Symphony no.9 and... 1

 レイによってもたらされた混乱は、ようやく収まりを見せていた。
 機械が一時的に使えなくなったとは言え、人が死んだわけではないし、なによりも全ての機械が動かなくなったわけでは無かった。
 例えば無線機。
 旧式のそれはMAGIの死に関係無く動いていた。
 軍のものであれば、元々プロテクトされた製品であったので問題は無かったし、なにもネルフが唯一のメーカーではないし、元々ネルフは企業ではない、追随を許さぬ技術力を保有していただけである。
 MAGIと接続されてないメインコンピューターを持つ会社は多かったし、自社製品であれば工場は直通のライン以外は存在していなかったのだ。
 誰かの予想通り、コンピューター関係の需要は伸びた。
 それに農作物が大打撃を受けたわけではない。
 家畜の飼育と共に、多少の被害は出たがおおむね問題は無かった。
 問題は輸送手段が限られ、大部分を無駄にしてしまった事ぐらいだろう。
 大都市圏では一部餓死者を出す騒ぎに発展したが、この世界でボランティアに励まない人間は皆無に等しかった。
 復興は早かった。
 それでもまだ救われない人達は居る。
 多くはその騒ぎの中で、居所を失ってしまった人達であった


 パリ。
 つい先日、この極寒の地は大きな震災に見舞われた。
 とは言っても平地であるため、主な問題は倒壊した古き建物である。
 数十台の重機が投入されても追い付かない瓦礫の山。
 寒さは追いやられた人達を凍死へと追い込む。
 凍てついた空気は雪が降るよりも人を苦しませる。
 先日よりネルフと二人の女神、それに赤い神人がパリ入りしていた。
 しかしそれすらも路地裏に追いやられた者たちには遠い存在だった。
 期待は諦めに塗り潰されている。
 女神の包容は、彼らの元まで訪れないのだから。
「大丈夫ですか?」
 優しげな声にその者は顔を上げた。
 すでに感覚の無くなった手足がギシギシと音を立てる。
 苦労の末の皺が年齢を分からなくさせている。
 それでも彼は声を掛けた人物を酷く訝しんだ。
 黒のズボンに白のシャツ。
 それは学生服のセットだった。
 その上に黒のコートを羽織っているのだから良く目立つ。
 ふと気がつけば吹き付けていた寒風が止んでいた。
「すぐにネルフの人が来てくれますから」
 そう言って立ち去ろうとする。
「あ、あ……」
 なぜそうしたのか、彼にも分からなかった。
 ただその一瞬だけ与えられた温もりを失いたくなかったのかもしれない。
 だがその少年は振り返らない。
 男と少年は白い防寒服に身を包んだ救護員によって隔たれてしまった。
 車に運び込まれる前に、男は少年の背にロゴマークを見つける。
 ネルフの紋章。
 それはコートが黒のためなのか?、血のような赤を見せていた。


 おお友よ、この歌ではなくもっと快い調べに声を合わせよう、喜びに。


 サードインパクト直後に流布しだした歌があった。
 それはとある歌の出来損ないの意訳であるにも関らず、人々に広く広まっていった。
 そしてその歌が今、再びはやり始めていた。
 長きみそぎの時が過ぎたためかもしれない。
 彼が許される時が来たからかも知れない。
 彼らは一様に、失われていた思いと心を垣間見始めた。


 歓喜よ、そなたは神の美しき煌めき。
 祝福されし地界より現われいでし娘、歓喜よ!
 その炎に酔いしれ、我らはみな天のものなるその聖域へと踏み入らん。
 時の流れの好みが、むごく隔てて来たものも、そなたの魔力は再び結び付けてくれる。


 サードインパクト。
 その最中に人々は見た。
 巨大な少女。
 白き女。
 人々は謳歌を捨て、心地好い穏やかな流れに身を任せた。
 側に誰かが居てくれた。
 誰かが隣へ来てくれた。
 そして心を満たしてくれた。
 痛がりな心を守るために身に付けていた壁は消え。
 彼女の息吹の元、手のひらの上で飢えた魂達は踊り狂った。


 そなたの穏やかな翼が憩う所に集えば、人はみな互いにはらからとなる。
 二つと無いものを贈り得た者は真の友を称え、また優しき妻を得た者も歓喜の声を共に和せよ!
 例え一人であらんとする者も。
 そして絆を知らぬ者は、嘆き悲しみこの群れを去れ。


 巨大な白き翼が広がる。
 それは神である証し。
 人は隔たりを越えて一つとなる。
 父となり、母となり、兄弟となる。
 甘き誘惑がお互いを繋ぐ。
 互いが他人を求め合う。
 全てが一つとなり。
 溶け合っていく。
 求める者。
 父と母。
 その愛情。
 絆。
 しかし彼女は弾かれた。
 そこには何も無かったから。
 望むものが無かったから。
 あたしを見て、ママ!
 叶えられぬ望み。
 振り返らぬ人。
 捨てられた子供。
「一人にしないで!」
 捨てないで!
 何もない。
 見つからない。
 くさびが、絆が、縛り付けてくれる誰かが、求めるものが。
 何もない。
 だから一つになれなかった。
 手を引いてくれる人が見つからなかったから。
 彼女は溶け合う事を許されず。
 その世界から弾かれた。


 すべてのものは、喜びを自然の乳房からのみ……
 すべての善なるもの、すべての悪なるものは自然のばらの小径をたどる。
 それは我らに口付けと酒を与え、死の隔たりを越えた友を与える。
 虫けらにも快楽は与えられ、そして天の使いは神の前に立つ。
 神々の陽が幾度も天を通るがごとく、走れ、はらからよ、汝らの道を。
 英雄が勝利に赴くように喜びを携え。
 歓喜よ、そなたは神の美しき煌めき。


 一つ所に魂は踊る。
 すくい上げるのは神である女。
 誰もが疑わぬ喜びへの路。
 神にも等しくなった使いのものは。
 神の内へと消えて行く。


 抱きしめ合うが良い、幾百万の人々よ!
 この口付けで世界の全土を満たして回れ!
 兄弟達よ、天蓋なす空の星々のあちらには、愛する父がおわすはず。
 幾百万の人々よ?、おんみらみな平伏す事を選ぶであろうか?
 ああ世界は、創造の主をおぼろげにせよ感じているのか?
 おんみたち、天蓋なす空の星々のあちらに、創造の主を探し求めるが良い。
 兄弟達よ、天蓋なす空の星々のあちらには、愛する父がおわすはず。


 崩壊の瞬間が訪れる。
 何処までが自分で、どこからが他人かわからない曖昧な世界。
 傷つける自分も、傷つけられる自分も居ない脆弱な世界。
 ここに居るために皆祈るのであろうか?
 これを成した誰かにすがるのであろうか?
 再び恐怖に身を晒さぬために。
 生命の源の海。
 溶け込んだ人達そのものの世界。
 しかし彼らは悲しみに満ちたあの世界に居た時と変わらない。
 痛がりな自分達を支えてくれていた存在を気に病む事はない。
 神だから。
 神は救う者だから。
 思いやる必要はないのだから。
 ……そんなに辛かったら、もうやめてもいいのよ?
 誰かの声。
 そんなに嫌だったら、逃げ出してもいいのよ?
 それは囁き。
 楽になりたいんでしょ?
 安らぎを得たいんでしょ?
 わたしと一つになりたいんでしょ?
 身体を一つに重ねたいんでしょ?
「でも、あんたとだけは、絶対に嫌」
 心が切り裂く。
 誰を?
 痛みが走る。
 誰に?
 碇シンジに。
 その言葉は何処から放たれたものなのか……


 祝福されし地界より現われいでし娘、歓喜よ!
 時の流れの好みがむごく隔てて来たものも、そなたの魔力は再び結び付けてくれる。
 そなたの穏やかな翼が憩う所に集えば、人はみな互いにはらからとなる。
 抱きしめ合うが良い、幾百万の人間達よ!
 この口付けで世界の全土を満たして回れ!
 抱きしめ合うが良い、幾百万の人間達よ!
 この口付けを世界の全土に!
 祝福されし地界より現われいでし娘、歓喜よ!
 そなたは神の美しき煌めき。
 時の流れの好みがむごく隔てて来たものも。
 抱きしめ合うが良い、幾百万の人々よ……


 神の前に立った彼は、神の祝福と包容の中で「己」に気がつく。
 ここはどこ?
 僕は誰?
 どうしてここに居るの?
 誰もいないの?
 嫌だよ、一人にしないでよ……
 寂しいんだ……
 みんないるのに……
 どうして僕を……
 見てくれないの?
 それはこれを成した者だから。
 この世の国は王である神とその者のものであるから。
 だから彼を見る者はいない。
 見られる側であって、見る側ではないのだから。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。