お昼になってレイは街をうろついていた。
 朝の用事の後、食事に誘われ終わった所だ。
 先に店を出て待っていたのだが、その瞳が誰かを見付けて細まった。
 視線の先、人ごみの中に、見知った少年が笑っている。
 一人ではない。
 もう一人、良く見知った少女が一緒であった。
 いつも嫌な雰囲気を持ち込む、シンジの……
「待たせたな、レイ」
 その思考は遮られた。
「どうした?、レイ」
「いえ……」
 見上げるレイ、そこには赤い眼鏡に顎髭の目立つ壮年の男性の顔があった。
「なんでもありません」
「そうか、ならいい」
「はい……」
 だがそう言うレイの表情は優れない。
「ではいくぞ、まだ手続きが残っている」
「はい」
 確認することなく歩き出す、レイはその後ろに着いて歩き出した。
 一度だけ、シンジのいた方向に目を向けて……


「世界は……、滅んじゃったのかな?」
 暗い、崩れた鉄筋とパイプの狭間で、二人は寒さに震えていた。
「それでもわたし達は生きているもの……」
 しがみつく少女。
「そうだね、でも、僕は……」
 塞がれる唇。
 愛する人の微笑みが、ゆっくりと遠ざかり離れていく。
「もう……、家も何もかも無くしてしまったわ……、これであなたと同じ」
「同じ?」
「同じ、ただの……」
 その先は言わせない。
 男は女を強く抱きしめた。
(……アスカ、のめり込んでるよ)
 込み上げるおかしさを堪え込む。
 席は中央から右よりだった、シンジはアスカの右隣に座っていた。
 スクリーンを見ているつもりでも、彼女の顔が自然と視界に入り込む。
(レイは……、映画なんて見ないもんな)
 いつも公園で座っているだけ。
(どうして公園なんだろう?)
 きっとまた答えてくれない……、それが想像できるだけに心が苦しい。
 スクリーンでは二人の愛が最高潮に達していた。
 だがシンジの心は、反してとめどなく冷めていく。
「愛しているわ?」
「愛しているよ?」
(愛って、なんだろ?)
 それは素朴な疑問符だった。
(好きだって思ってた、けど)
 だったら、何を迷って、悩んでいるのか?
 この揺らぎの正体は何なのか?
 シンジには答えなど分からなかった。


「はあーーー、面白かった」
 アスカは大きく背伸びをした。
 手に持っているバッグが軽く揺れる。
「ずいぶん真剣に見てたね?」
 きゃんっと、頬に手を当てる。
「世界中で二人だけかぁ、あたしもあんな良い男欲しいわ」
「アスカならすぐ見つかるんじゃないの?」
「あ、やっぱりそう思う?」
 アスカは上機嫌で、うんうんと何度も頷いた。
「ねえ、あんたは?」
「え?」
「もう!、あんたはどこが一番面白かったと思う?」
「あ、えっと……」
 シンジは思い出そうとしたが……、映画の内容は全然覚えてなかった。
「ごめん……、印象薄いや」
「はぁ?、あんたバカァ?、一体どこ見てたのよ?」
 シンジは言い辛そうに、ちゃんと答えた。
「アスカの顔」
「は?」
「いや、泣きそうになったり、ほっとしたり赤くなったりしてさ、面白かったから……」
「あ、あ、あ……、あんたバカァ!?」
 バンバンバンっと、バッグで叩く。
「痛い、痛いってば!」
「女の子の顔覗き見てるなんてさいてぇ!、もう信じらんない!」
「あ、ちょっと待ってよぉ」
(待てるわけないでしょうが!)
 胸がドキドキと鳴っている。
 それが治まるまでは立ち止まれない。
(怒らせちゃったよ……、でも)
 シンジは比べていた。
(同じ女の子でも、こんなに違うんだな……)
 その時初めて気がついたように、シンジはアスカも女の子なのだと意識した。


「まったく、やめてよねもう!」
「ごめん……」
 結局シンジはハンバーガーで買収を試み、ようやく機嫌を直してもらった。
「でも……」
「でもなによ?、今度は何を言い出すつもり?」
 アスカの目つきはきつくなる一方だ。
「僕、女の子の友達っていないし……、つい比べちゃって」
 アスカはふうっとため息をついた。
「あの女と?」
「うん……、そうなんだよね、こんな風に話せる女の子って、他に居ないし」
「女の子、女の子ってねぇ……、あんた今まであたしを何だと思ってたのよ?」
 剣呑な表情に、シンジは小さくなってしまった。
「……ごめん」
「返事になってないわよ?」
 ずずっとバニラのシェイクをすする。
「だって……、アスカはアスカだったし、気にした事も無かったし」
「家族?」
「うん……、うん、そう家族、かな?」
 アスカは緊張に手を握り込んだ。
「……これからは?」
「え?」
 シンジは何を聞かれたのか分からなかった。
 見ればアスカはうつむいて緊張している。
「その……、それが分かってもよ?、まだあたしを起こしに部屋に入れる?」
「あ……」
 シンジは激しく動揺した。
 掛け布団を蹴飛ばすアスカの足。
 シャツから覗く、アスカの胸元。
 意識してしまえば、目が離せないものの数々。
「なぁに赤くなってんのよ?」
「ち、違うよ!、その……」
「スケベ」
「……」
「厭らしいわね!、まったく」
 シンジは、はぁっと溜め息を吐いた。
(もう、起こしに行くのやめようかなぁ……)
 そこまで言われては行く気になれない。
(……違うな、アスカは「女の子」なんだ。)
 シンジの目に写っているのは、同居人のアスカではなく、同い年の女の子。
(やだな、アスカもみんなと……、同じなんだ)
 知らずシンジは、アスカとの間に壁を作ってしまっていた。
 苛ついたように、アスカはシェイクのストローを弄ぶ。
「なぁによ?、急に黙り込んじゃって」
「あ、うん……」
「冴えないわね?」
「……僕は、そういう奴だから」
(変なの?)
 アスカは急な変化に戸惑った。
「どうしたの?、変よ?、あんた」
「だってさ」
(妙に意識しちゃうんだよなぁ)
 一度込み上げた物は抑えようが無かった。
(トウジ達の言ってた通りか……、変なのは僕だったんだな)
「もしかして」
 剣呑な声にドキリとする。
「またあの女のこと……、考えてない?」
「え?」
「やっぱり……」
 アスカは勝手に誤解した。
「あんたねぇ、デートの最中に他の女のことを考えるのはやめなさいよ」
「デートって……」
 聞きなれない単語に思えた。
 それは微妙なニュアンスの違いだった。
「別に……、そんなんじゃないだろ?」
「はぁん?、照れてんの?」
「照れてないよ!」
 失笑にブスッくれる。
「いつも荷物持ちって言ってるの、アスカじゃないか」
「ごめんごめん、ねえってば」
 アスカはテーブルの下、足でじゃれついた。
「あたしとデートするの、そんなに嫌?」
 溜め息を吐く。
「嫌じゃないよ……」
「じゃあ、なんで嫌がるのよ?」
「だって恥ずかしいじゃないか」
「あたしじゃ不満ってわけ?」
「ち、違うよ!、僕じゃ……、釣り合わないから」
「どうしてそう思うわけ?」
「どうしてって……」
 シンジはありったけの情けない言葉を思い浮かべた。
「それって、あたしが可愛いから?」
「え?」
「奇麗で勉強が出来て、運動が出来るから?」
「……うん、そう、かな?」
「でも」
 アスカはテーブルの上に置かれていたシンジの手を包み込んだ。
「あたしの手、引いてくれたわね?」
「引いてって……」
「もう!、な、泣いちゃった時に……」
「……うん」
「どうして?」
 アスカは真剣な眼差しを向けた。
「ねえ?」
「……そうしなきゃいけないって、思ったから」
 アスカはその返事に満足したのか、手を握ったままで立ち上がった。
「アスカ?」
「なんでもないわよ!」
 上機嫌で引っ張る。
「さ、次は何処行こうか?」
(なんだかわかんないや……)
 シンジは酷く戸惑った。
(バカね?)
 口にせず、態度で伝えている。
 ただそれだけなのだが……
(でも)
 女の子と付き合う。
(こういうもんだと、思ってたんだ……)
 シンジのイメージは、レイとの付き合いよりも、こういったアスカとのじゃれ合いの方がより近かった。


 翌週になって。
「ほら!、もう遅刻しちゃうじゃない」
「待ってよぉ……」
 シンジはぜぇぜぇ言いながらアスカの健脚に参っていた。
「大体さ、アスカが悪いのに、なんで僕まで」
「はぁ!?、なぁに言ってんのよ、あんたがしっかり起こさないのが悪いんでしょうが」
 くっと歯噛みしてしまう。
「だって……、ちぇ」
 舌打ちするシンジに、アスカはむずむずと鼻をひくつかせ、抱きついた。
「な、なんだよ!」
「照れるなっての!、ほら」
 組んだ腕を無理に引っ張るものだから、目立って衆目を浴びるはめになる。
「もう……」
 シンジは諦めて、アスカと共に廊下を歩いた。
 強気に出れないのだ、デート以降、もちろんそれはアスカも気が付いていた。
(照れちゃって)
 遅刻の危険が増えたことには不満があっても、やはり女の子だと意識されるのは嬉しい物なのだろう。
 特に、意識している相手なら。
 だが、そんなアスカの上機嫌をぶち壊す奴が、嫉妬の目をして睨み付けていた。







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