「あなたは、逝かないの?」
 リツコの言葉に、ミサトは酷薄に笑った。
「何処に逝けってのよ、あたしはもう…………、死んだ身だもの、自由にも出来ないんでしょ?」
「そうでもないんじゃない?」
 タバコを灰皿に押し付けもみ消す。
 もう山のように積み重なっていて、外にまでこぼれている。
「少なくとも…………、シンジ君の面倒を見てた間は、好きにしてたじゃない」
 ハッとする。
「そうね…………」
 笑みが微妙に変化した、伸びをする。
「楽しかったなぁ…………、授業参観なんかね、行って上げると、あの子苛められるのよね」
「ケバい恰好して行ったんでしょ?」
「うるさいわね!」
 赤くなってそっぽを向いた。
「あの子ね…………、お姉さぁんなんて甘えてるんだろとか、ガキが嫉妬しちゃってさ、でもね、シンジ君、そうなるのが分かってても、喜んでくれるのよ」
 ミサトは相好を崩してはにかんだ。
「来なくて良いって言うくせに、顔を見せて、小さく手を振ると、しょうがないなぁって感じで、笑ってくれるの」
 想像して、リツコは吹きだした。
「嬉しかったんでしょうね…………」
「それはあたしだってそうよ」
 冷めた不味いコーヒーを飲む。
「また嫌われるんじゃないかって、恐かったわ…………、でもね、ほんのチョットだけ喜んでくれるのよね、アスカも…………、レイちゃんも、そうだったみたい」
「ミサト?」
 マグカップを両手で弄んでいる。
「二人とも、遊ぼうって…………、小さな頃にね、シンジ君、脅えながらだけど、喜んでくれて」
「で、裏切られた?」
「傷つけられる事になった、ってだけよ」
 ミサトはきつい目で批難した、リツコをではない。
「どうしてかしらね…………」
 世界を呪っていた。
「どうして、何もかもが裏目になるのよ、あの子にだけ、辛いことになるの?、あたしも結局はこうしてるだけで、何も出来ない」
 リツコは外へと顔を向けた。
「また車がぶつかったみたいね」
 テレビからは、人の死んで行く様が垂れ流しになっていた、報道リポーターの死を写したカメラだ、カメラマンは…………、どうなったのか、とにかくカメラは捨てられ、地面に投げ出された形になっている。
 映像が止まらないということは、きっとスタジオでも凄惨な事になっているのだろう。
「ねぇ」
 ミサトは問いかけた。
「これを、シンジ君がやらせてるっての?」
 リツコはかぶりを振った。
「誰が、と言うことは無いわ」
「まだ何かあるの?」
「ただの直感」
 皮肉に笑う。
「多分…………、わたし達みたいに、自分はもう死んでも良い、死ぬのが当たり前だなんて考えてる人間ほど、何も感じてないんじゃない?、だってこの程度の思いなんて今更だもの」
 ミサトは天上を見上げた。
「それはあたしも同じか」
 自嘲する。
「あたしは…………、お父さんに好きって言いたかったのに、言えないままになった、シンジ君を引き取ったのは、碇ゲンドウ、あの人に近付くきっかけになればと思っただけ、でも…………」
「知ってるわ」
 リツコは優しく微笑んだ。
「あなたは、そこまで冷たくはなれなかった」
「そうね…………、初めてあの子を見た時のこと、忘れられないわ」
 真っ白な部屋、動かない空気、虚ろな瞳と、その瞳から流れ続ける、決して涸れ果てる事のない涙。
「あの子…………、何がそんなに悲しかったのかしら?」
 それは誰にも分からない事だった。


「碇君」
 レイは迷うことなく、シンジを胸に抱き寄せ、背に体を回していた。
「綾波?」
 なんとなしに抱き返す、意外とふくよかな感触、世界が青く、地球の空の色に変わった。
 塗り代わりに合わせて、シンジの服も霧散する。
 裸の二人。
 伝わる温もり。
 だが今は、その全てがおぞましい。
「僕は!」
 シンジは己のあさましさを嫌悪した。
 まだこの温もりに飢えている。
 渇望している、カヲルの事で泣きながら、この感触に欲望している。
 欲情している、肉体の発情ではなく、純粋に欲し、求めている。
 癒されたいと。
「碇君?」
「やめてよ!」
 シンジは叫んだ。
「やめてよ、僕に優しくしないで、僕は、僕は酷い奴なのに!」
 言葉は唇によって塞がれる。
『あなたは優しくしてくれたわ』
 伝わって来たのは生の感情だった。
 蘇る記憶。
 遊ぼうと言ったのはレイ。
 守ろうとしたのはシンジ。
 行き違い。
 いつも、いつも…………
 使徒に襲われるレイ、傷つく姿に憤ったのは何故?
 ゆっくりと離れていく、二人の間に光る掛け橋が糸を引いた。
「綾波…………」
(どうして、そんなに悲しそうにしているの?)
 レイの目は潤み、揺れていた。
「碇君…………」
 レイはシンジの首元に頬を寄せて甘えた。
「見て…………」
 額で顎を上向きにされる。
「月?」
 やたらと大きく見えた、その無情な穴が空しさを湛えている。
「いいえ…………、あれはリリス」
 レイのエヴァと同じ名に訝しむ。
「リリス?」
「そう…………、そしてあれが…………、アダムよ」
 真下からの眩しさに目をやられる。
「これって…………」
(地球!?)
 真下には岩の塊そのものである、孤独な魂が浮かんでいた。


 レインにとって、アスカの話しも、オームの過去も関係は無かった。
 人は死んでいく。
 その事実だけで十分だった。  現実の前に晒されて、レインは身動きが取れなくなっていた。
 びくんと反応を示す。
 脅えた目で見上げると、アスカが頭に手を置いてくれていた。
「こっちに来れば?」
 縋るように、すべすべとした手を掴み取る。
 汗ばんだ手で握るのは恐れ多い事だった。
「あ…………」
 立ち上がったもののふらりとよろけて倒れかける。
 気が付いた時には、アスカの膝の上だった。
「あ、あの…………」
「あんたは、良いのよ」
 優しく、エヴァである、その奇怪な頭に口付け、撫でる。
「あんただけじゃないわ…………、オーム、あなたもね」
「そうだろうな」
 オームは両腕を組んで、モニターを見上げた。
「俺は、俺であり、だからこそエヴァでもある、俺でないのなら、俺である必要は無い、この葛藤が、俺と言う存在を固定する、そう言うことなのだろう?」
「ええ」
「それが選ばれた基準か」
「その通りよ、レインはこの光景を恐いと思ってるんでしょ?、その感情は正しくあなたのものよ?、だからレインはここに居ていいの」
 おとがいを持って顎を上げさせ、口付ける。
「ふっ、む…………」
 レインの口腔を舌が犯す、目を丸くしていたレインだったが、次第にとろけさせ、そのままアスカに身を委ねた。


「これが、地球?」
 シンジは呆然と問いかけた。
「生まれたばかりの、地球よ」
「リリスと…………、アダム」
 シンジは月と地球に挟まれて、少しばかりの感慨を抱いていた。
 腰を抱いてもらい、しな垂れかかるレイ。
「その昔、空からの恵みを受けて星が生まれた、それが地球、でも岩塊でしかなかった地球は、正しく命を育む事ができなかったの」
 どれもウイルスやバクテリアと言った原始生命体だった。
 そして遠い世界より、水星が跳ねるように飛来した。
 小惑星と言ってもいいそれは、地球にぶつかり、多くの岩石を宇宙にまでばらまいた。
「こうして、アダムの最初の妻、母リリスは、その子供達と共に、永遠の空へと追放されたわ」
 宇宙にまで舞い上がった大量の土砂は、胎児が形を整えるように、粒から岩石へ、そして惑星へと姿を変えた。
「でも神様は、彼からもう一人の女を作り出したの」
 レイの身じろぎに促されて、よくよく地球を見つめると、赤く輝き、燃えていた。
 大地が火を噴く、それだけではない。
「あの氷は、あそこから来たの」
 レイの身じろぎに促される。
「太陽!?」
「そう…………」
 輝いていた。
「太陽よ、だってこの世界は太陽を中心に回っているもの…………、太陽は最初から太陽では無かったわ、ガスや屑の集合体だった」
「そこから…………、小惑星が?」
 頷くレイ。
「それは、小惑星と言えるほどの氷の岩塊だったわ、地球は…………、多くの水を得た、地熱が蒸気を生んで、大気を生み出して、彼女は纏った」
 エヴァと言う、楽園の誕生である。
「地球は、アダムは最初の連れ合いを無くしたわ、側に居るのに、もう抱き合えない…………、命を作り合えない、その寂しさを紛らわせてくれたのが、あの人よ」
 青と緑の、二つの世界。
「そして海に…………、生命の起源が産み落とされた」
 地球の一部で創られた母の上に、無事に子供が生されたのだ。
「そしてその子からは多くの命が産み落とされたわ、アダムとエヴァは彼らを育み、その中から新しい命の形が生まれた、その中に、彼らも居た」
 レイは倒れたままのエヴァンゲリオンを悲しく見つめた。
「わたし達は…………、貧弱だった、地球は、アダムをエヴァは、人間と言う子供を産んだ、けれど、子供は細かく分かれ過ぎていて、自分自身を認識する事が出来なかった」
「認識?」
「ええ、人は細胞なの、目であり、手であり、足であり、髪の毛なの、全員で一人なの、だけど人は自分一人で成り立っている生き物なのだと誤解したわ、互いを守り、支え、頼り、一つの生き物として機能する事を放棄してしまった…………、そう、その感情は愛なのだと、勘違いして」
「綾波…………」
「だけど」
 泣きそうに声が震えていた。
「わたしは、この感情に、素直でありたい」
 悲しく微笑む。
「心を一つにするということは、互いを分かり合える事かもしれない、でもそれは蟻や蜂になるということ、自分の役割を歯車のようにこなすだけの存在に墜ちること…………、わたしには、できない」
 レイは苦しんでいた。
「わたしは、機械を正しく動作させるために、新しく生み出されたネジの一つにすぎないわ」
「そんな…………」
「だけど生きてる、この感情を、捨てたくないの」
 レイはシンジの首に噛り付いた。
「死ぬのなら、人として死にたい、物になんてなりたくない」
「綾波!」
 抱き締め返す、だが掛けるべき言葉が見つからない。
「あなたは、何を望むの?」
 レイは声を搾り出した。
「わたしは…………、ただ、こうしていたいだけ」
「綾波ぃ!」
 シンジの叫びは届かなかった。
 パンッと弾けて散ってしまった。
「あ…………」
 喪失感に脅える。
「あやな、み…………」
 シンジは崩れ落ちるように膝をついた。
 まだ腕の中には温もりがあるのに。
「くっ!」
 だがまだ倒れはしない、顔を上げる。
 月と地球と、太陽がある限り。
 この悲しみから逃れられないとでも言うのだろうか?
 神が居て、男が居て、その妻達が居て。
 今だ独り立ちできない子供で居るから。
「僕が、情けないから」
 頼りないから?、いや、そんな事は無い。
「そうだ」
 使徒は、綾波の言う群体である人を、一人にまとめようとした失敗作だった。
 蟻や蜂の欠点は、女王を失えばそれまでだと言うことだ、さらに自分の役割以上のことは出来ない、成長すらしない、生まれた時から、決められていたことを果たして、死んでいく。
 だから使徒は、その全てが一つに詰め込まれていた、そして。
「そうだよ」
 ここにはその、完成体が在るのだ。
 碇シンジ。
 この体こそが。
「僕は…………」
 シンジは顔を上げた。
『そうだよ』
 耳に付いた言葉は誰のものだっただろうか?
『一人一人が、優しくなれるんだ』
 囁く声に頷く。
『それはとてもとても、素晴らしい…………、違うね?、嬉しい事だとは思わないかい?』
「うん…………」
 涙を拭って立ち上がる。
「だから、死ねって、言うんだね?」
 悲しんでいる人を見れば慰めたくなるのは何故か?
 苦しんでいる人を見れば手助けしてあげたくなるのはどうしてか?
「そうやって助け合う事が、綾波の言った歯車にも、人としての有り方にも合う、良い形だから」
 シンジの前に、真っ白な人が顕れた、その背には十二枚の翼を抱えている。
『さあ、行こう…………、シンジ君』
 彼…………、カヲルの姿をしたものは、その翼でシンジの体を包み込んだ。
 透き通り、シンジの中へと消えていく。
 最後のひと欠けらが補完される、シンジは小さく、ありがとう、と呟いていた。


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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元にでっちあげたお話です。