暗いだけの独房に光が射し込む。
 男は数時間ぶりの眩しさに目を細めた。
「……アスカか」
 逆光の中に立つ人影は、くぐもった声を返した。
「パパ……」
 アスカは一歩踏み出した。
「すまない」
「パパ」
「だがああするしかなかったんだよ……、でなければシンジ君は」
 アスカはあの時の周囲に居た人達の視線を思い出した。
 恐怖心による罪人を見定める目を。
「パパ……」
「フォースの使徒化は確かに予想されていた事だった」
「え?」
 抱きつこうとしたアスカにその一言はたたらを踏ませた。
「適格者……、リリスウイルスによるエヴァ化は誰にでも施せるものではないんだよ……、それを可能とするためにリリスのアダム吸収能力を利用しようと、まず彼に感染していたアダムの活性化を行った」
「そんな!?」
「だがね?、わたしはそれを引き継いだだけだよ……」
 力無くかぶりを振る。
「それを押し進めていたのはゲンドウだ」
「碇司令が!?」
「そうだ」
 はっきりと頷く、目に強い怒りを湛えて。
「奴め……、ユイさんの時のことを教訓にしたらしい」
「教訓?」
「ああ……」
 ギリリと歯を噛み締める音が漏れる。
「碇ユイ……、最初の被験者だが最初の被害者でもあったんだ……、当時の新聞はそれを書き立て、碇を社会的に抹殺しようとした」
「あ……」
 アスカもまた思い出した。
 それは碇ユイを綾波サチへと変えるきっかけになった事件だったのだから、忘れられようはずも無い。
「少々有頂天になり過ぎたようだよ、わたしは」
「パパ……」
「奴らの計略だったんだ……、奴らは実験が失敗する事を知っていた、知っていて尚やらざるを得なかった、何故だと思う?」
 アスカはただ困惑した。
「進化だよ……」
「進化?」
「ああ」
(パパ?)
 アスカは熱の篭った声に、初めて疑惑を持った。
「使徒は進化していく……、それと同時にエヴァもまた進化を行う」
「エヴァが……」
「綾波レイ、彼女は何故融合しない?」
 それはレイのエヴァがアスカのものより先に生まれた所に問題があった。
「リリスは彼女を守るための物理的な力を生み出した……、それがファーストだ、抗体なんだよ、リリスは綾波レイを守るための」
「抗体……」
「だがいくら抗体が強かろうと、本体が死しては意味が無い、抗体は生体の機構でしかないからね?、そこでアスカ、お前が、セカンドが生まれた」
「あたし?」
 アスカは無意識の内に、首筋に居る蜘蛛の腹を撫でていた。
 ぷくりとした感触が指に返ってくる。
「リリスウイルスは本体の強度に不安を覚えていた、そこで肉体そのものの強度を上げる方法を取った」
「融合……、シンクロ」
「ヘイフリックと言う言葉を知っているね?」
 アスカは頷いた。
「肉体……、細胞にはどの様にしても分裂する回数に限界がある、例え無限に見えても、必ずそれはやってくる」
「修復の限界……」
「進化の、だよ、DNAと言う物は人が考えるほど万能な設計図ではない、たった一つの組み替えが想像以上の変化と結果を生み出してしまう、マトリクスの一部分をコピーするとはそう言う事だ」
 アスカはハッとした。
「セカンド、インパクト!」
「そうだ」
 ラングレーは頷いた。


「人間、そのもの……」
 シンジは頭痛を堪え、押し流される意識をはっきりさせるために声を振り絞った。
 喉から出たのはしゃがれた声だったが、シンジとユイの間には、肉声はほとんど意味を成していなかった。
「南極の氷にはね?、人間が閉ざされていたの……、進化の系譜ではなくて、試された者達だったのよ、そこに辿り着いた人達は皆、DNAにマトリクスをコピーされてしまったの」
「コピー……、書き換えでも組み替えでも無く」
「無理矢理形状と能力だけを付加された……、当然人体としては成り立たなくなり、暴走し、自滅していく……」
「それがセカンドインパクトの正体!?」
 人間の染色体の数は決まっているのだ。
 そこに足し算を行えばどうなるのか?
「南極に眠っていた人達は出来の良い粗悪品だったのよ……、彼らの遺伝子サンプルを回収した組織は、再び生命活動を開始した彼らを眠りにつかせるために南極を蒸発させたわ」
「そんな!?」
「小型の熱核プラント、エネルギー発電炉を暴走させて……、その爆発は永久凍土を蒸発させた、巨大な水蒸気爆発が起こったの、その風は暴風とも言える気流となって世界を駆け巡った」
「なんのために!」
「人になるためよ?」
 ユイは何でも無い事のように言い放った。
「わたし達は出来損ないだもの……、だから本物になる必要があるの、そのためにアダムウイルスの感染者に回収していたサンプルを投与した」
「……使徒は、使徒って」
「そう、わたし達が作り出したの……、サードインパクトを防ぐため?、そんなものは欺瞞なのよ、ただの嘘、サードインパクトは必ず起こるわ、こちらの思惑に関係無く」
「じゃあ、じゃあどうしてみんなを!」
(殺さなくちゃいけなかったの!?)
 シンジは泣いた。
 生々しく両手に残るトウジの重さに、温もりに。
「……目安なのよ、いつサードインパクトが起るのか?、彼らの発現は同時には起こらないから、多少であれば引き延ばすことができる、でも安定し過ぎるとそこでサードインパクトは開始されてしまうから……」
「そのための、エヴァ?」
「人は人でないものに導かれる事なんて望みはしないわ?、ただ人は人にとって都合のいい形しか望まない……、全てはコントロールされているのよ、『綾波レイ』と『惣流・アスカ・ラングレー』は使徒を処理するために生み出されたの」
 シンジはレイが顔を逸らせたのを感じて、唇を噛み締めた。
「僕は……」
(そんな事も知らないで)
 激しい後悔と苦悩を抱く。
 アスカに、レイになにを言ったのかと。
「やがてアダムは知るでしょう……、進化の終着点こそわたし達人類であり、彼らにはそれ以上は望めなかったのだと言う現実を……」
 シンジは肩に置かれた震える手を握り返した。
「じゃあ……、じゃあ僕達はどうなるのさ!」
 ギュッとレイの手の感触を確かめる。
 ここに生きているのにと。
「二人は母体……、そのサンプルと完成体だもの、ファーストは廃棄、セカンドはプラントとして『拡張』されるわ?」
「拡張?」
 またもシンジの脳裏に膨大なイメージが流れ込んで来た。
 それは巨大な工場に似た施設の奥、四肢を切り落とされ機械に組み込まれている少女の絵面であった。
 その腹部は透明のカプセルによって子宮内部を晒されている、何本にも枝分かれしたへその緒が、エヴァに似た化け物達へと繋がっていた。
「ぐ、ぅ!」
 シンジは今度こそ込み上げた物を吐き散らしてしまった。
「だけど彼らにも誤算が生まれた……」
 レイの声に、シンジは涙と鼻水で汚れた顔を上げた。
「それがあなたよ」
 襟首も汚物によって色が変わってしまっている。
「進化の極限、アダムには未来は無い、でもあなたは……、人としてさらにその先へと階段を駆け上がってしまった……」
「そう、『あなた』は既に人が進むべき未来へと足を踏み入れてしまっているの」
 ユイはシンジを他人のように評価した。
「そんなの……、そんなの、僕は……」
「だからあの人は……、ラングレーは排除しようとした、あなたを」
「……え?」
 シンジはその名前に驚いた。
 同時に流れ込んで来るイメージにも。
「アスカの……、お父さん?」
「そう……、アスカはあの人に躍らされている」
 レイもそう言って、アスカのために弁護をした。


「くどいようだが生物にはヘイフリックの限界と言う物が在る、過剰な変異は肉体に損傷を与えるのみで、害にしかならない、物質は物質によってのみ構成される、だがシンジ君はどうだい?」
 アスカは答えようとして言葉を失った。
 二体一対、甘栗姉妹のことを思い出したからだ。
 彼女達は二人で一組の存在だった、ナツミの意識は奪われていたが、意思が一つであった時、二体は全く同じように動いていた。
 ではシンジはどうなのだろうか?
 高所から落とされた時、シンジは自らを分けて複製体を作り上げた。
 シンジ自身はアスカを抱いていた。
 分離体はその二人を守る緩衝材となって潰れて死んだ。
 シンジと言う魂の元に、それぞれがそれぞれの役割を果たしたのだ。
 統一された使命の元に、別個の意識を共有して。
 それは甘栗姉妹を越えている証拠であった。
 自分の動きをただトレースさせただけの甘栗の姉に対して、シンジは明確に行動を振り分けたのだから。
 そして分離したシンジ達は、双方分離前と同じ質量を保っていた、身長、体重と言った体格は、分体以前と変化が無かったのだ。
 その後で吸収合体をしたことから無理があったのは窺い知れるが……
「わかるかい?、エヴァも使徒も生命体、たんぱく質の塊である以上、物理法則を越えることは無いんだよ……」
 ではシンジの最終段階とは何なのだろうか?
「シンジは……」
 アスカは目まぐるしく考えた。
(マトリクスをコピーして能力を吸収しているのに、肉体に破綻の兆しは見られない……、それはエヴァだからなの?、違うわね、マトリクスをコピーしてるんじゃない、分析しているんだわ)
 使徒も物理法則に乗っ取った存在である以上、再現することは可能なはずだから。
(確かにシンジは人間じゃなくなっているのかも知れない……、肉体はただ可能性を確かめるための実験体にすぎないんだわ、アダムと同じように)
 ならシンジも、倒れた時は誰かにそれまでの実験結果とデータを引き継ぐのだろうか?
(そうじゃない、そうではないわ……)
 アスカは考える、シンジは分体した肉体を『統一された意思』の元に操った。
(精神生命体)
 そんな言葉に辿り着く。
(肉体は仮初めのものにすぎないって事?、魂があれば何度でも……)
 そして気が付く。
(アダム?、そうよ、アダムそのものじゃない!)
 アダム、使徒もまた一体一体が順繰りに『発病』しているのだから。
(でも次の肉体に魂が移れるの?、使徒は別の生命にデータだけを送ってる……、けれどもシンジは魂のみで存在できる様になり始めているわ、元から質が、根本的な成り立ちからして違ってしまっている、存在のレベルそのものがわたし達を越えている)
 そしてゾッとする。
(無意識、集合体!)
 人は無意識下の領域で繋がっている、だから知りもしない事を語ることがあるし、夢に見ることだって稀にある。
 アスカはそれを疑ってはいなかった、実際、自分はそれを介してシンジやレイと会話する方法を身に付けたのだから。
 だがもし、そこに直接存在できるようになったのなら?
(シンジは……、あたし達は、人類は!)
 碇シンジと言う存在の上にのみ、生を許される事になる。
(そんなのもう、人間じゃない!、生き物でも無い!!)
 だが恐怖的な発想は、アスカの拒絶を無視して濁流のごとき流れを呼び込む。
(それに気付いている人達が居た……、おばさま、ママ!?、だからエヴァになろうとしたの?、人としての器に魂を閉じ込めるために)
 頭痛を感じる。
(まただわ……)
 自分の中に沢山の物が入って来る感覚、アスカはそれが何なのかもう分かっていた。
 無意識領域のさらに下に有る集合意識体が、アスカの思考に反応してそれに即した情報を取り留めも送り込んで来るのだ。
 あるいは自分の知的好奇心が、無意識の内にそれを欲してしまっているのか?
 だがどちらにしても……
(抑え切らないと……、ママやおば様みたいになっちゃう)
 集合体そのものが具現化した姿こそ、壊れた母親でありユイなのだから。
 だがそれはアスカに悲しい喜びを持ち込んでくれていた。
(ママは……、ママはあたしを見なかったんじゃない)
 氷解した誤解にアスカは気分を高揚させた。
(ママは自分が誰だか分からなくなっていくのが恐くて、あたしに縋ったんだわ!?)
 だが悲運なことに、彼女は人形と実の娘の区別がつかなくなってしまっていた。
(ママはあたしだけを見て自分を保とうとしてくれていたのね……、ユイおばさまは今まさにそうなろうとしている、それはおば様の方が汚染の度合が……)
 アスカは自分の言葉にゾッとした。
(精神汚染、これが……)
 その恐怖が、様々な苦しみを運んで来る。
 そのほとんどは、頭をやられたジャンキー達と同様の刺激であった。
 快楽中枢が開放されて、アスカは股から溢れた物がつぅっと腿を伝うのを感じた。
(いけない、あたしは……)
 アスカはその感触を頼りに自分を取り戻そうと試みた。
 そこから熱くなっている自分の中心へと辿るように戻り、自分と言う存在を感じ直していく。
 自分と言う存在を確定させる作業は思った以上の難題ではあったが、はっきりと自分を知覚した時、アスカはようやく戻ることができていた。
「……ネルフは危惧しているんだよ」
 その間にも、ラングレーの話は続いてた。
「……人は人の姿を完全に捨ててしまう事になるのではないかとね?、シンジ君はそれほどまでにかけ離れ過ぎた……、そのための鈴原トウジ君だったんだよ、だからわたしはシンジ君を保護するために、わたし達を信じず、身を守ってくれるように警戒を促したつもりだった」
「パパ……」
「アスカ、ネルフを止めておくれ……」
 アスカは父の真摯な瞳に息を飲んだ。
「止めて……、ってどうやって?」
「ネルフには捕獲した使徒が一体存在している」
「え!?」
「まだ未覚醒だが覚醒する確率は高い」
「そんな……」
 アスカは本能的な拒絶を覚えた。
(使徒は……、あたしを求めてるのに)
 見返りに何をさせられるかも分からない、それを考えれば恐くもなろう。
「その使徒は特別なんだよ……、ネルフの好きにさせるわけには……」
 パチ、パチ、パチ、と……
 乾いた拍手が、話を潰してしまうように割り込んだ。


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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元にでっちあげたお話です。