(わたし、何故、ここに居るの?)
 それは抱いてはいけない疑問だった。
(わたし、何故、ここに来たの?)
 だがもはや抱かずにはいられない疑問符だった。
 ここに来た動機は単純だった。
 碇シンジ。
 それは彼が居たからだった。
(でも、駄目……)
 そう、もはや限界だった。
 自分と言う存在が、不和を導き出してしまったのだから。
 近付き過ぎた。
 それに尽きた。
『一人』の家、孤独。
 ゲンドウはいない、仕事だ。
 アスカは何処へ行ってしまったのだろうか?
 皆が居たはずの家に今は一人だ。
(どうして?)
 どうしてこんなに寂しさを感じてしまうのだろうか?
 あの部屋に……、あの空虚で、うらびれたマンションに一人で居た時には、こんな事は感じはしなかったのに。
(違う……)
『ほんとはシンジを独り占めしたかったくせに!』
 そう、そうなのだ。
 それが全てであった。
(もう、居ない……)
 ここには居ない。
 帰っても来ない。
(温もりは……)
 全てシンジのものだった。
(そう、そうなのね……)
『上げるわ、家族も、家も、温かい食事も、だけどシンジだけは絶対、渡すもんですか!』
 その通りだ。
 家族も、家も、全てが揃っていても。
 それを含めた全てを与えてくれていたのは。
「シンジ君、なのに……」
 声が震える。
 全てを壊したのは自分だった。
 自分なのだ。
『自分達が都合悪くならなかったら良いと思ってる』
 その通りだ。
(わたしは、シンジ君が……)
 それが嘘だった、シンジが変わってしまわなければいいと、この心地好さが失われなければいいと願っていた。
 どうして?
(それは、わたしが……)
 望んでいたから。
 望んでいたのは自分。
 そして望んでくれたのは彼。
「なのに」
 自分はどうだろうか?
 彼の幸せを願ったのだろうか?
 彼女のように。
 笑っていて欲しいと。
 ただ純粋に。
「うっ、う……」
 苦しみは嗚咽となって溢れて漏れる。
 悔しい?、情けない?
 違う。
 申し訳ない。
 誰に?
 全ての人に。
 碇ユイは命をくれた。
 碇ゲンドウは家族をくれた。
 碇シンジは笑顔をくれた。
 そしてアスカはシンジを譲ってくれようとまでしてくれたのに。
(わたしは……)
 ただその全てを無駄にしただけ。
 壊しただけ。
 なら元凶は。
(わたし……)
 自分がいなくなれば。
(全ては戻る?)
 それは分からない、分からないが……
(わたしが居るから)
 誰も帰って来ないのだと。
 レイの中でその考えは、実に正しい物として整理されていった。


 ぼうっとしていた。
 シンジはぼうっとしたまま電車を降りた。
 まだカヲルから聞いた話しが頭の中で渦を巻いていた。
 逃げ出したいし、もう一度吐きたい気分だ。
 電車の揺れも程よく胃の中をシェイクしてくれていた、口に指を入れずとも、体を折って下を向けば、それですっきり出来るだろう。
(でも、駄目だ!)
 それはしてはいけないのだ。
(レイを泣かせたんだ、傷つけたんだ!、父さんだって……、悩んでたんだ、それを知らないで、僕は!)
 自分の我が侭ばかりを叩きつけて。
(どうすれば、どうすれば、どうすれば)
「シンジ!」
 知った声にびくりと脅える。
「あ、すか……」
 人が流れて消えて行く。
 立ち止まったシンジを邪魔だとばかりに避けながら。
 アスカは……、一旦俯いた後で震え出した。
 顔を上げる、怒りで真っ赤に染まっていた。
「アスカ……」
 つかつかと歩み寄り、大きく手を振り上げる。
 パン!
 よろめいたのは痛かったからではなくて。
「あ、アスカ?」
 彼女がしがみ付いて来たからだった。
 平手の音を聞いて首をすくめ、立ち止まった人達も、呆れたようにして再び足を運び出した。
 シンジは……、どうする事もできなくて、人の目を気にしながらアスカを支えた。
 そして気が付いた。
 彼女が小刻みに震えている事に。
(アスカ……)
 だから謝る。
「ごめん……」
 ぴくりと反応。
「また……、泣かせちゃって」
「だったら!」
 叫ぶ、……声は小さく。
「だったらっ、余計な心配させないでよ!」
「うん……」
「あんた傍に居るって約束したでしょうが!、ずっと居るって、一緒に居るって!」
「うん……」
 ぼそぼそと囁くような訴えには、覚えのない部分があった、それでもシンジは頷いて謝った。
 そこに彼女の本音を……、希望を見たような気がしたからだ。
「ごめん……、でも一人になりたかったんだ、なって考えたかったんだ、色々な事を……」
 そこでシンジははたと気が付いて彼女に訊ねた。
「でもアスカ、どうしてここが……」
 アスカは軽く曲げた指で目元を拭いながら離れた。
「渚から、電話があったのよ……」
「カヲル君から?」
「あんたが帰って来るから、迎えに行ってあげて欲しいって、ねぇ?、どうしてあいつと……、あんな奴と何してたの?」
 アスカの記憶の中には反吐の出る光景が刻まれていた。
 それは密会し、はにかみ合っていた二人の姿だ。
「ねぇ、何処に……」
「それは」
 言おうとして、シンジは迷ってしまった。
 そして気が付く。
(そっか……)
 綾波レイ。
 そして父、碇ゲンドウが、どうして話してくれなかったのか。
 話そうとして話せる物じゃない。
(僕は、もうレイに無理に話させたりしないって、辛そうにするから、だから)
 こんな気持ちだったのかと真に知る。
(僕は、酷い奴だったんだな)
「シンジ?」
 突然薄ら寒い笑みを浮かべたシンジを怪訝に思う。
「どうしたの?」
「ううん……、ちょっとね、ここじゃ……」
「ああ、そうね、そう……」
 じゃあ、とアスカはシンジと腕を組んだ。
 手を握り掴んだ上で、腕を絡めた。
 そして引っ張る、静かに話せる場所を探して。
 それは結局駅を出た、雑踏の中となってしまった。


 人ごみの中、それは誰も他人を気にしない空間だ。
 二人は駅前のごみごみとした、その内の一つの植木の段に腰掛けた。
 端から見れば、多少深刻な話しをしているカップルに見えただろう、しかしシンジの語った内容は、真相は。
 ただ事で済むような物ではない。
 例えアスカの父が関わっていると言う部分を意図的に削除したとしてもだ。
 ショックな事であるのには変わりなかった。
「なによそれ」
 結果、アスカが抱いた感想はそれだった、憤りだった。
 憤慨だった。
 レイに対する物ではない。
 自分自身へのものであった。
「結局……、僕ってさ、子供なんだね」
「シンジ……」
「何も出来ない、やれないくせに、して欲しい事ばかりで……」
 ぎゅっと拳を握り込む。
「綾波が好きだったんだ、レイが好きだった、好きだったんだと思う、それはほんとなのに、だったらさレイの喜ぶ事をして上げて、ほら……、料理教えてあげてた時、笑ってたじゃないか、喜んでくれてたよね?、レイ……、なのに僕は、素直に喜んであげる事が出来なかったんだ」
 ふうと息を吐き、夜空を見上げる。
「父さん……、レイもだよ、カヲル君が言ってたんだ、教えてくれたんだ……、自分達が何をしているか、どれだけ酷い事をしているか、どれだけ悪い事をしているか……、それでも助けたい、生きたい、生き続けたいって思ってるって、僕は馬鹿だ、父さんはそれでもレイ、カヲル君を助けようとしてる、レイもカヲル君も、母さんや父さんの気持ちを……、生き続けて欲しいって気持ちを無駄にしないようにって、それでも我慢して、隠して、堪えて……」
 耐え切れずにシンジは項垂れた。
「それなのに!、僕がしたことって言えば……」
 傷つけ、余計な事を表に引きずり出しただけだった。
「でもそれはあたしも同じだわ……」
 アスカは慟哭と共に語り始めた。







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