お尻に大きく響く震動が、この車が普通で無い事を知らしめる。
 もっとも、一目見ておかしいと思わなければ、余程目に異常を持っていると言う事になるのだが。
 エヴァンゲリオン隊、通称Eチームの移動戦闘指揮車である、先だってカヲルが腰掛けていた砲頭付きの巨大車両だ。
 通常の工作車両に比べても大き過ぎるのは、後部に歩兵を収納するためのスペースを確保しているためである。
「シンジ……」
 横向きに、向かい合う形で並べられた椅子にアスカは腰掛けさせられていた。
 その隣にはレインが座っている、落ちつかない様子で、時折アスカの顔をちらりと盗み見ては、問いかけるような目を正面のカヲルへと送っていた。
 そのカヲルはと言えば、床の上で腕の再生作業をしているオームに、興味深げな目を向けていた。
 オームは今だに変じたままだ、その姿のままで座禅を組んで瞑想している。
 ただし右手は、ひしゃげて肉の弾けた左腕を掴んで、接続面に押し当てていた。
「時間のかかる物なんだねぇ……」
 その一言だけでもどれだけ初期ロットのエヴァンゲリオンに程遠いかが窺えた。
 レインはそっと溜め息を吐いた、肉体一つをわずか数秒で再構築したEVA−01も01なら、惣流アスカとて無くしたはずの腕を、消耗した肉体を変身も無しに回復させているのだから。
 根本的に自分達とは何かが違う。
 そんな恐怖心を抱かせるには十分であった。
 ふと気が付くと、赤い瞳が自分を見つめている事に気が付いた。
 その目がスッと隣の少女へと動くのを追いかける。
「素朴な疑問だけど、いいかい?」
 なるべく刺激しないように問いかける。
 アスカは気怠げに顔を上げた、ほつれた髪が折れるように傷んでいて痛々しかった。
「あれは……、本当にシンジ君だったのかい?」
 カヲルの問いかけにアスカは目を細めた。
「どういう意味よ」
「言葉通りだよ」
 一瞬にして部外者に追いやられたレインは、はらはらと両者の顔を往復した。
「あの、今は……」
「シンジ君……、エヴァンゲリオンとでも言うべきか、本体は今だにネルフの地下に安置されている」
「変な言い方をしないで!、死んだわけじゃないんだから!」
 レインは二人の剣幕に言葉を飲み込んだ。
「でもあれでは地下墓地だよ……、知ってるかい?、あそこにはね、綾波レイ以前の、エヴァに成り切れなかった人達の死体があるんだ」
「エヴァの……、墓場?」
「その通りさ、でもその中でもシンジ君だけが特別な扱いを受けている……、確かに、その肉体は生命活動を止めてはいない、けれどね」
「なにが言いたいのよ?」
「心が、感じられないのさ……」
 カヲルは意味深な言葉を告げた。


 同じ頃、繁華街を歩いている少年が居た。
 カヲルに生意気な事を言った少年であった。
「隊長も分かってらっしゃる」
 へへっと、下卑た笑いを発している、ポケットに手を入れ背を丸めて歩く姿はチンピラそのものであった。
 レインに対するカヲルの弁護は、彼らの自由行動を黙認すると言う言質そのものだった。
 それを利用して、こうして夜の街に繰り出したのだ。
 なのに何処か落ちつかない様子できょろきょろとしている、それは心の何処かで不真面目、不謹慎と思っているからなのだが、遊び心の方が勝って彼はそれに気が付いていなかった。
「いいよなぁ日本って、こんな時間でも店なんか幾らでも開いてるしよ……」
 それは皮肉でも何でも無く、心からの称賛であった、顔には柔らかなものが浮かんでいる、似合わないことは甚だしいのだが。
 夜間、店舗が襲撃されることは珍しくない、そのため彼が生まれ育った地域では深夜に入る前に店長は店を閉めるし、決して店舗と自宅を同じ建物に設えたりはしないものだった。
 安全に帰宅できる時間の内に閉店とし、警官の巡回が頻繁な住宅街へ逃げ帰るのが当たり前だった、それに比べて日本のなんと穏やかな事か。
「悪くはねェよな……」
 鼻の下を指先でこする。
 こんな街に住んでいれば平和ぼけもするだろうと思う、しかし彼はそれを悪い事だとは思わなかった。
 平和ぼけがいけないというのなら、誰もが鞄に銃を忍ばせている様な街に住んでみればいいとも思う。
 銃を売る者が居る、その銃で犯罪を働く者が居る、だから自衛のために銃を持つ。
 そんな狂ったサイクルの果てに、失業を盾に規制の撤廃を求める運動があった。
 利益と命を天秤に掛ける時、大国ほど利益を順守する、なのにこの国は鎖国にも近い抵抗を見せて来た。
 その証しがこの平和だと彼は感じていた、何もかもを受け入れることが国際化ではないのだし、善いことと正しいこととは違うのだから。
 例えば、道路規制だ。
 二千十五年になっても、日本では高速道路のにおける自動二輪車の二人乗りを認めていない。
 これをアメリカなどは、自動二輪車の販売に対する弊害と決め付けて、一方的な規制緩和を持ち出している。
 しかし交通事情の違いを考えた時に、これは言いなりになる方がおかしいのだ。
 道路幅が違う、交通量が違う、なにより風土の違いから危険なほど頻繁に路面の状態が変化する。
 輸出入の不均衡の是正として考えれば、規制の緩和は善い事かもしれないが、そのために危機回比を引き下げるのはどうだろうか?、果たしてそれは正しいのだろうか?
「これも守るべき街って奴か」
 ふっと彼は苦笑した、脅された事も忘れて、逆に今は恥じ入るばかりであった。
「隊長は……、街の何を守るのが役目か、それを知るのは悪い事じゃないと言っていた、そう考えればそりゃあ俺みたいな屑は切り捨てられて当たり前か」
 昼の騒ぎで女の子を救い出したのは彼だった、そんな彼にカヲルは「よかったねぇ」とニコニコと話しかけてくれたのだ、それも真っ先に。
 カヲルの目線は自分達を囲む奇異の目に向けられていた、その中に羨望と感謝の瞳を見付けた、あの母娘であった。
「悪くは……、ねぇよな」
 そう言って鼻の脇を掻いて、彼は帰宅路に頭を悩ませた。
 訓練生時代にはただの義務だった戦闘が、芽生え始めた自尊心によって彼の行動を変えていた。
 いかがわしい店には立ち寄らず、ゲームセンターなど、極ありふれた店を渡り歩かせていた。
「と、こっちか」
 ふと彼は横道に目を向けた。
 訓練の中には土地勘のない街での作戦行動も当然のように組み込まれている、方向感覚はそのために人一倍鍛えられていた。
 近道程度のつもりで彼は暗い裏路地に入り込んだ、先の理由もあって、彼はそれほど警戒してはいなかった。
 だが今度ばかりはそれが仇となってしまった。
 路地の向こうに別の大通りの明かりが見えた、もう一つ、二つ、いや、せめてコンビニ程度には寄り道しようと、彼は顔に笑みを浮かべていた。
 そんな心の隙間を狙うかの様に、『それ』は彼の前に降り立った。
 ズシャ……
 視界の明かりが閉ざされた。
「なん……、だぁ?」
 彼は闇に閉ざされたような錯覚に陥って、慌てて周囲を見渡した。
 ガフゥウ……
 やけに生臭い、熱の篭った空気を吐きかけられて、彼はゆっくりと上を見上げた。
「ひっ!」
 そこには爛々と輝く瞳があった、三日月を描くかの様な赤い亀裂が横たわっていた。
 何か巨大なものが覆い被さるように立っていた。
 彼は短い悲鳴を上げた、それが彼に出来る精一杯のことであったから。
 頭を鷲づかみにされて振り回された、最初の一撃で壁にへこみを穿った、叩きつけられたのは足だったが、折れたのは腰骨だった。
 たったそれだけで、彼は短い生涯に幕を閉じてしまった、余りにもあっけない最期であった。
「グ……、ルル…………」
 だがそれだけでは獣は満足しなかった。
 訝しげに目を細めて獲物を見ている、まるで死んだ振りかどうかを確かめる様に、軽々と片手で目前へと吊り上げた。
 怒りなのか何なのか、獣はさらに少年の体を振り回した。
 グシャ、バキ、ゴキ……
 執拗にアスファルトに叩きつける。
 ビルの壁には残虐な行為が大きく照らし出されていた。
 首が千切れた、滑るように体が転がった。
 獣は生首を放り出すと、ゆったりとその体に歩み寄って背を曲げた。
 ビキ、ビキキキ……
 鳩尾の辺りに爪を突き立て、少年の体を左右に捌いていく。
 あばら骨が広げられた、既に停止している心臓、その隣には奇妙な、光る拳大の赤い玉があった。
 毛細血管が心臓並みに張り付いている。
 獣の瞳が狂気に歪んだ、それはとても嬉しそうに咆哮を上げた。
 バガン!
 一撃で叩き潰す、少年の体はまるで断末魔の悲鳴を上げるかの様に大きく跳ねた。


「こういう話を知ってる?」
 リツコは落ち着いた調子で切り出した。
 お互いの手にはアルコール飲料が握られている、その銘柄からミサトが持ち込んだ物だと推察できた。
「……現代人の遺伝子、ミトコンドリアのだけど、その系譜を遡るとね、アフリカの女性、ただ一人に行き着いてしまうのよ、これは植物でも似たような事が確認されているわ」
 やや酔いの回った調子で先を促す。
「それがなんだってのよ?」
「科学的なのか、非科学的なのか分からない話よ……、だってそうでしょう?、原始生命から人や植物に辿り着くまでに、どれだけの変種と自然淘汰が生まれたと思う?、なのに始まりは一つなの」
 ミサトはハッとした。
「……使徒、使徒を構成する遺伝子!?」
 光のようなもので構成された、全く同一の数値でありながら別の形状と能力を持つ者達。
 リツコは空になった缶を置いた。
「……ええ、全く同じ遺伝子を持ちながら、その形態には異常なほどの差違が存在している、ほんと、そっくりだと思わない?」
 リツコはからかうような調子で、次の缶を手に取った。
「使徒が……、いえ、あれが『始まり』になるのは既に提唱されているから、驚くような事ではないんでしょうけど……」
 それでも驚愕に値した、この話が本当であれば、これから始まろうとしていることは、既に一度あったと言う事になるのだから。
「でもね?、同じ遺伝子の掛け合わせは『劣化』を招くの」
 リツコは問題点を指摘した。
「クローンや双子……、近親相姦の話?」
「そうよ、猿なんかはそれを避けるために、一定の時期になると必ずはぐれる猿が出るわ、そしてはぐれた猿を別のグループが迎え入れるの」
「濃くなった血を薄めるために?」
「シンジ君がそうだとしたら?」
 ミサトは咳き込んだ。
「なん……、ですって?」
 目を丸く見開いて問いただす。
「シンジ君がまさにそうなのよ、たった一種から始まった『人類』には迎え入れるための異分子が存在しない」
「ちょっと……」
「だからこそ先天的な病気を持った個体が生まれたの、異常な遺伝子が確立された個体に狂いを生じさせる、その誤ったDNAが不確定な要素を生み出すの」
「ちょっと待って!」
 ミサトは悲鳴を上げた。
「……全く同じ物から別のものがそうして生まれるのよ、かつてアダムと言う『絶対種』が存在した、アダムは己が身を分けて妻を生んだわ、それがリリス、だけどリリスとの間に出来た子は自分達自身だった、だって同じものを掛け合わせているんですもの、別のものなんて生まれるはずが無かったわ、それが使徒と呼ばれる人類、リリン、だけど同じものである彼らは生まれた時から行き詰まっていた、だって同じなんですもの、沢山居るのに、どうして自分が必要なのかしら?、肉親の掛け合わせと同じで多少姿や能力に変異が見られても、基本的には同じ物でしかなかったわ、後に悪魔と呼ばれる子供達よ、だからアダムはリリスを捨ててエヴァを作ったの、聖書に描かれているように、己の全てではなく一部だけを用いてね?、生まれた時からエヴァには色々なものが足りなかった、それ故にとても飢えていた、彼女から生まれた者もまた同様に、生まれた時から何かが欠けていたの、不安、それが全人類の持つ共通の恐怖の正体、だからエヴァは禁断の果実を食べたわ、血の様に赤い、果実をね?」
「使徒……、のコア」
 ごくりと喉が鳴った。
「そうよ、生まれながらにして奇形種である人類は、自分とは違うものを取り込む事でよりおかしくなろうとしているの、それがシンジ君……、エヴァンゲリオンと言う名のシンジ君の正体よ」
「じゃあシンジ君は!、シンジ君は化け物とでも言うつもり!?」
「いいえ」
 リツコは悲しげにかぶりを振った。
 沈痛な表情で顔を伏せる。
「……さっきの話だけど、それは別に遺伝子に限ったことじゃないのよ」
「この上、まだ何があるって言うの?」
「……精神、心、魂ですらもそうだと言う話よ、わたし達は心の奥底で繋がっている、でもそれはこうも言い換えられるんじゃないかしら?、深層意識がアダム、わたし達はリリスと言う女性……、さっきのアフリカの女性のことよ、彼女に肉体を貰ったアダムのコピー、リリン、だってアダムと繋がっている、アダムそのものですもの、そうでしょう?」
「……じゃあ、エヴァンゲリオンって、なに?」
 疲れたように問いかける。
「エヴァ……、そして、エヴァから生まれる者こそが」
「人間ってわけね……」
「シンジ君は人間の定義付けでは死亡しているわ?」
「死亡?」
「とっくにね……、肉体が失われているもの、でもそれは魂の消失と同義ではないの」
「肉体さえあれば……、戻れるって事?」
「心の壁、自分を確定させる力、それこそがATフィールドの正体だもの」
「エヴァになったからじゃない……、アスカがその力を、レイも使えない、その理由は……」
「シンジ君が自分で手にした、特別な力だから、それだけよ」
 長い話しは、まだまだ続くようであった。


 翌朝、街に悲鳴が上がった。
 最初に上げたのは早朝まで働いていたスナックの店員であった。
 黒のジャケット、腕にメットを引っ掛けている事から、バイクで自宅に引き上げるつもりだったのだろう。
 だが今は目を見開いて、ガクガクと顎を痙攣させていた。
 へたりと腰を落とし、後ずさり、出て来たばかりの扉に戻ろうとする、腰は完全に抜けていた。
 ビルの谷間は、血と臓物で彩られていた。
 それが元人間であったと示すものは、転がったままになっていた首、それ一つだけであった。


「困った事になった」
 冬月はそう一同に切り出した。
 勢揃いしたエヴァの数が六人にまで減っている。
 オームとレインを含めてだ。
「やれやれだねぇ」
 カヲルは肩をすくめた。
 敵討ちを、と言い出す者はいなかった、なにしろ犯人とおぼしき怪物に、オームが重傷を負わされているのだから。
 皆の視線は不安げにギブスで固定されているオームの腕へと向けられていた。
 幾ら繋いだとは言え、アスカやシンジのように、完璧にはいかなかったのだ。
 神経の幾らかが途切れたままになっており、引きつるような痛みが残ってしまっていた。
 それでもオームは無言で立っていた、だがその額には脂汗が滲んでいる、それが別の威圧感を放つ事になってしまっていた。
 彼のフィールドを中和できる者は居ない、故に彼は仲間内では最強であった。
 なのに彼の腕は斬り飛ばされたのだ、何者かによって。
 さらにはカヲルが居なければ皆殺しの憂き目にも会っていたと言う、脅えない方がおかしかった。
「良く君は無事だったな?」
 また同時に、生身で怪物と退治した隊長に、改めて畏怖の念が沸き起こっていた。
「……相手はただの獣、そんなものに気後れするような僕ではありませんよ」
 カヲルはおどけるように肩をすくめた。
 唇には冷笑を貼り付けている、何を思っているのか、誰にも察する事のできない笑みだ。
「それより、地下のシンジ君は?」
 カヲルは意図的に話を切り替えた。
 またそれが現状に則したものだけに、誰もその事に気が付かなかった。
「……今だ眠ったままだよ、起きる気配すら無い」
「となると、やはり、そうなのか」
 カヲルは笑みを潜めて目を閉じた。
「何か知っているのかね?」
 それに対しては答えなかった。
 ただ唇に、またしても何とも言えない笑みを張り付かせた、それだけであった。


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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元にでっちあげたお話です。