(シンジ……)
 アスカにはまるで泣いている子供に見えた。
 とても小さく、幼い姿に。
(そっか……)
 遊んでもらいたくて、仲間に入れてもらいたくて。
 自分を押し殺して、周りに合わせるそんな子供に。
 だからこそ、今度こそアスカはシンジをどうする事も出来なかった。
 単純にシンジが抱きしめられる事を願っていると気付いていながら……
 それでもアスカには、そうしてもらえた記憶が無いから、それで正しいのか確信が持てず、そのわずかな迷いがアスカの体を拘束していた。


 そんなアスカを解放してくれたのは、急なネルフからの呼び出しであった。
 しかしその助けには感謝すべきでは無かったのかもしれない。
「パパ……」
 アスカはそこに居る男に、非常に強い困惑を抱かされてしまっていた。


 アスカの父、ラングレーは、ユイを執務席に座らせ、その脇に立つ形を取っていた。
 一応は主である綾波サチを立てているらしい。
 冬月は部屋の入り口に下がらされていた。
「パパ……」
「パパではないよ」
 彼は優しげな声音でアスカに返した。
「わたしはネルフ総司令としてここに居る」
「え!?」
「つまりはお前の上司と言うわけだ」
 彼は慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
「……これでお前一人に負担をかけなくて済むよ、正直、家のために無理をしている姿を見るのは辛かったんだ」
「パパ……」
 アスカは複雑な顔をした。
(あたしは、パパを無能って思ってたのに……)
 女遊びが派手なだけの……
 だがそんな男でも、血の繋がりもない自分の事を心配してくれていたのかと思うと、アスカは少々涙腺が緩むのを感じてしまった。
「ううん、あたしは、大丈夫、大丈夫よ?」
 そう言ってアスカは、無理に父に微笑んで見せる。
 慣れの無さが、ぎこちなさを作ってしまったが。
「大丈夫……」
「なら好かった」
「パパ……」
 血の繋がらない自分達でさえこれだけ分かり合えると言うのに……
(シンジは、どうして……)
 両親と和解できないのかと辛くなる。
 また同時に、アスカは使徒から聞かされた話を思い出していた。
(あたしは実験の実践と妥協の産物……)
 それを知っても、この男は自分を愛してくれるのだろうか?
 アスカは多少の脅えを感じていた。


「どういうつもりかね?」
 ラングレーは顔合わせを済ませると、すぐに老人達に対して会議の開催を求めていた。
 擬似会議に姿を見せた老人達は、彼の提示した話に一様に不信感をあらわにしていた。
 議題はサードチルドレンに関するものだった。
「意にそぐわぬ不確定な要素は排斥するに限る、そう言う事ですよ」
 ラングレーは膝を組んで不遜な態度を取って見せた、アスカに対した優しさは、そこには微塵も感じられない。
 老人達に対するパフォーマンスのつもりだろうが、この辺り、結果でのみ語るゲンドウとの格の違いが浮き彫りになっていると言えるだろう。
「なぁに、そう手間はかかりませんよ」
 そう言って彼は、一つのファイルをパタパタと振った。
「直に必要数のエヴァが揃います、その前に屑は処分する、そう言う事ですよ」
 黒い表紙には赤字で『サードチルドレン捕獲計画』と書かれている。
「だが彼のエヴァは、間違いなく最強であるようだが?」
 これをラングレーは冷笑でもって斬り付けた。
「餌が役に立ちます」
「セカンドチルドレンかね?」
「ファーストもですよ」
 中央、卓の上に、シンジとシンジのエヴァの情報が表示された。
 相席していた冬月は眉をしかめた。
 そこには対人関係に関するものも映されていたからだ。
(……己の欲のために娘まで切り捨てるつもりか?)
 吐き気を催す。
「獣は自らのプライドを守るために他の雄を排斥します」
「サードの行動が、アダムに取って代わるためのものだというのかね?」
「事実、二つの母体はサードに惹かれています」
「使徒の中には女児が居たはずだが?」
「遺伝子上の雌雄は関係ありませんよ……、彼らにとっては新たな個体を生み出すための情報交換こそが重要なのですから」
「独占するつもりか?、サードチルドレンは」
 むぅ、と唸る声が一度に上がった。
 ラングレーの言を信じるのであれば、シンジはそれらの情報を集積しようとしている事になる。
 最強であらんがために。
 そして事実、シンジは他のエヴァに先んじて使徒に手をかけていた。
「危険ではないのかね?」
「使徒はサードを目標に選びました、サードが蓄積した物は」
「セカンド、またはファーストに還元すればよい、か……」
 それがどの様な行為であるのか?
(レイ、アスカ君とつがいにする気か?)
 堪え切れず、冬月の顔には嫌悪が現われた。
 シンジがどちらかと結ばれればよいのだ、その結果として子を成してくれれば、希望は別の形で満たされる。
「ラングレー司令……」
 冬月は会議の終了を待って話しかけた。
 カーテンが開かれ、部屋は擬似会議室から執務室へと変貌した。
「確かにシンジ君は、君の娘には甘いかもしれんが……」
 わざと『娘』と強調する冬月である。
「彼はむざむざと取り押さえられるほど、彼女達と友愛を深めているのかね?」
「心配ありませんよ」
 ラングレーは邪悪な笑みを浮かべた。
「碇氏が治療の名目でアダム因子の覚醒とリリスウイルスによる抑制を行っていた検体があったはずです」
 それは鈴原トウジと言う、シンジと浅からぬ因縁がある少年のことだ。
「まさか、彼を使うのかね!?」
「どの道エヴァとして覚醒させる予定だったのでしょう?、せいぜい、『我ら』のエヴァンゲリオンが揃うまで、出来損ない同士でじゃれ合っていてもらいましょう」
 だがラングレーは重大な見落としをしてしまっていた。
「これからフォースチルドレンの状態の確認に参りますので、では……」
 自信が全身に漲っている。
 自分を選出した老人達、彼らが何故自らのする事に諸手を上げて賛同しなかったのか?
 その事に考え至らない彼と言う男は、やはり乗りやすいだけの小物であると批評せざるを得なかった。


(嫌な予感がする……)
 アスカは急な呼び出しに胸騒ぎを覚えていた。
 黒塗りの車から下りたアスカは、店先の掃き掃除をしていたシンジとばったり出会い、どちらとも無く言葉を無くして見つめ合う事になってしまった。
 その空気を動かしたのはアスカに対するネルフからの緊急呼び出しであった。
 そして今はこうして同じ車に乗って、シンジを隣に落ち着かせている。
「来なくても良かったのよ?」
「僕はいらないから?」
「違うわよ!」
 カッとなった事を恥じ入るように、アスカはまた前を向いた。
 苛つきを押さえるために親指の爪を噛む。
(フォースの視察に出向いたパパの直接呼び出し……、それも緊急、シンジまで同伴させろってどういうこと?)
 理由は計るまでもない。
(そうね、シンジはサードチルドレンって事になってるんだから……)
 例えシンジがそれを了承するどころか、知りもしない話だとしてもだ。
(パパはシンジも自分の部下だと思ってる……、どうしよう?)
 本当のことを話すべきかもしれない、シンジは部外者であるのだと。
(でもそれじゃ、シンジは……)
 ネルフの力を用いて捕獲されてしまうかもしれない。
 いや、捕まるだけならいいが……
(そんなの駄目よ!)
 処分の二文字に青ざめる。
(なんとかしないと……)
 だがアスカには、それに対する具体的な案が浮かばなかった。


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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元にでっちあげたお話です。