「じゃあ、僕、レイを送って行くから」
 何かが切れたとすればその瞬間であっただろう。
「一々言いに来なくても良いわよ!、馬鹿!」
 余りにもにこやかに告げるシンジに腹が立つ。
 いや違う。
 シンジの傍に居るレイに腹が立つ。
(どうして?)
 答えは簡単。
 消失感を感じたからだ、隣にあったものが不意に消えた。
 ばらばらに帰らなかったことが無かったわけでも無い、それでもだ、今回は大きく違う、違っている事が一つある。
 自分の居場所は、確実に一つ減ったのだ。
「アスカ……」
 ヒカリの言葉も耳に入らない。
 アスカは顔を見られないように勢いよく髪を舞わせて、早々、足早に教室から出た。
 ポケットに突っ込んだままの手紙の、何通かの内の適当な一つを、強く、ぐしゃぐしゃに握り込んで。


「あれ?、アスカ、早いね」
 翌、土曜日、朝九時だ。
 いつもなら寝ているはずの彼女が、もう身仕度を整え着替えていた。
「どっか行くの?」
「デートよデート、決まってんじゃない」
「ふぅん……、そうなんだ」
 そのそっけなさにかちんと来る。
「うっさいわねぇ、あんたこそあいつでも誘ってどっかに行ってくれば?」
 シンジはぽんと手を打った。
「あ、そっか、そうだよね、することもないし……」
「せっかく出来た彼女なんだから、大事にしたげなさいよ」
「うん、誘ってみるよ」
 アスカは喜ぶシンジの姿に笑顔のままで歯を噛み締めた。
(分かってる、分かってるのよ……)
 そんなシンジの姿に、アスカはとある男の姿を重ねていた。


「おっそーい、なにやってんのよ!」
「す、すみません……」
「何であんたが謝るのよ?」
 ジト目で見る。
「それともこの行列、あんたのせいだってぇの?」
 チクチクチクチクと……
 アスカは遊園地に来ていた、そんなに有名なスポットでも無いのだが、それでも休日はそれなりに混む。
「あ〜あ、何処に行っても順番待って暇潰してるだけ、もう最低ね」
(良く言うよ)
 それはつい突っ込みたくもなってしまうだろう。
 もう既に幾つもの乗り物に乗った後なのだから。
 もちろん、彼の奢りでだ。
 一方で、アスカはどうしても消し切れない感想を抱いてしまっていた。
『これがシンジであったなら』
(ジュースを買って来てくれたり、走り回ってくれるのに……)
 キッと苛立ちを少年に向ける。
「喉渇かない?」
「え、あ、うん」
「じゃあ買って来てよ」
「わ、分かったよ」
 脅えた調子がまた腹に立つ。
(まったく!)
 シンジはどこか呆れた調子で、それでも仕方ないなぁと受け入れてくれていた、笑ってくれていた。
(嫌なら帰ればいいじゃない!)
 結局のところはそうなのだ、今、ここに居る彼は面倒臭い、もう嫌だと壁を作って跳ねのけようとしている。
 シンジのように、受け入れる、受け流す、どちらにしても受け止めてくれない。
(帰っちゃおっかなぁ)
 アスカはぼんやりと、やはり来るんじゃなかったと後悔していた。


「ごめーん、レイぃ!」
 シンジは近くの駅で合流した。
「遅くなっちゃったかな?」
「別に……」
 ぶっきらぼうな所は相変わらずだ、だが着ている服はちゃんと余所行きになっていた。
 カジュアルな感じのシンジの方が気後れしてしまいそうな、隙のないワンピースで身を固めている。
「……なに?」
「あ、うん……」
 見とれてしまっていた。
「可愛いな……、と思って」
「あ、ありがと」
 レイはちょっとだけ驚いて、頬を僅かにピンク色に染めた。
「ご、ごめん!、行こう?、まだ何処に行くのか、決めてないけど……」
 シンジは気恥ずかしさからレイを急かした。
「なら……」
 レイは顔を赤くしたままで、シンジに行きたい所を告げた。
 それは街外れの公園だった。


「ありがとう、シンジ君……」
 レイにソフトクリームを渡し、シンジは隣に腰掛けた。
 区画整理で無理矢理作ったような空き地に、それなりに緑豊かな世界が作り上げられている。
 二人の座るベンチの正面には、わりと大きな池が陽の光を反射していた。
「ボートもあるんだね?、後で乗ろうか?」
 こくりと頷くレイに、少しばかりの疑問を抱く。
(……楽しんでくれてるのかなぁ?)
 何しろ顔色を窺うと言った事がまるで通用しない相手なのだ。
 つまらないって思ってるかもしれない。
 ここに来るまで、何を話したかも覚えていない、シンジはそんな状況に、かなりの居心地の悪さを感じていた。
(だって、レイって、自分からは何も話してくれないから……)
 間が持たない、だからシンジから一方的にしゃべり続けていた。
 レイはシンジの視線を感じたのか、下げてきたバッグから財布を取り出した。
「あ、買ってこようか?」
「ううん、アイスのお金……」
「え?」
 どうやらレイは、シンジの視線を催促と勘違いしてしまったらしい。
 シンジは静かに笑みを浮かべた。
「いいよ、それぐらい、奢らせてよ」
「でも……」
「僕が無理に誘ったんだもの……、これぐらい当然だよ」
「……ありがとう」
 レイは再びソフトクリームに視線を落とした。
 そして大事そうに、一口はみ、舐める。
(……あんまり見てると失礼だよな)
 シンジは視線を池へと戻した。


「あー、もうつまんなぁい!」
 こうなればただのだだっ子である。
 観覧車の中、アスカは足をばたつかせていた。
 その向かいの席には、男の子が疲れ切った表情をして腰掛けていた。
「えっと……、そう言えばあんたなんて言ったっけ?」
 酷い一言である。
 だが、「何でこんな子を誘ったんだろう?」と、彼は既に後悔の極みに立っていた。
「青木って言うんだけど……」
「そ」
 聞いてすぐに興味を失くしている。
(これ降りたら、帰ろ)
 アスカは完全に飽きていた。
(分かってる、こんな奴じゃシンジの代わりになんてならないって)
 物憂げに景色を眺める、陽がアスカの髪を金色に変える。
(だからって、シンジが好きってわけじゃないし)
 一方で、向かいに座っている彼は焦りに似たものを浮かべていた。
(チャ、チャンスだよな)
 その頭には友人達の言葉が木霊していた。
『どうせ振られるんだからさ』
『利用されてるだけなんじゃないの?』
(馬鹿にしやがって!)
 思い詰めた感じが言葉の歯切れを悪くさせた。
「惣流さんって、さ……」
「あん?」
「誰かと付き合ったこと、あるの?」
 アスカの機嫌が、傍目にも分かるほど変化した。
「それが、あんたに関係あるの?」
「い、いや、だってさ?、碇の奴、惣流のこと何とも思ってないみたいだったから……」
 アスカはギュッと、唇を噛んで押し黙った。


「レイって、一人暮らしなんだ……」
 こくりと頷くレイだ。
「寂しくない?」
 シンジはゆっくりとオールを動かした。
「……わからない」
 言葉の調子は変わらない。
「ずっと、そうだったから……」
 チャポンと、池の中に手を浸す。
「お父さんとか、お母さんは?」
「……いないわ」
 二人はボートに乗っていた。
「あの……、ごめん」
「なにが?」
「余計なこと、聞いちゃったみたいで」
 ちょっとした間が空く。
「どうして、そんなことを言うの?」
「え?」
「わたしも、シンジ君のことが、聞きたい……」
「僕のこと?」
 シンジはちょっと迷った。
「例えば?」
「あの人の、こととか……」
「アスカの?」
 シンジは単純にそう思い込んだ。
 他に該当者なんていなかったから。


「あんな奴関係無いわよ!」
 吐き捨てるように怒鳴り散らす。
「そうなんだ、そうだよね?、惣流さんぐらい可愛かったら、きっと色んな人から声を掛けられてるんだろうしさ」
「当ったり前じゃない!」
 誇らしげにアスカは言う。
「シンジなんて手のかかる弟みたいなものなんだから」
「そっか」
「そうよ」
 くすくすと良い雰囲気で笑い合う。
「そんな子がさ、俺みたいなの奴の誘い受けてくれるなんて、嬉しかったよ」
「なによ……、しんみりしちゃって」
 ちょっと勢いを失くしてしまう。
「本当に嬉しかったんだ」
 その台詞がシンジとダブる。
(弱いのよねぇ、こう言うのって……)
「ま、まあ?、思ったほど適当な奴じゃなかったし?、あんたも悪くは無いと思うわよ?」
「そう?」
「まあね」
 アスカは照れたようにそっぽを向いた。
「ありがとう……」
「え?」
 ふいに影が差した。
 気付いたのはぎりぎりだった、青木の顔がすぐそこにある。
 −ドン!−
 ぐらりと派手に、大きく揺れた……







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