「怪我の具合はどうかね?」
冬月の問いかけに彼は肩をすくめた。
「それは結構な事だ」
「誰にとって?」
それは意地悪な質問だったかもしれない、冬月は言葉に窮して咳き込んだ。
冬月と共にロビーを歩くのはカヲルである。
ロビーだ、屋敷ではない、第三新東京市の南部に広がる湖、芦の湖の湖岸である。
第三新東京国際空港、今だその下には『建設現場』と付くのだが、滑走路そのものは湖上に完成しているため、許可さえ下りればすぐにでも稼動可能な状態に置かれていた。
カヲルは工事中を示すビニールテープの張られた窓から外を眺めた。
軍用の輸送機から、ぱらぱらと少年少女達が降りて来ていた。
その数は全部で九人だ、屈伸や背伸びと、固まった体をほぐしているのが見て取れた。
その様と数にカヲルは目を細めた。
「……世界中が不安に揺れている中で、貴重なエヴァンゲリオンを全員召集ですか?」
気を取り直すように冬月も背筋を伸ばす。
「君に渡した資料が全てだよ」
「嘘ですね」
カヲルは断じた。
「あの中にはシンジ君の記述が意図的に欠けていた、シンジ君を生贄に何をするつもりなのか……」
(この少年は……)
冬月は冷や汗が吹き出すのを感じた。
ラングレーを手に掛けた事と良い、日本人には無い狂気を感じたからだ。
友情、そのためには命を賭け、また奪うことに躊躇を見せない。
他人に対する関心そのものが薄い日本人には、おおよそ似つかわしくない思考である。
「……まあ、シンジ君が眠りについている今しばらくの間は、協力しますよ」
カヲルはそんな冬月の内心をあざ笑うかの様に微笑んだ。
輸送機の横、一列に並んだ彼らは、カヲルの容姿を見て拍子抜けした様に気を抜いた。
エヴァンゲリオンに変じる以上は、素体の筋肉にさほどの意味があるわけではない、それでもカヲルは、身長を除けばとても男だとは言えない体格をしていた、その上、なんの変哲も無い学生服である。
舐められてしまうのも当然であろう。
「へぇ……、結構かっこいい」
「付き合ってる人居るのかな?」
そんな軽口に混ざって吐き捨てた少年が居た。
「……エヴァでもない奴がフィフスで俺たちのリーダーだぁ?」
けけけっと言う笑いがさらに聞こえた。
好き勝手をやってやると言うゼスチャーだ、が、カヲルの反応も辛辣だった。
その後の一連の出来事は、二人を覗いて認識できなかった。
大柄な少年が、手にしていたバイブルを横へ上げていた、そこに突き立っているのはナイフであった。
投げたのはカヲルだ。
「ひゃ、ひゃあ!」
突然、下卑た笑いを漏らしていた少年は、腰を抜かしてへたり込んだ。
もしバイブルがそこに無かったとしたら?
ナイフは確実に彼の喉に突き立っていた。
誰もがカヲルに正気かと言う目を向けた、その凶行を防いだ大柄な少年を除いては。
「……使徒の殲滅は、ある意味、淘汰のための戦いと言える」
カヲルはもう一本ナイフを取り出した。
「ところが……、君達は『同じタイプ』が九人だ、僕としては、その中でも優秀な者が一人居てくれればそれで良い」
カヲルの視線に、カヲルの行為に唯一反応を見せた少年は名前を答えた。
「オーム」
「生まれはギリシャかい?」
「……どこでもない場所だ」
カヲルはやれやれと肩をすくめた。
「……君がまとめるといいよ、後は手駒だ、好きに使って、使徒を狩ると良い」
「リーダーはあなただ」
「そうでありたいとは思っているよ?」
カヲルはそれだけを言い、背を向けて去っていった。
「はふぅ!」
彼女もエヴァである、黒髪は痛んでいて、ところどころ縮れてはいるが、脱色した髪よりは遥かにましな艶を保っていた。
シャワー上がり、裸のままでベッドに倒れ込む。
均整が取れているとは多少言い難く、訓練のために太くなってしまった足と、瘤のように膨らんでしまった膝の盛り上がりが、大きな悩みになっていた。
……彼女達に用意されたのは、カヲルの住むマンションの三階に連なる空き部屋であった。
天井を見上げる、そのずっと上にはカヲルが居るはずなのだ。
肌に付いていた水滴が吹き出す汗とともにシーツに吸い取られていくのがレインにはわかった。
「渚カヲル、あの人……」
ぞっとした。
いくらエヴァと言えども、変身していなければただの人間である。
その状態で致命傷を負えば、間違いなく死んでしまうのだ。
セカンドチルドレンは肉体の損傷に対する治療結果のデータ取りまでやってのけている、だが彼女達はそこまで過酷なものは強いられてはいなかった。
そこには研究対象と実戦向けに想定され、完成された者との差が存在しているのだが……
カヲルはその貴重なエヴァを、間違いなくあの場で殺すつもりだったのだ。
脅しではなく、なんの躊躇もなく、殺意すら抱かずに命を奪える。
「日本人って、みんなああなのかしら?」
彼女もサードチルドレンの戦いぶりは記録で見ていた。
その残虐性には失禁しかけたほどである、いや、気付かれない程度には漏らしてしまい、見られないようクリーニングするのに気をつかった程であった。
血を全身に浴びて、喜びの雄叫びを上げる狂気の獣。
あるいは渚カヲル、ああも簡単に人を傷つけられるのが、日本の少年の感性なのだろうかと訝しむ。
「違うわ……、あれはサードが不完全だからよ」
だから人としての知性よりも、本能に基づく狂気が先行して出ているのだと、レインは思い込もうとした。
自分にはあのような狂暴性は宿っていないと『目覚め』を恐れて。
「まったくもう!」
レインは窓の側に立ち、全身に風を浴びて、肌から水気を飛ばそうとした。
「え……、きゃ!」
そして窓の外、道路で彼女を見上げている、カヲルの笑みに気が付いた。
大慌てで着替えたレインは、後を着けようとマンションの外に跳び出して……、どもってしまった。
カヲルが彼女を待っていたからだ。
さらに彼の、無言でついて来いと言う指示に、レインは身の危険を感じながらも従った。
(襲われるって事は……、ないでしょうけど)
もちろんその気になればエヴァでも無い彼だ、叩き伏せる自信はあった。
ただし、エヴァになる余裕さえ与えてもらえたらの話である。
それに、レイプされるかもしれないと言う恐怖心は、肉体への苦痛とは違う、精神的な暴力性を含んでいる。
「こんな時間に……、どちらへ?」
レインが脅えているのはそれに基づく恐怖心からであった。
「尋ねる必要があるのかい?」
「え?」
街の中だ、閉店にはまだ間があるのか、喫茶店などの明かりが行き交う人々を誘っている。
商店街はまだまだ人の流れが溢れていた。
「君はエヴァじゃないのかい?」
そんな中で、立ち止まったカヲルにレインはキュッと口をつぐんだ。
まるで人ではないのだろう?、と尋ねられたような気がしたからだ。
そしてそれは間違いでは無かった。
(あ……)
改めて、カヲルの奇麗な顔立ちに赤くなる。
キスをするような距離にまで詰めて、カヲルは訝しげな表情を作って覗きこんだ。
「……エヴァとしての力はどうしたんだい?」
「そんなの……、わかるわけないです」
「……わからない?」
レインの青にも見える黒い瞳をジッと見つめる。
「……個体能力に差があるのか、いや、進化の系統が違ってしまっている?、最終的に至る段階は同じはずなのに」
レインは唇を尖らせた。
「それ、やめて下さい」
カヲルの赤い瞳に、心臓をわしづかみにされたような恐怖心が走った。
(あああ、あたしってバカ!)
唐突にレインは思い出した、この少年がとても危険だと言う事をだ。
だがカヲルはそのようなことに頓着を見せる人間では無かった。
「……君はまだ人間なのかい?」
「え……」
「そうか……、それは悪かったね?」
(!?)
くっと押し付けられた唇にレインの頭の配線はショートした。
ぽうっとした自失状態に導く事で、カヲルはレインを煙に巻いた。
(ここに来るには、まだ早過ぎるからね?)
とある居酒屋が雑居しているビルであった。
カヲルはその地下室へと階段を降りていく。
「久しぶりだね……、ここに来るのも」
地下はディスコクラブになっていた、扉を開けると、とても不健康そうな煙と匂いがカヲルと入れ違いに吹き出した。
今日も薬と酒に溺れた少年と少女達が、それぞれの倫理の枠でグループを作り、おかしな笑いを上げている。
虚ろな目でタバコに見えるものを吸っている若者達。
アルコールに溺れて、お互い噛み合わない会話を延々続けている少年の組み合わせ。
奥のガラス張りのボックス席には、小学生にしか見えない女の子がパンツを下ろし、ペタンとしたお尻を晒して踊っていた。
年頃にも満たない少女に拍手をしているのは、高校生の一団であった。
お互い酔っているのだろう、何が楽しいかすら見失っているのは大口を開けている姿から想像できる。
酒とタバコと麻薬と幻覚剤、他にもだ。
ここにはあらゆる毒が揃っていた、そしてどれに手を出すのも自由であった。
……カヲルはそれらの狂態を全て無視して、奥まった所にあるカウンターへ腰掛けた。
しかしそれは周囲も同様で、誰もカヲルの存在を気にかけたりはしなかった。
タン、と。
大型の冷蔵庫から取り出されたレモンチューハイの缶が置かれた。
置いたのはさほどカヲルとは歳の変わらない少年であった。
ただしエプロンを着けている。
「今日は?」
「ちょっとね?」
この場所はまさに吹き溜りであった。
やり場のない欲望がふざけ合うように吹き出している、澱みの渦ができあがっていた。
「……警察でしょう?」
「聞いているのかい?」
カヲルは缶を手に取り、弄んだ。
その冷たさだけを楽しんで見せる。
「……警察がこの街からの引き上げを要請されていることは聞きました、後はネルフが」
「彼らは少々乱暴だからねぇ……、しばらく店は閉めた方がいいかもしれないよ?」
しかしこの場を取り仕切っているらしい少年は、力無くかぶりを振った。
「ここを失えば……、皆は代わりを求めてしまいますからね……」
社会、世間、家庭、学校、あらゆる場所で演じられる『自分』と言う殻からの開放を求めて、彼らはここへと流れついていた。
まさに彼らにとっての楽園なのだ、全てから開放される唯一の。
行き場を失った彼らが、持て余した感情に振り回される様は、とても滑稽な事だろう。
害を成す者、醜い者として排斥されていくのは必然でもあろう。
本人がどれだけ泣き叫んだとしてもだ。
誰も助けてはくれなかったからこそ、彼らはここで己を自分から救っているのだ。
「みんなは、ここに来た時から……」
彼は皆を眺めやった。
おばさんと言われるかもしれない年齢の女性が、タイトスカートを惜し気もなくたくし上げ、その下の肉ひだを晒しながら踊っていた。
それを少年達が拍手しながらバカにしている。
しかしお互い、それを楽しんでいた、バカにしあえる友達なのだろう、彼らにとっては。
例え世間が、そのような醜態をどう見たとしても……
「……破滅を待ち望んでいるんですよ、世界の終焉をね?」
カヲルは答えず、ただ缶の蓋に指を掛けた。
正式に独立を宣言したネルフに対して、日本国はここぞとばかりに攻撃を開始した。
綾波家の威光は逆を言えば目の上の瘤と同じである。
その枷から解き放たれようと、躍起になって綾波家の批判に走り、その資産凍結までも持ち出した。
当然のごとくその金は国庫と言う名の、彼らの懐へ転がり込む手筈になっていた。
しかしそれは許されなかった。
自衛隊の派遣を決定した政府に対して、ネルフは世論と国連を味方に恫喝を開始した。
アダムウイルスの活性化がもたらした変異と残虐行為、その記録はドイツからのものであった。
ドイツの連続殺害事件は記憶に新しいものだ。
公開に伴い、ネルフへの庇護を求める声は拡大していく。
国が、政府が、自衛隊が、警察が……。
自分達を守ってくれない事を、彼らは十五年前の経験で知っていた。
「で、これか」
8の番号を背負った少年がうんざりと皆野気持ちを代弁した。
戦闘服を着込むには多少無理のある年齢である。
しかし異様なのは、彼らが集まっている指揮用の車両であった。
戦闘指揮車とは名ばかりの装甲戦闘車だ、六つのタイヤに支えられた車体には、大きな砲門が固定されていた。
その前に少年少女達は整列していた、武器を手に。
昨日よりは緊張感を漂わせて顔を引き締めている。
今は渋滞ですんでいるのだが、これがいつ暴動へと発展するかは不明である。
しかしそう遠くないことは素人目にも明らかで、第三新東京市へ入り込むための峠は、まさに戦場に変じてしまおうとしていた。
いや、既に変じてしまっていた。
多くの流入者が避難を求める中で、突然使徒らしき『発病』が起こったのだ。
「……まさに最高の演出か」
カヲルは砲頭の上に腰掛けていた。
「は?」
「何でも無いよ」
足を組んで悠然と、足元には秘書として命じられたレインが、何故か赤い顔をしていた。
「緊張しているのかい?」
「ち、違います!」
あははははっと笑いが起こった。
非常に場違いなお気楽さであった、目前では人が逃げ惑い、悲鳴が上がっているのだから。
「その子、夕べ遊びに出かけて迷子になっちゃったんですよぉ?」
っと誰かが言った。
「うわついてさ、自覚が足りねぇんだっつーの」
「どう思いますぅ?、規律ってもんを分かってないんですよね、そいつ」
どこかカヲルが彼女に秘書役を任じた事に、軽い嫉妬が沸いていたのだろう、嘲笑が続く。
レインはレインで唇を噛んでいた。
(悪いのは隊長なのに!)
置いてきぼりにされてしまったのだ、だが規律を持ち出されては、叱られたとして何も言い返すわけにはいかない。
ここは恥を堪え忍ぶしかない、だが言い返す必要は無くなった。
「隊長からも何か言ってやってくださいよ」
それに対して、カヲルが冷ややかに問題を問いただしたためである。
「何をだい?」
「なに……、って」
どよめかなかったのはオームぐらいのものであった。
レインですらも、奇妙な目をカヲルへと向けてしまっていた。
「……君達の仕事は何だい?」
爆発が起こった、乗用車が火を吹き上げたのだ。
「使徒を倒すことなんだろう?」
カヲルはぷらぷらと足を遊ばせた。
「それ以外のことを一々指図されなければいけないほど、君達はまだお子供なのかい?」
ぐっと詰まる、言い返せばそれを認めた事になるからだった。
「君達の仕事の中には、人とそれ以外のものとの中継ぎも含まれていたはずだ……、ここは最初の街でしかない、君達はこの後、各地に散っていくんだろう?」
そこまでは話しを知らなかったのだろう。
オームの眉ですらピクリと動いた。
「自分で考え、自分で決めればいいさ……、その土地のことを知るのも仕事の内じゃないのかい?」
「遊びでもッスか?」
「遊んじゃいけないと言う法はないさ、学校の遠足じゃあるまいし、そこまで面倒を見るつもりは無いよ」
カヲルは一同の『獲物』を眺めた。
槍を持つ者、帯剣している者、ライフルを持つ者、様々だった。
それぞれが自分に適した武器を持ってきているのだ。
「さて、と……」
カヲルは顔を上げた。
逃げ惑う人々、炎の中心に揺らめく陰のような存在が見える。
縦に二メートル、横には三メートルほどに巨大化しているそれは、間違いなくこの世の生き物ではない化け物であった。
「……二・三人で人を助け出して、後はあれを押さえられるかい?」
初の使徒戦に緊張が走る。
息巻いたのは男性陣であった。
頷いたカヲルに、レインとオームを残した全員が散っていく。
光り輝き、その体が白いエヴァンゲリオンへと一瞬で変じた。
レインは問うような目でカヲルを見上げた。
何故自分は、いや、自分とオームは参加してはいけないのかと。
「……あれは使徒じゃないからねぇ」
レインはカヲルの呟きに、余計に首を傾げてしまった。
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元にでっちあげたお話です。