「あっ、が!」
レインは場の静寂を壊す呻き声にびくりと震えた。
音の出所を探すとそれはアスカであった。
やせ細り、皮と骨だけの姿になったアスカが、懸命に体を起こそうとしている。
「シ……、ジ」
その目は爛々と輝いていた、目的の人を見付けて喜びで満ちていた。
だが。
グルルルル……
紫色のエヴァンゲリオンは低い唸り声を上げ、アスカに対してニタリと笑った。
足を引くように体を向け直し、低く沈み込み、彼女に向かって跳躍した。
もちろん、襲いかかるためにだ。
「シンジ!」
アスカは自分が分からないのかと大きく叫んだ。
エヴァの右手が異様な輝きを見せている、その爪にかかったものは、例えいかなる存在であっても引き裂かれてしまう。
アスカはなんとか身をよじろうとした、だが体は万全には程遠い。
急速な勢いで回復を見せているものの、目方が半分以下に減ってしまった状態からでは限度がある。
這う様にうつぶせになったアスカにエヴァの影が覆い被さろうとした、しかし自由落下の不安定な状態を見計らって、獣に何者かが体当たりをかけた。
「え?、あ?」
誰よりもその白いエヴァに驚いたのはアスカであった。
弾き飛ばされた獣は、体をくの字に折るようにして地面を滑った。
警戒の唸りを発しながら、酷くゆったりとした動作で獣はアスカと、そのエヴァの周囲を回り始めた。
エヴァの切り取られた左腕からは、今だに紫色の血が滴っていた。
『お助けします』
オームであった。
一方、アスカは誰だかわからない思念にはっとする間もなく、もう一体のエヴァに抱き上げられることとなった、こちらはレインである。
「だめ、シンジがっ、シンジ!」
それにアスカは抗った。
翼を広げて飛び上がるエヴァンゲリオン、レイン。
彼女の腕の中でアスカはシンジを求めて手を伸ばした。
獣はアスカの悲痛な声に反応して顔を上げた、そしてまるで応えるようにアスカへ向けて腕を伸ばした、右腕を。
だがそれはアスカの求めに応じたものでは決してなかった、その腕に光の粒子が取り巻き、加速を始めた。
(加粒子砲!?)
驚愕するアスカ、それはレインも同じであった。
恐怖に身がすくんだ、レインはその威力を知っていた。
加粒子砲、自分達では及びもつかないほど強力な壁を展開する使徒達、その使徒をも上回る力を持つエヴァンゲリオン、だがこの畏怖の対象であるエヴァのフィールドですらも貫くのだ、あの力は。
自分などではひとたまりも無い、それは明白な事実であった。
身を捻って背を向ける、迷っている暇は無い、眼下には公園を囲う柵が見える、咄嗟にレインは住宅を盾にすることを思い付いた。
多少卑怯と思えても急降下を行う。
だが獣はそんな事に躊躇はしなかった。
いつも以上に時間を掛けて、手のひらの内に巨大な力を集束していた。
手の平はレインの起動を追っていた、間違いなく建物ごと貫き、焼き払うためである。
『させん』
オームは切り転がされていた自分の腕を拾って投げつけた、獣の顔面にぶつかったそれは、まるで生きているかのように指を曲げて張り付いた。
「グ、オオオォオオオオ!」
怒りの咆哮を上げて目を光らせる。
瞳から閃光が発せられた、小爆発を起こして腕が弾ける。
ズタズタになって、腕はビタンと土まみれになった。
「グル……」
獣は首を巡らせた、その目はより一層の怒りに満たされていた。
改めて獣は獲物を見定めようとした。
だがその正面に立ったのはカヲルだった。
オームは慌てて動こうとした。
だが不可思議な事に獣は気圧されるように動きを止めていた、それを見て取って、オームは間に割り込むのをためらった。
ジリ……、と、先に間を詰めるように動いたのはカヲルであった。
獣はカヲルに脅えるように、同じ距離だけ後ずさりを見せた。
不敵な微笑が口元に浮かんだ、カヲルは唇を吊り上がた。
カヲルはポケットに手を入れたまま、やや腰を突き出すように真っ直ぐ立っている。
それだけだ。
間断なくエヴァの瞳を見つめているにしても……
それだけだ。
なのに脅えたのは獣の方だった。
もう一歩、ジリと詰める。
それをきっかけにするように、獣は背を見せて逃走した。
たったの一蹴りで、羽ばたいたレインよりも高く飛翔し、そのまま夜の闇に紛れていった。
voluntarily.15 Icing red eyes.
「ただいま……」
自宅に帰りついた彼女は、いつもと同じように自嘲めいた笑みを浮かべた。
自分以外の誰が住んでいるわけでも無いのに、挨拶してしまうのは寂しいからだ。
そんな自己分析が自分を追い詰めている、それが分かっていても彼女、赤木リツコはやめられなくなっていた。
もう癖になっていると諦めてもいる事だった。
だが今日ばかりは違ったものを感じてしまった。
(変ね?)
普通のマンションだ、部屋数は四つにダイニングキッチン。
親子二人で住むには十分な部屋だった。
そして今、一人で住むには多少掃除が面倒に感じられる広さである。
その室内に違和感を感じた。
(誰か居るの?)
その正体はすぐに分かった。
冷蔵庫だけではない、低い、モーターのような、あるいはファンの音が聞こえて来るのだ。
「泥棒にしては礼儀正しいわね」
リツコは足元を見て嘆息した、そこに履き潰した運動靴が脱ぎ捨てられていたからだ。
派手に車を操るために、靴底が独特の磨り減り方をしている、誰のものかは一目瞭然であった。
彼女はそれを揃えて置き直すと、自分の靴も隣へ並べた。
「……留守中、勝手に上がり込むなんて感心しないわね?」
リツコは嘆息すると、腕を組んで柱にもたれた。
「そう?」
勝手にパソコンを使っていながら、ミサトは悪びれもせずに挨拶を返した。
居間のテーブルの上に出しっぱなしになっているノートパソコンには、いくつもの機器が接続されている。
ミサトはそれを勝手に立ち上げて、何かの情報を検索していた。
「そんな所には何もないわよ?」
「ん〜、シンジ君の治療記録くらい無いかと思ったのよねぇ」
ミサトは投げ出し、冷蔵庫から盗んだらしい牛乳のパックに口を付けた。
「呆れた……、まだそんな飲み方してるの?」
「こればっかりはねぇ……」
照れとも取れる苦笑いを浮かべる。
「鍵、昔のまんまなのね」
ミサトは自室へ引き上げていくリツコに大声で問いかけた。
「あなたこそ、良く残していたわね?、鍵」
「ん〜、まあ、なんとなくねぇ」
ミサトはポリポリと頭を掻いた。
「あたしの部屋が無くなってるのは、ちょっちショックだったけど」
「なぁに言ってるのよ」
そう言いながら戻って来たリツコは、Yシャツにスラックスと楽な物に着替えていた。
「自分から出ていったくせに」
リツコの口調には、少しだけ非難めいたものが込められていた。
ゴォンゴォンと大きな機械が動いて、耳障りな程の音を立てていた。
「ここが破砕工房よ?、氷を砕いているだけに見えるけど、何万年も昔の空気が閉じ込められているから、どんなウイルスがあるか分からないでしょ?、それもここでチェックしているの」
案内を買って出てくれたお姉さんは案外と親切だった、だがそれがミサトの胸に感動をもたらしたかと言えばそれは無かった。
そっと溜め息を漏らすと、お姉さんの苦笑が返って来た。
「ごめんなさいね?、お父さん、今日はどうしても外せない大事な試験があるから」
「いえ、いいんです……」
ミサトにはそうとしか言えなかった。
なにより南極までわざわざやって来たのは、離婚を決意してまで父が何をしようとしているのか?、それを見極めるためだった。
そんな家庭の事情を持ち出せるほどミサトは……、十四歳のミサトは我が侭では無かった。
葛城ミサト、中学二年生。
南極へ派遣された最後の調査団の中に彼女は居た。
南極大陸の内陸部に連なる山脈、その麓にあるクレパスに、単なる発掘とは思えぬほどの施設がこしらえられていた。
(あたし、何してるんだろう……)
明らかに場違いでありながらも、ミサトはその場に夏休みを延長してまでとどまっていた。
あてがわれた部屋のベッドにひっくり返る。
明日にはここを引き上げる事になると言うのに、結局父が関わっているらしい仕事に関しては、その内容すら知ることが出来なかった。
(今日はどうしても……、明日にはなんとか、そればっかりじゃない)
諦めが胸に過る。
(そんなだから、母さんにも見切りを付けられるのよ!)
だがそれは強がりにすぎなかった、捨てられたのは自分と、母であったから。
父は何とも思ってはいないだろうから。
わずらわしいと捨てられたのは、自分であるから……
そんな憤懣やるかたない感情を抱き、今日は寝て過ごそうと決めた時、ミサトはにわかに騒がしくなったのを聞きつけた。
「なに?」
戸が強引に開かれた。
「ミサトちゃん、急いで!」
「え?」
「地下で事故が起こったの、シェルターに早く!」
「ええ!?」
(お父さんは?)
その一言は彼女の必死の形相に飲み込まざるを得なかった。
ミサトは引きずられるようにして白いトンネルをくぐり抜けた。
ひと一人が通れる幅、天井はアーチを描いている、ビニールハウスと同じ原理で作られた通路は、今はブリザードによって固められ、完全に雪の下に埋まっている。
いや、埋まっていたはずだった。
(なに、これ!?)
なのにその天井には露が溜まっていた、良く見れば特殊シートの向こうの雪が溶けて流れていた。
ミサトが強引に連れ去られた先は、研究用の機材を一時保管する大きな工場であった。
「早く、こっちだ!」
「地下のプラントは?」
「熱核プラントが暴走しているらしい、炉心は融解を始めて……」
(あ……)
一瞬、ミサトは何が起こったのか分からなかった。
誰かに突き押されて、小型のコンテナに放り込まれた。
頭をしたたかに打って朦朧とする。
コンテナはグラグラと揺れた、決して軽い素材ではないというのにだ。
外は暴風が吹き荒れていた、壁が、屋根が剥がれて飛んでいく、その中には見知った人の姿もあったが、脳震頭を起こしたミサトは現実感を喪失していたがためにはっきりとは認識できなかった。
基地全体にエネルギーを供給するために設えられたプラントの暴走、そこから発生した膨大な熱が、南極の氷を蒸気に変えていた。
人間はそれに晒されて火傷を負い、あるいは溶け崩れていた。
だが事故現場が地下であった事が幸いした、ミサトを襲ったのは地下の熱が逃げ場を失って吹き出したに過ぎない熱風であったのだ。
蒸気はあっという間に冷風によって散らされた、ミサトは身を切るような寒さにがちがちと震えた。
「来るんだ……」
その手をグイと掴まれた。
見上げたシルエットは父だった。
顔の半分が焼けこげていたが、父はそれでも笑っていた。
「お父さん……」
ミサトはカプセルに放り込まれた。
『何か』のために用意していた輸送用の『カプセル』、その表面には『アダム−01』と書かれていた。
それが本来、このカプセルに収まるはずだったものの名前であった。
朦朧とする意識の中で、ミサトは父の背後に光る巨人を見た。
カプセルの蓋が無情にも閉じられる、ゴンと言う衝撃は父が倒れ伏した音だったのだが、ミサトはそれを知ることなく気を失っていた。
『保存』のための保冷機能が働いて、ミサトは仮死状態へと追いやられてしまったのだ。
この後に、氷漬けになっていた悪魔達を浄化する本当の炎が噴き上がった。
それから延々と時が流れて……
彼女が回収された時には、実に二年もの月日が過ぎ去っていた。
ミサトは穏やかな口調で切り出した。
「三人で暮らした頃が懐かしいわ……」
ふふ……、っと、何とも言えない笑いがこぼれた。
「そうね……、わたしはあなたが恐くて、逃げ回ってばかりいたけれど」
リツコの口元にも微笑がこぼれる。
「母さんがあなたを引き取ったのは、そう命令されたからよ……、知ってるでしょ?」
「おばさんの治療日誌を見付けた時はショックだったわ、わたしは信じる事が出来なくなった、でも今はわかるの、それは医者としてのおばさんであって、おばさんにも人としての面があった、わたしを養ってくれたのはそのおばさんだったってね?」
「自分が面倒を見る側になったからかしら?」
「そうかもしれないわね……」
ミサトは赤木家に、この家に引き取られ、リツコと共に育った。
だがその関係は、決して良好な物では無かった。
リツコは母に頼まれて、さして反抗もせずに頷くだけで了承し、面倒を見ていた。
そんなわずらわしげなものをミサトも察していた、だからお互い、冷たかった。
「見張られてる様な気がしてたまらなかったのよね……、わたしは大学に入るとすぐに加持君の所へ逃げ込んだ」
「後悔してるの?」
「男が出来たってね……、あれ、口実」
ミサトはペロッと舌を出した。
「自己満足なのよね……、どこまでも、自分が傷つかないようにしてるだけで、シンジ君を引き取ったのだって」
「わたしには任せたくなかった?、自分のようになるんじゃないかって」
「……おばさんに、よ」
ミサトは本題を切り出した。
「教えて、エヴァって何?」
そして何故、今だに自分にはマークが着いているのか?
リツコはタバコに火を点けると、少しだけ間を開けてから語り始めた。
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元にでっちあげたお話です。