何故だとオームは喚いた。
レインは無言で、恐怖の目をアスカに向けた。
アスカはオームの具体的な言葉を待った。
「お前は何故、碇シンジを、渚カヲルを、そうも」
「信じていられるのか」
「違う!」
「愛せるのか」
「そうではない!」
「親しく出来るのか」
「そうではない……、そうでは」
最後は呻くような声になった。
オームは恐れから、子供のように小さく、丸くなって頭を抱えた。
「わたしは……」
「恐いのね」
「わたしは」
「脅えなくてもいいはずよ」
「何故だ!」
「あんたは、エヴァと言う力に目覚めているもの」
アスカのもの言いは、どこかレイの口調に似通っていた。
カヲルは黙祷を捧げていた。
「感謝して欲しいくらいだね、冬月さん」
カヲルの前にはエヴァンゲリオンが立っている。
だがその顔は冬月のものだ。
『わたしは生きているのか……』
「違うよ、今の貴方は人の深層意識下に残っている他人の記憶から構成された、客観的な貴方にすぎない」
『君の中にあるわたしと言う事かね?』
「同時に、その他大勢の知る貴方でもある、でも本当の貴方ではないよ」
『わたしは死んだのか』
「そこには貴方自身の記憶は無いでしょう?、貴方だけが知る、貴方一人で居た時の記憶は見つからないはずだよ」
『わたしは、死んだのだな……』
冬月の顔は消え、元の凶悪な仮面が戻る。
「人の言葉に躍らされ、揚げ句その責任を他人になすりつける貴方は、自己認識と自我意識が希薄過ぎたのさ……、それでは、誰も貴方のことを思い出さない、きっと葬式もおざなりで、貴方の顔もすぐに忘れ去られてしまうだろうさ」
カヲルは同情に満ちた供養を呟いた。
「もっとも、葬式を出す人間がいればの話しだけどね」
目を閉じ、やや顎を上げる。
その傍らにいたエヴァが、崩れるように姿を消した。
塵となって。
目を開くと、赤い瞳が光を放っていた。
「さあ、全てを始めよう」
カヲルは奈落への道へと踏み込んだ。
『死んでしまえばいい』
生きる事が辛いなら。
『命を断ち切ればいい』
未来を思い描けないのなら。
それは堕落した日々を続けるだけになるのだから。
だがそれでも生きていた。
それは何故か。
「君が居たからだよ」
カヲルは骸へと手をあげた。
筋肉が、筋が断裂し、内側から神経束が伸びていく。
あり得ないほどの太さを作り上げて、それは巨大な銃を象った。
「さあ、目覚めの鐘を、打ち鳴らそう」
カヲルは遺骸を撃ち抜いた。
風が吹いた。
贖罪を問いかける風であった。
人に罪を問いかける時に、もっとも効果的な方法があるとすれば、それは己の所業を客観的に見せつける事であろう。
多くの人が悶え苦しんだ。
第三新東京市、それも碇シンジと関わった者に限って言えば、その反応は顕著であった。
『許して!』
例えば、だ。
とある警官は、棍棒を持った警官に殴り殺されかけている自分を見た。
いや、その自分が誰であるのか、すぐに分かった。
自分は碇シンジになっていた。
そして脅し付けている警官は自分であった。
『俺は何もしてないのに!』
だがその警官は聞いてはくれない。
くり返し、お前がやったのだろうと言う。
ニヤついて。
そこには思いやる心など無い。
この時、彼はようやく、自分がどれだけ残酷で残忍な人間であるかを知った。
またここに少女が居た。
『あたし、こんな顔をして…………』
罪を償う態度があからさまだった。
少女は少年の立場に立って、その気持ちを受け止めていた。
受け止めさせられていた。
辛かった。
彼女は何一つ少年を思ってはいない、ただ、自分のして来た『苛め』が彼に与えた傷、それが恐くて償おうとしていた。
許すと態度で示してくれればいい、それで自分は楽になれる。
そう、少年の心を癒すつもりなど、どこにもなかった。
『違う、違うの!』
少女は叫んだ、だが今は少年なのだ。
少年の諦めのままに、もういいよ、と呟かされてしまっていた。
人の罪悪は、己の罪を罪として認識できない所に在る。
だからこそ、こう言うのだ。
『僕が何をした』
『わたしが何をしたの』
だが今、人の心は一つに繋がっていた。
客観的な視点から、己の罪の全てを『体感』『体験』させられていた。
使徒が次の使徒へと情報を渡すその方法を、人は信号であると考えた。
科学的な説明を欲したからである、しかし、実の所を言えば、それは人の手に余る領域にある行いであった。
深層意識下での交感。
今、人々はサードインパクトを経験させられていた。
いや、これですらも予兆であるのだが…………
『やめてくれ!』
世界中の人々が絶叫した。
だが直接頭の中で展開されるパノラマ映画は、終焉を迎えることなく人生と同じだけの罪を浮き彫りにする。
それが終わったとしても、次は別の人間の視点から、その唾を吐きたくなる様な行為を見せつけられてしまうのだ。
ある者は柱に頭をぶつけた、ある人は手首を切った、しかし即死には至らず、動けなくなった状態で、より一層の悪夢を見せつけられることとなってしまった。
それは、己の罪を認めようともしないで、自殺を試みた、愚か者の様子であった。
車が電柱に、ビルに突っ込んだ。
その際に数人がひき殺されたが、中にはその死を喜んで心地好く受け止めた者も居た。
えへらと笑って宙を舞い、あるいはひき潰され、すり削られた。
ガソリンスタンドが爆発した。
その火に身を投じる志願者が続出した。
海や、川に、無数の死体が浮いた。
新しく飛び込んだ者は、浮いた死体が邪魔で沈む事が出来なかった。
その死体を蓋にして沈もうとする人間は居なかった、己の罪が恐くて、そこまで頭が回らなかったのだ。
比較的被害が少なかったのは子供達であった。
それも一桁のつたない幼児達であった。
死ぬ方法を知らないからだろう。
仲間外れにした、あるいはかくれんぼの途中で家に帰って泣かせてしまった、と、鬼役の子の名前を連呼して、ただ泣いた。
共通して言えることはただ一つ。
誰も謝ろうとしなかった。
謝るために、相手を探し求めはしなかった。
それは罪を罪として意識しなかったがゆえの結果であった。
「こんなのって、ない…………」
レインは涙を流して、本部指令室で街中の、あるいは世界の映像を見つめていた。
姿はエヴァンゲリオンに変化している。
「これが、使徒の力か」
オームはアスカに問いかけた。
「いいえ」
アスカは言った。
「言ったでしょう?、この程度のことなら、あたしにだって出来るわ」
三人はエヴァに変化していると言うのに、従来の通信機無しで会話をしていた。
それはこの空間が、アスカの支配下にあるからだ。
「できる、だと?」
「ええ」
「では止めないのか?」
「理由が無いもの…………」
アスカは司令席に腰掛けると、足を組んで、肘掛けに頬杖を突いた。
気怠げに。
「こんなのっ、酷過ぎる!」
「どうして?」
「人が死んでいくのよ!?」
「だから?、あなただって、殺されかけた事くらいあるんでしょう?」
レインは言葉に詰まらされた。
殺されていく光景は残酷だ。
例えば、戦争などは…………
だが自ら死んでいく人達、黒焦げになって山となる光景、水面を埋めつくす姿、死を求める世界は悲惨であった。
「救いなんてない、なら、絶望すればいいのよ」
「あなたは、それでいいのか」
「だって、あたしにはシンジしか居ないもの」
アスカの瞳は何も写していなかった。
「あたしは何をして来たか、自分の罪を認めているわ、その中でも最大の罪を償うためにシンジと友達になろうとしたけど」
「けど?」
「だめだったわ」
アスカは自嘲気味に笑った。
「シンジがあれほどの人間不信になっているとは思わなかった、その全部はあたしのせいじゃない、でも、間違いなく一端はあたしのせいよ、だから、こうして待っているの」
「罪を許してもらうために?」
「いいえ、罰を与えてもらう、そのためによ」
例えそれが死であるとしても、感受する事により、全身全霊をもって信用を得るしか無いのだから。
(そう、あの時シンジはあたしを助けてくれた……)
金の翼を持った少年に襲われた時のことが蘇る。
(でも、あいつはあたしとは戻ってくれなかった…………、それはこの世界の辛さが、あたしの愛情を上回るから、守ってくれないって、守り切れないって、あいつは…………、あたしに)
でも、と思う。
(まだあいつはあたしを嫌ってない、それだけが救い…………)
だからこの有り様を受け入れる。
アスカは背もたれに体を預けて、瞳を閉じた。
(全部燃えてしまえばいいのよ)
それで優しい人だけが生き残るのだから。
(その罪は、敢えてやらせたあたしが受ける、カヲルでも、シンジでもない、カヲル、これはあたしの罪よ、あんたには譲らないわ)
アスカは消え去る全ての命に、黙祷では無く呪詛の言葉を吐いていた。
「いつまで、そうやって見ているつもりだい?、シンジ君」
『カヲル君』
カヲルは目を細くして笑った。
「やあ」
シンジは足元に居た。
磔にされたエヴァンゲリオン。
足元の川は溢れて、カヲルのくるぶしまでを濡らしている。
その水の下、裏側の世界にシンジは居た。
カヲルと足の裏を合わせるように。
鏡面の世界。
「カヲル君、どうして」
シンジは泣きそうな声を出した、いや、既に涙は流れていた。
カヲルの答えは謎掛けだった。
「君には分からないのかい?」
「わからないよ!、どうしてこんな事をするのさ!」
「簡単な選択なのさ」
カヲルは言った。
「綾波レイ」
カヲルの呼び掛けに答えて、レイの姿が浮かび上がった。
だがそれは虚像である、カヲルの生み出した。
「知っていたかい?、彼女が僕と同じだと言う事に」
「カヲル君、君は…………」
「碇ユイ…………、彼女の産み落とした最初のエヴァンゲリオン、その再現実験が行われなかったと思うかい?」
「カヲル君は…………、アスカの」
「弟だよ、レイが、シンジ君の妹であるようにね?」
もっとも、と暴露を続ける。
「所詮は形態を模写しただけの情報集積体だよ、生態としての遺伝的な繋がりには意味が無いさ」
「だからって、こんな!」
「君は、僕が何をしに来たのか分かっているんだろう?、僕は僕であって僕で居てはいけないんだよ、知ってしまったからね、僕が『あれ』の一部である事を」
「カヲル君…………」
「『あれ』は完璧でなくてはいけないのさ、なにしろこの世の理の全てを成り立たせている基準だからね、でも今はその一部を失ってしまっている、わかるかい?、これから生まれて来る世界には、『真理』の一部が欠けているのさ、不安定な世界、崩壊を迎えていくだけの世界、そんな世界を救うために、僕は還らなくてはならないんだよ」
レイを抱き寄せる。
「この子を連れてね?」
「カヲル君!」
「君と惹かれるのも当然と言うものさ、レイは一部であり、自分自身を探していた、そして君は扉なんだ、向こうへ、『あれ』に通じるための…………」
「アーカシック、レコード」
「正解だよ」
カヲルは乾いた拍手を送った。
「だけど、本来ならそれは開いてはいけない門だった、そこから漏れ出した情報は掻き集められなければならなかった」
「そのための、僕…………」
「そうさ、そして君は使徒の全てを集めてくれた、後は、レイと僕と、あの子だけさ」
「アスカ!」
シンジは青ざめた。
「そんなっ、アスカまで、どうして!」
「アーカシックレコードにも前例が無いからさ、彼女のような形はね?」
「だからって、だからって!」
「君がなんと言おうと、僕は彼女を連れていくよ」
「カヲル君!」
「それが嫌なら、力づくで止めることだ」
シンジは固まるように動けなくなった。
「そのために…………、そのために君を殺せと言うの?、カヲル君!」
「僕達を、だよ」
「カヲル君!?」
「レイは、君の側に居るね?」
シンジは頷いた。
「僕が死ぬ事で君には得られるものがある、君はそれを持って彼女を救うか、それとも自らの未来を手に入れるか、それは自由さ、だけど、世界を救いたいのなら、どちらかを選ばなくてはならないんだよ、そして、僕は君がどちらを選ぶか知っている…………」
「カヲル君…………」
「シンジ君は優しいからね…………」
「カヲル君!」
「シンジ君は優し過ぎるんだよ…………、だから想像し易いのさ、自分が、害にしかならない自分が生き残ってしまうよりも、自分の好きな人達が生き残る、そんな世界を与えようとする、そうだろう?、シンジ君」
「カヲル君っ、やめて!」
だがシンジの願いは通じなかった。
カヲルは両腕を広げていった。
「さあ、僕を消してくれ」
「でも!」
「君が僕を取り込まなければ、君は人の形を思い出せない、それはアーカシックレコードに持ち帰らなくてはならない情報なんだよ、君が僕を連れていってくれないのなら、僕が君を取り込むしかない」
「だったらそれでいい!、僕は!」
「僕に、君を、殺させるつもりなのかい?」
「カヲルくっ」
言葉に詰まった。
「僕と、君がいれば、レコードへの情報は事足りるんだ、僕には彼女の情報も含まれているからね?、でも足りないものもある、それはシンジ君、君が持っている」
シンジは呻いた。
「簡単な足し算なのさ、僕は、アスカちゃんとレイを足して、ようやく君と等価値になれるんだ、そして君にとって、アスカちゃんとレイの情報は、僕一人で埋められる」
「でも!」
「そうしてくれなければ、僕はレイを、アスカちゃんを手に入れ、君を殺して、この世を去るしか無いんだよ」
カヲルは微笑んだ。
だが良く聞けば、結局カヲルは死ねと言っている。
ここでカヲルに殺されても、もたらされるものは死と消滅だ。
だが例え殺したとしても、世界を救うためには己が身を、『記録』を『あれ』に捧げなくてはならない。
「君は優しいね」
「カヲル君…………」
「殺し合いになれば、僕が勝つ…………、僕は完璧な支配者だからね、そして支配するがゆえに一生得られないものがある、シンジ君、君だけが、僕にそれを与えてくれた」
「カヲル君」
「時間だよ」
カヲルは白い首を差し出すように、目をつむって、顎を上げた。
「これが恐怖と言うものかい?」
わずかに睫毛が震えていた。
「もう君とは会えない、この寂しさが、本当の恐怖と言うものか」
だがカヲルの心は決まっていた。
(でもこれでいいのさ…………、シンジ君には、これ以上と無い楔が打ち込まれる事になる、わかるかい?、友人を殺してしまったと言う罪の意識が、シンジ君を人の器に押し込める、その罪悪感から、最果てへの逃避を戒める、何処に逃げても、原罪が自分にあるのだからね?、一生を人として過ごす事になる、血にまみれている己の両手を呪って、泣き濡れて、呪詛を吐いて、それでもこの世界で生き続けていくんだよ…………、僕と言う人を、かけがえのない友人を殺したと言う、罪の意識におののいて)
ドンっと、胸に鈍い衝撃が走った。
(嬉しいじゃないか、僕が、人一人の生を支える礎になれるなんて)
目を開く、心臓を赤い槍が貫いていた。
(泣いているのかい?)
シンジは泣きじゃくりながら、赤い槍を握っていた。
地面に突き立てるようにして、こちら側に、カヲルの心臓を貫いたのだ。
ごとんと、倒れた拍子に頭が大きな音を立てて跳ね上がった。
(綾波レイ、君にもこれだけの死が望めることを、僕は祈るよ)
それが、カヲルの遺言となった。
誰にも聞かれる事のない呟きであった。
そして、サードインパクトが、訪れた。
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元にでっちあげたお話です。