シンジはいつかレイがそうしていたように、屋上の柵にもたれかかって、遠くの山景色を眺めていた。
 どれ程そうしていただろうか?
 始業のベルが鳴ってもそうしていた。
 風が髪を掻き上げるように撫でてくれる。
 ふうと心を落ち着ける。
「シンジ君」
 ドキリとした。
「レイ?」
 すぐ後ろに居た。
「どうしたの?、授業……」
「シンジ君は……」
 シンジは苦笑して護魔化した。
「いいんだ、僕は」
 くっと、見えない程度に唇を噛むレイ。
「……あの人と、何かあったの?」
 ふいの言葉にシンジはどもった。
「え?、どう、して」
「そう……」
 それを返事と受け取るレイだ。
「あの人の方が、大事?」
 シンジは俯き、顔を逸らした。
「分かんないよ、そんなこと……」
 やけに素直な回答であった。
「でもああしなきゃいけないと思った、笑ってくれるんだ、アスカは、僕の言葉で」
 喜びからどうしても声に弾みが付いてしまった。
「僕なんかでもさ、アスカの支えになってあげられるなら……」
「シンジ君……」
 シンジは柵を背にして座り込んだ。
「寂しかったのかもしれないね……」
 シンジはちょっとだけ心の中を打ち明けた。
「いつも一人だったんだ、母さんが、死んでから……」
 レイは黙って続きを待った。
「一人は嫌だったんだ、でも父さんは仕事ばかりで……、アスカがいたから、寂しくなかったんだと思う」
「そう……」
「だから笑ってて欲しいんだ、でも!」
 シンジはレイの消え入りそうな声に焦って告げた。
「レイのことが好きだっていったのも嘘じゃないんだ!、ほんとだよ」
 それは自分に言い聞かせるような言葉であった。
「同じくらい、笑ってる顔が見てみたいって……」
「そう思っているの?」
 レイの言葉が胸に痛い。
「だって、ちょっとだけ、学校が楽しくなって来たんだ、レイに友達になってもらえて、本当に嬉しかったんだよ」
 必死になって言葉を繋げる。
 でないと、笑ってくれないと、言ってはいけない事を言ってしまいそうで。
「だから、だから……」
「うん……」
 同意するような呟きに顔を跳ね上げる。
「レイ?」
 奇妙な感じがお互いの間を流れていった。
「今は……、それでもいい、だから」
 レイの表情には、微妙な陰りが差していた。
「あの」
「シンジ!」
 二人の会話は中断された。
「ケンスケ?」
「大変だぞ!、惣流が」
 シンジは即座に立ち上がった。


 顎を引き気味に睨み付けているのはアスカで、睨まれているのは青木であった。
 幾つかの偶然と不運だった。
 シンジが居なくなっていたこと、通りかかった青木とトイレから戻って来たアスカが鉢合わせしてしまったこと、先生が何かの理由で自習にしてしまった事などが、絶妙なタイミングの上に構築されてしまっていた。
 ぴりぴりとした緊張感に包まれる。
「で?」
 先に切り出したのはアスカであった。
「何か用?」
 青木はへらっと奇妙に笑った。
「なに、じゃないだろう?、休みの間さ、電話したんだぜ?、何処行ってたんだよ」
 はっ、とアスカは蔑んだ。
「どこ?、デートに決まってるじゃない」
「誰と?」
「……シンジよ」
 きょとんとした後で青木は吹き出した。
「なんだ、碇とか」
「何よ!」
「良いって良いって、ボランティアだろ?、可哀想だもんなぁ、碇の奴」
 彼は自分の顔が、醜悪に歪んでいる事に気が付いているのだろうか?
「で、キスくらいしてやったのか?」
「あんたには関係無いでしょ」
「あるよ!、彼氏としてはな」
「誰が!」
「俺だよ」
 カッとなって殴りつけようとしてしまう。
「アスカ!」
「ヒカリっ、邪魔しないで!」
「なんだよ?、何照れてるんだよ、この間はあんなにさ……」
 と、その先は続けない、余りに卑怯だが効果的だ。
 アスカの焦りが、護魔化しに必死になっている様に見えるから。
 浸透していた疑惑が再燃し、浮上する。
 シンジが到着したのはこの時だった。
「アスカ!」
「シンジ!」
「どうしたの?、何が……」
 シンジは青木に気が付いて、ああと奇妙に納得してしまった。
 息を整え、アスカを庇うようにして立つ。
 シンジは真っ直ぐに彼を見据えた。
「何ですか?」
 今度はシンジに向きを変える。
「何だよ、俺はアスカと話してるんだ」
 その馴れ馴れしい態度は反吐が出るほどのものだった。
「人の彼女に、手を出すなよな」
 またくり返し……、にはならなかった。
「勝手に言ってなさいよ」
 唐突に、アスカが強気に出たからだ。
「あんたとした?、ああそう、そう思ってれば?」
 ぴったりとシンジにくっつく。
「あんた振られたの、まだ分かんないの?」
 瞬間、青木の顔つきが変化した。
「いくら恥ずかしかったからって、そんな逃げ方は無いだろう?」
「逃げ?」
「碇に泣きつかなくったってさ」
「はん!、余計なお世話よ」
「何照れてるんだ?、そう言えばキスマーク、消えた?」
 ちらりとシンジを見たのはあてつけだろう、だがしかし。
「……キスとちごたんか?」
 穿った指摘に、彼はぎくりと反応した。
「ど、どこにとは言ってないだろう!?」
「さよか」
 冷めたトウジの声、だが疑念を抱かせるには十分だった。
 ひそひそと不利な空気が漂い始める。
「な、なぁ、碇」
 青木は慌てて取り繕った。
「もう、アスカには近付かないでくれないか?」
「……どうして?」
「やっぱさ?、彼氏的にはお前みたいなのって苛つくんだよな?」
「誰が彼氏よ!」
「付き合うって言ってくれたじゃん」
(この!)
 殴りかけるが、シンジの軽い手の動きに静止されてしまった。
「シンジ?」
「良いから」
 渋々言うことを聞いて引き下がる、その有り様に、ケンスケが奇妙な感嘆を上げた。
「凄いな、惣流が碇の言うことを聞いてるよ」
 もちろん、友人を嬲られた事への当てつけだ、またそれが効果的だった。
「……碇、俺の言ってることが分からないのか?」
「分かんないよ」
「アスカは俺の女になったんだよ」
 シンジは言い返さなかった、ただ、半眼になった。
 その冷やりとした感覚に、一体何人が気が付いただろうか?
「……トウジ、やばいぞ」
「わぁっとる……」
 その中には、流石だろう、トウジとケンスケは含まれていた。
「だから、邪魔なんだよ!」
 −ドン!−
 青木はシンジの胸を突いた。
 −バキ!−
 そして流れるように殴り返された、シンジに。
 −ドガ!−
 さらに蹴りまで入れられた、容赦のない一撃だった。
「し、シンジ!」
「やり過ぎや!」
 アスカが抱きつき、間にトウジが割り込んだ。
「うるさい!、離せよ!、こんな奴、どうなったって知るもんか!」
 トウジとアスカだ、男子と女子、それぞれ純粋な『力関係』で一目置かれている人間が、二人がかりで押さえようとしている、いや。
 押さえ切れないでいる、それは驚愕に値した。
「俺のとか!、アスカを泣かせておいて何だよそれ!、自分のだって言うなら苛めるな!」
「バカだなぁ、惣流のことになると恐いんだぞぉ?」
 そのケンスケの呟きは、遅れて来たレイの耳にだけ届いたようだった。
「な、何しやがる!」
 ようやく我に返ったようだ。
「アスカの方が傷ついたんだ、謝れよ!」
 誰が見ても脅えが入っている、それでも青木は切り札を持ち出した。
「碇……」
「なんだよ!」
「確か親父ってラングレーグループで働いてただろ?」
「それがどうしたんだよ!」
「俺の親父は重役なんだよ!、この意味、分かるよな?」
『……ガキか、こいつ』
 大半が呆れ返った、もう、この時点でどちらに正義が在るのかは明白だった。
「だから!?」
「ふぅん、そうなんだ」
 今度はアスカの番だった。
「重役ねぇ?」
 シンジを差し置いて前に出る。
「そ、そうだよ、そんな貧乏人とは違うんだよ、俺は」
「なら、あんたはもっと貧乏になるのね」
「あん?」
「まぁ、まてや、お前知らんやろうけど、その辺で引かんか?」
「関係無いだろ!」
「……あんたのためだと思ったんだけど、いいわ?、パパに言って首にして貰うから」
「あ?」
「あたしの名前知ってる?、惣流・アスカ・ラングレー、そう言う事よ」
「あ!」
 真っ青になる。
「こんな奴の親父なんて、どうせろくな奴じゃないだろうしね、それに首に出来るもんならして貰いましょうか?、日本支部長を首に出来るってんならね!」
「支部長って」
「そうよ!」
「……碇の親父さん、大物なんだよなぁ」
 ケンスケの呟きがとどめを差したようだった。
 が、怒りの治まらない人間が居る。
「そんなの関係無い」
「シンジ!?」
 シンジは押さえた声で、呻くように言い、まだ青木を睨み付けていた。
「謝れよ……、謝れって言ってるんだよ!」
 でないと、実力行使を続けると、シンジは全身で表現している、その証拠に、未だトウジを振り切ろうと押しているのだ。
「あ……」
 頭冷めて、そんなシンジが纏っている物に気が付いたのだろう。
 あるいはじりじりと押されているトウジに、リミットを見て取ったのかもしれない。
 彼は過度の恐怖心を覚えて、ごめんなさいと、平謝りに謝った、もちろん。
 それに感銘を受けた者は、誰一人としていなかったのだが。







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