「アーカシックレコードと言う言葉を知っているかしら?」
 ユイ、いや、ユイであったものは、崩れるようにしゃがみ込んだレイを無視して、そう切り出した。
「アーカシックレコード?」
 訝しげなシンジ。
「そう、それは事象と現象の公式を治めた方程式そのものよ、わたしはそれを求めようとしたの」
「なぜ?」
 シンジは問いかけた。
「なぜ!、そんなことをしなければ!!、僕も、僕は!」
 ユイは何と言う事もないように淡々と続けた。
「最初はたわいのない研究だったわ」
 とある世紀末の夏、ユイは京都の大学に居た。
 アーカシックレコード。
 SFの世界の言葉であるそれを、ユイは論文にまとめて見せた。
 もちろん、それを冗談以上のものとして受け取る人間は居なかった。
 西暦が二千年に突入する直前になって、その論文はとある老人達のもとで脚光を浴びた。
 裏死海文書。
 死海のほとりで見つかった古文書は有名であるが、その中には紛失しているものも多い。
 だが事実は違っていた、大半は門外不出として、バチカンの教会に収容されたのである、この『真実』は危険であると。
 そして論文は、その古文書の信憑性を高めてしまった。
「わたしは良かれと思って…………」
 それが全ての誤りだった。
「酷い世界だったの、わたしはその世界が少しでもよりよく復興できるのならと、万物の情報を治めている『それ』に触れようとして躍起になったわ」
 腐敗していく人類と、人達の心は、やがて優しさを忘れて、自分の喜びのみを追究し始めていた。
 善意の名の元に滅びた生物を生き返らせ、見世物にまでした。
「そのために、わたしは『叫ぶ獣』を手に入れようとした…………」
「獣?」
「エヴァンゲリオンのことよ」
 ユイは言った。
「エヴァンゲリオン、福音を為す者、かつて『それ』の言葉を訳す賢者、あるいは巫女であったもの、わたしはそれを手に入れようとした、でも、結果はご覧の通りだったわ…………」
 賢者は破裂した、溢れた『情報』は正しい発露を迎えることなく荒れ狂った。
「真実とは簡単なものね、幾らでも捏造できるのだから…………」
 人はそれを『事実』と言う、作られた真実の別称だ。
「でもわたしは懲りると言う事を知らなかった、いいえ、恐かったのね、犯罪者であり続ける事が、罪人でありながら、あなたの母である事が」
「いまさら、懺悔なんて…………」
 シンジの言葉に、そうねと、寂しげに呟いた。
「その最大の罪が…………」
 ユイはレイを見つめた。
「あなたよ」
 レイは顔を上げた。
「レイ」
「お母さん…………」
「わたしはエヴァを通じてレコードに触れた、そこから引き出した情報を握り掴んで、この世界に戻って来たわ、でも、その情報は絡まり合いながらも生きていたの、それがわたしと言う肉体の情報をも取り込んで、生まれ出た、それがあなたよ」
 作られた人間。
「そのあなたが、さらに洗練された自分を生み出した、それがエヴァンゲリオン・リリス」
「あの子?」
「もう一人の、綾波…………」
 シンジも呻いた。
「またその情報を使って、同じ『事故』を再現しようとした…………」
「アスカ!?」
 これには、直接イメージが流れ込んで来た。
「そんな、アスカが、アスカのお母さんが!」
「ええ…………、これ以降にもエヴァは量産されたけど、結局アーカシックレコードに触れることは無かった、せいぜいが人の深層意識帯にアクセスできる程度の能力を持ちえただけだった…………」
「それが、エヴァなの?」
「違うわ、少なくとも本来目指したものとは別物なのよ…………、でもあの人達には同じものに見えてしまった、だから沢山作ったの」
「アスカも…………」
 シンジは俯いて唇を噛み締めた。
「アスカも、そのために」
「わたしのエゴと自己満足、それに罪悪感が元凶の一部」
「一部!?、一部だって!」
「ええ…………、わたしだけじゃないもの、悪いのは」
 ユイは轟然と言い放った。
「悪いのは、みんなよ、わたしも、あなたも、その他の人達も…………、自分のことしか考えられなかった、傲慢な人達、その全てが、罪悪なのよ」


「使徒?、貴方が!?」
 カヲルはニタッと笑った。
「おかしいかい?」
「だって、あなたは!」
「使徒、人の変異体、でもその正体は君達と同じ、あらかじめプログラムされた存在さ」
 人為的に生み出された存在だと知って愕然とする。
「誰に…………」
「君達を君達にした人達にだよ、僕達はみんな、人の深層意識帯から創造された咎人なのさ、それぞれがそれぞれの願いを、夢を果たすと言う、独善的な希望を押し付けた存在なんだよ」
「違う、わたしは、わたしは救いたくて!」
「君はそうやって、他人を悲壮だと、見下すのかい?」
 レインは青ざめ、口をぱくつかせた。
 言い放とうとした言葉は、音にならなかった。
「自分は貴方よりも裕福だから、貴方はありがたがればいいのです?、それはとてもとてもありがたいことだね?、それを独善と言うんだよ」
 カヲルは鼻で笑った。
「わかるかい?、僕やシンジ君と、君達との違いが、可哀想かどうか、それを決めるのは自分だ、強いか弱いか、それを決めるのも自分であるべきだ、ただ僕達は用意していただけだよ、自分の価値を自分で決めた人達に、彼らが求めるものをね?、でも君は求められる前から押し付けようとしている、自分に似ているから?、自分は可哀想だから?、だから彼らは可哀想なのかい?、違うね、君は自分が可哀想だから、自分に似たものを消し去りたいのさ、辛いものを呼び起こさせるから、逃げたいんだね、それを責めはしないよ、僕も同じだったからね、でも他人を、彼らには彼らの考えがある事を無視している、それは感心できないね?」
「だったらどうだって言うんですか!」
「まだ気が付かないのかい?」
 カヲルの悲しげな瞳に息を呑む。
「え……」
「ATフィールドが、心の壁だと言う事に」
「きゃあ!」
「うっ!」
 オームとレインは、カヲルから放出された『気配』に壁に吹き飛ばされ、さらに押し付けられた。
「これって……」
「ATフィールドか……」
「そう、君達はそう呼んでいるね?、君達は人々を救うと言う使命のために、心が外向きになっている、そしてそれを信じ切っているみんなはもっとね?、だから壁が張れないのさ、これは自分を守るための、自分を確定するための、自分を形作るための力だもの」
「そんな、自分勝手な……」
「話を聞いていなかったのかい?、もう一度考えてみると良いよ、自らの苦しみを他人に投影し、それを救う事で逃げを打つ君達と僕、どちらが勝手なのか」
「……なにやってんのよ?」
 扉が開いた。
 何の抵抗もなく。
 そこに立っているのはアスカだった。


「そ、りゅうさん、にげ……」
 アスカはレインの言葉に眉を顰めた。
「カヲル、あんた」
「こういう事さ」
 カヲルは肩をすくめた。
 その気配、その感じ。
 アスカが違えるはずも無かった。
「あんたも……、使徒なのね」
 その響きには、悲しみよりも憐憫が深く刻まれていた。
「戦うかい?」
「いいえ」
 アスカはかぶりを振った。
「あんたは、シンジの友達だもの」
「そう、だから僕は君を、シンジ君を傷つけない」
「ど、して……」
 レインはまた圧力が増したような気がして、目に浮かんだ涙を感じた。
 視界がぼやける。
「あんたバカ?」
 アスカは呆れた。
「こいつはただ自分を主張しているだけよ、あんたは弾かれてるんじゃない、自分でカヲルを弾こうとしてるのよ」
「な……」
「カヲルを認められないから、嫌おうとして、排除しようとして……、でもカヲルの存在感は圧倒的だもの、あんたが自己主張するのをやめればなんともなくなるわよ」
 事実アスカは平然とカヲルの側に歩み寄った。
 カヲルを見つめる。
「使徒って……、なんなのかしらね?」
 アスカは脳裏に、これまでに関わって来た使徒の全てを思い浮かべた。
「あんたは……、本当なら、覚醒する必要が無かったはずなのに」
 悲哀が浮かぶ。
 アスカはレイを探していて、まったく別のものを見付けたのだ。
「僕はその役目を果たすために、ここに居る」
 アスカは頷いた。
「行くのね」
「この役目が……、他の人のためなら、僕はきっと捨てていたよ、あるいは僕達の出会いが仕組まれた運命であったのならね?」
「違うの?」
「僕達は偶然に出会い、惹かれた……、僕達の中にあるものにじゃない、境遇にさ」
「だからなのね……」
 アスカは嫉妬を隠しもしなかった。
「あんたが、羨ましいわ」
「そうだろうね」
 苦笑気味の笑み。
「でもこれはだめだよ、これは僕だけが持つ、僕だけが手にした権利だよ、誰にも譲りたくない」
「上げるの?」
「捧げるのさ、この命をね」
 カヲルは戸口へ歩き出した。
「アスカちゃん……」
「なに?」
「君に好意を持っていたと言っても、許されるのかい?」
 アスカはカヲルの肩を掴むと、振り向かせて、口付けた。
 ついばむようにして離れる。
「あんたはシンジを先に立ててくれたもの」
 はにかみ、好意と共に首縋り付いて、抱きしめる。
「初めてのキスよ……、あんたに上げるわ」
「ありがたいよ」
 カヲルは微笑を浮かべた。
「これで殺される理由が出来た」
 使徒や、エヴァなどに関係無く。
 カヲルは優しく、アスカを押し離した。
「ありがとう」
 ばたんと……
 戸が閉じられるのと、背後で二人が壁から落ちるのと、同時に音がして、アスカはふぅっと溜め息を吐いた。
 緊張感が体の全てを支配していた証拠であった。


 いつものように、ポケットに手を突っ込んで、カヲルは悠然と廊下を歩き進んだ。
 その足が地下への直通エレベーターの手前で止まる。
 エレベーターの前には電子銃とスタンロッドで武装したネルフ兵士が、一ダースほど並んでいた。
 他に残り四人の『エヴァンゲリオン』がいた、変身した状態で身構えているのは、裏切られたとの思いが強いためだろう。
「冬月副司令……」
 カヲルはその中心となっている人物に皮肉を向けた。
「君が使徒だったとはな……」
「許せませんか?」
「何がだね」
「使徒の因子を持っていると知りつつも、僕を渚家の頭首に、エヴァンゲリオン隊の隊長に据えた人達のことが」
「関係無い」
「人の定めか……、操られている、利用されていたと知ったというのに、それでも逆らうことは出来ない、罪、それを感じる事がそんなにも恐いんですか?」
「違う、わたしは!」
「罪を罪で無くすためには、勝者の側に付けばいい……、そんな愚かしさがあなたがたの罪悪だと言うのに……」
 カヲルは右手をポケットから抜いた。
「なにを……」
 その手を広げて正面に向け冬月達へと見せた。
 嫌な予感に、冬月は叫ぶ間も惜しんで屈んだ。
「!?」
 カヲルの手には彼らと同じ電子銃が握られていた。
 ただしその威力は数十倍……
 一瞬の閃光が辺りを白く染め上げ、六人を灰に、四人を墨に、二人を沸騰して破裂させた。
「何と言う事だ、何と……」
 呆然と出来るだけの余裕を得られたのは、冬月の前に立っていたエヴァが代わりの被害を被ったからだった。
「一体、どこから……」
「全ては事象にすぎない」
 カヲルは答えた。
「僕は僕の形を整えるために素粒子を利用している、ATフィールドによって区切られたテリトリーの中では僕が神ですからね、そして意識下にある『海』からこの銃の情報を取り出せば、同じものを構成するのは容易いと言うわけですよ」
「そんなことが!」
「空気でさえも、僕は触れている全てのものを支配する事が出来ます、ただ僕の望みはささやかなものですからね、そう大事にはしたくないんですよ」
 だが冬月はカヲルの言葉など聞いていなかった。
「君達は……、君達はそこまで」
 呆れた声を吐く。
「驚くような事ですか?、こんなものはエヴァが持っている本質の一端に過ぎないというのに」
「エヴァだというのかね、君が!」
「そう、使徒も、エヴァも、同じものですからね」
 カヲルは不敵に笑った。
「エヴァンゲリオンも使徒も、同じもの、アダムと、人という素体から組み上げられている、そして使徒は既に完全と言う名の限界に達していた存在であり、エヴァは都合と言う名の枷を付けられた存在だった……」
 だがシンジと言う名のエヴァだけは、その足枷の存在を感じない。
「シンジ君を見限る、捨てると言う行為が、シンジ君に絶望を与え、彼に全てを捨てさせた、倫理観、道徳心、あなた達が突け込むためのものをシンジ君は持ち合わせてはいない、だからですよ、心が僕達を作り上げる、僕も、シンジ君も、あなた達の思惑に束縛される弱さは持たない」
 カヲルの手から銃が消える、まるで微小の積み木が崩れるように。
「おいで、アダムの分身、そしてリリンの僕……」
 すうっと……
 あの時に消えた、シンジの姿をしたものが降臨した。
 淡い姿が、空間の狭間から滲み出る。
「シンジ君か!」
「いいえ、影ですよ」
「影!?」
「ええ、とっさに縋ったアスカちゃんが、シンジ君の情報を元にして作り上げた幻影だ、だからそ、これには魂がありませんからね、心が無ければ同化は出来ます、僕も同じ”モノ”だから」
 シンジの姿が変わる。
 その姿はエヴァンゲリオン。
 紫色の鬼だ。
『フォオオオオオオ!』
 先に動いたのは白いエヴァンゲリオンだった。
 恐怖に突き動かされるように、抱えていた銃を腰だめに向けた
 陽電子砲だった。
 壁と天井を焼いてエヴァンゲリオンへと襲いかかる、だがその光をエヴァは口で噛み受けた。
「ばかな!」
 冬月の絶叫、バチバチと光るエネルギーを、首を振るように受け止め、また振って『放り返した』
 バン!
 冬月の顔を、廊下を、天井を、床を、エヴァ達を。
 弾けた血が濡らした。
 下腹から上を無くした下半身が、思い出したように倒れ崩れた。
 炭化した破砕面から血が流れ出る。
「うあ、うあああああああああ!」
 冬月は喚き、腰砕けになっているのも忘れて後ずさった。
 その両足はエネルギーの本流に煽られて炭化していた。
「人の定めか……」
 カヲルは目を閉じた。
「人の歴史は、悲しみで綴られていると言うのに……」
 再び目を開いた時、立っているのは渚カヲル、一人であった。


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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元にでっちあげたお話です。