シンジは階段を登りながら、『きっと死刑囚ってこんな気持ちなんだ』と思っていた。
 屋上へ続く階段、その頂上ではきっと底が抜けるのだ、奈落の下へと落とされるのだ。
 そしてそのボタンを押すのは……
「やっぱやめて……」
「なに言うとんねん!」
 逃げようとしたが、両脇はしっかりと固められている。
「やっぱりやめようよ、ね?」
「バカ言うなよな?、もう手紙は出しちゃったんだから」
 俗に言うラブレターと言う奴だ。
「そや!、もし来とったらどないすんねん?」
「約束を破る奴は最低だぞ!?」
「出したのは二人だろう!?」
 言って気が付いた。
「あー!、ふ、二人とも楽しんでるなぁ!?」
「そんなことあらへん!」
「ちゃんと見守っててやるって!」
「嘘だ!、どん底に落ちる所を拝みたいだけなんだぁ!」
 抵抗しても無駄だった、ずるずると階段を引きあげられる。
「そやかて、もうここまで来てしもうたんや!」
「返事はお前にしか聞けないんだ、ま、後悔のないようにな!」
「観念して玉砕してこい!」
「うわっ!」
 シンジはドンッと、突き飛ばされて、昇降口から押し出された。
 ひゅうと冷たい風が吹いていた。
 珍しい事に人気が無い、それは良いのだが、一方では二人きりの状況が否が応にも緊張を必要以上に感じさせる。
 彼女は……、居た、中ほどの手すりに手を置いて、何処か遠くの景色を見ていた。
 眩しいばかりの陽射しの中に、淡く、静かに溶け込んでいた。
「あ……」
 シンジはぎこちなく立ち上がると、汗ばんだ手を握り込んだ。
(どうしよう、どうしよう、どうしよう!)
 こちらを見た、と感じて、勢いのままに口にする。
「あの!」
「なに?」
「あの……、手紙」
 すっと横向く、その動きのそっけなさは、どこか不機嫌さに通じるものがあった。
 ……ように感じられた。
「そう、あなたなのね」
「う、うん……、ごめん」
 シンジはぎゅっぎゅっと、さらに強く握り込んだ。
(やっぱり……、駄目なのかな?、そうだよね、綾波が、僕なんかを……)
 またこんな時に限って、余計な事を思い出すのだ。
(僕なんか、か……、そうだよな、アスカの言う通りだ、僕なんかが)
 顔を上げると、彼女は頬にかかる髪を払いのけていた。
「奇麗だ……」
「え?」
「あ、あの!、違うんだ、その!」
(逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ!)
 シンジはもういいと、半ば自棄気味な調子で叫んだ。
「あの、ごめん!」
(なにあやまっとんのや!)
(行け行け!)
 草葉の陰からの応援である。
「変な手紙、押し付けちゃって!、でも!!」
「なに?」
 冷たくまっすぐな視線にたじろいでしまう、が、それでもだ。
「僕は!、綾波のことが……」
 シンジは……
「好きなんだ」
 言い切った。
 ひゅうと身を切る風が吹く。
 数秒の、空白の間。
(言うんじゃなかった!)
 それはシンジに激しい後悔を抱かせるには、実に十分過ぎる間であった。
 彼女の目を、何を言っているのかと蔑んでいるように見えさせるには十分だった。
「ごめん……」
 顔を伏せる。
「別に、意識して欲しいとか、付き合って欲しいって、思ったわけじゃないんだ、手を繋いで欲しいとか、腕を組んでみたいとか、キスしてみたいとか」
「したいの?」
「ああっ、あの!、そうじゃなくて!、好きな人と一緒に帰ったり公園に寄ったり家まで送ったりしてみたいって、ああっ、何を言ってんだろ!?」
(ほんまや!)
(なにをうろたえてんだよ!)
 もちろん、焦ってたたみかけてしまっただけだ。
「あの!、その……、ごめん」
 彼女は不思議そうに小首を傾げた。
「また……」
「え?」
「また、謝ってる、何故?」
「だって……、だって、勝手だなと思って」
「何が?」
「だって!、ほとんど話した事も無い奴に、こんなこと言われたって、迷惑なだけじゃないか!、……友達がね、そう言ってたんだ、女の子なんだけど、いつも手紙とか貰ってて、でも、迷惑だって」
「話した事がないのに……、何故、わたしなの?」
「それは!」
 シンジは口をパクパクと動かした。
 言えるはずが無い、周りが勝手に話しを押し付けただけだなどとは。
 シンジはやましさから顔を逸らした。
 でも。
「好きだから……」
 ようやく吐露する。
「好きなんだ、良く分からないけど、好きだった、その気持ちは本当だから」
「そう……」
 彼女は視線と表情を固定したままで、口を開いた。
「……ごめんなさい」
(あちゃー!)
 隠れていた二人は同時に嘆いた。
(なんでもっと気の効いたこと言わなかったんだよ!)
 一方、シンジはその返事に、完璧なまでに真っ白になっていた。
「ごめんなさい、わたし、好きとか嫌いとか、良く分からないから」
「あ、あはは、そうなんだ……、そう」
 乾いた笑いでごまかしてしまう。
 瞬間、様々な想像が脳裏を過った。
(きっと、これからずっと避けられちゃうんだ、気まずいからって、目も合わせてもらえないんだ)
「だから、教えてくれるなら、付き合っても、良い」
(やめときゃ良かったな……、こんな嫌な思いするぐらいなら……、って、え?)
「……」
「…………」
 シンジは我が耳を疑った。
「いま、なんて言ったの?」
「好きと言うことを教えてくれるなら、付き合っても、良い」
 先程と全く同じ調子でワンモアリピート。
「ほ、ほんとに?」
 こくんと頷き。
「ほんとに、ほんとなんだ……」
 シンジは感激の余りから、小刻みに震えた拳を脇に引いて空を仰ぎ見た。
「やった……」
 ぎゅっと手を握り締めて……
「やったぁ!」
 ガッツポーズ。
「なんでやぁ!」
「そんな納得のいかない話があるかぁ!」
 二人は飛び出すと同時に喜びに我を忘れているシンジに踊りかかった。
 −キーンコーンカーンコーン−
 予鈴が鳴った。
「……じゃ、先に行くから」
 踵を返す。
「あ、待って、待ってよ、ねぇ!、綾波ぃ!」
 笑いながら蹴たぐられるシンジだ。
 トウジとケンスケの制裁は、いつまで経ってもやみそうに無かった。


「なんでやぁ!」
「なんでシンジがぁ!」
「いやぁ、参ったなぁ」
 へらへらとした調子が余計な怒りを誘っている。
 その一方で、アスカは呆れ返っていた。
「なんであんた達が怒るのよ?」
「アホかぁ!」
「こんな理不尽が許されていいと思ってるのか!?、シンジだぞ!」
「ま、まあ、確かに……」
 勢いから引きつり引いてしまう。
「つまり賭けに勝ってシンジに負けたのが悔しいわけね」
「おう!、こんなんやったら、わしが言うとけば……、いたたたた、何すんねん!」
「馬鹿なこと言ってないの!」
 トウジの耳を引っ張ったのはヒカリであった。
 その目は心配げにアスカを見ている。
「いいの?、アスカ」
「ま、しょうがないんじゃないのぉ?、気には食わないけど!」
 余計な言葉に真意を見て取る。
「アスカ……」
「ま、シンジに先を越されたってのは悔しいけどねぇ、それより、これからどうしよっかなぁ」
「何が?」
「だって虫除けに振られちゃうようじゃねぇ、明日からまた大変かも」
 痛ましいと、その目で見る。
「碇君、ちょっと良い?」
「え?、なに?、洞木さん」
 幸せ一杯、そんな笑みにヒカリは一瞬歯噛みした。
「碇君……」
「あ、洞木さんごめん、綾波が妬きもち焼いてるから、じゃ!」
 手を上げて彼女の元へ。
「ってちょっと待てぇ!、妬きもちやと!?
「あの綾波がか!?」
 クラス中がざわめいた。
 まさかと言う想いで彼女を見やる。
「何を、話していたの?」
「まだなんにも、心配?」
「……」
「大丈夫だよぉ、僕が好きなのは、綾波だから」
 彼女はすっと顔を上げると、また一つ驚きを振りまいた。
「レイ……」
「え?」
「名前で呼んで……」
「あ、付き合ってるんなら当然かな?、でもまだそんなに仲良くなったわけじゃ……」
「嫌なのね」
「違うよ!、照れ臭いだけでさ……、あ、じゃあレイも「碇君」じゃなくて、シンジって呼んでよ、良いでしょ?」
 無邪気にさらっとレイと呼んだ。
「わかったわ」
 そっけのない返事。
 だがそれでも、シンジはとても幸せそうにうかれていた。
 そんなシンジを、トウジは神妙な面持ちになって見つめ直した。
「なあ?」
「なんだよ?」
「ほんまにこれで良かったんやろか?」
 トウジの心配は大当たりしていた……、が、それはもっと違った形になっていた。







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