「アスカは……、朝から、デートに出かけたよ」
「デート?」
「うん」
 レイは不思議そうにした。
「どうして?」
「え?」
「あの人……、シンジ君のことが」
 シンジは苦笑をして見せた。
「違うよ……、そんなんじゃないんだ、僕達は」
 レイは淡々と、それでいて逆らい難い声音で言った。
「話して」
「え?、あ、うん……、アスカね、親の仕事のせいで僕ん家に来たって事になってるけど、本当は違うんだ」
 手を休め、空を仰ぐ。
「アスカのお父さんとお母さんね、離婚して……、余り良い状態じゃなかったみたいなんだ、それで父さんが引き取って、それからずっと暮らしてる」
「そう」
「僕も母さんが居なくて、父さんは仕事ばかりだから」
「寂しい?」
「そう……、だね」
 シンジは俯いたレイの呟きに驚いた。
「わたしは……、その代わりなの?」
「違うよ!」
 シンジは思わず叫んでいた。
「そりゃ、アスカのことは好きだけど、そう言うんじゃないんだ」
 レイは無言のままだ。
「一緒に居て、落ち着けるだけで、でも僕が好きになったのはレイだった」
 その視線から逃れる。
「でも告白したって、嫌われるだけだって思ってたから……」
「そんなこと、ない」
 レイの呟きになんとか微笑む。
「うん……、でもそう思ってたんだ、だから見てても、そんな気持ちに気付かれないようにって、ふざけてたんだ……」
 シンジは照れたように首筋を掻いた。
「ごめん、話がそれちゃったね?」
 何故だかレイが不満気な表情をしているように思えた。
(気のせいかな?)
 そう思っておく。
「それにアスカは、モテるんだ……」
「なに?」
「だって奇麗だし、優しいところもあるんだ……」
「だから、なに?」
「うん……、友達なんだ、大切な」
 複雑な想いが見え隠れしていた。
「……あの人が、他の人のものになっても、良いの?」
 シンジは言葉に詰まった。
「……よく、分からないよ」
 それがシンジの本音であった。
「不安なの?」
「不安?」
「あの人が、心配じゃないの?」
 ゆっくりとシンジは言葉を選ぶ。
「だって……、アスカは、僕よりもずっとしっかりしてるもの、嫌なことは嫌って言うし……、そうだよ、ごまかしたり、嘘をついたりしないんだ」
 言いたいことははっきり言うし、状況に流されたりもしない……
「したいこととやりたいことは我慢しない、僕とは……、僕とは、違うから」
 赤い瞳は揺らぎもせずに、じっとシンジを見続けていた。
(怒ったのかな……)
 シンジは黙って、ボートを岸へと寄せることにした。
 これ以上向かい合う息苦しさから、無意識の内に逃避していた。


「信じらんない!、まったく何考えてんのよ、あのバカ!」
 アスカはぷりぷりしながら歩いていた。
「張り手だけじゃ気がすまないわね、今度もう一回ぶん殴ってやる!」
 未遂ですんだからいいようなものの。
(ほんとにされてたらあたし……)
 アスカはちょっと暗くなった。
(あたし、なに?)
 誰かに悪いような気がする、誰に?
 引け目や負い目を感じてしまう。
 誰に?
「何でシンジなんかに!」
 アスカはその考えを振り払った。


「ただいま……、って言っても、誰も帰ってないか」
 こんなことは初めてかもしれない、シンジはちょっと不安になった。
 父親はいつもの通りに仕事だ、いつ帰って来るかも分からない。
 そもそも、いつ出かけているのかも分からないのだ。
「でも、いつもアスカが居た……、一緒だったもんな」
 レイとの会話があったからか、自然とそんな事を口走ってしまっていた。
 それは奇しくも、昨日、アスカが帰り際に感じた喪失感と同じものだった。
「何言ってんだろうな、僕」
 真っ暗な家に上がる、アスカの元気な出迎えの声も無く。
 いつもただいまか、おかえりを口にした。
 一緒にただいまって言っていたのに。
『寂しい?』
 ふいレイの声が聞こえたような気がした。
「レイ……、やっぱり告白なんて、しなきゃよかったのかな……」
 別れ際には、お互いに壁を作ってしまったような感じがあった。
『じゃ、さよなら……』
 そう言ったレイの冷たい視線が胸に痛い。
「元々、縁が無かったのかも」
「ただいまー!」
 聞きなれた声が聞こえて来た。
「何よ誰もいないのぉ?、……いるじゃない」
 ぼうっとしていたシンジだったが、なんとか作り笑顔を浮かべる事には成功したようだ。
「おかえり、早かったんだね?」
「まあね?」
 アスカは軽く受け流して台所へ向かった。
 冷蔵庫からペットボトルを取り出し、ミネラルウォーターを口に含む。
「ご飯、食べて来たの?」
「あんたバカァ?、今何時だと思ってんのよ?」
 まだ六時だ。
「わかったら、ボサボサっとしてないで、さっさと夕飯作りなさいよ」
「うん……」
「あ、その前に」
 アスカはそっぽを向いたままで呼び止めた。
「……チェロ、弾いてくれない?」
 シンジはその言葉に、何故だかちょっとだけほっとしていた。


 日曜を挟む。
「ちくしょう……」
 青木は恨みがましく鏡を見ていた。
 まだ赤い……
 その赤さが、アスカの髪を思い出させる。
 頬が痛い。
「ちくしょう……」
 彼の心には、暗い炎が燃え上がっていた。


 −ルルルルル−
 電話が鳴る。
 レイはその電話のベルが、きっちり三回鳴るのを待ってから受話器を取り上げた。
「はい」
『あ、あの、碇ですけど』
 緊張気味のどもり声。
「シンジ君?」
『うん!、あの、昨日は……、ごめん』
「なぜ謝るの?」
『だって、怒ってたみたいだから』
「……別に、怒ってないわ」
『ほんと?』
「ええ」
『よかった……』
 シンジは本気で安堵しているようだった。
『あの……、よかったらお昼、食べに行かない?』
「……」
『どうしたの?』
「わたし、お肉食べられないから、外のお店は……」
『レイ?』
 数秒の無音に脅えたのか、彼は慌てて切り出した。
『あのさ!、じゃあ、僕が何か作って持って行ってあげるよ』
「え?」
『一緒に食べたいんだ、レイと……』
「シンジ君……」
 初めてだろう、暖かみが言葉に見えた。
『待ってて!、すぐにお弁当作って、そっちに行くから』
「うん、待ってる……」
『じゃあ!』
 電話が切れた。
 それでもしばらく、レイはその受話器を手にしていた。
 その表情は変わらない、だが瞳は少し、揺れていた。


 電話を切ったシンジであるが、その心は咄嗟の考えを今更のように反芻していた。
(急がなきゃ、でも何を作ればいい?)
「出かけるの?」
「あ、アスカ……」
 シンジは妙な緊張を感じて、ごくりと生唾を呑み込んだ。
「……あいつのとこ?」
「うん……、レイと、お昼食べようと思ってさ、あ、アスカの分、ちゃんと用意しておくから」
「はいはい」
 アスカは肩透かしを食らわせるようにそっけなく答えた。
「適当に食べるから、さっさと行きなさいよ」
「うん……、でもお弁当にするつもりだから、アスカの分も作るから」
 シンジはその部分にこだわった。
「アスカ……」
「なによ?」
「大丈夫?」
「何が?」
「だってアスカ……」
 シンジは次の言葉を飲み込んだ。
(アスカがチェロをせがむ時って、いっつも落ち込んだ時じゃないか)
 でもくるりと振り返ったアスカの顔は、とても晴れ晴れした物だった。
「なぁに深刻な顔してんのよ、馬鹿シンジの癖に」
 柔らかく笑って、シンジの鼻をピンと弾く。
「人の心配する前に、自分の心配しなさいよ、トロいんだから、あんたは」
 やはりいつもの勢いが無い。
 シンジはどこか後ろ髪を引かれる思いを、抱かされずにはいられなかった。







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