Your self Your heart 2

「ママ、今日はクッキーを焼いてみたの、どう?」
「ありがとう」
 パンッとキョウコは手を打ち合わせる。
「ほんと、アスカってば良い子に育って」
「なぁに?、ママだってまだ若いじゃない」
 取り込まれた時と歳が変わらないのは、サルベージされた魂がその精神年齢を軸に体を作り直したためと考えられている。
「はぁ……、わたしが言うのもなんだけど、あなたって奇麗だわ」
「なぁに?、またお説教?」
「どうしてボーイフレンド、作らないの?」
 ピクッと一瞬だけ、クッキーをつまむ手が止まる。
「あたしにだって好きな人くらい居るわよ」
「へぇ、ネルフの人?」
「そうとも言えるし、……違うかもね?」
「ふぅん……」
 意味ありげな含み笑い。
「ま、いいけど」
「なぁによぉ……」
 プゥッと頬を膨らませる。
「それで……、今のお仕事はどうなの?」
「……順調、かしらね?」
 急にキョウコの表情が険しくなった。
「ネルフから離れてるわたしが口出しする事じゃないけど……」
「反対?」
「正直……、なんのためにサードチルドレンが必要なの?」
 キョウコは一連の出来事を知らない。
 もちろんアスカとシンジ、それにレイとの関係も何も知らない。
「ファーストチルドレンも彼のために自我崩壊を起こしたんでしょ?」
「…………」
「生きてるだけで迷惑な人間って居るものなのよ?、サードは……」
「ママ……、それ以上言ったら本気で怒るからね?」
「アスカ?」
 初めて見せる怒気に驚く。
 先程までとは正反対の表情をしている。
「確かにあいつはバカよ?、我慢して、辛くて、なんでって泣いてばかりで、人のために死ねたからいいやなんて、そんな風に諦めてばかりで」
 でもねっと、アスカは叩きつける。
「あたしは嫌、あたしのために死んじゃうなんて絶対に嫌!、だから助けるのよ、なんとしても……」
 死んで……、命をかけて。
 君のために何かが出来たから幸せ?
 それともちゃっちゃと死んで生まれ変わろうってわけ?
 あんたが、シンジがっ、幸せにならなきゃ!
 生きてるあんたが笑えなきゃ。
 何のために生まれて来たのよ!
「バカァ!」
 そしてもう一人。
 シンジを待ち続ける少女がいた。
「……碇君」
 ベッドに伏せて眠っている。
 一日の、いや、週の大半をこうして眠って過ごしていた。
 お腹は空かない、体を動かさないから。
 そこから生まれる無気力感が、さらに生気を奪っていた。
 辛い?
 いいえ……
 寂しいの?
 それほど側にいたわけではないのに。
 再会してから、辛い姿ばかりを見ていたのに。
 碇君……
 恋しい。
 笑顔が見たい。
 昔の。
 屈託の無い顔を。
 だからまだ生きていた。
 なんとか気力を奮い起こし、携帯用の固形食料を一口かじる。
 おいしく、ない……
 台所に見えるシンジの姿。
 碇、くん……
 それさえも涙に滲んで消えかけていた。


 君達は思ったんでしょ?
 顔は作ればいい。
 名前も変えればいい。
「なら、僕が僕である必要は無いんだね」
 え?
 アスカは動揺する。
 シンジ?
 抱きついている人の向こうに、寂しそうなシンジがたたずんでいた。
 じゃあ、これは、誰?
 体を離す。
 にこにことシンジは微笑んでいる。
「アスカ」
「な、なによ?」
 情けない方のシンジが尋ねる。
「アスカは……、なにを望むの?」
「なにって……、そんなの!」
「決まってる?、ならもういいよね?」
 アスカの望むシンジがいるから。
「だ、だめよ!」
 アスカはシンジの腕を絡め取ったまま引きずった。
「あんたも帰るのよ!」
 そしてもう一人のシンジへと手を伸ばす。
「どうして?」
 でも彼は逃げようとする。
「そこにいるのは、アスカの望む僕、そのものじゃないか……」
 だから僕はいらないの?
 ママ!
 だからもう僕はいらないの?
 選ばれたの!
 いらないんだ……
 だからもう……
 だから上げるよ。
 だからあたしを見て!
 アスカの望む部分だけを。
 見て、ママ!
「うっさい!」
 幻聴を振り払う。
 明るいシンジの顔が陰り、暗いシンジの姿が薄れる。
 二人のシンジが、一つに合わさる。
「そうよ、あたしにはエヴァしかなかった、パパもママもいなくて、エヴァだけがあたしを守ってくれてた!」
 エヴァに依存する事で生活が成り立っていた。
「あんたはあたしなんて要らないんでしょう?」
 あたしなんていなくてもいいんでしょう?
「だからそんな事を言うのよね?」
 早く消えてって。
「でも嫌よ!」
 アスカは叫ぶ。
「エヴァはもう無いけど」
 でも!
「代わりにあんたが必要なのよ!」
 一人のシンジに明るいシンジ、暗いシンジ、冷めたシンジが重なり合う。
「でも本当は誰だっていいくせに」
「何度も言ったけど、それでも一番必要なのはあんたなんだから仕方がないじゃない!」
 キスをして、口を塞ぐ。
 ぷはぁ……
 離れた瞬間、アスカは逃げられないようにシンジの背中に腕を回した。
「でもアスカは僕の何が必要なんだよ?」
 それは疑念。
「ずっと要らないって、言ってたくせに」
 あるいは長年に及ぶ心への擦り込み。
「……わかんないのよ」
 アスカは肩を震わせた。
「でも……、あたしがほんとに優しくなれるのは」
 見せ掛けじゃない、触れ合いができるのは……
「あんただけなんだから、仕方が無いじゃない……」
 瞬間、シンジの胸に大穴があいた。
 それは底無しの虚無の空間。
 ドクン、ドクン……
 鼓動を打ち、アスカを飲み込もうと蠢いている。
 あ、これ……
 だがアスカは不思議と恐れなかった。
 これ、知ってる……
 かつては誰もが持っていたもの。
 懐かしさすらも感じてしまう。
 それは誰かが埋めてくれた、慟哭と言う名の寂しい空間。
 だから、なんだわ……
 顔を上げる、うろたえているシンジが居る。
「だめだ、だめだ、だめだ!」
 アスカを引き離そうともがいている。
「お願いだ、やめてよ!、いいじゃないか、僕は、僕は!」
 そこにいるのがシンジだから。
 皆の心にはシンジがいるから。
 あたしの中にも……
 レイの中にも。
 そして多くの人の中にも。
 だから優しく出来たのね?
 人に対して。
 シンジが寂しさを埋めてくれたから。
 だから優しくなれたのね?
 でもそれを与えた少年は……
 失ってしまったものの大きさに、喘いで求めて、泣いている。
 空気が欲しいんだ……
 息も出来ない。
 でもだめなんだ。
 誰もくれないから。
 だから死ぬんだ。
 窒息して。
 でも許してもらえないんだ。
 死ぬ事を。
 シンジが幸せを広めているから。
 穏やかさを人の心に与えているから。
 それはシンジの魂だから……
 シンジが死ねば、シンジと共に消えてしまう心の滴。
 だから生きなきゃならないのね?
 そう。
 でもあんたが死んだらどうするの?
 きっとみんなはおかしくなる。
 不意に訪れた寂しさに。
 理由も分からず、泣いてしまう。
「僕は生きててもいいの?」
 問いかけ。
「だってわからないんだ」
 生きる理由が。
「嫌なんだ」
 傷つけるのが。
「どうすればいいの?」
 わからない。
「恐かったんだ」
 綾波レイが。
「見てくれなかったんだ」
 惣流・アスカ・ラングレーが。
「しっかり生きなさいって」
 叱られた。
「でもしっかりってなに?、どういうことなの?」
 誰もそれを教えてくれない。
「わかってるんだ……」
 逃げられないということは。
「何度も傷ついて、当たり前のことに気がつけって……」
 当たり前って、なに?
「ねえ?」
 好きになってもらえるのって。
「そんなに、当たり前の事なのかなぁ?」
 誰もがみんな……
「僕のことを……」
 冷たい目で。
「見てたのに」
 信じられる分けがない。
信じられるわけないよー!
 シンジはアスカの心を飲み込んでいく。
 無くしてしまった心のかけらを、アスカの全てで埋めようとしていた。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。