『かんぱーい!』
学校帰りのファーストフードショップにて。
それぞれのジュースを掲げ上げる、ただし、シンジは混ざろうとしなかった。
「はぁ!、すっきりした」
以前のように、いや、前以上に晴れやかな笑顔で笑うアスカに、ヒカリだけでなくトウジもケンスケもついほころんだ顔をしてしまっていた。
「そやけど、久々に見たで」
「ああ、シンジがキレるなんてな」
そのシンジだが、未だにブスッくれたままだ。
「なぁにそんな顔してんのよ!」
くしゃりと髪を掻き回す。
「もう終わったんだから良いじゃない」
大体、あんたには関係ないでしょ、とは間違っても口にしない。
苛められ、殴られ蹴られても怒らなかったシンジが、自分のためにキレたのだ。
(ま、ちょっと痛かったけどね)
取り押さえようとした時に引っ掛かれた傷が、二の腕に多少の痕を残していた。
気付かれないように、愛おしげに撫でる。
「あ、それともシンジぃ、今日もレイちゃんと帰れなかったのがそんなに不満なのかなぁ?」
「ち、違うよ、なに言ってんだよ!」
失笑をこぼすヒカリだ。
「でも綾波さん、どうしたんだろ?」
「さあ?、誘ったんだけどねぇ、なぁんか付き合い悪いのよ、あいつ」
にやりとするトウジ。
「まあそりゃしゃあないやろ」
「は?」
「ああ愛しのシンジ様ぁ!」
「どうしてわたしではない女のために戦いなさるの!?、ってか」
合いの手的に乗ったのはケンスケだった。
「けどまあ、あれはまずいよなぁ」
「なんでだよ?」
「だってどう見たって、なぁ?」
「そうそう、あれは、ねぇ?」
「のぉ?」
「なによぉ」
三人の視線を受けて、アスカは赤く縮こまった。
ちらちらとシンジを見る。
シンジはそんなアスカに苦笑した。
「いいよ、別に、気にしなくても」
「そう?、ま、ばっかシンジじゃあねぇ、ナイトって言うには頼りないしぃ」
「とか言いつつ擦り寄っとるやんけ」
ケッと唾を吐く。
「どや?、シンジぃ、綾波は任せて、惣流の面倒見たったら」
「やだよ、人に告白させといて、何言ってんだよ」
「そうよ!、別にシンジに面倒見てもらわなくったってねぇ」
「って、米も炊けん女が、何言うとるんや」
「うるさいわね!」
ちょっと痛い所だったらしい。
「それよりシンジ!」
「なに?」
「ほんとのとこ、どうなのよ?」
「どうって、何が?」
「綾波だよ!」
これはケンスケだ。
「綾波と上手くいってるのか?」
シンジはちょっと笑いを潜めると、歯切れの悪い返事をした。
「上手くいってるとは……、言えないかな」
「はん?」
「どうかしたのか?」
「うん……、レイってさ、全然笑ってくれないんだよね」
ちょっと所ではなく、深刻に告げる。
「アスカってさ、……洞木さんもだけど、話してても笑ってくれるでしょ?、でもレイって全然笑ってくれないんだ、何やってもさ、喜んでくれてるのかも分からなくて」
例えばこの間のデートでは、アスカは何がおかしいのかと思うほど、どんなことにでも笑ってくれた。
「迷惑……、なのかな」
「はん?」
シンジは悩みを漏らしてしまった。
「僕、さ?、レイに付きまとってるだけで、迷惑なんじゃないかって……」
「あんたバカァ?、ってバカに決まってるわね、そんなこと思ってるようじゃ」
「そうかな?」
「そうだよ」
「そっか……」
シンジは天井を仰ぎ見た。
「レイがね?、言ったんだ……」
「ん?」
「好きって事、分からないから、教えてくれって……」
「てっつがく的ぃ」
シンジは苦笑して、ストローでジュースをすすったアスカをむせさせた。
「僕は、好かれてるわけじゃないんだよな」
ブッと音、そしてごほごほと続く。
「はぁ!?」
「いや……、だからさ、好きってのが分からないって事はさ、好きでもなんでも無いって事でしょ?、ただ……、一緒に居るだけで」
「まあ、そうだけど……」
「じゃあさ、レイって僕のこと、どう思っているのかなって……、心配で」
「嫌われてないから、良いんじゃないの?」
「そうかな?」
シンジは口にする。
「でも、笑ってもらった事も無いし……」
ぼんやりと窓の外の景色を眺める。
(そう言えば、レイ、何か言いたかったみたいだけど)
昼間のことをおぼろげに思い出す。
−ブオオオオオ……−
車が行き交う、避けるように人が歩き、流れていく。
「……」
「シンジ?」
アスカは不意に、触れているシンジの体が硬くなったと感じ取った。
怪訝に思って見やると、ゆっくりと首を動かし、何かを追うように外を見ている。
アスカはその視線の先を確かめて立ち上がった。
「なっ!」
見覚えのある二人、見覚えのある顔、姿。
一人は赤いサングラスに黒のスーツ、髭面の男性で、もう一方は青い髪の、着ている物は自分と同じ制服の少女だった。
これ程目立つ容姿の二人を、どうすれば見間違えることが出来るだろうか?
「おじさまと綾波!?」
『はっ?』
きょとんとするトウジ達を尻目に、アスカも目を丸くして凝視した。
通りの向こう側を、仲良く並んで歩いて行く、男は……、顎の先程までの高さしかない少女に微笑みかけ、少女は……
少女は。
アスカはそこではっとした。
(シンジ!)
恐くて……、呼び掛ける事が出来なかった。
三人からは見えないだろうが、隣のアスカだけは見下ろせた。
テーブルの下で彼が握り込んでいる、震えるほどに握り絞めているその拳を。
少女は……、綾波レイは、微笑んでいた。
見た事が無いほど、奇麗で、透き通った微笑みだった。
好きと言う気持ちを……、好意を。
知らない人間が、作り出せる物ではない。
「どうして……」
搾り出された声にぎくりとする。
「シンジ……」
「どうして……」
学校で見せたのとは、また別の激情に溢れていた。
抑え付けられている分、昂ぶった内圧の酷さを感じる。
事実シンジは、耳鳴りするほど自分の鼓動が大きく跳ねるのを感じていた。
「……どうして」
シンジは世界が暗くなるのを感じていた。
「綾波レイだ」
家に帰ると、彼女が居た。
何故、父が紹介するのだろうか?、そんなことよりも……
(どう、して……)
彼女は、無表情で居るのだろうか?
表情を消してしまっているのだろうか?
「同じクラスだと言う話だな?」
父の高圧的な声も、耳を素通りしてしまう。
テーブルに着いている四人、それぞれがそれぞれの顔をしてしまっていた。
「今日からうちで預かる事になった」
アスカは一瞬だけ不満を抱いたものの、なんとかそれを押し込んだ。
(言える訳ないじゃない)
自分もまた、居候の身分なのだから、立場上は何も言えない。
家主が決めたのなら仕方が無いのだ……、仕方が無い、そうなのだが。
ちらりとシンジを横に見る。
溜め息をそっと吐いてしまった。
(そりゃ……、ショックよね)
シンジの顔色は、蒼白を通り越してしまっていた。
「シンジ」
「なに?、父さん……」
「お前の妹にあたる、仲良くしてやれ」
−ビク!−
シンジの体が跳ね上がった。
「い、妹って……」
「そうだったの!?」
固まったシンジの代わりに、問いただしたのはアスカだった。
「そうらしいわね」
「らしいって……、あんたねぇ!」
「今日、正式に姓を碇レイとした、今まで一人にしていて済まなかったな、レイ」
「はい」
「レイと言うのは、ユイと二人で女の子にはそう名付けようと考えていた名前だった、今更だが他人ではないのだからくつろいでくれ」
「ちょっとおじ様!」
「アスカ……」
そのうつろな目に、身体に寒気が駆け抜けた。
(そんな……、そんな目!)
するなと叫び、叩きたくなる。
「わかったよ……、父さん」
「そうか、なら良い……」
シンジは力なく立ち上がった。
「僕……、先に寝るから」
「好きにしろ」
父はそっけなく言い放つ。
「アスカ君」
「はい」
「レイを一番奥の部屋に、そこをレイの部屋とする」
「分かりました」
着いて来て、と目で促す。
碇家の一番奥は、昔から空き部屋になっていた、八畳の和室だ、勉強机とベッドがあるだけで、後は何も無い。
アスカはレイを入れてから電気を点けて、戸を閉じた。
「ここがあんたの部屋になるってわけね?」
レイは彫像の様に、ベッドに視線を固定していた。
「ほんと、お人形さんみたいね?」
そんなレイをそう表する。
レイはようやく、目だけを向けた。
「なに?」
「ううん、机、おばさまのだと思ってたんだけど、あんたのだったのね?」
レイはなにも答えない。
「なに黙ってるのよ?」
アスカはその態度に苛ついた。
「シンジが言ってたわ……、僕は綾波に好かれてるわけじゃないって」
びくりと反応が現われた。
「笑ってくれた事も無いって、でも……」
アスカの視線は、とても冷たい。
「あんた、笑ってた」
逃げるように、視線がベッドへと外れていく。
「見たのよ!、シンジも、あたしも……、嘘吐き、好きでも無い人に、あんな顔作れるもんですか」
その言い草に感じる所があったのか、今度はレイの番だった。
「……街で、あなたと碇君を見たわ」
「街で?」
「先週の、土曜日に……」
今度はアスカが硬直する番だった。
「楽しそうだった……」
ゆっくりと振り返る、レイ。
「でも、わたしには何が楽しいのか、分からない」
「はん!」
アスカはレイの重圧から逃れようとした。
「何が楽しいかですって?、そんなの、シンジと一緒だったからに決まってるじゃない!」
それは意外な答えだったようだ。
「そうなの?」
「そうよ!」
少なくともレイにとっては意外なのだ。
アスカは勢いだけで言ってしまっている。
だがレイは真に受けた。
「なら……、碇君も、あなたが相手だったから、とても幸せそうだったのね」
うつむくレイだ。
それがまたむかつく。
「そう言う顔だけできるくせに、シンジがあんたの事をどれだけ気にしてるか知らないくせに……」
キョトンとするレイ。
「気に……、してる?」
「そうよ!」
−ドン!−
アスカに突き飛ばされて、よろめいたレイはベッドに倒れ込んだ。
「そうよ!、デートしたわ、悪い?、でもね、ずっと……、ずっとよ!、ずっとシンジは、シンジはね!、あんたと付き合い出してから、ちっともあたしを見てくれなくなったのよ!」
つぅと目尻から涙が溢れた。
「毎日よ!、いつもいつも、何やってたってあんたと比べられるのよ!、あたしはあたしなのに、レイなら、レイだったらって……、あんたにシンジの気持なんて分かるもんですか!」
(あたしの気持ちなんて!)
「なに、泣いてるの?」
「うるさい!」
言い放つ。
「シンジの妹って何よ!、あんたシンジに嫌われないように、振り回してただけじゃない!」
(……がう)
「こんなの、シンジが可愛そうよ!」
(違う……、のに)
−バン!−
アスカは出て行く際に、強く扉を閉めていった。
(違う……、のに)
軋んだ心が、何処かで悲鳴を上げている。
それでもレイは何も言えずに、ただ口をつぐんで、俯いていた。
続く
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