最初に気が付いたのはケンスケだった。
 カメラのファインダーを覗いていたのだが、昼休み、アスカが自分の鞄から弁当を取り出すのを見てしまったのだ。
(でもまぁ……)
 流して、シンジと、椅子を持って移動して来たレイを同時に収める。
(かな?)
 これが答えだろうと当たりを付けた、一緒に暮らしている、恋人同士となれば、いくらアスカでも遠慮して距離を取ることにしたのだろうと思ったのだ。
 そして次に気が付いたのはトウジであった。
「おっ、シンジぃ、今日のはいつもと感じが違うや無いか」
 頻繁につまみ食い、……盗み食いしていただけに、かなり目ざとい。
「今日はレイが作ってくれたからね」
「かぁ〜〜〜、とうとう愛妻弁当か?」
「だけどさ、驚いたよなぁ?」
 ケンスケは苦笑してレイを見やった。
「なに?」
「そんなん決まっとるやないか」
「そうだぞ、な?」
 ニヤリと笑い合う二人だ。
「碇レイやと、ケンスケはん」
「いやぁ〜、少々早いんとちゃいますか?、トウジはん」
 シンジは力無く笑って護魔化した、苦笑ではない、何処か冷めている。
「アスカ?」
「あ、なんでもない」
 アスカはシンジに似た笑みで護魔化した。
 聞こえた冗談に、馬鹿な事言ってんじゃないわよ、と叫びたかった。
 何気ない冗談が、シンジの肺腑をえぐっているのだと気が付いている、たった一人の人物として、しかしだ。
(シンジが言わないのに、あたしに言えるわけないじゃない)
 アスカはレイの手製弁当に目を落した。
 吐き気がする、嫌悪感ではない、胸焼けだった。
 心労が重なり過ぎて胃に来ているのかもしれない。
 アスカは結局大半のおかずを残し、誰にも気付かれないように捨ててしまった。
 弁当箱を洗う振りをして、そのついでにトイレに寄ったように装おう念の入れようで。
 ジャアと水の勢いと共に流れていくおかずに、嫌な事をしているなと言う気分が沸き起こる。
(それでもあたしは良いわよ、こうして逃げることができるから、知られたからって嫌われても、別に気にもならないし……)
 シンジとは立場が違うのだ。
「あいつ、無理してるんだろうな……」
 心配なのはやはりシンジの事だった、込み上げる嘔吐感に堪えながら飲み下しているのだろうと想像できるから、それも無理をして居る風でもなく、平然と演技して。


 シンジと居られる事が楽しく、嬉しかったのはもはや過去のことになってしまっていた。
 一緒に居ても辛いだけだ、辛い姿を見るだけだ、見ている事しか出来ない自分に、ただただ苦しくなるだけだ。
 そうは思っても無視できないアスカである、お邪魔虫なのは分かっていても、アスカはシンジ、レイの間に割り込んで、共に帰宅することを選んでいた。
「お弁当、美味しかったわ」
「ありがとう……」
「シンジぃ」
「なに?」
「今日の晩は、どうするの?」
「そう、だね……」
 言っても所詮自己流で学んだ中学生の料理である、そうレパートリーがあるわけではない。
 教えてくれる者がいない中でシンジが覚えただけでも奇跡に近いのだ、アスカもそれが分かっているから、「またカレー?」などと不満を唱えることはしない。
 何でも良いと思っているし、単に話題を振りまいただけだった、だが、意外な所から提案を受けるはめになってしまった。
「あの」
 レイだ。
「わたしに、作らせて……」
 ようやくと言った感じで切り出す。
「今日は、レイに?」
 コクリと頷かれて、シンジはアスカに目を向けた。
 すくめられた肩を了承と取って頷く。
「良いよ、今日はレイにお願いするよ」
 レイは微笑を浮かべた、ほっとしたのだろう。
「ありがとう……」
 そんな運びで夕食になったものだから、シンジとアスカはそれまでの時間、非常に気まずい想いをして過ごすこととなってしまった。
 リビングに居るシンジとアスカ。
 二人ともなんとなしにテレビを見ている。
 背後ではキッチンからの物音が聞こえて来る、これはレイだ。
 漂って来る美味しそうな匂い。
 アスカは横目に顔色を窺う、暖かい夕日、だがシンジはどこか霞んで見えた。
 かぶりを振る。
 考え過ぎ、意識し過ぎなのかもしれない、本当はシンジは平気なのかもしれない。
 希望的観測は慰めにならなかった。
(一緒に居るって、約束したじゃない……)
 平気だったらどうなのだろう?、もう傍に居なくてもいいのだろうか?、見捨てて、放って置いても良いのだろうか?
 そこから先、どうなってしまおうと知った事ではないのだろうか?
 アスカは気が付かない、それは自分自身が持っている恐怖の裏返しであるのだと。
 自分がこうして欲しいと思っている事をただしているに過ぎないのだと言う事を。
 だからシンジがこう言えば、アスカには同意する事しか出来はしない。
「ほんとにうまくなったよね?、ほら、美味しいよアスカ」
(シンジ……)
 気が付いていないのだろうと察する、レイに告白した日のように、自分など放り出して二人の世界に入ればいいのに、その輪の中に他人を巻き込もうとするのだ、今は。
「おいしくなかったら食べてないわよ」
 多少、刺が立ってしまった、シンジの苦笑いのような、寂しげな困り顔が目に痛い。
 今日はシンジも相席していた、レイが初めて一人で調理した事もあるし、父が居ない事もそれを後押しする要因になっていた。
 シンジの言葉に、純粋に嬉しそうにしているレイを見ていると、アスカは余計な胸のざわめきを感じずには居られなかった。
(分かってるのよ……)
 シンジの、気持ちも。
 自分がそうであったように、誰も彼女が幸せになる権利を迫害する事など出来はしないのだ、してはいけないのだ、祝福こそをするべきなのである。
 そしてこれもまた自分がそうであったように、例えレイを排除したとしても、もはや『上』からは怒られるだけで、その優しさを向けてもらえる事などはないのだと。
(あたし、嫌な奴だったのね……)
 シンジの立場が、気持ちが、ようやく見えたような気がする。
(でも)
「あたしはシンジのハンバーグの方が良いけどね、レイって肉系が全然なんだもん」
 つい憎まれ口を叩いてしまう。
「アスカ……」
「ごめんなさい……」
「謝らなくてもいいわよ、少しはシンジにも作らせてあげなさいよね?」
「アスカ?」
「シンジの手料理なんだからこの子だって嫌がんないわよ、そうよね?」
「……でも、シンジ君には食べてもらいたい」
 レイの料理はもう人前に出しても恥ずかしくない程度の域には達している。
 それまで全く料理と言うものをした事が無かったと言うのだから、この努力は驚嘆に値するだろう。
 もちろん、アスカにもそれは分かっていた、だからこそ複雑だった。
「ねぇ、あんたどうして料理を作ろうと思ったの?」
 素朴な疑問を装って訊ねる。
「女の子だからってんじゃないわよね?」
 レイは考え込むようにして俯いた。
 料理を始めてから、表現が少し豊かになっているような気がする。
「……絆」
「絆?」
「そう……、家族、との、だから」
(家族か……)
 その言葉に、シンジはますますレイとアスカを重ねていた。
(僕が作って上げたの、みんな自分で作れるようになっちゃったんだな……)
 今日は豆腐ハンバーグも並んでいた。
(悪くない、悪くないさ……)
 少なくとも敵視されてない、嫌われていない。
 無視されてはいないのだから。
(アスカだって優しくしてくれてる、これ以上綾波を泣かせることは無いんだ)
 食卓に並んだおかずの種類は、ともすれば自分が作るよりも多いかも知れない。
 いや、料理だけではない、炊事全般、洗濯、掃除だって手伝ってくれている。
 やがてはこれと同じように、仕事は奪われてしまうだろう。
 それでも、だ。
 例え仕切られたとしても……
 取り合えの無い自分が、何とかやって来た仕事を、その存在理由を奪われたにせよ。
(ずっと良い、はずなんだ……)
 家族。
 シンジはその言葉の中に、自分を含める事が出来なかった。
 家族。
 それは誰を指すのだろうか?、そんなものは決まっている。
(父さんと、アスカと、綾波と……)
 価値の無い人間は不必要なのだ。
 込み上げて来る物が嗚咽に変わってしまいそうになる、だからシンジは、無理にご飯を飲み下して護魔化そうとした、だがそれも気持ち悪さに繋がって、吐き気に転換されてしまった。
 そんなシンジの防衛本能は、体と心に命令を下す。
 ここに居るべきではないのだと。
 ここに居てはいけないのだと、自分が……、傷つくだけだから。
 だから、その翌日は……
「シンジぃ、ええんか?」
「なにがさ?」
 放課後の一時と言うにはもう遅い時間だ。
 勤勉な学生はもう塾での授業を受けている頃合いだった。
 通学路からは外れた商店街にあるゲームセンター。
 シンジの姿はここにあった。
「掃除サボって門限破りだなんてなぁ」
「そやそや、シンジらしゅうないでぇ」
 格闘ゲームに精を出す。
「いいんだ……、ご飯なら綾波が作ってくれるから」
「お、楽になった分は遊ぼうってか」
「……そんなんじゃ」
 ないよ。
 その声はあまりにも小さかった。







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