「カヲルく…………」
 伸ばした手は彼の体をすり抜けた。
 粉雪のように舞い散って、その姿はシンジの背中へと流れて飛んだ。
「カヲル君!」
 慌て振り返る、しかしそこにはもう影も形も無い。
 世界は吹雪いていた、黄金の雪が吹きすさぶ。
 それは現実の光景ではない。
 カヲルと言う魂に手を伸ばしたのは、シンジの心だ。
「どうして!」
 交錯する一瞬に、カヲルの声が耳朶を打った。
『君が生きる事が、僕の望みだからだよ』
「だからってこんなの!」
『君のいない世界に、何の意味があるんだい?』
「僕だって!」
 それは同じことなのに。
「どうして…………」
『君にはまだ、あの子達が居るだろう?』
「どうして」
 もし、カヲルに罪があるとすれば、それは最後まで思いを隠し通さなかった事にあるだろう。
 死のもたらした開放感が、カヲルの心を、口を軽くしてしまっていた。
「カヲル君…………」
 現実の世界で、シンジはカヲルの体を抱き締めていた。
 今やシンジは、世界の中心で一人孤独にむせぶ獣であった。



 voluntarily.17 What are you alive for? 


 世界は朱に染まっていった。
 逃れる術は何処にも無い、人はついに、死ぬ事すら忘れて己の罪にのたうった。
(僕が殺した)
 なにを?
(人を)
 気持ちを。
(僕が傷つけた)
 なにを?
(優しさを)
 言葉が単純になればなるほど、心は深くえぐられていく。
 お婆ちゃんのお葬式に、彼は友達と遊んでいた。
 子供だったから、人が死ぬと言う事の意味が分からなかった。
 だが大きくなれば、その時の自分を振り返ってしまう。
 あんなに好きだったのに、どうしてと。
 どうして今になって泣くのかと。
「こんなものが、サードインパクトか」
 オームは唸るように呟いた。
「そうよ?」
 受けたのはアスカだった。
「どう?」
「意外とつまらんものだったのだな」
「そう?」
 アスカは肘掛けに頬杖をついたまま、目だけをオームへと向けた。
「この光景には…………、寒くなってしまったが、話を聞けば、弱者の泣き言に自分を責めているだけだろう?」
 アスカは嘆息した。
「そうね」
 改まってオームを見やる。
「でもそう言えるのは…………、いいえ、だからあんたは、カヲルに選ばれたんだものね」
「選ばれた?」
 怪訝そうな顔をするオームに、アスカは膝を組み替えて、その膝頭に両腕で作った輪を引っ掛けた。
「今あんたが居るのは、あたしの世界なのよ?、あんたの事くらいなんでも分かるわ」
「ふん?」
 鼻白んだオームに苦笑する。
「勘違いしないでね?、知りたくてやってるんじゃないんだから」
「なら何故だ?」
「力を抑えていられるほど、余裕が無いのよ」
 アスカは椅子のすぐ隣を見た。
 体を預けるようにして、少女がうずくまり、吐き気を堪えている。
「この子…………、レインだっけ?、この子も居る事だし、話して上げたら?」
 オームもぶるぶると震えているレインへと目を落とした。
「必要あるのか?」
「だって…………、話がし辛いのよね、引き合いに出せないし」
 オームは鼻を鳴らした。
「いいだろう」
 目を閉じて、やや顎を上向ける。
 思い出しているのか、思い返しているのかは分からなかったが、時間はそうかからなかった。
「つまらん話しだ…………」
 語り始める。
「俺は、インドの山奥で暮らしていた、本当の生まれは何処かは知らんがな、親は神を信じて祈りながら、盗みを働いて人を殺していた」
 ゆっくりと、丸い目をしたレインが、オームへと顔を上げた。
「人、を?」
「ああ」
「山賊って事ね」
「そうだな」
 まるで他人事のようだった。
「掟には厳格な一党だったが、神の教えよりも都合が何よりも優先されていた、自分が生きるために物を奪うのは、獣を狩るのと同じことらしい、食い繋がなければならないのなら、より『おいしい』獲物をと言うのだな」
 アスカは納得して頷いた。
「ま、熊や猪を狩るよりは、よっぽど楽だし、安全でしょうね」
「そうだが、物を取るのと命を奪うのは同じことなのか?、俺は単純に疑問を覚えた、そして自分が獲物として狩られた者の子供だと知った時、俺はその考えにとり憑かれてしまった」
 注意して口にする。
「価値観の違いって言っちゃあ簡単だけど、人には優しく出来ても物には出来ないわ」
 まさにと頷く。
「そうだ、傷ついた獣には癒しを、まだ小さなものは見逃す、不文律だ、だから俺も救われた、しかし物は物だ、成長も、大きくなる事も無い、そのままの物だ、価値は増えるかもしれんが…………」
「そうやって考えにはまって、自分と物との違いが分からなくなったのね」
「そんな時だった」
 声音が変わった。
「ゼーレと言う国際機関の遣いが来たのはな、その男は言った、その答えを掴むきっかけをくれるとな、人は物を考える、自分で歩く事も出来る、頭があるからこそ悩みを抱える、美術品は自分の存在価値を認識しているのか?、俺の考えはそこに間違いがあった、俺は、俺には価値が無いなどと知りたくは無かった」
「だから、殺したの?」
 レインはビクリと反応した。
 見上げると、オームは凄惨な笑みを浮かべていた。
「殺すつもりは無かったがな」
 しかしとてもそうは見えなかった。
「まあ、気持ちは分かっているつもりだ、隠れ里で、掟がある、特に俺は拾い子だ、里の場所を知らせるかもしれん、それ以上に、ゼーレの男は何故里の場所に気が付いたのか?」
 アスカは冷静に指摘した。
「あんたが疑われたのね」
「ああ、逃げる間もなかったよ、寝込みを襲われて、刃を躱した、真っ暗な中でナイフを奪って刺した、…………母だった」
 細くする。
「義理の母親ね」
「だが母だ、母親には違いない、ひもじいと言えば自分の食い分まで与えてくれるような人だった」
「だからよ」
 寂しさを織り混ぜて言う。
「あんたに裏切られたと思ったのね、あんなに優しくしたのに、あんなに愛してあげたのにってね」
「そうだろうな」
 オームの顔に変化は見られない、相変わらず誰かを蔑むように笑っている。
「まあ、あの人が何を言われたかは想像できる、所詮は血の繋がっていない赤の他人だ、俺は親の敵をとるために従順な振りをしている」
「ま、おおむね当たってるわ」
 オームは不思議そうな物を目に浮かべたが、直に得心して頷いた。
「そうか、あなたには見えるのだな」
「まあね」
「なら言うまでもないのだろうがな、俺は血まみれのナイフを握ったままで家から飛び出した、振り返ると、差し込む月光に照らされて、青白く倒れている者が見て取れた、母だった、胸を突かれる想いだった、泣きそうになったがな、先に泣かれてしまった」
「お父さんに」
 もうオームは驚かなかった。
「そうだ、父は絶叫し、血の涙を流して斬り掛かって来た、山刀はナイフで受け止められる物ではない、人も集まって来る、元々見張りが居たのだろうな、既に取り囲まれていた」
「でも、あんたは生きてる」
「そう言う事だ」
 壮絶な笑みを浮かべて言った。
「俺は全てを殺して、逃れた、殺さなければ殺されていた?、違う、わたしは答えの一端を見つけたのだ、だから死ねなくなったのだ」
 アスカは溜め息を吐き、ほとほと呆れた口調で漏らした。
「人は…………、とても小さな存在だから」
「そうだ、人はまず家族を愛する、隣人を愛し、さらに大きな輪を作る、だがその輪が重ならない限り、他人はただの肉の塊だ、だから殺せる、俺は輪から外された」
「あたしは…………、どうだったかな」
 オームはフッと笑った。
「僭越ながら、俺にはレインと同じに見えるな」
「そう?」
 アスカはレインの視線を感じて、椅子の下に目を向けた。
 丸い目をしているレインに微笑みかける。
「あたしなんて…………、何から生まれたか分からない化け物だもの、パパはあたしを、権力を与えてくれる王冠のように思ってた、大事にはするけど、たまに見せびらかせば十分で、盗まれては困る…………、まして自分で勝手に動くだなんて、あんたは隣人を最初に好きになるって言ったけど、今の世界じゃ隣の人なんて鬱陶しいだけよ、だから疎遠になって、孤独を好むんだわ」
「だが寂しいと感じている者が」
 オームは踵で床を差した。
「ここに居る、違うか?」
 それはまさに、その通りであった。


「僕は…………、ただ、優しくして欲しかっただけなのに!」
 そこは現実の世界ではない。
 シンジの心は、今や地球を高い所から見下ろしていた。
「僕が壊したんだ、僕が殺したんだ!」
 顔を手で覆って膝をつく。
「こんなものいらない!」
 シンジは何かを持ち上げて、投げ棄てた。
 ドッと痛そうな音を立てて、それは苦痛に身を捩った。
 あの獣だった。
「僕が死ぬべきだったんだ!」
 泣き崩れる。
「僕がっ、カヲル君が死ぬくらいなら、僕が!」
 獣は起き上がると、何十億もの粒子に変わって舞い上がった。
 それは遺伝子の輝きだ。
「エヴァンゲリオン…………」
 目の前に現われたものを憎悪する。
 その身体に、使徒と呼ばれた少年少女達の顔が、人面疽となって浮かんでいる。
 水泡のように大きくなっては弾けて生まれる。
「カヲル君…………」
 カヲルは言った。
 これを完全にするためには、後一つ二つの要素がいると。
 それがシンジであるか、レイとアスカの二人であるか。
 シンジはふらりと立ち上がった。
 口元には奇妙な笑みが張り付いている。
「さぁ…………」
 両手を広げる。
「僕を殺して…………」
 目を閉じる。
「もう疲れた…………」
 胸が疼く。
「死にたい…………」
 辛いから。
 獣の腕が振り上がる、そこから目には見えない爪が振り下ろされるはずだった。
 そしてシンジの体は、さっくりとなます切りにされるのだ。
 だが。
「!?」
 信じられない光景に目を見張る。
 エヴァの顔に、槍が一本突き立っていた、ロンギヌスの槍、シンジがカヲルを殺すために用いた、あの槍だ。
 慌て、振り返る。
「あ…………」
 喉に詰まる。
「綾波…………」
 そこには真っ白な素裸を晒す、綾波レイが立っていた。


[BACK][TOP][NEXT]


新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元にでっちあげたお話です。