「あたしね……、酷いこと、言ったんだ」
 そしてアスカも告白した。
 アスカにとっては長く、聞く側にとっても心苦し過ぎるような内容であったが。
「そっか……」
 シンジはアスカの話しに頷いた。
「どうしてだろうね……」
 シンジは落ち付いた声で話した。
「今は話してくれれば良かったのにって思うんだ、そしたらきっと、ちゃんと納得できたのにって……、でもね?、きっと教えられてたら、そんなこと言えなかったって言うのも分かってるんだ、ちゃんと分かるんだ、きっと僕は綾波に酷い事を言って、嫌ってたんだろうなって」
「うん……、あたしも……、嫌ってたと思う」
「だよね?、話してくれてても、くれてなくても、結局僕は綾波を、レイを傷つけてた、もし知ってたなら、僕は綾波にこんな気持ちになってたのかな?」
「こんなって?」
「綾波に悪かったなって、レイに酷い事をしたなって、……きっと平気で傷つけて、お前が悪いんじゃないかって言ってたと思うんだ、きっと」
「そんなこと……」
 アスカはそれを否定した。
「そんな事ない!、あんたはそんなこと言わない……」
 それはアスカだからこそ言える事だった。
「だったあんたは……、あたしにだって優しくしたじゃない、本当は嫌ってるくせに、苦手なくせに、それでも……」
 手を握り込む。
 シンジが握ってくれた手を。
 レイと同じ癖だとは気付かずに。
「あんたはいつだって自分より優しいじゃない……」
 他人に。
「アスカ……」
「あ〜あ、妬けちゃうなぁ」
 わざとらしく背中を向けるアスカだった。
「あたし、あんたが嫌いだった、だってシンジって、いっつもウジウジしてたから」
「うん……」
「けど、それってあたしのせいだって分かったから」
「え?」
「だから……、しょうがないんだって、あたしが悪いんだって、だから」
「アスカ?」
 ぐしっと鼻をすする音がした。
「どうして、あんたなんか好きになっちゃったんだろ」
「え……」
「だって、落ち込んでる時はチェロを弾いてくれるし、嫌な事があるとずっと付き合ってくれるし、傍に居てくれるし……」
 最初はゲンドウだった。
「気が付いたら、おじさまよりもあんたにせがんでた、でもね」
 それでも、嫌われてると信じていたから。
「ここから出なくちゃ行けない、あたしが居るとシンジの重荷になるからって」
「そんな」
「最初にね!」
 震えながら続ける。
「最初に好きだったんだなって気が付いたのは……、あの時」
 キスした時。
「それでも良いって思ってた、あいつが好きならそれでも良いって、だって寂しいのが嫌だっただけだから、だから必死だったのかもしれないわね、あんたの傍に居る理由が欲しくて」
 顔に嫌悪を滲ませる。
「なのにそんなあんたを、優しいあんたをどんどん追い詰めてく、壊してくあいつが憎くて堪らなかったの、それでもあんたが何も言わないんじゃあたし、何も言えないって、そんな風に、それもあんたのせいにして」
「アスカ……」
「あいつを傷つけるのが恐かったの、あいつを傷つけたらきっと」
 シンジはそれ以上に傷つくから。
「だからあんたが居なくなって、きっと死ぬつもりなんだって思ったの、だって……、あんたってママに似てるから」
「お母さんに?」
「うん……、似てるってんじゃないわね、どんどん似ていくから、恐かったの、恐くて……」
 震えていた。
「居なくなったあんたに、完全にママが重なって……、だからあいつとおじ様に、どうしてシンジに優しくして上げないんだって、あたしも、捨て犬や猫と同じで、ただ可哀想だって思ったから拾っただけなのかって……」
 肩越しに振り返った彼女は笑っていた。
「酷い奴よね、あたし」
「アスカ」
「返さないと……」
 優しい言葉を跳ね付ける。
「やっぱり、あたしのものになんて出来ない、あたしだけの物になんて」
「アスカ……」
「触らないで!」
 アスカは叫んだ。
「あんたなんか嫌いっ、大っ嫌い!、嫌い……、嫌いなんだからぁ……」
 弱々しく、泣く。
 シンジは一端はさ迷わせたものの、結局はアスカの体を抱き締めた。
 凍える心を抱き締めるように。
 そしてアスカの本心は、その腕に添えてしまった手のひらにこそ現れていた。


 いつかはシンジが引くようにしてアスカを連れ歩いた。
 行き場を無くした捨てられ子を誘うように。
 だが今日は違っていた、かと言って立場が逆転したわけでも無かった。
 二人は手を繋いで歩いた、その様は世間から見放された兄妹そのものだった。
 互いに、何かに脅えて身を寄せ合って、人の目を気にして、声に耳を立てて身をすくめて。
 気落ちした姿は痛々しい雰囲気をかもし出していた、びくびくとしているためか歩幅は小さく、歩みも遅く、ともすればその場に立ち止まって、恐怖から立ち竦んでしまいそうな感じであった。
 それでもだ。
 シンジの顔には決意が色濃く現れていた、きゅっと引き結ばれた唇には、自責とこれから相対する物に向かうための意志が顕在化されていた。
 だがそれも、手を握り返してくれている少女の存在があってこそのものだろう。
 シンジと変わらぬ罪を犯したと感じているアスカだ、一人で謝れぬものも二人でなら。
 そんな不純な支えあいが、二人の間に絆となって引き結ばれていた。
「ただいま……」
 そんなだから、自然と声も萎みがちな物になってしまっていた。
 喉が渇く、癒すために唾を呑み込む。
 それがまた張り付いて、妙な悪循環をくり返す。
 一瞬、反応があったらどうしようかと思ってしまったシンジであったが。
(逃げてどうするんだよ!)
 それを乗り越えるためにこうして帰って来たはずなのに。
 シンジは心細いながらも、繋いでいた手を離した、離してもらった。
「シンジか」
 ドキンと鼓動が跳ね上がった。
「父さん……」
 言いたい事が募る、言わなければいけない事がある。
 奥から姿を見せた父に、シンジは必死の思いで口を開いた。
「あの……、ごめん」
 だが顎ががくがくと震えて、恐怖から頬が引きつってしまい、思うような言葉を吐けなかった。
「勝手に、勝手に……」
 言葉を探す。
 留守にした?、家を出た?
(違う、そんな話しがしたかったんじゃない)
「シンジ……」
 シンジはそっと背にあてがわれた手の温もりを弾みにした。
「……母さんに、会ったよ」
「そうか」
「僕には、父さんのことも、母さんのことも」
 唾を呑む。
「綾波の……、レイの、カヲル君のことも良く分からない、分からなかったよ……、どうすれば良いのかも、どうしてあげれば良いのかも分からない……、違う、まだ考えたくないって思ってるんだ、考えると、これで良いんだって、それで良いじゃないかって、無理に納得しようとするのが分かってるから!」
 シンジは自分に対して吐き気を覚えた。
 まだ自分を守ろうとしている自分にだ。
「分かってるんだ!、そんなのは自分のためでレイのためなんかじゃないって!、まだ自分が可愛いんだ、自分が……、傷つかなければいいって、思ってる」
「……」
「僕は、臆病で、弱虫で……、でも」
 ぐっといつもの自虐を抑えて踏みとどまる。
「一つだけ、教えて」
「なんだ」
「僕は……、謝りたいんだ、謝って、また笑ってくれればいいって思ってる、けど、どうしたら良いの?」
 ぎゅっと唇を噛む。
「レイのために、僕に出来る事って」
「優しくしてやれ」
 父の言葉に顔を上げる。
「父さん……」
「今はそれで良い」
 父はもう背を向けていた、だが歩み去ろうとはしていない。
「ユイの言葉だ、生きていこうとさえ思えば何処であろうが天国になると、生きてさえ居れば、幸せになるチャンスは何処にでもあると、だがな」
 顔を見せないままに上向ける。
「幸せは何処にあるのか、生きていてどうだったのか、わたしはユイを失った時に考えるのをやめようとした、ただユイの願いを叶えるためだけにその行いをなぞり続けた、そして、レイにその結果を求めた」
「父さん?」
「わたしにとってレイは逃避の産物に過ぎない、それが分かっていたからこそレイは養女の話を受けなかった、お前と出会うまではな」
 ガンと衝撃。
「僕、と……」
「そうだ、レイは言ったよ、幸せが何処にあるのかは知らない、だが自分自身の意志がなければ手に入れる事も、作り出す事も出来ないのだろうと……、レイはそれをお前に求めた、そのものか、きっかけかは分からん、わたしにではないのだ、それだけは忘れるな」
 シンジは唇を噛み……、噛み切り、拳がみしりと音を立てるほどに握り込んで、それでも飽き足らず、自分を心の中で罵倒し、殴った。
「分かったよ、父さん……」
 渚カヲルは言っていた、誰よりも信じていると。
 だがその父もまた自分の行い故に嫌われていると思っていた。
(カヲル君の言う通りなのか、結局、誰も、彼も……)
 どうしていいのか分からなくて、恐ろしくて、踏み込めなくて。
「シンジ……」
「うん」
 シンジはアスカに頷いた。
「レイに、謝らないと」
 アスカもコクリと頷いた。
 しかし時は少しばかり遅かった。
 この家の中からは、もう碇レイの姿は消えていた。



続く







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