『なにを突然』
その上その物言いからは、あまり良くない話だと窺い知れる。
だがアスカの真剣な眼差しには、拒否し難いものがあった。
深呼吸が聞こえて、シンジは知らず身構えさせられていた。
「あたしのパパとママが別れたの、知ってたよね?」
アスカはゆっくりと語り始めた。
初めの破局は、どちらの側に居たいか?、という質問だった。
「ごめんね、アスカ?」
「いや!、あたしのパパでいて、あたしのママをやめないで!」
「疲れたんだよ、家族ごっこに……」
「パパもママも、あたしがいらないの?、あたし邪魔なの?、いらない子なの!?」
押し付け合っていると感じられた、聡い子供であったから、感じたくも無い事まで感じてしまっていた。
どちらを選んでも、邪魔者扱いされると分かっていた。
押し付け合いの果ての倦怠感が漂っていた、ババ抜きと同じだ、子供の主張を大事にすると言う名目で、面倒を押し付けようと言うのだから。
「これからは自分で生きてくことにしたの、もう生かされてるのはごめんなのよ……」
だから父を選べと言う。
「人に養って貰っておいて、何を!」
「もう自分に嘘を吐くのは嫌なのよ!」
そんな二人に募る思いは、感情は……
たった一つだ。
『あたしは、いらない子供なの?』
「だからね?、そんな悲しい事を言わないでちょうだい……」
『あなたはお小遣いも養育費も貰えるんだから!』
離婚後にぐさりと突き立てられた言葉であった。
だからもう、母には何も求めなかった、ご飯だって、レンジで温めたグラタンをつつくようになっていた。
もちろんコンビニで買って来たものだ。
幼いアスカは、流しに冷めた目をくれた。
コンビニ弁当のゴミが、溢れかえって山になってしまっていた。
「小遣いなら、口座に振り込んでいるだろう?」
思い切っての電話の答え、父の言葉が心に痛い。
「自分のために働かなくちゃいけないのよ、だから邪魔をしないで」
だが母も似たような物だ、アスカに出来たことは、耳を塞いで、布団の中に逃げ込んでしまうことだけだった。
他に逃げ込める場所など何処にも無かったのだから。
アスカは声を殺して泣き叫んでいた、ずっと、ずっとだった。
『あたしのママをやめないで』
『あたしのママのままでいて!』
(独りぼっちなんて寂しいの、寂しいのよぉ……)
「う、うっく、ひっく……」
そんな自分に気が付いてくれたのは、赤の他人であったゲンドウであった。
浮上した幼児虐待の疑惑、施設に迎えに来てくれた人をアスカは認識すら出来ずに、人形のように俯いていただけだった。
「子供の心を見る余裕すらも失くしてしまったか……」
優しい声と、頭を撫でる手つき。
見上げた所には、髭面の恐ろしい男が居た、だが、その目はとても優しかった。
それはずっと望んでいた、夢見ていた、とても昔の、パパやママに似ている瞳であったから……
「う、あ……」
アスカは、泣いた、泣きじゃくった。
「あああああ!」
噛り付いて、大きく泣いた。
男は、おじさんは、泣き止むまで優しい手つきで背中を撫でてくれていた。
それは今でも、時折あることだった。
「そう……」
アスカの話しに、シンジは手のひらを開けたり閉じたり、動かしていた。
「だから、シンジに嫌われて当然だと思ってたの、シンジのパパを取っちゃったから」
告白というより、懺悔に近い。
「嘘、欺瞞なのね……、シンジが寂しがってるのを知ってた、でもあたしは知らない、気が付いてない振りをしてた、しなくちゃならなかったのよ、だって」
手放すわけにはいかない物だから。
「だからシンジに、シンジに恨まれてるって事に気が付いているって気付かせないように、シンジに絡んで護魔化してたのよ、ズルい奴よね……」
震え出した体を止められない。
「なのにシンジは、あたしを守ってくれた、慰めてくれた、怒ってくれた、喧嘩までしてくれた……、ねぇ?」
「なに?」
「シンジは……、あたしのことが好き?」
「……わからない」
正直に過ぎる答えであった。
「わからないんだ、アスカは……」
怖々と訊ねる。
「僕のことが、好きなの?」
アスカもまた、かぶりを振った。
「そう……、だよね」
特に期待していなかったと言う呟きだった。
「でも……」
「でもね?」
お互い、考えていることはたった一つだ。
「寂しいのは……」
「うん……、嫌、だから」
強く抱き合う。
「だから一人にしないで」
「うん……」
「あたしを、一人にしないでよ」
「わかってるよ……」
「あたしも、一人にしたりしないから」
「うん……」
言葉で、体で確かめ合う。
心が少し、繋がり始めた。
余りにも不器用な上に、ねじり曲がった形であったが。
それでも心に、一応の整理がつき始めた事には変わりない、なのにまたしても、波風の立つ真実が一つ、明るみになって、追いすがって来たのであった。
色々あって遅くなった二人を待っていたのは、少々不機嫌そうな顔をしたゲンドウであった。
「どこへ行っていた?」
刺の在る言葉から庇ったのはアスカであった。
「デートです、デート!」
「……そうか」
アスカは追及が来なかった事にほっとした。
シンジは怒られても自分は決して怒られはしないと、ズルい確信を抱いての行動であっても、やはり思い切った事には変わりない。
「あの、ごめん……」
その横で、シンジはレイに対して謝っていた。
「綾波だけ、置いて行っちゃって」
「良い」
レイはすんなりと許した。
表面上は、そうは見えなかったが。
「あの、綾波は何処に?」
「お役所……」
「役所?」
「そうだ、レイの手続きが残っていのでな」
「手続き?、引っ越しの?」
「何を言っている?」
ゲンドウはそんな感じでシンジを見下ろした。
「……碇君の家族になるために」
「え?」
レイの呟きに驚く。
「家族って……」
「戸籍……、養女の手続きの」
「養女!?」
驚いてゲンドウを見上げる。
「言ったはずだ、妹に当たると」
「そんな!?」
愕然とする。
「綾波って、じゃあ綾波って!?」
(血が繋がってるわけじゃなかったの!?)
愕然とするシンジとアスカだった、ではあの、『女の子だったら付けようと思っていた』うんぬんの話しはなんだったのだろうか?
「ああ、シンジ、言っておく事がある」
「な、なに?」
また怒られるのかな?、と身構える。
「レイを頼む」
心が悲鳴を、軋みを。
無音のままに上げた気がした。
自分は父にとって一体何なのだろうか?
都合よく面倒を見る家政婦代わりの存在なのだろうか?
暗い想像が首をもたげる、きっとこの父は自分が居なくなっても、全く困ることはないのだろうと。
それどころか本当の家政婦を雇って、きっと代わりにしてしまうのだろうと。
(僕にはその程度の価値しか無いって事か)
だからシンジは、表面上は納得した顔をして頷いた。
「……わかったよ、父さん」
だがそう答えるシンジの声は、到底優れているとは言えなかった。
続く
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