Primary lady 9

「綾波ぃ!」
 シンジの叫びに答え、エリスの様にレイも降下して来る。
「アスカを頼む!」
 コクリと頷き、迷わず椅子に縛られたアスカに向かう。
「また無茶したもんね……」
 レイは裸身だった。
 それだけでアスカは察した。
「弐号機のコアと直接融合したのね?」
 バシッ!
 小さな音を立てて両手両足の拘束具が割れ弾ける。
「通信機は……」
 アスカは手をさすりながら、先程もう一人の自分が演説に使った装置を探した、が……
「ちっ……」
 瓦礫に埋もれてしまっている。
「エリス!」
 アスカの呼び掛けに、シンジの腕の中のアスカを呆然と見ていたエリスは顔を上げた。
「あ、え?」
「ちょっと貸しなさい!」
 エリスの腕を取り、プラグスーツに内蔵された通信機を使う。
 アスカは周波数を通常回線に繋げて怒鳴った。
「あたしは惣流・アスカ・ラングレーよ!、ドイツ支部司令ヴァイセン・フォン・ヴォルフとアレクサンドル・ラングレーを即時逮捕、拘束しなさい!、罪状はチルドレンの誘拐、監禁、脅迫とおまけに詐称も付けるわ、早くして!」
 そこで一端息を接ぎ……
「それからサードダッシュは査問会までわたしの管理下とします!、手出し無用、急いで!!」
 アスカはエリスの腕を放り出すように離した。
「あ……」
 ようやく目に正気の光を取り戻しかけていたエリスだったが、また捨てられたような顔に戻る。
「シンジ、その子は!?」
「ダメだ……」
 力無く首を振る。
「そんな……」
 自分と同じ顔の少女が、土気色の顔をして喘いでいる。
「何でダメなのよ!」
「僕に出来るのはちょっと助ける事ぐらいなんだ……、でも助かりたいって思ってくれない人には……」
 バシン!
 アスカはシンジの頬を叩いた。
「まだなにもしてないでしょ!?、あきらめないで!」
「……例え助かっても、魂が無いんだ」
「それがなによ!」
「人間には、なれない……」
 アスカは息を飲んだ。
 ママ……
 イメージが重なる。
 真っ白な部屋の中、ベッドに横たわっていた母の姿が。
 そのなにも現実を写さない空ろな瞳が。
「そんな……、そんなのって」
 アスカは口元を塞いで嗚咽を堪えた。
「碇君……」
「え?」
 レイは弐号機の指先を見上げていた。


 雪が降り始める。
 身を切るような風が吹く。
 雲が太陽を遮り、太陽は傾き夜になる。
 ドイツ支部はサーチライトの灯で浩々と照らされている。
 雪はようやく落ちついた火災の上に降り積もり、しばし蒸し暑いほどの蒸気を上げた。
 割れた大地、引き裂かれた地下施設の天井と床。
 そしてかく座したエヴァとイヴ。
 二体は地上に並べられてはいたが、それだけで整備は後回しにされていた。
「そう……、パパは逃がしたのね」
 アスカは忌ま忌ましげに呟いた。
 アスカとレイはネルフの白いコートを体に巻き付けてはいたが、その下は相変わらず破れたシャツ、あるいは裸のままだ。
 目の前の、うっすらと雪の積もった地面にはヴァイセンが両手両足に手錠を掛けられ転がっている。
「本部からの指示は?」
「ドイツ司令については職務を解雇、本部に移送の後、公開裁判にかけるとの事です」
 保安部の主任と言う男が敬礼と共に答えた。
 シンジを捕縛しようとした部隊員も交じり、武装兵は銃口をヴァイセンに向けている。
「道路封鎖を急いで、ラングレー氏をなんとしても捕らえなさい」
「はっ!」
 アスカは冷徹な眼差しで一同を見渡した。
 冷気にあかぎれを始めた頬は、まだ父に舐められた生臭さを匂わせていた。


 ヒュゥウウ……
 風と共に雪が舞う。
 少なからず重軽傷者が出た、死者がいなかっただけ運が良いのだろう。
「笑いなさいよ……」
 緊急の避難テントから離れた場所に、シンジはあの黒いコートを着て立っていた。
 前をはだけるようにズボンのポケットに手を入れて。
「笑うような事は無いよ……」
「なんでよ!」
 背を向けるように座り込んでいるエリス。
 その金の髪には雪が積もって凍り付き始めている。
「わたしは……、わたしは、わたしって!」
 一体なんなの!?
 それは口に出来ない心の叫びだ。
 ドイツの期待を背負って、新たなチルドレンとなるための教育を受けて来たはずだった。
 過度の訓練にも耐え、サードインパクトには間に合わなかったものの、それ以後にようやく認められた。
 セカンドチルドレンの後継者として。
 ところがその仕事と言えば、人の機体を整備するテストパイロット。
 それもチルドレンとしては亜種のクローンの。
 あたしって、なに?
 しかしそれですらも淡い夢だった。
 現実はセカンドの代用品。
 ただ愛でるための愛玩用の人形だった。
 いや、それ以下だった。
 セカンドのクローンが存在していたのだから。
 体面を整えるためのセヴンス。
「わたしは、もう、いらないのね……」
 このまま身も心も凍らせて死にたい……
 既に指先がかじかみ、感覚がなくなり始めている。
 だが心を凍てつかせるには邪魔だった、シンジの存在が。
「あっちに行きなさいよ!」
 シンジは離れずにたたずんでいる。
 先程まで、これまでの様に危篤状態に陥りかけていた人達を救っていた。
 日本から着いて来ていた医療スタッフはそれを当然のように見ていたが、ドイツ支部の人間は奇跡の光景とそれを行うまでの言動に対する腹立ちに、どう反応して良いものか困っていた。
「なぜエヴァにこだわるの?」
 シンジはそれでも問いかけた。
「チルドレンでなくちゃ、君は君になれないの?」
「そうよ!」
 エリスは吐き出す。
「セカンドセカンドって!、シクススが選ばれた時だってわたしに落胆して!」
 そんな中、気にかけてくれた二人が居た。
 良く頑張っているね?
 君ならなられるよ、セカンドを越える者に。
 君だけがわたしのチルドレンだから。
 わたしだけのチルドレンだよ、君は。
「だけどそれは嘘だよ」
「違う!」
「真実じゃない」
「いいじゃない!」
 嘘でも、騙されていても。
「優しくしてくれたのよ!」
 誰よりも。
 温もりのある虚構と、凍えるような孤独な現実。
「わたしを見てくれてたのに!」
 どちらが良いかは……
「それも嘘だね」
 エリスは膝を立て、その間に顔を挟んで隠していた。
 しかしシンジの声からは逃れられない。
「あの二人が欲しかったのはアスカの代わりだよ」
「嫌ぁ!」
「アスカの代わりに言うことを聞いてくれるお人形だ」
「お前こそ人形の癖に!」
「そう、でも君よりは上等だよ」
「どこが!」
「僕は僕の意志で生きる事を選んだ」
「なにがよ!、お姉様に愛されてるくせに!」
「そうだよ?、でも僕は愛さないよう選択している」
 ピクッとエリスの肩が震えた。
「人の苦しみや悲しみなんて分からないよ……、でも自分に照らし合わせて推し量る事は出来る」
「あなたになにが!」
「でもそれって難しいんだよね?、つい同情ちゃうから」
 エリスは体を捻るように振り返ってハッとした。
「あなた……」
「同情や感情移入しちゃいけないんだよ、誰かを思いやって助けたいのなら他人になるしか無い、それが唯一、客観的な立場に立つ方法なんだから」
「なに、泣いてるのよ……」
「え?、あ、なんでもないんだ」
 シンジはごしっと袖で拭った。
「いい事か悪い事なのかは分からない、でも客観的な真実を一つ教えてあげるよ」
「え……」
「君はチルドレン中、最強のATフィールドを展開した」
「う、そ……」
 愕然とする、素直に喜べないこんな時だから。
「本当だよ、その力はドイツ支部を瞬間的にとはいえ完全に外界と遮断、その大きさは半径一キロ近く、測定数値は第十七使徒を上回ったそうだよ」
 エリスは目を見開いたまま固まってしまった。
「よかった……、のかな?、君とイヴの潜在能力は弐号機とセカンドチルドレンを上回った、イヴは君のものになるよ、ついでに本部にも召喚される、大事にしてもらえる」
「いまさら……」
「どうして?、それが望みだったんでしょ?、誰もが君を見てくれるよ、大事にしてくれる、誰も君を見捨てたりしない」
「わたしがチルドレンになれたのは……」
「それも才能だよ、君が望んで、チャンスをものにしたんだ、頑張ったんでしょ?、頑張ってきたんでしょ?、それなのにもういらないの?」
「……与えられただけなのに」
「じゃあ君はもう一度やり直すしか無いよ」
 シンジの顔から表情が消え始める。
「やり……、直す?」
「そうだよ?」
 シンジは近寄ると、エリスの手をとって立ち上がらせた。
 凍えたせいか、ふらつくエリス。
「チルドレンでも大学卒業間近の秀才でも無い、ただのエリスとして今までのことは忘れて……」
「無理よ」
「なら積み重ねるしか無いよ、嫌な事もいい事だと思えるようにね?」
「いいこと?」
「うん」
 抱きしめる。
「アスカは好き?」
「当たり前よ……」
 シンジを拒絶できるほど体力に余裕が無い。
「そう、そして君はアスカの側に居られるんだ」
 弛緩した体は感覚が失せている。
「そうよ……」
「でもまだエリスじゃない」
「わたしじゃ、ない?」
 不安に瞳が揺れる。
「君には君にしか出来ない、君になら出来る事があるはずだよ」
「わたしにだけ……」
「それが何かは君にしか見付けられない、でも一人じゃないし、イヴのパイロット、チルドレンと言うスタートラインも手に入れた」
「スタート……」
「そう、ここが君の出発点だよ」
 温かい……
 全身に広がる温もりを感じる。
「ここまで伴走してくれていた人達は酷い人達だったね?、でもここからは一人だ」
「一人……」
「そうだよ?、走るのも、歩くのも、止まるのも、休憩するのも、諦めるのも、全部自分で決めるんだ」
「自分で……」
「エリスと言う名を捨てないためにね?」
「あ……」
 意識が遠くなり始める。
「でも一人じゃないよ?、みんな見守ってくれてるんだ、アスカも、綾波も、好きだと言う言葉と共にね?」
 好き……
 その言葉を最後に、エリスは意識を失った。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。