何処にでもあるマンション、多少高級だろうか?、ついでに場所は上層階のとある一室。
 もういつもの事なのだろう、慣れ切った手つきでエプロン姿の少年が目玉焼きを焼いていた。
「もうこんな時間か」
 白シャツに黒ズボン、何の変哲も無い学生服だ。
 彼は二人分の朝食の用意を終えると、溜め息を吐きつつ奥の方の部屋を見た。


スタートのスタート


「あいってぇ……」
 朝の登校は冷ための空気が清々しい物だが、彼にとってはなんの慰めにもなっていなかった。
 赤く腫れた頬を撫で、不機嫌そうに愚痴っている。
「起こさないと怒るくせに、外からじゃ二度寝する、中に入ると引っぱたく、どうしろってのさ」
「ふんだ!」
 憤慨し、くるりと身を翻したのは僅かに先を歩いていた少女であった。
 赤い髪は背の半ばまである、細めの顎と青い瞳が純粋な日本人ではないと知らしめていた。
「あんたバカぁ!?、あたしはねぇ、人の寝顔覗くなって言ってるのよ!、ほんと男ってどうしてこう馬鹿でスケベなのかしら?」
 少々最後が古風になっている以外は、かなり流暢に日本語を操っている。
「なんだよもぉ、今更恥ずかしがるなよなぁ」
「なんですってぇ!?」
「トイレに入る時は鍵かけない、ソファーで寝てると思ったらオナラする、起こしに行けば涎たらしてるし!、まったくっ、こんなの学校のみんなにバレたら……」
(やばっ!?)
 シンジは急に我に返った。
「なによぉ……」
 ぐしっと、下唇を持ち上げている。
「シンジのバカァ!」
「うわぁ、アスカ、ごめん!」
「知らない、嫌い、大っ嫌い!」
「お願いだから泣きやんでよ!、そうだ映画!、見たかった映画があるって言ってたでしょ!?」
 ぴたっとアスカは泣きやんだ。
「連れてくから……」
「奢ってくれる?」
「あ、でも、今月、小遣いもう……」
 じわっとまた涙が溢れた。
「わかったよぉ、もう」
「やりぃ!」
 ニヤリと笑って指を鳴らす。
「……嘘泣きなんてずるいや」
 わかっていても逆らえないのだろう、その顔には諦めが色濃く浮かんでいた。
「なぁによもぉ、一緒に行って上げようってんだから、ちったぁ嬉しそうにしなさいよ!」
 バンッと丸くなっている背を鞄で叩く。
「痛いって」
「このあたしがデートに誘ってあげてんのよ?」
「はいはい」
 ちらりとシンジは、腕に組み付いて来るアスカを見た。
(まあ、確かにね……)
 顔は良い方だろう、可愛いし、組まれた腕に感じる肌のさらさらとした感触は、男の子なら誰でも不埒な考えを抱いてしまう代物だ。
(でもなぁ)
 シンジは考えにならない思考を纏めた。
「アスカが僕ん家に来て、何年だっけ?」
「は?、なによ突然」
「あ、うん……」
(視線が痛いや)
 それはもうちくちくと。
 学校が近付いて来ると皆の目が痛いのだ、それはそうだろう、幾ら付き合っていても腕を組んで登校して来る生徒など稀だ。
 その上アスカの髪は赤くて目立つ、純粋な日本人とは腰の位置も違うから、同じ制服でも妙に『鋭角的』な印象を周囲に与える。
 田舎臭い丸みが消えるとでも言うのだろうか?、とにかく、恰好良くて目を引くのだ。
「あ、アスカ!」
「ヒカリぃ!」
 彼女は級友の顔を見つけると、はしゃいだように鞄を持っている方の手を振った。
「おはよ」
「おはよ……、今日も仲が良いね?」
「はぁ?、なに言ってんのよ、こんなの虫除けよ!、虫除け!、あたしがシンジなんかと付き合う分けないじゃん」
 赤くなりながらも否定する、しかし絡めている腕は解かない。
 その様子に苦笑する少女だ。
「碇君も可哀想ね?」
「もう慣れてるよ」
 シンジはどこか悟った口調で答えた。
「僕だってさ、アスカ以外の人と腕組んでみたいよ」
 むぅ!っと膨れる。
「それどういう意味よ!」
「そのまんまだよ!、アスカと腕組んだってしょうがないじゃないか」
「おおっ!、聞きましたか相田はん!」
「おお!、聞きましたとも鈴原はん!」
「トウジ、ケンスケ」
「「おはようっす」」
 眼鏡にそばかすの少年と、短髪に目つきの悪い男の子が、にやにやしならがいつの間にやら傍に居た。
「今日もまた贅沢な事で」
「はぁ?、なに言ってんだよ」
「お前なぁ?、アスカの人気知らないのか?」
「そうよ!、なぁにが不満ってわけ?」
 シンジはジト目になった。
「虫除けに利用されてるとこ、あのねぇ、アスカのせいで呼び出されて苛められるの、僕なんだよ?」
「はん!、そんなの、無視しちゃいなさいよ」
「まあ、外面だけやったら惣流の性格は見えんからなぁ」
「そうそう」
「そうだね」
「なによ三馬鹿トリオが!」
「アスカ落ち着いて!」
「ヒカリぃ、みんなが苛めるぅ」
 わざとらしく泣いてヒカリに縋る。
「ま、冗談は置いといてもなぁ、シンジぃ」
「なんだよ?」
「お前もちったぁ、自分の状況考えんかい」
「状況?」
「おお!、惣流の胸!」
「惣流の足!」
「惣流の、ふ・く・は・ぎぃ!」
「美味し過ぎるで、センセ!」
「気持ち悪いこと言ってんじゃないわよ!」
「アスカ、鳥肌立ってる……」
「二人とも恐いよ……」
 引きつるヒカリとシンジだ。
「お前なぁ、一緒に暮らしとって、なんも感じんのか?」
「そりゃ小さい時は気を遣ったけどさ……、何年一緒に居るんだよ?」
「ま、そうだな、いつまでも気にしてられないか」
「むぅ」
「アスカ、不満そうね?」
「だっ、誰が!」
 シンジは苦笑して続けた。
「もう女の子だなんて意識抜けちゃったよ」
「だからって!、人が寝てる時に部屋に入り込まないでよね!」
「なんやとぉ!」
「シンジぃ!、それって、夜這い……」
「ふ、フケツ」
「ち、違う、誤解、誤解だよ!、アスカ!」
 アスカはちろっと舌を出してそっぽを向いた。
「シンジ!」
「で、どうだったんだ!」
「だから、朝起こしに部屋に入っただけだよ!」
「嘘吐け!」
「俺達は親友じゃないか!」
「ああもう!、アスカも!、奢るの止めるよ!?」
「ああんシンジぃ、許してぇ!」
「わざとらしく引っ付かないでよ!」
 押し離す。
「ほんとにもう、なんでみんな、そう大騒ぎするんだよ……」
 言外に目で、アスカなんかでと語っている。
「お前なぁ」
「そりゃ決まってるだろ」
「シンジがおかしいんや!、惣流と暮らしとって感覚麻痺しとるんとちゃうか?」
「そうそう、シンジみたいなのが、女の子は顔より心だとか言うんだぜ?」
 ちらりと揃ってアスカを見やる。
「「はぁ」」
「なに溜め息吐いてんのよ!」
「アホか!、そんなん決まっとるやろが!」
「そうだぞ、俺だって、そりゃ惣流よりは綾波……、おっと」
 しまったと言う顔でケンスケは口を塞いだ……、が遅かった。
「むぅ……、綾波?、あいつがどうしたってのよ?」
「あ、何でも無いんだ、なぁ?、シンジぃ」
「え?、ぼ、僕に振らないでよ!」
「アホか!、お前以外の誰に振れっちゅうねん」
「そうだぞ、自分のことだろ?、自分で処理しろよ」
「そんなこと言ったって!」
「シンジ!」
「なに!?」
 アスカは陰湿な笑いを浮かべた。
「ふぅん、へぇ?、そう、そうなんだ……、あんたああ言うのがタイプなんだ」
「……悪い?」
「べっつにぃ?」
 アスカは頭の後ろに両手を組んで先に歩いた。
「アスカ」
 そんなアスカを追いかけるヒカリだ。
「良いの?」
「何がよ?」
 ひそひそと、彼らから距離を空けながら会話する。
「碇君よ!、ほんとに、ちゃんとしないと」
「ちゃんと?、ちゃんとって何よ」
「もう!、碇君、結構人気あるの知ってるでしょ?」
「う……、で、でも!、あいつ頭悪いし、とろいし」
「そんなの関係無いじゃない、優しいし、気を遣ってくれるし」
「スケベの一点で終わっちゃうわよ」
「碇君が?、ちょっと想像できないんだけど」
「認識が甘いわよ!、この間だってまたベッドの下にエッチな本隠してたんだからっ」
 吐き捨てるアスカに、何故そんな所を漁ったりしたのか疑問に思って引きつってしまう。
「あいつだって立派にスケベでどうしようもない馬鹿なのよ!」
 怒りまくってシンジを見やる、と。
「「「おお〜〜〜」」」
 三人は揃って、別の道から歩いて来る少女に鼻の下を伸ばしていた。
 青い髪と、赤い瞳、いわゆるアルビノなのだろう、肌が白い。
 立ち止まっている五人の横を、彼女は意識すら向けずに通り過ぎていく、冷たく無視したのではなく、恐らく最初から眼中に入れていない、気にも止めていないと言った感じであった。
「……暗い奴ぅ」
 不機嫌なアスカの言葉に馬鹿三人の声が重なる。
「ああ〜、やっぱええなぁ、綾波ぃ」
「そうだよなぁ、あの細い腕……」
「ちょい無口なんが玉に傷やけどなぁ?」
「そこがまた良いんじゃないかぁ」
「そうだよねぇ……」
 三人の、特に最後のシンジの言葉にむっとする。
「はん!、あんた馬鹿ぁ?、あいつがあんたなんか相手にするわけ無いじゃん」
「うるさいわ!」
「そうだぞ!、夢を見るのは勝手だろうが!」
「……酷いよ、三人とも」
 仕方ないなぁと苦笑する。
「やめなさいよ、アスカ」
「なによ!、ヒカリまであいつの味方しようってわけ!?」
「味方って……、もう、どうしてそんな話しになってるの」
「う……」
「どうして綾波さんが敵なの?、ん?」
「う、うるさい、うるさい、うるさーい!」
 子供の護魔化し方だった。
「馬鹿シンジみたいにデリカシーの欠けらも無い奴に好かれたって迷惑なだけよ!、あいつだって」
 ちえっと聞こえた。
「そんな事わかってるよぉ」
「いいや分かってへん!」
 これはトウジだった。
「お前にはシンジの良さが分からんのや!」
「そうだぞ!」
 今度はケンスケだった。
「シンジの良さは俺達が一番良ぉく分かってる!」
「好かれたら迷惑やと!?、そんなん、聞いてみな分からへんやないか!」
「そうだそうだ!、勝手にモテないなんて決め付けるんじゃない!」
「ケンスケ、トウジ……」
 シンジは感動から声を出した……、訳では無かった。
「なに白々しく爽やかに笑ってるのさ?」
「シンジ!、もうこうなったら男を見せぇ!」
「へ?」
「そうだぞ!、一発見返してやろうぜ!」
「はぁ?、なんだよそれ」
「告白や!」
「告白だ!」
 シンジはその言葉の意味の浸透速度に合わせて青ざめて行った。
「ちょっと待ってよ!、なんでそんな話しになるんだよ!」
「うるさいわ!」
「お前に主張を述べる権利は無い!」
「どやっ、惣流、この賭け受けるんか!」
 アスカは俯き加減に、酷く陰惨にくつくつと笑った。
「……面白い、受けてやろうじゃないの」
「ちょっとぉ!」
「おっしゃ!、後のことはわしらに任せぇ!」
「お膳立ては整えてやる!」
「「お前は心の準備を決めとけよ!」」
「ちょっとぉ!」
 シンジは本気で泣き叫んだのだが、もちろん無意味に等しかった。







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