騒がしい表通りから一筋裏へと逃れただけで、急激に人口密度は減少する。
 とぼとぼと歩くアスカの前を、それ以上に陰鬱に、シンジがさ迷うように足を引きずっていた。
 その距離はほんの五十センチに過ぎない、腕を組もうと思えば伸ばすまでもなく、ちょっとだけで触れられる。
 だが、アスカには近付く事が出来なかった、絶対の壁、拒絶が感じられたからだ。
「ねぇ」
 アスカに出来る事はと言えば、壁の向こうから問いかける事だけ……
「どうしてそんなに、こだわるの?」
 無言。
「答えたくない?」
 やはり沈黙。
「そう、答えられないんだ……」
 シンジは黙っててと叫びたくなるのを堪えていた、それはいつか、自分がレイにぶつけたのと同じ質問だったから、そう。
 アスカの質問は、シンジに自分の無神経さを自覚させる凶器となって突き刺さっていた。
 人は話したくない時、話したくない事があるのだ、だが無視できない人間も居る、相手が居る。
 そんな関係の相手から答えを強要される事がこんなに辛いなんてと、シンジはまた自虐の世界へとのめり込んでいく。
「……おじさま」
 アスカは切り口を変える事にしたようだ。
「忙しいんだって、思ってたけど」
 ぼそぼそと続ける、反応を見るために。
「でも、綾波のためには、時間を作って……」
「やめてよ!」
 立ち止まるシンジ、握られている拳はブルブルと震えている。
「やめてよ……」
「妬いてんの?」
「……」
 シンジは頷きかけていた。
「……ずっと寂しかったんだ、誰もいなくて」
 休みの日、一人きりの家。
 お帰り、行ってきますの返事も無い。
「だから……、だから嬉しかったんだ、綾波」
 お弁当を貰ってくれて。
 ありがとう、頂きます、美味しいと言ってくれたから。
「綾波の一言が、嬉しかったんだ……」
 シンジはそこで押し黙った。
 話しは終わったのだとアスカは受け取り、今度はアスカが打ち明けた。
「あたしと同じね……」
「え?」
「あたしも……、言ってもらいたかったの、おはよう、行ってらっしゃい、おかえり、お休みなさい……」
 微笑がこぼれる。
「だから先に行ってたの、後から家に帰っていたの……」
 遅くに起きて、早く寝て……
「あんたにご飯を作らせて……」
「アスカ……」
 シンジは驚きの目でアスカを見詰めた。
「そんな目で見ないでよ!、土日だって、あんたが部屋から出てこないから……」
「あ……」
 だから休みの日は遊びに出ていた。
 すれ違い……、そんな言葉が脳裏を過る。
「ねえ……」
「なに?」
「あいつは……さ、寂しさをまぎらわせてくれた?」
 シンジはギュッと奥歯を咬んだ。
「……くれなかった」
「……よね?」
「うん……、ねぇ?、綾波ってさ……、僕にとって、なんなんだろう?」
 アスカは答えた。
「それって……、ね?」
「うん……」
「あたしじゃ、ダメなの?」
 アスカは恥じらい混じりに問い重ねた。
「あたしじゃ……」
「アスカ……」
 見つめ合ったものの、シンジには答えなど出せなかった。
(だって、だってそんなの)
 必死に否定の言葉を探そうとする、しかし、レイはもはやアスカと同じだ。
 立場も、何もかも、レイの部屋、あの部屋、あの空虚さ、それをなんとかしてあげたかった自分、そしてそれを手に入れたレイ。
(寂しいんだ……、綾波だって、きっと)
「シンジ?」
 シンジはゆっくりを頭を振った。
「やっぱり……、だめだよ」
「……だめ?」
「だって、アスカは綾波と同じだもの、僕なんか必要としてないじゃないか」
 ズキンと疼いたのはどちらの胸か?
「僕なんて、邪魔になるだけだ、鬱陶しいって、そう思ってるんでしょ?、目障りなんでしょ?、良いんだ、同情なんて」
「違う!、そんなじゃ……」
「良いんだ」
 シンジは寂しげに微笑んだ。
「アスカや……、綾波が幸せになるなら、それはそれで良いじゃないか、僕が足を引っ張ってどうするんだよ?、そうだよ、僕なんて」
「そんな言い方しないで!」
「じゃあどう言えって言うんだよ!、アスカだっていつも言ってたじゃないか!、さっきだって、辛気臭いって」
「あれは!」
「本当のことだよ、それは僕が一番良く分かってる、大丈夫、今まで通りやっていけるさ、僕さえ我慢してれば」
「そんなの辛いだけじゃない!、そんなことされたって嬉しくない!」
「だけど僕はいらないんだ、いらない子供なんだ!、父さんだってアスカが居れば!」
 パンと激情から頬を叩く。
「そんなこと言わないで……」
 憎々しげにシンジを睨む。
「なによ人がせっかく……、せっかく人が優しくしてやってるっていうのに!」
(せっかく?)
 その言葉が引っ掛かり、シンジはゆっくりと顔を上げた。
「せっかく?、せっかくってなんだよ?」
「あ……」
「なんだよ、嫌ならしなきゃ良かったんだ!」
(あ……)
 シンジはつい叩きつけてしまった言葉が、どれだけ鋭かったかに気が付いた。
「ご、ごめん、そんなつもりじゃ……」
 だからすぐに謝った、が……
「そんなつもり?、じゃあどんなつもりだったのよ!」
 それは逆にアスカを弾けさせただけだった。
 アスカ自身、自分の言葉のミスに気が付いていたから、それを言い直そうとする前に封じられてしまったから。
「ほらごらんなさいよ!、いっつも適当に護魔化して、いいわよ勝手にすれば?、もう面倒みきれない!」
 沢山の言葉が渦巻いて、言ってはいけない事を口走らせた。
 泣き出しそうな自分と、悲しげなシンジ。
 限界だった、これ以上は踏みとどまっていられなかった。
「あんたなんて!」
 大きく叫ぶ。
「あんたなんて!、大ッ嫌い!!」
 アスカはおもむろに駆け出した。
「アスカ!」
 シンジの悲鳴のような静止を振り切る。
「アスカ待ってよ、アスカ!」
 呼び止める声を振り払う。
(いい良い!、もう知らない!!)
 髪を振り乱して駆け走る、いや、逃げ走る。
 これ以上は関わってなどいられなかった、自分とシンジの苦しみと辛さの妥協点。
 譲れると思える妥協範囲をも越えて、シンジは求めているのだと気が付いたから。
 アスカはそれを渡さないために、シンジを拒絶する方策を選んでしまっていた。


 その頃、レイとゲンドウも街に出ていた。
「服、それに日常品、揃えねばならん物は沢山ある、遠慮しないで言いなさい」
「はい……」
 だがそう言うレイの口調に、いつものはっきりとした部位は無い。
「……シンジのことが気になるのか?」
 ビクリとレイは大きく震えた。
「そうか……、なにか誤解があるようだが」
「話し合えば、分かることです」
「そうか……、ならいい」
 ゲンドウの持つ威圧感のせいだろうか?、それともレイの冷たさのためだろうか?
 親子や、それに類似する関係にはとても見えない。
 そんな二人が連れ立って歩いているものだから、傍目にも奇妙に写るだろう。
「レイ……」
「はい」
「幸せになるチャンスは何処にでもある、だがそれを逃さぬようにするのは容易ではない」
「はい」
 深く頷く、まるで経験があるように。
「シンジ、それにアスカ君……、わたしは二人を等しく扱おうとした、しかし不器用だったな……」
 赤い眼鏡を掛け直す。
「アスカ君は……、他人の子だ、シンジとは違う、だがそれだけにシンジに対しては間違いが出来ぬと身構え過ぎて、結局逃げる事しか出来なかった」
 やり方が分からないから……、触れ合う事を避けていた。
「結果、シンジ達を傷つけてしまったかもしれん」
「ですが、やり直しは利きます……」
「ああ……、ああ、そうだな、そして今度こそ家族として……、シンジ、アスカ君、それにレイ……、お前も含めた家族として……」
 口元を奇妙な形に歪めるゲンドウだ、照れているのかもしれない。
 レイはその微妙な変化に、込み上げて来る物を感じていた、それはおかしさだった、長らく感じた事のないものだった。
(でも、心地好い)
 だからレイは、自然と微笑みを浮かべていた。







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