「レイ……」
 シンジは去って行ってしまった車に未練を感じながらも、今は彼女をと意識を切り替えた。
 複雑な想いが、様々な感情が交錯し、膨らむ。
 だがシンジはそれを抑え込んだ。
「レイ、どうして、ここに……」
 レイは縋り付くようにシンジのシャツを握り込んだ。
 離されないように。
 突き放されないように、逃げられてしまわないように、だって。
「嫌……、嫌なの、嫌なの、もう……」
 泣き顔を擦り付ける。
「家もいらない、家族もいらない、温かい食事も、布団もいらない、だから」
 鼻をすする音に胸を締め付けられてしまう。
(何を……、何をやってるんだよ、僕は!)
 偉そうな事を言っておいて。
 自分の言い放った言葉が自分に返る。
 ナイフのように鋭く切り裂く、熱い物が噴き出し、こぼれる。
(こんなにも望んでくれてるって言うのに、泣かせて!)
 何故無視されてしまったのか?、それが辛かった、だから逃げようとした。
(そうだ、逃げようとしたんだ、してたんだ!)
 何故無視されたのか。
 嫌われたから?
 それとも逃げ出したから?
 それを知らなければ、考えなければ。
 計らなければ、またこれまでのくり返しになって、傷つけてしまうだけなのに。
「レイ」
 シンジは言い聞かせるように口にした。
「もう良い、もう良いんだ」
「シンジ君」
 拒絶する言葉に絶望が噴き出す、しかし。
「もう良いんだよ、そんなこと」
「でも」
「色々あったんだ……、色々なことを話して、聞いて、それでね?、今日、レイに無視されて」
 脅える事も出来ないほどに抱きすくめる。
「さっきまで落ち込んでたんだ、どうしてかな」
「それは……」
「レイが、好きだから」
「シンジくっ……」
「好きだ、好きなんだと思う……、レイに優しくしてあげなくちゃとか、レイが笑っていてくれたらとか、色々思ったんだ、思ってた、だけど」
 耳に息を吹き込むように囁く。
「最初は何も知らなかったもの、知らなかった、ただ笑って見せて欲しかった、でもレイの事が分からなくて……、レイが話してくれないから分からないとか、レイのせいにしてた、けど」
 それだって。
「レイが好きだったから、だから話して欲しかったんだ」
「うん……」
「それに今、おじさんとね?、話してて思ったんだ」
「なに?」
「我慢すればいいって……、我慢して、もうレイと会うことがないくらい、遠くに行ってしまおうって」
「シン……」
「でもね!、でも、我慢って……、我慢って何でだよって思ったんだ、そんな我が侭を言う権利があるのかなって」
「我が侭?」
「そうだよ、レイが好きだから、纏わりついていたい、しつこくしたい、好きだって言いたい、キスだってしたい!、そんな事考えたんだ」
 半分は今考えた事だった、あの時浮かんだのは、前半の一割にも満たないだろう。
「心が張り裂けそうなんだ、こうしなくちゃ、ああしなくちゃって、そのためにこう考えなくちゃって、こんなこと想っちゃいけないって、でももう、限界だ」
「シンジ君……」
 レイは告げた。
「大事な人って……、わたしのこと?」
「え?、あ……」
 さっきの、自分の台詞を思い出す。
「うん……、そうだけど」
「うれしい……」
「レイ?」
「こうも言ってた……、本当に大事なら、傍に居るべきだって、最初は、アスカさんの事かと思った、けど……」
 いたいけな瞳で見つめる。
「……信じて、良いの?」
「レイ……」
 シンジは謝る。
「ごめん……、ごめんね、レイ」
 だが否定でないことは温もりで伝える。
「だからもう良いんだ、どうだって良いんだ、ただこうしたいから、こうしていたいから、他には何もいらない、いるもんか!」
「シンジ君」
 レイは固く硬直した指を何とか緩めると、その腕を彼の体に回した。
「わたしも……」
「僕はまだ子供で、守る事も出来なくて、臆病で、傷つけてばかりで、間違ってばかりでっ、人の心なんて何も分からないけど、でも!」
「ううん、わたしは今、こうしていたい、シンジ君はこうしてくれている、それはとてもとても、とても嬉しい事だから」
 頬を擦り合わせる。
「他に何も望んだりしない、こうしてくれていれば良い、わたしは……、それだけで満たされるから」
「ありがとう……」
 レイはシンジの言葉にくすりと笑った。
「シンジ君……、おかしい」
「なんで?、どうしてさ」
「お礼を言うのは、わたしだもの」
「違うよ」
「どうして?」
「居て欲しいって思って貰えたから、必要だって思われたからここに居るんじゃないもの、レイの傍に居たいのは、僕だから」
「そう」
 じゃあ、と言い換える。
「よかったわね……」
「うん」
 −よかった−
 シンジは心の内側でその言葉を何度も何度も反芻した。
「シンジぃ!」
 そして聞こえた、アスカの弾んだ声にシンジはほころんだ顔を見せた。
 抱き合っていた体を離す、不安そうにするレイに、手を繋ぎ微笑む事で許してもらった。
 走り寄って来たアスカは、そんな二人に微笑を浮かべた。
 −よかったわね−
 −はい−
 シンジはアスカの言葉に笑ってしまった。
 レイが言ってくれた、アスカもよかったと口にしてくれた。
(みんな、そう言いたかったんだ)
 こんなのは嫌だって、みんな叫びたかったんだな。
 シンジはそう、痛感した、痛感して想った。
 −幸せが何処にあるのかまだ分からない、だけど生まれて来てどうだったのかはこれからも考え続けると思う−
 人を傷つけて、泣かせて、自分の情けなさに呆れて、自己嫌悪に浸って、ぬか喜びや勘違いをくり返して、その度に絶望して。
 −それでも僕は考え続けたい−
 絶望する度にこうして希望を……、ひとかけらの希望を見付けてそれに縋って。
 例えそれもまた次の絶望に繋がるだけであったとしても、それでも希望を、願望を、夢を、欲望を、何でも良いから、作り出して、見付け出して、みっともなくても生きて行こうと、シンジは決めた。
(どんなに嫌な事が続いても、こうなったら良いなって、こう出来たら良いなって、そう思うことだけは出来るはずだから、幸せになんてなれないのかもしれないけど、そう思わなくちゃ幸せになんてなれないはずだから)
 だから歩いていこうと思った。
 幸せになるために。
 自分勝手な思い込みでも、祈りみたいなものであっても。
 それを叶えるために。
 叶えてもらうんじゃなくて。
 叶えて上げられるように。
(その度に、前に進めるはずだから)
 後悔しても、諦めないで。
 少しでも幸せに近付けるように。
 手を繋いでいる姿に嫉妬して、残っていた手に組み付くアスカ。
 シンジは喜んで、組むだけじゃなくて、指も絡めた。
 そうして、両腕の重さを確かめた。
 青い髪の女の子は拗ねるように所有権を主張し、赤い髪の子は独占しようと嫉妬している。
 二人の望みが今は分かる。
 今は確かに感じられる。
 これが感じられるのならばきっと、きっと応えて上げられると……
 シンジは微笑みをその顔に浮かべた。
『今の僕達には何があるって言えないけど、いつか……、いつか必ず、それはずっと先のことかもしれないけど、何か見つかるかもしれないから、一緒に居て良かったって思える時が来るかもしれないから、だから』
 真っ暗で何も見えない道であっても歩いていこうと。
 シンジは心に、密かに決めた。
 青空にも浮かぶ月のように。
 気が付けばそれはそこにあるはずだから。



そして願いは、想いへと







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