「誰だ」
 ラングレーは戸口に向けて鋭い声を放った。
「お前は!?」
 スッと姿を見せた少年に驚きの声を上げる。
「初めまして……、けれどあなたは僕を知っている、そうでしょう?」
 カヲルは不敵な笑みを浮かべた。
「何故ここに!?」
「何故?、心外ですねぇ……、僕がお嬢さんをお連れしたというのに」
 キッとラングレーは娘を睨み付けた。
「お前はどういうつもりで!」
「だ、だってパパ……」
「パパじゃない!、お前はこいつが何者なのか分かっているのか!?」
 わけがわからずにうろたえるアスカを庇うように、カヲルは低い笑いを漏らして気を引いた。
「何がおかしい!」
「いえね?、さすが父親だけのことはあるなと」
 ラングレーの恫喝にもカヲルは小馬鹿にする態度を崩さなかった。
「どういう意味だ!」
「よくお嬢さんの扱い方をご存じで」
 バチンと……
 カヲルの手の内で何かが鳴った。
「ちょ、ちょっと!」
 アスカは焦った、その音がカヲルの飛び出しナイフの音だと気が付いたからだ。
 だが割り込もうとしたアスカを、カヲルは刃の煌めきで押さえた。
「そんなに碇ユイが恋しいですか?」
(え!?)
 アスカは父の変容に硬直した。
「貴様……」
 射殺さんばかりに、狂気を目に湛えている。
 それは先程の、エヴァと使徒についてを語る熱に浮かされた態度に感じたものと、同質の疑問をアスカに抱かせた。
 父の内側にある暗部を垣間見たような、そんな嫌な感じだった。
「正確には……、碇ユイ、惣流・キョウコ・ツェッペリン、赤木ナオコ」
 殺意の高ぶりが感じられる、逆にカヲルからは冷気が発せられ始めた。
「東方より来たりし三賢者とは良く言ったものですね?、赤木博士は全てを円滑にコントロールするためのマギシステムを、惣流キョウコはアダムと人体の共棲実体を、そして碇ユイはこの世の知を残そうとしている」
「共棲実体?、知?」
 アスカはカヲルの背中に問いかけた。
「碇ユイについては分かるだろう?、君も同じ力を手にしているはずだから」
「ああ……」
 アスカは目眩いを感じた。
「それじゃあ……」
「そう、碇ユイはこの世の全ての解を導き出せる存在に成ろうとしているのさ、生きたままね?」
 だがそれは自我の消失も伴ってしまう、あまりにも危険な状態でもある。
「ATフィールド……、君達のように精神を、心を糧に力を生み出せない彼女はもはや生きたまま死を迎えるしかない悲しい存在なのさ……」
 カヲルは笑みを浮かべたままで、嫌悪に満ちた目を作り上げた。
「彼はそれを知っていて彼女を手に入れるつもりなのさ……、彼女を手にすれば限りなく全知に近付く、不可能事の大半を可能に置き換えられるようになるからね?」
「パパ!」
「そうだ……、確かにわたしはユイを欲していた……」
(パパ……)
 アスカは悲しい目を作った。
 父がそんな人間だとは思いたくなかったからだ。
 そしてラングレーはそんな娘に応えた。
「だがそれはそんな欲望からではない……」
 憐憫を覗かせる。
「わかるか?、彼女に初めて会った時……、既にその隣にはゲンドウが居た、わたしは歯がゆかったのだ、あの男にそそのかされるように深みにはまっていく彼女が、いや、彼女達が心配だった、そして残ったのは彼女だけだ、これ以上苦しめることはあるまい!」
 瞬間、彼は床を蹴っていた。
「パパ!」
 アスカの目の前でいきなり事態は進行を見せた。
 カヲルの刃が閃く、しかしそれはラングレーの盾にした左腕に食い込んだだけだった。
 右腕でカヲルの首を取り、背中に回る。
 体格差を生かして軽く爪先立たせるように持ち上げる、カヲルは力を入れられない状態で浮かされた。
 自分の体重が首にかかって、カヲルはラングレーの腕に吊られてしまった。
「パパ!、やめて!!」
 悲壮な声を出すアスカに、ラングレーは悲しく微笑んだ。
「アスカはわたしを信じてくれないのかい?」
「パパ……」
 アスカにはどちらを信じればいいのか分からなかった。
 真実よりも信じたい物があったから。
 そしてカヲルはそんなアスカを軽蔑するように見つめていた。
 何故だか逃げようともがきもしないで。


「なんだ!?」
 シンジは突然の震動に驚いた。
 真下から来るような突き上げだった。
「爆発……、地下だわ」
「地下……、ネルフ?」
「ええ……」
「待って!」
 シンジは行こうとするレイを呼びとめた。
「……なに?」
 レイは肩越しに、ほんのわずかに顔を見せた。
 まるでシンジとは目を合わせたくないとばかりに。
(当たり前か……、あれだけ酷い事を言ったんだから)
 その事について、シンジは言い様の無い心苦しさを感じて謝った。
「ごめん」
「なに?」
「僕は……、僕は綾波に、酷い事を言ったから」
「そう……」
「でも……」
 シンジは悲しい迷いの無さをレイへと見せた。
「間違ってるとは思ってないから……、僕は人じゃないし、この心だってもうエヴァとか、リリスとか……、自分のじゃないから、だから」
『だからもうかまわないで、僕を僕として見たりしないで』
 聞こえないはずの声。
 その言葉の響きに、レイはくるりと振り返り、抱きついていた。
 シンジはここに居ると認めるように。


「うっ……」
 瓦礫の中でアスカは身を起した。
「なに?」
 煙で視界が得られない、ただ入り口が破壊され、廊下の壁や天井も崩れているのが確認できた。
 その穴からパイプやコードと言った、埋め込まれている設備が見えたからだ。
「ぱ、パパ、カヲル!」
 アスカは思い出したように立ち上がって叫んだ。
「つっ!」
 そして膝の擦り傷に痛みを感じて倒れかけた。
 その体を支えたのは、またしたもカヲルだった。
「……あんた」
 カヲルの腕に手をかけてアスカは驚いた。
「だから君は甘いというのさ……」
 カヲルの額からは血が流れていた。
 白い髪が鮮血にべったりと垂れ下がっている。
「痛くないの?」
「痛いさ、でも体の痛みは堪えられる、堪えられないのは心の軋みだよ……、それは僕もシンジ君も同じなんだ」
 アスカはカヲルの体温を感じながら、急速にシンジとカヲルの二人を理解した気がした。
「そう……、そういうことなのね?」
 カヲルは頷きを返す。
「そうさ、心と体、どちらを傷つけられたとしてもその痛みは胸を大きくえぐるんだ、だから僕達は必死なのさ」
「傷つけられないために……」
「それは君もじゃないのかい?」
 カヲルは耳元で囁いた。
「仮初めの親子であっても信頼の絆は断ちたくないと言う想いが、君のエヴァとしての力の使用をためらわせてしまった……」
 アスカは言い返せなかった。
 確かに今の力であれば、父親の心を読むぐらいのことは容易かったのだから。
 真意と真相を知るのは、実に簡単な事だったのだ。
 だが力を使う、確認すると言う行為は、それそのものが疑っていると言う心の裏返しなのだ。
 それはとてもとても悲しい事で……、でも。
「真実を知ることは痛みを伴うものなのさ……、人は痛がりだからね?、でもその恐怖を乗り越えること無くして心を分かち合うことは出来ない……、分かり合えることは無い、苦しみを、悲しみを癒し合う事も出ないのさ」
「癒す?、あたしが?」
「君はシンジ君に何を望んでいるんだい?」
 カヲルの声は不思議と染み渡るように、アスカの中に入り込んだ。
「あたしは……」
「シンジ君に笑ってもらいたいのかい?、シンジ君に慰めてもらいたいのかい?、それは甘え、依存にすぎないのかもしれない、だけどとても心地の良い甘美な関係だよ、決して悪い物じゃない……」
「ちょ、ちょっとカヲル!」
 アスカはカヲルの体重がかかって来たのを感じて焦った。
 今度は逆に支えになる。
「……少し、血を流し過ぎたみたいだね?」
「あんた……」
「アスカ!」
「パ……、パパ!?」
 アスカは自分の目を疑った。
「アスカ、来るんだ」
 そこに居る父は、首も手足も無い奇妙な生物を従えていた。
 特徴のある顔、仮面は護魔化しようがない。
「使徒……」
 そう、それは使徒だった。
 使徒が父を守るような素振りを見せているのだ。
「どうして……、どうしてよ、パパ!」
 アスカはこぼれる涙を抑え切れなかった。
「彼はわたしの協力者だよ……、ネルフの歪んだ思想を打破するための」
「パパ!」
 アスカの中で何かが壊れた。
 それはただ天秤が傾いただけだったのかもしれない、父を信じたい心と、使徒に対する嫌悪感。
 アスカの中では簡単すぎる答えであった。
 それに。
「なんだよこれ……、カヲル君!」
「シンジ!」
 アスカはカヲルを守るように部屋の中に後ずさった。
 入り口は使徒と父に塞がれている、シンジはその向こうに見えるのだが……
「……シンジ君は、許さない」
 アスカはカヲルの囁きにはっとした。
「僕を苛めた彼を……、君はどうするんだい?」
「そんなの!」
 アスカははっきりと宣言した。
「決まってるじゃないのよ!」
 満足げな笑みを浮かべたカヲルの手から、アスカはナイフを奪い去った。


 蜘蛛はいつものように糸を吹かなかった、それはカヲルを抱いたままでは上手く『本体』を覆えないからだ。
 蜘蛛の八本の足はアスカの首を貫いた、直接中枢神経に『毒液』を送り込むためである。
 神経束と血管を通じて毒は広がる、毒は血液と混じってアスカの体を変質させた。
 内側から膨らむように、アスカの体は硬化膨張した、エヴァへの変態である。
 外側から覆う方法でも、毒素がアスカの『体質』を『改善』させていたのだから、プロセスに違いはあっでも、この変身そのものは同じ原則の上で行われたただのバリエーションに過ぎなかった。
『この!』
 アスカはカヲルのナイフを使徒へと投じた、まるで生き物が雄叫びを上げるようにナイフの刀身は唸っていた。
 キュィイイイイイイン!
 耳を壊すような高質の音が響いた、使徒がATフィールドでナイフを弾いたのだ。
 ガンッとナイフは壁に刺さった。
「フォオオオオオオオオオオオ!」
 ドガンと何者かの体当たりを受けて使徒はアスカ達の脇を通り過ぎた。
『シンジ!?』
 壁に半分がた使徒をめり込ませるようにして押さえ込んでいる。
『うわぁああああああああああああ!』
 さらに拳を振り上げるシンジ、しかし使徒は体を振るようにしてシンジを弾いた。
『このっ!』
 その左腕に使徒の目から閃光が発せられる。
『シンジぃ!』
 バンッと吹き飛ばされた腕が壁に跳ねた。
 吹き出した紫色の鮮血が、アスカとカヲルに降りかかる。
『シンジ!』
 カヲルは瞬きもせずに全ての光景を目に焼き付けている。
 アスカはカヲルを置いて中腰を浮かせた、だが。
『え?』
 折り畳まれていたらしい使徒の両腕らしきものが、パタパタとその長さを伸ばすようにたれ落ちた。
『きゃあ!』
 薄い帯、そうとしか言えない物がアスカの両腕を付け根から斬り飛ばした。
『アスカ!』
(シンジ!)
 アスカは痛みに堪えながら、込み上げて来る嬉しさを噛み締めた。
(まだ心配してくれるんだ……、あたしのこと)
 声が、シンジの声が聞こえたのだ。
 それを希望に歯を食いしばった、傷口からの血を止める、変身さえ解けなければ時間はかかるが腕程度は再生できるはずだった。
 逆にいま集中力を失えば、最悪出血多量で死んでしまう。
「碇君!」
 レイの声が走った。
 それに合わせるようにオレンジ色の怪人が飛びかかった。
 レイのリリスは使徒の胸にある赤い玉めがけて拳を繰り出した、シンジが居るからだろうか?、使徒のATフィールドは展開されなかった。
 ガン!
 それでも使徒は防御方法を持っていた、玉が硬質の甲殻でカバーされたのだ。
「クォウ!」
 エヴァは自らの力で痛めた拳を庇うように下がった、その顔面にまたも帯が突き刺さる。
「きゃあ!」
『レイ!』
 レイの叫びにアスカは慌てた、エヴァは本体と二つで一つの存在なのだ、そして腕を斬り飛ばされただけの自分ですらこれ程の苦痛を味わっている。
(あの子!)
 父が邪魔で良く見えない、だが倒れているのは間違い無い。
 下手をすればフィードバックされた激痛によって事切れてしまったのかもしれない。
「なるほど……、そう言う事ですか」
 突然カヲルが言葉を発した。
 はっとする。
『パパ?』
 父親は誰あろう……
 アスカにナイフを向けていた。


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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元にでっちあげたお話です。