車が到着したのはシンジが先日検査入院したばかりの病院であった。
 追い出された病人や看護婦、医師達が不安な目つきで建物を見守っていた。
「火事って……、煙も出てないじゃないか」
「悪戯なんじゃないのか?」
 だがそれを確かめようと言う人間は居なかった。
 赤いベレー帽を被った集団が、隔離するようにビルを取り巻いてしまったからだ。
 人も入り込めないように、黄色いテープで区切りもしている。
 明らかに火事とは違った対応だった。
「リツコさん!」
 そこに子供の声が駆け抜けた、シンジだ。
「シンジ君……」
 包帯を頭に巻いている、左腕にもだ。
 無理して立ち上がり、ふらついたリツコを慌てて支える。
「リツコさん、何が……」
「君が碇シンジか」
 シンジはその不遜な声に気色ばんだ。
「誰です?」
 訝しげなシンジに、男は人に好かれる類の笑みを浮かべた。
「アスカの父だよ、今はネルフで働いている」
「アスカの……」
 シンジは困惑した、こんなところでどうして笑っていられるのかと。
「使徒が現われてね、さっそくだけど働いてくれるかな?」
「働く?、なにを……」
「シンジ!」
 何かを言おうとしたシンジを、慌ててアスカは引き止めた。
「いいからっ、シンジ、行きましょう!」
「ちょ、ちょっとアスカ、なにを言って……」
 言いかけたシンジであったが、アスカとその父親と言う男を一度に見て全てを悟った。
 焦るように急かすアスカと、その後ろでにやにやと見下す男の関係。
「わかったよ!」
 アスカの手を振り払い、シンジはビルへと歩き出した。
(そういう、事か……)
 苦々しげに吐き捨てる、どうせ自分をいいように扱いたいだけだろうと。
「……何か気に障る事をしてしまったかな?」
「ううん、そうじゃないの、そうじゃ……」
(シンジ……)
 アスカは一瞬だけ込み上げた悲しみを無理矢理に押し殺して後を追った。
(シンジはサードチルドレンとして登録されてる、でも……)
 ゲンドウはそう扱うことなく、またシンジにもその事実を知らないでいるのだ。
(……シンジを守るためなのよ)
 アスカは誰にともなく言い訳をした。
 誰にも利用されないように保護するための措置。
 だが今はその事が仇となってしまっている。
(シンジ……)
 だがそれを今は父に悟られるわけにはいかないのだと、アスカは自分を護魔化した。
 あたしを信じて、アスカはただそう心の中で訴えた。
 それがどれほど空しい言葉に聞こえたとしても、他に出来る言葉は自分の中には見つからなかったから。


 無機質な廊下に靴音が響く。
 先日もここで一体の使徒を処理していた。
 患者の心理面を考慮する現代にあって、このような無味乾燥とした作りは非常に珍しいものである。
 時折遠くから銃声が聞こえた、悲鳴もだ。
 シンジはエレベーターを使わず、階段を一段一段踏みしめた。
「……綾波」
 その途中で、シンジは踊り場で息をついているレイを見付けた。
 側には人型になった獣がいた、レイを抱きかかえるようにしてへたり込んでいる。
「レイ!」
 アスカは慌てて駆け寄った、怪我の状態を確認するが、ただ気を失っているだけだった。
「よかった……」
 ほっとしてシンジを見やる。
「あ、シンジ!」
 先に行こうとするシンジを呼び止める、が、効果は無かった。
「待って!」
 焦ってしまう、行ってしまう、このまま何処かに、手の届かない所に。
「シンジ!」
 アスカの脅えた声のせいだろうか?、レイにピクリと言う反応があった。
「……かり、くん?」
『レイ!』
 アスカは集中して目覚めたばかりの力を使った。
『レイ、どうしたの?、なにがあったの!』
『だめ……』
 口で喋るよりも楽ではあろうが、それでも朦朧としているために要領は得なかった。
『だめ、碇君をいかせては……』
 ただ漠然とした不安が伝わって来る。
『大丈夫よ、シンジなら簡単に……』
『使徒は……、使徒は』
 レイから伝えられて来たイメージに、アスカは青ざめて寒気に震えた。
 新たな使徒は、エヴァンゲリオンの形をしていた、いや……
 エヴァンゲリオンそのものが、使徒の正体であったから。


「あれが……、使徒?」
 シンジは廊下に立って正面を見つめた。
 白かった壁が血に彩られている。
 叩きつけられたようにひしゃげ、潰れているのは人間であった。
 サイケな模様がシンジの知覚を麻痺させた。
 ぐちゃり……
 その向こうで……
 黒いエヴァが、人の頭から跳び出した眼球を踏み潰し、シンジに笑った。
「うわぁああああああああ!」
 シンジは力と感情を解放した。
 ほとんどは恐怖から逃避するための行動であった。


『だめっ、シンジ待って!』
 アスカは心で強く訴えた。
 口は走るために空気を求めるので精一杯になっていた。
 不幸な行き違いがここにもあった。
(なんでよ!)
 つい先程、『あの男』によって強い拒絶の壁を、溝を、シンジとの間に生み出す事になってしまっていた。
『シンジ!』
 そのためシンジが断ち切ってしまっていたのだ。
 アスカとの繋がりを……
(どうしてこうなっちゃうのよ!)
 せっかく見付けた絆が、今はもう使えないのだ。
 これもあの男の計算なのかと、アスカは泣きたくなっていた。
「シンジ!」
 アスカはその階に辿り着いて言葉を無くした。
「う、あ……」
 それは凄惨な現場だった。
 幾つも転がる人の死体は、無情な力によって引きちぎられて潰されていた。
 血が、脳漿が、臓物が転がっている。
 ネルフの制服、看護婦の制服、逃げ遅れた入院患者のものらしいパジャマまである。
 どれも血によって染まってしまっていた。
 グシャ!
 それを二体のエヴァが踏み付け、踏みにじりながら戦っていた。
「フォオオオオオオオ!」
 つかみ掛ったシンジを強力で掴み倒す黒いエヴァ。
 バシャっとシンジは血まみれになって転がった。
「フォウ!」
 そのシンジに踵を踏み下ろす、しかしシンジは竜巻のように足を回転させて逆立ちした。
 足をすくわれて転がるエヴァに、シンジは勢いのまま腕の力で飛び上がり、天井を蹴って反動をつけた。
 半回転して、立ち上がろうとしたエヴァの肩口に蹴りを食い込ませる。
「ガッハァ!」
 エヴァの肩が潰れてひしゃげた。
 シンジは着地すると同時に休まず左手を突き出した、撃ち出されたパイルがエヴァの右目を貫いた。
「ガァ!」
 さらに右手を伸ばして閃光を発する、これはひしゃげた肩を吹き飛ばし、エヴァから左腕をもぎ取った。
「ハァ!」
 それでもエヴァの狂気はとまらなかった、振り回された右腕が関節を無視してゴムのようにしなり、シンジの首を掴み捉えた。
 ゴキゴキと喉仏らしいものの砕ける音がする。
 それでもシンジは目を輝かせた。
 閃光と爆発、エヴァの頭蓋の半分が砕け、黄色い汁が飛び散った。
「もうやめてぇ!」
 アスカは叫んだ。
「そいつは、そいつはね!」
 アスカの知らない少年だ。
 だがシンジの知っている少年だった。
「シンジ!」
 アスカはそのイメージを叩きつけた、背一杯、心の力で。
 だが全ては遅かった。
 何もかもが遅かった。
 そしてタイミングは最悪であった。
 左腕からふるわれた鞭がエヴァの胴を絡め取っていた。
 ジュルルルル!
 そして滑らせて、シンジはきつく締め上げるように引き抜いた。
 ゴトン……
 上下分断されて、エヴァは血の海に転がった。
 そしてジュルジュルと泡立って、使徒は、エヴァは形を崩していく。
『!?』
 シンジは驚き、後ずさった。
 まるで己の罪に恐れおののいたかの様に。
 崩れ落ちるエヴァは、だんだんと人の姿を取り戻していった。
 憐れにも潰され、解体されたその顔は……
『鈴原……、トウジ』
 シンジの無防備な声が聞こえ……
「シンジ!」
『うわあああああああああああああああああああっ!』
 アスカはただ見ている事しか出来なかった。
 自らが殺したものの血の海に両手を突いて、ひたすら号泣する彼の背中を。


「出て来たぞぉ!」
 誰かが叫んだ。
 そして息を飲んだ。
 碇シンジ。
 誰かがその名前を知っていた。
 虚ろな目をして、彼は知り合いを抱いていた。
 正確には抱きあげていた。
 その亡骸には腰から下が無かった。
 ピタピタとこぼれた腸が、シンジの歩に合わせて足を叩いている。
 かくんと折れた首、繋がっている頭には大穴が空いて、何か得体の知れないものがこぼれ落ちていた。
 それは周囲の空気を凍りつかせるには十分なものだった。
「よくやったな」
 そんなシンジに声を掛ける男が居た。
 バッと間に割り込む人影、それはアスカだった。
 悲しみを込めて男を見上げる、今はそっとしておいて、と。
 しかしラングレーは、そんな娘にも労いをかけた。
「そう言えば……、アスカはエヴァがシンジ君の知り合いだって知っていたんだったね?」
「な!?、あ……」
「さぞや彼にやらせるのは心苦しかっただろう、済まなかったな?」
 父の言葉が含む毒に青くなり、アスカはシンジに訴えた。
「違う、違うのよ、シンジ!」
(ああっ……)
 アスカは絶望の淵に立たされた。
 シンジの目が、自分を蔑むように見つめていたから。
(違う、違うのよ、シンジ……)
 もう一度微笑んでくれる、そんな希望すら抱かせてはもらえない眼孔に晒されて、アスカは言葉を失ってしまった。
「シンジぃ……」
 そんなアスカの目の前で、シンジはトウジの遺体を奪い取られ、その両手に錠をかけられた。
 まるで犯罪者のような扱いだったが、シンジは抵抗するような素振りを見せなかった。
 ただその内面に、異常なほどの怒りと言う名の高ぶりを感じて……
 アスカにはどうして父がそんな事を言ったのか?
 まったく意図が分からなかった。
 分かったとしても、どうしていいのか?、答えは見付けられなかっただろうが。
「パパ……」
 アスカは連行されるシンジと共に離れて行く男の背に問いかけた。
 だがその背中は何を答える事も、何かを語るような事もなにもなかった。
 ただ取り残されたアスカには、全てを失った喪失感だけが残されていた。


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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元にでっちあげたお話です。