「あんた」
「カヲル」
アスカの言葉を遮ってまで。
「何をしたの」
アスカは目を丸くして驚いた。
シンジの前では脅え、甘えるような真似をしていたレイが、こんなに強い口調で物を吐けるとは思わなかったのだ。
(猫被ってたってこと?)
「カヲル」
アスカの考えを肯定するような声だった。
「僕はただ、見せてあげただけだよ」
「何を……」
「ユイ母さんをさ」
くらりと立ち眩みを起こしてレイは倒れかけた。
「綾波!」
咄嗟に支えるアスカだ。
「なんてことを、なんて……」
うわごとのように呟く、そんなレイを見ながらカヲルは口にした。
「どうして君達は、そう彼を苦しめるんだい?、本当は好きなくせに」
笑みを張り付けたままで睨み付けるカヲルだ。
「彼はお母さんを見たよ、死んでいる事も理解した、それでもこう口にしたんだよ?、レイ、君に何て言って謝れば良いんだろうってね?」
「わたしに?」
「そうだよ?、分かるかい?、僕達の持つ原罪を知ってなお彼はそう言ったのさ、贖罪をすべきは僕達であるのに、彼は自分の存在こそが罪悪なのだと口にしたんだよ、生きるべきは僕達だとね、死すべき存在、願い、望まれなかった僕らに生きる喜びを知って欲しいと思ってくれたのさ、……あの人のようにね?」
「ユイ、お母さん」
「そうさ、やっぱりあの人の子供なんだねぇ、シンジ君は」
微笑みを見せる。
「良いのかい?、このままで」
言い迫る。
「覚えているかい?、忘れるはずが無い、そうだろう?、あの日のことを……」
いつも来てくれる日に、不安になった日のことを。
毎週決まった曜日に、遅れることなく会いに来てくれた人が来てくれない。
「僕達はまた捨てられたのかと脅えていたね?」
でも違った。
もっと最悪だった。
「そう、ユイ母さんは、僕達に全てを与えてくれた、その命まで」
(綾波、あんた……)
小刻みなどと言う物ではない、がくがくと震えていた。
「シンジ君も……」
「このままではそうなる」
カヲルは断言した。
「例え生きているとしても……、ユイ母さんの言葉を覚えているかい?、生きてさえいれば幸せになれる、何処だって天国になる、その通りさ、生きていこうとさえ思えば、生きて行こうとする心さえあれば……、彼は言ったんだろう?、レイが嫌がるようだから、もう顔は見せないってね」
「わたしは」
「僕に言っても、しようがないさ」
ぴしゃりと押さえる。
「彼は生きる事を止めようとしている、生きていく希望を、望みを、夢をくじかれ、糧さえ取りこぼし、見失っている、何も出来ない自分は必要ない、何も成せない自分には価値は無い、だから彼は死を選ぼうとしている、彼は知ったからね、全てを明け渡す方法を」
目を丸くする。
「そんな……」
「そう、お母さんを見て、お母さんを知って、自分に成せる事に気が付いたんだよ、惣流さん?」
「なに……」
「シンジ君が居なければ、君はレイと友達になって居たかい?」
「……そうね」
「そう、少なくとも摩擦は減っていただろうね、そしてそれはこれからでも間に合うのさ」
「え?」
「嫌っ!」
「聞くんだ、シンジ君が居なくなれば、君達は申し訳なさからお互いを慰め合う、支え合う、彼を礎としてね?、そうだろう?、自分を無くそうとしてまで幸せを願ってくれた彼を前に、君達は喧嘩が出来るのかい?」
実際、今、レイは崩れ落ち、アスカがそれを支えているのだ。
シンジが……、シンジが去ろうとしているだけで。
「レイが居なければどうだっただろう?、惣流さんはシンジ君を置いて去っていたはずだ、そうだろう?、では何が悪いんだい」
「シンジじゃない!」
「じゃあ誰が悪いんだい?」
「それは……」
答えられない。
「それは」
「別に誰が悪いわけでも無いさ」
見上げると、カヲルは何処か遠くを見ていた。
「でも全員が間違っていた、少なくとも僕はそう思うよ……、そして今でも間違っているとね」
アスカに願う。
「行かせて上げてくれないかな?」
「え?」
「レイを、彼の元に」
アスカはぐっと詰まったが、レイの見上げる目に気が付き、一瞬だけ顔を逸らした。
そして笑顔を向け直す。
「行くんでしょ?」
「アスカさん……」
「立って……、立ちなさい、立ちなさいよ!」
レイはびくりと脅えて立ち上がった、震える膝で、挫けそうになりながら。
「あたしの言ったこと、覚えてるわね?」
アスカは念を押した。
「自分が都合悪くならないなら、それで良いって」
青ざめつつも頷くレイ。
「なら約束して、シンジはきっと……、どんなことでも受け入れるから、受け止めてくれるから」
自分の時もそうだったから、今度もそうだと言い切れるから。
「絶対に、もう、傷つけないって……」
「待てや!」
恐らくは……、ほとんどの話を隠れ聞いていたのだろう。
「待てや……」
「鈴原?」
「鈴原君?」
昇降口を塞ぐようにしている。
その顔には苦悩が見て取れた、話しの根幹については理解していないはずだ。
それでもトウジは怒りを顔に張り付けていた。
「聞いてたの?」
訊ねたのはアスカだった。
「なんでや」
それが引き金になった。
「なんでや!、あんだけ辛い思いして、嫌なんやろが!、なんでシンジを追いかけなあかんのや!」
レイは前に歩いた。
顔を上げて。
「嫌じゃ、ない……」
「嘘吐け!」
決め付ける。
「そやったら、何で泣きそうやったんや!、そやから無視したんと違うんか!」
レイはぐっと詰まった。
先程アスカに言われたばかりだからだ、そう見えたと。
「違う……」
「違わへんやろ!、そやったら何で逃げたんや!」
レイはアスカとの約束を守った。
「シンジ君に……、また、笑って欲しかったから」
「あ?」
「また、笑って欲しかった……、優しく」
「あいつは優しなんか!」
「優しかった、誰よりも……」
気落ちした様子を見せる。
「そう、わたしが居なければよかっただけ、本当なら居ないはずの人間だから、わたしが居ない事の方が自然だと思う、だから」
ためらう、それでも告白する。
「離れようと思った、それだけ」
カッと激昂する。
「それだけやと?」
「ええ……、シンジ君に返そうと思ったの、家も、家族も、……何もかも」
「そやかて……、ええんか、それでええんか!」
レイはかぶりを振った。
「いけないのは、わたし、だから」
「何がっ……」
「シンジ君は……、何もかもを与えてくれたわ、優しさも、温もりも……、家も、家族まで譲ってくれた、何もかもを手放して、何も無くなるくらいに、わたしにくれたの」
比喩では無く。
「笑顔まで」
だけど。
「わたしは、笑っていて欲しかった」
何よりも。
「それが一番だったから」
家、家族、料理、それは彼に喜んで貰いたくて。
「わたしが一つ喜びを覚える度に、シンジ君は楽しい事を無くしていくの、だからわたしは傍を離れることにした、でも」
それさえも彼を傷つける事に繋がってしまったのだ。
(だって、シンジ君は)
望んでくれていたのは。
「楽しい事も、嬉しい事も見付けたの、教えてもらったの、でもわたしは何もして上げられなかった、何も返して上げられなかった、……奪うだけだった、だから」
去ろうとした。
「なのに、それでも」
くっと顎を引く。
「傷つくのは、嫌」
「綾波……」
「でも寂しいのは、もっと嫌」
ギュッと目を閉じ、拳を握る。
「だけど一番嫌なのは」
大切な人の笑顔を奪うこと。
「だから」
さよなら。
立ち尽くしたトウジを押しのけるようにしてレイは駆け出して行った。
暫く呆然としていたトウジであったが、やがてずるずると背をこするようにして崩れ落ちていった。
「綾波ぃ……」
ドアにもたれて呆然とする。
そしてそんなトウジを心配する声。
「鈴原……」
「ヒカリ、居たの?」
「え?、あ、うん……」
気まずげにドアの影から出て来た。
「ちなみに俺も居るんだけどね」
「相田まで」
アスカは溜め息を吐いた。
そして耳に触る笑いにブスッくれる。
「なによ」
「いや、君の言う通りだと思ってね」
「なにが」
カヲルは空を見上げた。
「レイを思ってくれてる人は、シンジ君一人だけじゃないと言う事さ」
そして同時に。
「それもまたシンジ君が与えた友人か……、鈴原トウジ君、だったね」
屋根の下に居る人物に話す。
「君は何も知らずに傷つけた、傷つけてそれで満足した、それがシンジ君と君との違いさ」
それだけは伝える。
「自分が傷つくよりも人が傷ついた方が痛いってことを知っている、それは君も同じなのに、どうしてシンジ君と違うんだろう?、答えは簡単だよ」
「なんや……」
「君は、君が満足するためだけにレイを守ろうとした」
「シンジは、綾波や……、あたしや、あんたの事だけを考えて……」
「そうだね」
含めてくれた事に、感謝を伝える。
「幸せの譲り合いがこの悲しい状況を作り出してしまった、誰もが相手の幸せを強く、強く願ってしまったから」
そしてその中でも、一番強く、一番沢山の人達の幸せを願ってしまったから。
放棄する事しか選び出せなくて……
「利己的な欲を持たずに、何処までも尽くすことができる、奇特な事さ」
カヲルはそう茶化す事で、シンジと自分達の間に繋がった、傷口と言う名の絆の正体を潜めてしまった。
これ以上は口にするべきでは、きっと無かった事だから。
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