「行ってきます……」
独り言のように呟いてしまったのは、それに対するリアクションが返って来た時に、どう対処していいか分からなかったからだ。
余計な事ばかり考えて、行動を寄り臆病な物に変えていく、だから家を出て行くその姿もまた、どこか逃げ出す雰囲気があった。
しかしだ。
「なに背中丸めてんのよ!」
「アスカ?」
一足先に出たはずのアスカが、何故だか玄関脇につっ立っていた。
腰に手を当てて笑っている。
「遅いじゃない、何やってたのよ!」
「え?」
「せっかく待っててあげたのに」
「アスカ、出かけるんじゃなかったの?」
「そ、あんたとね?」
戸惑っている間に、腕を取られてしまった。
「さ、行きましょ?」
「どこへ?」
「あんたバカァ?、今日は遊ぶって言ったでしょ?」
アスカは耳に口を寄せ、囁くように呟いた。
「嘘なんでしょ?、出かけるつもりだったって……」
何とも言えない罪悪感から顔を背ける。
「嘘……、ついて、僕は……」
「いいから」
エレベーターまで来て、ようやくシンジは解放された。
すっと触れ合っていた肌が離れていく、温もりが消えて行く。
お互い半袖のシャツだった、生肌であっただけに、消失感もまた大きかった。
(腕、組みたいな……)
シンジはエレベーターの中で、アスカの肌に目を吸い寄せられていた。
欲求とか、欲望ではない。
(一人は、嫌だよ……)
家での記憶が蘇る。
(父さん……、綾波と出かけるって言ってた、どうして?)
−いつもは仕事に出かけるくせに!−
(僕が頼んでも、何もしてくれなかったくせに、何も、何も……)
シンジははたと気がついた。
(やだな……、嫉妬してるんだ、僕って)
その感情には覚えがあった、昔、遠い昔に、アスカに向けた記憶があった。
なら彼女からも敵視されてしまうのだろうか?、アスカのように。
(違う、始めからだ、最初からしてたんだ、だから)
今更なのだと、強く自分に言い聞かせてみる。
面倒な事にならない様に、適当にあしらっていたのではないかと、酷い邪推を打ち立てる。
むに。
シンジは頬を引っ張られて我に返った。
「ひゃめてよ、あすは」
「まぁだ暗い顔してるわね?」
「らっへ」
「今日はそういうのは無しよ!、楽しむだけ楽しんで、ぱーっと発散しなくちゃ……」
「しなくちゃ?」
「……これから、どうすんのよ?」
そうか、と気が付く。
(アスカだって、そうだよな……)
自分がアスカの天敵であるように、レイにもまた相当してしまうのならば、アスカとレイはある意味戦友と言う事になる。
または同盟軍だろうか?、どちらにせよ、お互いの心情を想像するのは実に容易いことだろう、もっとも。
その前提が正しければの話しだが。
(そっか……、そうだよな、僕が我慢すれば、それで治まるってことなんだよな)
「アスカこそ……、暗い顔してるじゃないか」
笑顔で暗い事を考える。
(そんな顔をさせてるのは僕だ、僕が悪いんだ、僕が)
そうさと、胸の内で絶叫する。
悪いのは、告白などした自分だったのだから。
告白さえしていなければ、きっとここまで複雑な事にはならなかったはずだから。
(アスカがあんな奴に泣かされることも無くて、綾波を困らせる事だってなかったんだ)
それに好きの意味を知らない。
彼女の部屋が思い出される。
(それはきっと嘘じゃないから……)
嘘ではないと、思いたいから。
「ごめんね、アスカ……、心配させて」
ドン!
シンジはみぞおちに、照れ恥じらいの肘打ちを食らう事となってしまった。
「ヒカリぃ!」
「もうおっそーい……、あれ?、碇君」
アスカの後ろを、とぼとぼと着いて来る少年にきょとんとする。
「ごめーん、こいつ歩くの遅くてさ?」
ゲームメーカーのアミューズメントパーク、その前での待ち合わせだった。
「どうしたの、一緒だなんて珍しくない?」
「それがさ……」
ちょっとだけ声を潜める。
「今日おじ様が居て、ちょっとね」
「ああ、碇君のお父さんね?」
「あたしもだけど、苦手なのよね?、おじ様って」
(え?)
シンジは聞こえた言葉に顔を上げた。
ヒカリと話しているアスカを見やる。
(苦手?)
その言葉が引っ掛かる。
『おじ様、100点取ったの!』
『よくやったな……』
シンジの点数など聞きもしない。
誉めもしない。
そんな父親だが、アスカには非常に優しい一面を見せる。
沸き起こるもやもやとした物は、子供ながらに嫉妬だと気が付いていた。
そしてそれを表面化させた時、怒られるのがどちらなのかと言う事にもだ。
だから……
『しょうがないよな、僕はダメな子供だから……』
そう考えるしか無かった、そう考えていたと言うのに。
はっとする。
(何を思い出してるんだよ!?)
「で、こいつさ、一人で置いとくと手首でも切りそうだったから」
「手首って……」
シンジはビルの入り口に目を向けた。
朝から凄い人の入りである。
「ここ?、アスカの行くとこって」
「うん、ヒカリってばこう言うとこに行ったこと無い!、なんて言うもんだからさ」
「あたしは……、碇君はどうなの?」
「え?」
「鈴原とかと来たりしないの?」
「たまには来てたけど……、最近は」
「どうして?」
「綾波と……、遊んでたから」
ヒカリはキョトンとしてしまった。
(嬉しくないの?)
特に呼び名が綾波と戻ってしまっている辺りが訝しい。
ここでもまた、雰囲気が停滞してしまう。
「ああもういいじゃない!、今日から幾つかコーナー新しくなってるらしいし、早く入りましょうよ、ね?」
「うん……」
(アスカ、はりきってる?)
「ほら早くぅ!」
「う、うん……」
やはり何か、どこか釈然としないヒカリであった。
アミューズメントパークと言ってもその内実はちょっと豪華なゲームセンターに過ぎない。
休みの日に暇を潰すにはもってこいだ、だから、彼らが居ても別段おかしいことは何も無かった。
「なんやぁ、シンジやないかぁ」
知った声に振り向くと、余りにも見慣れた顔がそこにはあった。
「トウジ、それにケンスケ」
「なんや、今日は一人か?」
「ばか、んなわけないだろ?」
シンジをつんつんと肘でつつく。
「で、綾波はどこにいるんだよ?」
「家に居るけど……」
「家ぇ?、なんで誘て来んかったんや!」
「なんでって……」
「せっかく私服の綾波を撮るチャンスだったのに!」
ケンスケはポケットからデジカメを取り出した。
「今からでも良いから連れて来い!」
「駄目だって、今日は父さんと一緒だし……」
「父さん?」
「嫌やのぉ、もうそないな仲になっとんのかいな」
ひしと抱き合うトウジとケンスケ。
「お父さん!」
「未来の息子ぉ!」
「恥ずかしいからさぁ……」
シンジは赤くなって人目を気にした。
「そうじゃなくて、僕の父さんとだよ」
「なんでや?、なんでお前のおとんが出てくんねん……」
「あいつ、昨日からうちで暮らす事になったのよ」
「惣流!」
いつの間にやら、バックを取っているアスカだ。
「どっから沸いたんや!」
「それはこっちの台詞よ!、まったく、何処にでも出て来るんだから……」
「なんやと!」
「辛気臭いのはシンジ一人で十分だって言ってるの!」
鼻面を突き合わせる。
「なあ、なあ、なあっ!」
噛付き合いになりそうな二人に、ケンスケは無理矢理割り込んだ。
「それより!、綾波がどうしたって!?」
ちらりとシンジに目を向ける。
「……おじ様が連れて来たのよ、一緒に暮らすんだってさ」
「なんだって!?」
「嫌な感じやのぉ、ほんでお前も機嫌悪いっちゅうわけか?」
「なぁんであたしが関係あるのよ?」
「「べっつにぃ……」」
二人は同時に白を切った。
「アスカ、綾波さんと碇君のお父さんって、どういう関係なの?」
「さあ?」
アスカは肩をすくめた。
「言いたくも無いわ」
「どういう事や?」
「言いたくないっつってんでしょうが!」
傍目にも機嫌を悪くする。
全員の視線は、自然とシンジに向けられた、だがシンジは顔を伏せるように逃げていく。
一緒に住めるというのに、嬉しくないのか?
沸いて来るのは余りにも当然過ぎる疑問だろう。
「とにかく、あいつはシンジを裏切ったのよ!、いいえ裏切ったんじゃないわね、始めっから騙してたんだから……」
シンジはようやく、顔を上げた。
「アスカ……、やめてよ」
「なんでよ!、いいじゃない、どうせあいつとはもう」
「やめてよ!」
冷たい目をアスカに向ける。
「な……、によ?」
その目に気圧されるアスカ、だがすぐにシンジは元の腐れたような色合いに戻した。
「ごめん……」
「なによ」
「余裕ないんだ……、いま」
「お、おい、シンジ!」
「シンジ、どこ行くのよ!」
シンジは肩越しに振り返って言った。
「……帰るよ、頭冷やしたいんだ」
「待ちなさいよ!、ごめんねヒカリ?、そう言うわけだからさ……」
ヒカリは反射的に了承した。
「うん、頑張ってね?」
ありがと!
アスカは笑顔を返事の代替にした。
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