Symphony no.9 and... 3

 だめなの?
 響く声。
 だめだったの?
 悲しみに満ちた声。
 背筋を駆け昇る嫌悪感。
 僕を嫌ってよ……
 絞められる首。
 僕なんていらないんでしょ?
 目の焦点を合わせる。
 だから自分に帰って来てよ……
 自分の想いを吐き散らしてよ……
 嫌いだって叫んでよ、ねえ?
 無表情に自分の想いを行いに現わしているシンジが居る。
 その頬に手を当てる……
 もういいわよ……
 帰って来れたから。
 あんたばかね?
 その後どうするのよ?
 帰って来ちゃって……
 誰もいないくせに。
 一人のままで生きていく気?
 わかんない。
 わかんないわよ。
 あんたの考えなんて。
「気持ち悪い……」
 なに泣いてんのよ?
 何喜んでんのよ?
 あたしが見たから?
 あたしは嫌ってんのよ?
 ほんとにバカね……
 薄れていく記憶。
 それぞれの想い。
 残ったのは。
 パズルの様にばらけてしまった記憶の断片だった。


「エヴァンゲリオンだぁ!」
 石作りの街の空を赤い巨人が横切っていく。
 街並みを縫って歩く巨人の姿が、建物のすき間からちらりと見えた。
 子供達が追いかけて走っていく。
 パリである。
「ご覧ください、エヴァンゲリオンです、緋色の女王と白銀の聖女が先日の大崩壊で震災に見舞われたパリの復旧に……」
 とりあえず瓦礫の撤去に乗り出すエヴァンゲリオン弐号機。
 通常であれば数十台の重機で何ヶ月もかかるものを、わずか数分の単位で片付けていく。
「……複座型って言ったって、レイの負担が増えてるだけなのよね?」
 ガチャガチャとレバーを動かすアスカ。
「ね?、レイ」
 振り返ると、「ええ……」と抑揚無く頷くレイが居る。
 その表情はやや昔に戻っていたが、それはシンジに心を返したからではない。
「新しいコアシステムが完成して、EVAの廉価版が量産体勢に入ってくれればいいんだけど……」
 現在の弐号機には魂が無い。
 そこでレイが半融合し、アスカとの間を繋ぐと言う方法が取られていた。
 これは誰かを通じて心を通わせ合える二人だからこそ可能な方法であった。
「で、あのバカはちゃんとやってるのかしら?」
 つい愚痴をこぼす。
「……碇君はバカじゃないわ」
「大馬鹿よ!、まったく、なにもかも自分の目で見なきゃ満足しないんだから……」
 ATフィールドが砂塵や跳ね飛ぶ瓦礫を限定空間に押さえ込んでいる。
 それに拡大した知覚がATフィールドも利用して、その瓦礫の下に人間が居ないか確認していた。
「そろそろ日本に帰りたいわね……」
「どこでも同じよ」
「そう?」
「……碇君がいてくれれば同じだもの」
「そりゃあんたは学校でも一緒にいられるからいいけど……」
 アスカはちらりと余所見をした。
「あいつ、いま何処かしら?」
「手元、狂ってる」
「え?、きゃ!」
 持ち上げた瓦礫をお手玉してしまった。
 その姿に似合わぬ滑稽な様子に、拍手と笑いが送られる。
「うっさい!」
「……恥ずかしいのなら、そうならないようにすることね?」
「わかってるわよ!」
 アスカは撤去作業に戻った。
 この地区を早く解放しなければならない。
 難民の受け入れ場所を確保することが、今のパリにとっての最優先事項であったから。


 なぜ忘れてしまったのだろう?
 彼が望まなかったから。
 彼の願いと、彼女の絶望に涙したというのに。
 彼の嘆きと、彼女の希望を叶えるために。
 再びこの地に戻ったというのに。
 あの世界で見たのは彼の思い。
 人は一人では生きていけない。
 でも人であるからこそ寂しさに向かい合える。
 だから温もりを感じ合える。
 それを選ぶ事の喜び。
 苦しき道への選択。
 真に渇望するものを求めてこの世界へと舞い戻ったというのに。
 傷つけられるのは嫌。
 でも傷つけるのはもっと嫌。
 その想いを。
 願いを。
 与えられて。
 受け入れて帰って来たというのに。
 垣間見たのは天に向かい会う神たる少女。
 その翼のイメージ。
 だから忘れていた。
 その神々しさの前に。
 神の前に立った少年のことを忘れていた。
 神の事だけを覚えていた。


 エヴァのお手玉の音が響く。
 崩れた外壁。
 立てかけられた様に斜めになった建物。
 その路地裏に黒のコートが裾をはためかせていた。
 背中のマークはネルフのロゴ。
 しかし黒に血の赤で描かれたそれは、どこか禍々しさを纏っているようである。
 パリの町が奇麗なのは表の道だけのことだ。
 裏の路地にはサードインパクト、ならびにレイの起こした大混乱期と、先日の大震災によって生まれた汚物が捨てられていた。
 ……酷いや。
 不衛生な包帯で片目を隠す者。
 薄汚れたローブであばらの浮いた身体を被う者。
 立つ事もできなくなった老人は、ただ死を待つためにうつろな目を天に向けて居る。
 ……僕の、せいだ。
 それは事実。
 この世界に戻るよう仕向けたのは自分なのだから。
 だから……、逃げちゃ、ダメだ。
 ギュッと右手を握り込む。
 シンジは心のすき間を目指して一人に触れた。
「大丈夫ですか?」
 誰よりも脆弱でありながら、彼の言葉は人に浸透する。
「すぐにネルフの人が来てくれますから」
 少しだけ空を見上げる。
 風が止んでる?、そっか、アスカ達。
 砂塵を押さえるためのATフィールドが、風下への風の流入を止めているのだ。
 少しはありがたいかな?
 シンジはATフィールドと言う、拒絶する為の力を覚えた。
 しかしアスカとレイの触れ合いから、アンチATフィールド、人の心のすき間へ入り込む術も取得していた。
 一人一人に声を掛け、ほんの少しの希望を抱かせて歩く。
 希望は力となって、その者の生を繋ぐ糧となる。
 そんな中で、シンジは一人の少女を見付けた。
 瓦礫に横たわったまま起き上がることも放棄している。
 凍傷を起こし、壊死した両腕が痛々しい。
 頬は夜の冷気にやられたのか?、凍った石畳に張り付いていた。
 その前に無言で立ち、見下ろす。
 気だるげに眼球が動き、シンジを見上げた。
「……誰?」
 シンジは答えず、無表情に見下ろす。
「死神?」
 わずかばかりの薄い布など無きに等しい。
「あたし、死ぬの?」
「このままならね?」
 少女の瞳に苛立ちが混ざる。
「あたし死ぬんだ……」
 どうして?
 答えを欲して、シンジを見る。
「……あの人達が助けてくれるかもね?」
 その一言が彼女に怒りを生んだ。
「今更……」
 動かない身体。
 少女は気がついていない。
 口が動いていない事に。
 ひゅーひゅーと意味のない空気を漏らしているだけなのだ。
「もう、動けないのに……」
 ネルフのスタッフが忙しく被災者や浮浪者の保護に走り回っている。
「死にたい?」
 欲しいのは助けでは無く、こうなってしまった事に対する怒りのやり場。
「連れていくの?」
 その答えを。
 だがシンジは与えない。
「い、や……」
 その黒い瞳が赤く見えて、少女は力無く脅え始めた。
「生きるの?」
「殺すくせに」
「助けてくれそうだけど?」
「来るならもっと……」
「早く来て欲しかった?」
 少女の冷たくなった頬を、つうっと熱い涙が伝わり落ちた。
「もう遅い?」
「立って、歩いて……」
「そうだね?」
「生きてるだけなんて……」
「諦めたら?」
 突き放される恐怖。
「嫌……、嫌、嫌っ!」
 彼女は身体を起こそうとした。
 ばりばりと頬がはがれる。
 凍った四肢がビシビシと音を立てて引きつった。
 感覚は麻痺していて痛みはない。
「あたし、嫌ぁ……」
 まるでシンジそのものが死であるかのように逃げ出そうとする。
「大丈夫、君は死なないよ……」
 動いているようで、その実、身じろぎしたようにしか見えない。
「君は……、君の姿を覚えているから」
 シンジは彼女の前に座り込んだ。
「君が君の姿を忘れていないのなら」
 頬に手を触れる。
「欲しているのなら……」
 シンジの手が涙に濡れた。
「僕は、君を手伝える……」
 なに?
 驚き。
 でも、嫌じゃない……
 温もりが染み入って来る。
 その手のひらから染み入って来る。
 これが、死?
 なら、それも良いと思う。
 受け入れられる。
 そして彼女の意識は、そこで途切れてしまうのだった。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。