運は二人に味方した。
 あるいは神様はアスカを見捨てなかった。
 救いを与えた。
 タイミングよく、次の授業が始まった、教室に戻る生徒、向かう教師。
 その流れから上手く外れる事が出来た二人は、誰にも見咎められなかった。
 堂々とアスカを連れ出して、シンジが足を向けたのは学校のすぐ側にある林道だった。
 ちょっとした散歩道を登っていくと、ハイキングをする人のための休憩所なのだろうか?、東屋があった。
 丸太で組まれた椅子とテーブル、それに雨よけ……
 置かれている自動販売機は、下のものより値段が30円も高かった。
 ジュースを買って、テーブルに置き、アスカを隣に座らせ、じっと待つ。
 −っ、すん……−
 アスカのすすり泣く声が肺腑をえぐる。
「ごめん……、ごめん、ごめんなさい、ごめ……」
 必死に涙を拭い続けるのだが止まらない。
 アスカは……、手に痛みを感じてびくりと震えた。
 シンジだった、ずっと手を握ってくれていたのだ、その手に怒りから力が込められていた。
 脅えた瞳でシンジを窺うと、シンジはただ、ただ微笑みを浮かべて、見守ってくれていた。
 くっ!
 胸がより一層痛くなる。
 アスカはシンジの胸に縋り付いた。
「………………!」
 そして、堪えていたものを全て吐き出すかの様に、声の限りに泣き出した。
 言葉にならないほど、大きな声と、嗚咽を上げて、泣き続けた。


「ごめん、なさい……」
 落ち着く寸前で、アスカはもう一度だけ謝った。
「どうして謝るのさ?」
「だって……」
(あたし、かまってもらいたかったの)
 アスカが思い出したのは、シンジが出かけた後の部屋だった。
 フッと目の端に過る幻。
 居るわけがないのに、居るような気がしてしまう。
 ついジュースと命じてしまう、居ないのに。
 気配を感じてしまうのだ。
「シンジまで……」
 いつもの強気を失い、アスカはただの女の子になっていた。
(あたし、最低……)
 どうしてあんな男の誘いに乗ったのか?
 それは気が付いていたからだ。
 孤独に突き落とされると言う事を。
(シンジの代わりなんて居ないのに)
 人の気持ちを利用して。
「気にしてないよ」
 それを認めてしまったからこそ、シンジの言葉は痛かった。
「でも!、……でも、あいつにだって、そう思われたかもしれないのに」
 アスカはレイのことを持ち出した。
 恐る恐るシンジを見る。
 シンジは寂しげに微笑んでいた。
「いいんだよ、アスカが泣く所なんて、見たくないから……」
 アスカはようやく気がついた。
 肩の辺りが温かいのだ、後、背中と……
 いつからか、腕を回して、抱き締められていた。
「……ねえ?」
「なに?」
 ちょっと迷う。
「シンジも……」
「うん?」
「シンジも……、あたしがしたって……、思ってるの?」
 どれだけの勇気がいっただろう?
 アスカは恐さに、震えていた。
 もちろん、その震えが伝わらないはずがない。
 だからシンジは、真面目に答えた。
「思ってないよ」
「うそ!」
「ほんとだよ」
「どうして……」
(どうして、信じてくれるの?)
 不安げな表情を見せてしまう。
 シンジは終始、穏やかな笑みを崩さなかった。
「だって、アスカは嘘を吐かないから……」
 胸がずきんと傷んだ。
「したいことはするし、言いたいことははっきりと言うよね?」
(そんなの嘘よ……)
 その痛みに悔いるアスカだ。
「どんなことになっても、もし……、もししたなら、アスカはそれを笑って話してくれたはずだよ、「キスしちゃった」って」
 シンジは真っ直ぐアスカの瞳を覗き込んだ。
「アスカは、素直過ぎるから……」
「そんなこと、ない……」
 その瞳から逃げてしまう。
「だから……、誤解されるけど、僕は一番、アスカのことを知ってるから」
 その一言が、キュンと来た。
 顔を上げる、おずおずと。
 シンジは同じように微笑んでいた。
「僕はアスカを、信じてる……」
 そう動くシンジの唇に、アスカは唇を押し付けた。
 押し付けずには、居られなかった。
 そう言う衝動が、駆け抜けていた。
 一方で、シンジは身じろぎも出来ずにいた。
 目を丸くして、驚きに凝固してしまっていた、抱いていた体が、今は被さるようにのしかかって来ている。
 慌てて跳ねのけようとして……、出来なかった。
(アスカ……)
 押さえつけるように、椅子に突いている手に手を重ね、彼女は震えるほど力を込めていた。  ……どれほどの時間が過ぎたのだろうか?、泣きじゃくっていた事からの鼻息の荒さが治まるほどに、長く触れていたのは間違い無い。
「……アスカ」
 シンジはにこりと微笑む彼女に見惚れてしまった、涙に濡れてくしゃくしゃになった顔と言うのは奇麗な物ではない、それでも照れているアスカの、恥じらい交じりの言葉には脳を犯される思いがした。
「ごめん、でも、これがあたしのファーストキスだから……、あんな奴に、奪われたくないから……」
(誰にも!)
 アスカはぎゅっと手を握り込んだ。
「だからって、僕なんかと……」
「シンジだから!」
 激しく言い募る。
「シンジなら、良いから……」
「アスカ……」
「だけどね!」
 アスカは顔をごしごしと擦ると、いつもの調子で言い放った。
「あたし、別にあんたのことが好きってわけじゃないから!、そう言うんじゃないんだから!」
「はぁ?」
「慰めてもらっちゃったしね?、お礼よ、お礼」
「そんな……」
「なに?、気持ちも込めてもらいたかったって?」
「ち、違うよ、そうじゃなくて……」
「じゃあなによ?」
 急に不機嫌になるアスカ。
 目はまだ腫れぼったいが、雰囲気的には立ち直って見える。
「大丈夫!、あいつには話さないでいてやるわよ」
「でも……」
「まあヒカリに聞かれたら?、初めての相手はシンジだって答えちゃうけどね?」
「そんなぁ……」
 シンジはもう一度、とほほほと情けなくうなだれた。
 そんなシンジの頭に、アスカも頭を押し付けた。
「……アスカ?」
「ありがと、バカシンジ……」
 どこかで繋がっている物を感じる、離れて行くものへの寂しさ、孤独感、寂寥感は消えていた。
(別に、良い……、誰も信じてくれなくても、シンジがあいつと付き合っても)  そう言うんじゃない、それが確かめられたから。
(シンジが、信じてくれるなら……)
 アスカはそっぽを向くと、そっと唇を指でなぞった。
 心がとても、近かった。



続く







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