−バフ……−
 投げ出すように、シンジは身をベッドに伏した。
(なんだ……)
 胸の痛みは疼きを通り越して、既に空しさに変わっている。
(そうだったんだ……)
 告白した時のことが蘇る。
『ごめんなさい』
 始めは、謝り。
 そして取り繕うかの様に……
『わたし、好きとか嫌いとか、良く分からないから』
「はは……」
 渇いた笑いが耳に付く。
 自分を嘲る声がする。
「バカみたいだ、僕……」
(始めから、付き合う気なんて……)
「無かったんだ」
 嗚咽と、濡れていくシーツのべたつき。
 染みがどんどんと広がっていく。
「う……、っく、ひっく……」
(レイ……、綾波は、父さんと、だから気まずく、ならないように、さ……、だから、笑ってくれなかったの?、酷い事をしてるって、困ってたの?)
 くぐもった、押し殺したような声が静かに響く。
「シンジ?」
 遠慮がちの声。
「……少し、いい?」
 泣いていることを悟られたくなくて、シンジは布団を頭から被った。
「ごめんなさい……」
 気配は消えた。
(アスカ……)
 慰めてもらいたかった。
(慰めに来てくれたの?)
 希望が少しだけ首をもたげる。
(でも今は……)
 それが正直な気持ち……、気分だ。
「……ばかだな、僕」
 後悔してばかりいる。
「ほんとは慰めてもらいたいくせに、でも……」
 嫌われていると知っているから。
「良いや、もう、どうでも……」
 そうして、心がゆっくりと沈み始めた。
(所詮、そんなもんさ、レイも……、アスカも僕と同じだ、同じなんだ)
 わけありで、側に居るから……、居なければならないから。
 仲良くして見せるしか無いから。
 くすぶる思考を深い闇の中へと封じ込む。
 シンジは、疲れてしまっていた。


壊れ行く関係



 チュンチュンチュン……
(すずめの声?)
 コンポの時刻表示をぼんやりとした視界に収め入れる、朝の七時だった。
 曜日は土曜日、休みである、起きるにはまだ早いし、目覚ましも無しに起きるにしては珍しい時間帯だった。
(そうか、綾波が来て……)
 −ズキン!−
 突如走った胸を締め付ける激痛に、シンジはばふっと布団に顔を埋めた。
(はは……、まだ、諦めきれてないみたいだ……、希望なんて、もうどこにもないのに)
 一体どれほどの間そうして悶えていただろうか?
 苦しみや悲しみは時の流れを重くし、停滞させる。
 シンジはほんの十分ほどの時間だけ、過ぎ行く物から己を完全に隔離した。
「ご飯、作らなくちゃ」
 起き上がった時には、何とか次にやる事を見付けていた。
 だがそれも、無意味にいつもの行動をなぞるだけの行為に過ぎない、やはり思考が働いていないのだろう。
 休みの日だアスカは寝ている、自分もお腹は空いていない、なら誰のために、何のために朝食の用意をするのだろう?
 体もまたかなり気だるい。
 とにかく顔を洗おうと部屋を出て、シンジは洗面所へ足を向けようとした。
 ……したのだが。
 −ジャー……− (誰か、いる?)
 水の流れる音に立ち止まる。
 誰だろうか?、自分ではない、アスカは論外、では父か?
 消去法で残るのは?
(綾波?)
 考え到った瞬間、体がすくんで動かなくなった、だが洗顔を終えた誰かはシンジの存在などには気付かずに、無造作に動いてその姿を現した。
「あらシンジ、早いわね?」
 どっと体から力が抜けた。
「アスカ……」
「なによ、がっかりしてさ?」
「そんなんじゃないよ……、どうしたの?、アスカこそ早いじゃないか」
「せっかくの休みだしね、久しぶりに遊んでこようかと思って」
「この間も行ったのに?」
「あれはあんたのお守でしょ?」
(酷いや……)
 だがクスリと笑んでしまう。
「何ニヤニヤしてんのよ?、さっさとパンでも焼いてよね」
「うん……」
 まだブラシを入れてないのか、アスカの髪は跳ねていた。
「パジャマ姿でうろついてるアスカって、久しぶりに見たな……」
 それはとてもとても新鮮な感慨だったが、真実は往々にして見えない部分にこそ在るものだ。
 スウ……、パタンと戸を閉じる。
 部屋に戻ったアスカは、気が抜けたように脱力していた。
「なによバカシンジのやつ……」
(随分と明るいじゃない?)
 その理由、心当たりなど決まりきっていた。
「そう、ね……、あいつが居るんだもんね?」
 他には何も見当たらない。
「……別に嫌う必要なんて、無いんだから」
 ショックだったかもしれないけれど。
「……あたし、バカみたい」
(勝手に立ち直っちゃって、さ)
 アスカは机の上に置いてある鏡を見て舌打ちした。
 ばさばさの髪の自分が居たからだ。
 それはどうしてか?、身だしなみにまで意識が回っていなかった事を差している。
 アスカはそのままへたり込み、惚けた顔で天井を見上げた。
「シンジもあたしと同じなのかな……」
 平気な振りをしているだけかもしれないと、やっとアスカは思い至った。


 パンを焼く香ばしい匂いは、バターを塗った所で高まった。
「ん〜と、後は紅茶を入れて……」
 シンジは奥の部屋に目を向けた。
 壁の向こうには通路があり、その向こうにはドアがある。
 そして部屋の中では、まだぐっすりと彼女が眠っているはずなのだ。
「……起こすと、悪いかな?」
 シンジは冴えない顔つきのままで、ティーカップの準備に移った。
(嘘だ)
 心の声がざわめきを上げる。
(なんて言って起こせばいいか分からないから逃げてるだけじゃないか、もし起きてたらなんて誘えばいいんだよ?、もし話しかけられたら?、もし無視されたら、もし……)
 行き詰まった思考に答えを見つける。
「そっか……」
(恐いんだ……)
 頭の中だけでぐるぐると回る。
 嫌な考えは渦を巻き、速度を上げて、密度と勢いを際限無く上昇させる。
「シンジぃ、できたぁ?」
「あ、うん……」
 髪をセットし、Tシャツとショートパンツに着替えたアスカがやって来た。
 だがシンジは、その背後に居る人物を見て笑顔を固くした。
「……おはよう、シンジ君」
「……あ、ああ、うん、おはよう、綾波」
 つい昔の呼び名を使ってしまう。
 当然のごとく、レイもアスカも気が付いた、気が付かなかったのは当の本人だけだろう。
「アスカはそっち、綾波はそれを食べてよ」
「あら?、それシンジのじゃないの?」
「僕のは……、これから焼くから」
「はいはい、お優しい事で」
 つい刺を立ててしまったのは、待遇の差を比べてしまったからだろう。
「あたしの時には、ちょっと待てって言う癖に」
 トースターに新しいパンをセットするシンジに対して、小さな声で不満を呟き、アスカはその相手をレイへと変えた。
「良かったわねぇ優しいシンちゃんで、それシンジのカップよ?」
 がたんと椅子の動く音。
 レイが席に着いただけのこと、だがそれだけでもシンジは驚きから竦んでしまっていた。
 顔を見なくても表情は分かる。
 シンジは逃げを打って、流しで食器を洗う「振り」を始めた。
「んで?、今日あんた達はどうすんのよ?」
 −キュ……−
 水道の栓を閉める。
 知らず手に力が篭っていた。
「……僕は、出かけて来るよ」
「あん?、こいつはどうすんのよ?」
 親指を立ててレイを指す。
 レイの前にはべちゃっとし始めたパンと紅茶。
 シンジは一瞬だけレイを見てしまった。
 顔を上げ、じっとこちらを見つめている。
(嫌だな……)
 見返そうとして、できない。
「……レイには今日、外せない用事がある」
「おじ、さま……」
 アスカは珍しいもの……、ゲンドウの寝間着姿に目を丸くした。
「レイ、十時には出かける、準備をしておきなさい」
「はい……」
「あ、シンジ!」
 アスカは話題を逸らそうとした。
「あんたは何時頃に出かけるのよ?」
「もうすぐ、かな」
「そう」
 アスカはそそくさと立ち上がった。
 その途中で、「ごちそうさま」っと一言呟く。
「じゃ、あたしも準備しようっと」
「あ、じゃあ、僕も……」
 彼も逃げ出すようにキッチンを去っていく。
 その動きを目だけで追うレイ。
「……どうした?、レイ」
「いえ……」
 ゲンドウは焼き上がったパンをトースターから皿に移すと、レイの前に席を取った。
「早く食べなさい」
「はい、いただきます」
 そしてレイは、香りをなくしたパンを手に、冷めた紅茶で飲み下し始めた。







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