Symphony no.9 5

「……やっぱり多かったわね?」
 黒翼の悪魔の話をする人間が。
 風に舞ったコートが翼に見えること。
 それと二人の女神の表われる側に、ちらつく陰として現われる事から、少しばかり噂が立ち始めていた。
「信じてはいるんだけどね……」
 シンジの事を。
 しかし……
「悪魔が来たんです!」
「死ぬんだって!」
 そう錯乱する人間を見るにつけて、胸が傷んでしまう。
「だってしょうがないじゃない……、奇跡って言っても、限定品だもの」
「ええ……」
 他人の中にもシンジが居る。
 だからこそシンクロできる、他人を癒せる。
 それは自分自身で経験したことだった。


 ゆっくりと瞼を開いたのは、サルベージされた夜のこと。
「……忘れてたわ」
 みんなが居る世界で。
 一人きりの自分が居て。
 独りぼっちを嘆いて。
 泣いて。
 捨てられて。
 それなのに追いかけて来た。
 一番嫌いな奴の事を。
「だから気になってたのかしら?」
 この世界で生きてるあいつが。
 どこかで生きているはずのあいつが。
 幸せである事を疑いもしないで。
「……違うわね?」
 幸せで居て欲しかったんだわ。
 そう思い込んでいたかったから。
「ついでに嬉しかったのよね……」
 追いかけて来てくれた事が。
 それがサードインパクト直後、保護された時に吐いていた吐息の正体。
 アスカは邂逅を果たしていた。


 赤い瞳が見開かれる。
 だからわたしはここに居るの?
 あの時シンジを見付けてしまったから。
 シンジを見ようとする自分を見付けてしまったから。
 誰も見てくれないと嘆くシンジに気がついてしまったから。
「だからなのね……」
 シンジの代わりに人を見たのは。
 シンジの代わりにアスカを見たのは。
「でも……」
 今度は見てもらいたいから。
 ここに居るのね……
 隣を見る。
 同じように首を動かしたアスカがいる。
 まるで一つのベッドを挟み。
 鏡のように動いた二人。
 え……
「ええ!?」
 アスカの叫びに跳ね起きる。
「碇君!?」
 真ん中のベッドは空になっていた。
 そんな……
 確かにそこから発せられる温もりを感じていたのに。
「なんでよ!」
 降りようとしたアスカが膝を突くのが見えた。
「アスカ!」
 まるでシンジの様に叫ぶ。
 事実シンジそのものであった。
 アスカと同じく邂逅を果たし、シンジの想いを知ることが出来たから。
 勝手に身体も動いてしまう。
 あ……
 そしてアスカの様に床に倒れる。
「身体が……」
「何で動かないのよ!」
 弛緩していると言うより、笑っている。
 プシュ……
 ドアが開く。
「……あれ?」
 キョトンとしているシンジが居た。
「なにしてんの?」
 妙な体勢で床に頬擦りしている二人に首を傾げる。
「な、なにって……」
「その……」
 カーッと急激に赤くなるアスカとレイ。
「まだ本調子じゃないんだからさ……、ちょっと待って」
 何処かで買って来たらしい果物を置き、シンジはまずアスカに、そしてレイに手を貸した。
 え?
 その際に身体に不思議な感覚が広がった。
「あ……」
「動くわ」
 身体が。
「ごめん……、心が空回りしてたから、少し鈍くしたよ?」
「……どういう事よ?」
 いつもなら居なくなっていた事に対して憤慨してしまうはずなのに、アスカはそれに気付かないままシンジに尋ねる。
「アスカと綾波の望んでる状態にしたって事さ」
 そう言った表情は、陰の抜け落ちた明るさを持っていた。


 アスカとレイとシンジは、お互いに正しくお互いの想いを知ったからシンクロできた。
 ごく自然にお互いの想いを推し量り、重ねられる。
 シンジはそれを利用して二人の焦りを取り払ったのだ。
 心を埋めて。
「シンジは身体を作り直す手伝いをしてるだけ……」
 でも不思議よね……
 シンジに心を返した今の方が、よりシンジを近くに感じられる。
 痛いほどの寂しさを感じていたとしても。
「自分をイメージできない人は、助けられないわ……」
 そんな考えを知らずにレイは続ける。
「まあね、それにシンジを待ってる人は大勢居るんだし」
 例え黒翼の悪魔を望んでいなくとも、奇跡の力を。
「人は頼る事に慣れてしまったのね……」
 鬱の入った表情を浮かべる。
「半分はあたし達のせいなのよねぇ?」
 アスカはやや引き締めた。
「甘やかし過ぎた……」
「ま、そんな奴等なんて、自分で何とかしてりゃいいんだけど……」
 シンジは納得しないだろう。
「ネルフもあるもの……」
「でもシンジがね?」
「疲れていくのね……」
「ええ……、だからあたし達が癒してあげないとね?」
 にまっといつもの表情に戻る。
「……なら、今晩はわたしに譲って」
「い〜や〜よ、それにあんた、今日はエヴァとの融合で疲れたでしょ?」
 普段はしない気づかいを見せる。
「それを言うのなら、あなたは細かな作業に精神的なストレスを感じているわね?」
 レイも引かない。
「だからシンジに癒してもらうのよ」
「今日の碇君に、その余裕は無いわ……」
「大丈夫よ!、持ちつ持たれつってね?、お互い冷え切った身体を温め合うのよ、心も体も一つになってね!」
「今日の碇君に必要なのは、安らぎよ……」
「なによっ、それじゃあたしが激しいっての!?」
「少なくとも碇君の起床が三十分遅れるのは事実ね……」
 再び寝台車両へ向かうまでの会話。
「とにかく!、そうと決まればさっさと仕事片付けないとね!」
「……日本に帰れなくなるもの」
 実際、ベッドは三人で一つなので先のような抜け駆けはできない。
 重要なのはレイの最後の一言であった。


 その頃、シンジは移動指揮所奥のボックスでホログラフの男性と向かい合っていた。
「しかしいいのかい?、シンジ君」
 いつかのように、マコトは尋ねる。
「君の名誉の回復は可能なのに」
「今更ガラじゃないですよ」
 肩をすくめる。
「君は……、何を求めているんだ?」
 余りにも変わり過ぎたシンジは、今の所レイとアスカでなければ理解できない。
「とりあえずは、僕に出来る事ですか?」
 自嘲気味の笑み。
「シンジ君……」
「自分のやっちゃった事に自分の出来る事を探すなんて、おかしいですよね?」
「……そうでもないさ」
 慰めではない何かにキョトンとする。
「……なぜです?」
「考えたら、似てるなと思ってね?」
「え……」
「ほら、君がエヴァに乗せられてた頃とだよ……」
 そうかなぁ?
 頬を掻く。
「望んだわけでも無いのに押し付けられた世界で生きていかなきゃならない事がさ」
 突然呼びつけられて、第三新東京市と言うおかしな世界に放り込まれて。
 それでも頑張る事を求められ、そこから外れようとすると罵られた日々。
「……そうなのかな?」
「少なくとも僕はそう感じてるよ」
「……そうですか」
「だからこそ、今生きてることは君に対する償いになると思っている」
「え?」
「正直……、あの頃は自分達のしている事がおかしいとは思っていなかった」
「ええ……」
「世界を守るために選ばれた人間が、嫌だなんて言い出すとは思わなかったんだ」
 変だと思ったのは……
「君が……、鈴原君を傷つけた時からだな?」
 君が死んでいたんだぞ!
 叫んでから気がついた。
 この子は……、なんのために戦っているんだ?
「あの時無理を押し付けてた事が自分に返って来ている、自業自得だよ」
「ありがとうございます……」
「いいさ、僕の贖罪のために世界はあるんだ、そう言う事」
 誰かのためにある世界か……
 マコトにつられて、シンジは笑った。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。