L.A.S.LAST BREAK 5
「……僕に、父さんの代わりをさせたいの?」
シンジはそう感想を漏らした。
ずぶずぶと手が抜けていく。
「そうかもしれない」
「残酷だね……」
「わたしは碇司令に求めていたわ……」
ゲンドウと同じように、何かを。
そっとシンジの首に腕を回す。
「でもそれは司令には見つからなかった、わたしは碇君の中に見つけたのよ……」
ギュッと唇を噛むシンジ。
「……代わりにしないでよ」
シンジはようやく涙を見せた。
「碇君?」
抱きついていたレイが顔を上げる。
ポタリ……
そのレイの頬でシンジの涙が跳ねた。
頬を伝い、レイの唇へと流れていく。
レイの口の中に、涙の味が広がっていく。
「僕は誰かの代わりじゃない、でも代わりにできる人間なんだ……、僕自身に価値なんて無いんだ、わかってるよ、わかってるんだ……、だからお願い、僕に求めないで……」
レイは背伸びをするように、シンジの目元にキスをした。
そしてすくい取るように涙を拭う。
「司令にはなかったもの、わたしに心を開いてくれた人達にもなかったもの、それは碇君だけが持っているもの……、それがわたしの望むものよ?」
「僕に……、どうしろっていうのさ?」
レイは絡めていた腕を離し、代わりに腕をなぞるようにしてシンジの手を取った。
「側に居て……」
「綾波?」
「ただ、側に居て、それだけ……」
シンジは黙り込んでしまった。
綾波……、本当に僕なんかでいいの?
だがシンジは同時にこうも考えていた。
浮かれちゃいけない、信用しちゃいけない、また傷つくだけだから。
きっとくり返しになる、綾波は僕以上の人を見付ける、僕はその程度の人間だから……
レイの真摯な瞳を見てすら、シンジはその本心を感じ取ることはできなかった。
うふふふふ……、そろそろかしらね?
アスカは「ぐふふ」っと奇妙な笑いを漏らしながら、ばたばたと服を脱ぎつつ廊下を歩いていた。
「ほうらシンジ、ようく体を洗って待ってなさいよ?」
最後に足を持ち上げて靴下を脱ぎさる。
「シンジィ〜って、なっ!?」
風呂場に飛び込むアスカ。
そこには裸のシンジを誘惑する、着衣の乱れたレイが居た。
「あああ、あんたなにやってんのよ!」
動揺するアスカ。
「なに?」
すっとシンジから離れた拍子に、はだけた部分からレイの胸の全てが見えた。
かーっと逆上するアスカ。
「なにシンジを誘惑してるのかって言ってるのよ!」
「それはあなたのことでしょ?」
うっと唸るアスカ。
全身素っ裸では反論のしようが無い。
「あ、あたしはいいのよ!、だって……、あたしがシンジにあげられる物なんて他に何も無いんだから……」
「アスカ?」
シンジは怪訝そうな顔をした。
「……ごめんねシンジ、あたしベッドの上でしか素直になれない女だって星占いで出てたのよ」
勢いで胸を張ったらたぷんと揺れた。
「ここはお風呂場よ?」
突っ込むレイ。
「うっさい!、この後ベッドに行けばいいのよ!」
アスカは叫びながらもシンジの股間部を見ていた。
以外と小さい……、のかな?、標準で十何センチって聞いたことあるのに、十センチも無いじゃない?、あ、そっか、これから大きくなるのよね?、ってことは、この女じゃ感じなかったわけだ!
アスカは勝ち誇ったような笑いを上げた。
「勝ったわ!」
「なにが?」
「うっさいわね!、ちょっと良いとこなんだから黙ってなさいよ」
「ごめん……、なさい」
沈み込むシンジ。
「あ、ちが!、シンジだったの?、その女かと思ったのよ!」
「……いいよ、無理しなくても」
「無理なんかじゃ!」
「……僕、もう寝させてもらうよ、じゃあ」
「「あ!」」
レイとアスカは同時に声を出し、そして同時にお互いを睨んだ。
アスカは見下すように、レイはねめあげる様に。
「バカ!」
「間抜けてるのね……」
その間にシンジは自分の部屋に戻っていた。
お風呂、入れなかったな……
シャツを探す。
Tシャツ……、ないか、カッターでいいや。
制服用のものに袖を通す。
面倒なので前ははだけたままだ、生白く、貧弱であばら骨の浮き上がった体が見えている。
シンジはぽてんと横になった。
かつてのミサトの部屋よりも汚らしい。
しかし埃も汚れも、臭いも気にならなくなっていた。
なっていたはずなのに……
横になったとたん、体に染み込まされてしまったレイとアスカの香りが鼻孔をついた。
お風呂、入りたいな……
その甘ったるい匂いが、シンジに忘れていた欲求を思い起こさせる。
だからってどうするんだよ、するのか?
シンジはうつぶせになって、布団の上に顔を埋めた。
アスカ、そのつもりだったのかな?
でも思い出す。
気持ち悪い……
ズキンと胸が傷んだ。
「僕はバカだ、何を信じようとしてるんだよ?、利用しようとしてるに決まってるじゃないか!」
声に出して、自分自身に言い聞かせる。
「綾波だってそうだ!、なにが僕にしかないものだよ!、そんなの、もう……」
無くしちゃったよ……
言葉にはならなかった。
同時に涙が込み上げたから。
ひっく……
嗚咽に混じって消えてしまう。
「……シンジ?」
シンジはびくっとして息を潜めた。
堪えられなかった嗚咽さえも止めてしまう。
「あたし達、今日は帰るから……」
早く帰ってよ……
シンジは早く続きを泣きたかった。
泣かないと、感情を吐き出せないと思ったからだ。
今泣いちゃえば、いつもの僕に戻れるんだ。
「じゃあ……」
アスカと、もう一人分の足音が小さくなっていく。
「……涙、止まっちゃったじゃないか」
シンジは結局、寝付けない夜を過ごしてしまった。
翌朝。
シンジはぼうっとしながら起き上がった。
……7時か、学校間に合っちゃうな。
のそのそと胸元のボタンを止めて、皺だらけのズボンを探す。
……そうか、お風呂場だ。
シンジは立ち上がると、扉に手をかけて躊躇した。
……なにを期待してるんだよ?
がらっと開ければ、アスカやミサトが居て、笑っていて……
シンジはほんの少しの期待と共に戸を開けた。
ガラ……
しかしそこは薄暗かった。
無音の寂しさ。
バカだよな……
空しさに囚われる。
シンジはそのまま脱衣所へと向かい、ズボンをはいた。
……することがないや。
アスカが来たからか、妙に以前の事を思い出してしまう。
朝食の用意をし、お風呂を沸かし……
シンジは胸が苦しくなって来るのを感じた。
「だめだ、思い出しちゃいけないんだ……」
それは期待を胸にはらんでしまうから。
「行こう……」
シンジは学校へと家を出た。
教室、一人椅子に座っているシンジ。
遠巻きに噂話をしているクラスメート達。
クラスメート、か……
シンジは馬鹿馬鹿しいと思った。
……どうせ僕のことなんて、みんな忘れちゃうに決まってるのに。
シンジはサボろうかどうしようか悩んでいた。
ガラ!
そこへ勢いよく戸が開いた。
つい反射的に見てしまうシンジ。
そこには怒っている様なアスカがいた、目があってしまう。
ぷうっとその頬がさらに膨らんだ。
なんだろう?
シンジは脅えて眉をよせた。
「シンジ、あんたねぇ!?」
つかつかと歩み寄るアスカ。
「な、なに?」
「隣に住んでるのに、何で声かけてくんないのよ!」
その一言に、ざわっと教室中がざわめいた。
「……ごめん」
「もうばか!、いいわよ、明日からはきちんと誘いなさい!」
「そんな……」
「なによ?」
シンジはもごもごと発音を濁した。
「僕なんかが行くと、迷惑でしょ?、だから……」
「あたしが迷惑するわけないじゃない!」
シンジはちらっと、アスカの後をつけるようにして入ってきた人影に目をやった。
マンションの前で、アスカが来るのを待っていた三人組だ。
シンジはしっかりと釘をさされていた。
「それに僕はよくサボるから……、アス……、惣流さんは、僕なんか無視したほうがいいと思うよ?」
あまりにも他人行儀な態度に腹が立つ。
「なんでよ!」
「だって、悪い噂立つの、嫌でしょ?」
卑屈な声に苛立ったのは、なにもアスカだけでは無かった。
「そんな言い方ないだろう!」
「杉田君?」
首を引っ込めるシンジ。
「ちょっとやめなさいよ!」
「惣流もだよ!、こいつそうしてればかまってくれるって知ってやがるんだよ!、汚いやり方で気を引こうとしやがって……」
「杉田!」
アスカが止めるのも遅かった。
シンジの顔から、卑屈さもがついには消えた。
ぞくっと背筋を凍らせる杉田。
アスカもだ。
「……シンジ?」
シンジは答えなかった。
「碇君、ダメ!」
いつ来たのか分からなかった、しかしレイの叫びは遅過ぎた。
ぼたり……
シンジの左腕の肘から下が骨を残すように抜け落ちた。
「きゃあああああ!」
悲鳴があがる。
「碇君のATフィールドが人の形を保てなくなる!」
「なんですって!?」
レイの叫びを理解したのはアスカだけだった。
コワレテシマエバイイ、ボクナンテ……
シンジの心が泣き叫んでいた。
残された右手が、その小指から順に、腐って糸を引きながら落ちていく。
ぼと。
人差し指が抜ける瞬間、同時に肩から外れていた。
「碇君!」
抱きつくレイ。
「心を強く持って!、この世界で傷つきながら生きると決めたのは碇君よ!?」
レイの言葉がみんなの耳に入ってしまう。
「そうよバカシンジ!、あんたが望んだからからファーストはこの世界にみんなを返したんでしょうが!」
ざわざわとざわめき立つ。
「碇君の持つ寂しさを癒したかっただけ、それは誰もが持つ独りである事への寂しさ」
「でも一つになることよりも、あんたは人として生きる方を選んだんでしょうが!」
「碇君が望んだのよ、この世界を」
「なのにあんたが苦しんでてどうするのよ!」
みな何のことだかはわからなかった。
ただサードインパクトに、シンジが深く関っている事だけは推察できた。
「碇君、お願い!」
「バカシンジ!」
パキィン!
金色の閃光が走った。
「なに!?」
目を剥くアスカ。
「ATフィールド……、碇君、わたし達を拒むつもり?」
レイをも弾き飛ばしたのは金色の壁だった。
「僕は知ってる……」
シンジはレイを睨んだ。
「僕がこの世界を望んだ」
「ええ……」
神妙に頷くレイ。
「でもそれは嘘だ」
「シンジ!?」
「綾波は脅すんだ、僕が否定すれば、この世界が消えてしまう、だからって……」
「うぬぼれんじゃないわよ!、世界があんた一人で成り立つもんですか!」
「それは違うわ……」
「レイ!?」
うつむいているレイ。
「人は人を見る事によって、自分を知るわ」
いい人か、悪い人間か。
「そんなの当たり前じゃない!」
すっと、冷たい目を向けるレイ。
「おかしいとは思わないの?」
「なにがよ!」
「どうして……、この世界には良い人達ばかりが残っているの?」
「それは……、それは!?」
アスカはシンジを見た。
「あんた、まさか!?」
「ええ……」
頷くレイ。
「わたしから見たあなた、碇君から見たあなた、人は人の数だけ自分の姿を持っているわ」
「やっぱりなのね?」
「この世界には、碇君から見た希望の姿が写されているのよ、強く……」
アスカは唇を噛み締めた。
「それじゃあ、シンジが居なくなったら」
「ええ……」
神妙な面持ちで答えるレイ。
「この世界の人達は、再び元の姿に戻るわ」
「あの酷い世界に!?」
「そう……、自分を隠し、殻に閉じこもり、人を傷つける世界に……」
「そんなの嫌よ!」
自分の体を抱いて、髪を振り乱す。
「人の作り出す嫌なイメージ、それを碇くんは全て担っているわ、そしていい人のイメージ、それを作り出しているのは碇君なのよ……」
「シンジが、あたし達をコントロールしてるってぇの!?」
「……いいえ、ほんの少し、物事を良く考えられるようにしてくれているだけ」
シンジは二人の説明を遮った。
「だから僕は僕が嫌いだ」
「シンジ?」
二人の会話で、周りの見る目が変わっていく。
嫌悪感を募らせていくシンジ。
「自分に都合の良い世界を創る僕が嫌いだ、僕のことを好きで居る人間を作ろうとする僕が嫌いだ」
「そんなことないわよ!、あたしはあたしが自分で!」
シンジの崩壊は左の肩まで進んでいた。
「でもアスカは言ったじゃないか……、気持ち悪いって、嫌いだって」
びくっと脅えるアスカ。
「綾波も睨んでいたじゃないか、ネルフを出る時、早く出て行けって睨んでいたじゃないか……」
「…………」
「今この世界を本当に望んでいるのは綾波だ……」
「わたしは……」
「あの時も、本当は綾波が願っていたんだ、寂しさからの逃避を……、みんなは間違ってない、綾波に好意を持つのは当然なんだ」
「好意?」
頷くシンジ。
「綾波……、アスカも良かったじゃないか、たくさんの人に好かれてさ」
「あんたはどうなのよ!」
シンジは苦笑した。
「見ての通りだよ……」
「でもそれはあんたが望んだからそうなっちゃったんじゃないのよ!」
「……だって、みんなが傷つけ合う所なんて見たくなかったから」
「嘘よ!、あんたは八つ当たりされるのが恐かっただけじゃない!」
加持とミサトに嫉妬し、シンジに当たるアスカがいた。
「それが嫌だから、穏便にすませようとしてるんじゃないのよ!」
もう幾度もくり返して来た想いだ、振り返りもしない。
「それでいいと思う、違うの?」
「いけないわよ!、じゃああんたは何を期待してこの世界に戻って来たのよ!」
アスカはもう一度近寄った。
キィン!
アスカの体を、ATフィールドが弾き返す。
それでもアスカはくじけなかった。
窓ごしのように、シンジに必死に語りかけていく。
「好きよ?」
穏やかな表情で囁いた。
「弱いくせにいつも助けようとするあんたが嫌いだったわ……」
アスカと呼吸を合わせ、ユニゾンし、アスカのために火口に飛び込み、首を刎ね飛ばされたアスカのために駆け戻って来たシンジの情けない態度が。
「むかついてたのよ、でもね?」
アスカはATフィールドに口付けた。
光が一瞬でかき消える。
崩れ落ちようとするシンジの体を抱き留めた。
「……あんたのこれからのイメージは、あたしが作り上げてあげるわよ」
「……アスカ?」
顔を上げるシンジ。
「無理をして、自分で自分をイメージする必要なんてないわ、もう……」
シンジの両腕の付け根の肉がボコボコと泡立った。
「だから少しは肩の力を抜きなさいよ、バカシンジ……」
アスカのふくよかな胸の中で、シンジはその香りに顔を埋めた。
「……うん」
鼓動が聞こえる……
トクン、トクン、トクン……
落ちつく……
シンジの両腕が元に戻った。
「お休み、バカシンジ……」
アスカの囁き、シンジはその言葉通りに、安息に満ちた眠りへと落ちていった。
物言いたげな目で見つめるレイを残して……
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。