Primary lady 10

 四駆のRVを駆りながら、口に咥えたタバコに火を付ける。
 吹雪にワイパーが固まりかけている、オイルライターの火に浮かび上がった顔はアレクだ。
 暗闇と吹雪が真っ直ぐなはずの道路に不安を感じさせる。
 ネルフとのパイプを失ったか……
「昔ほど強固な組織ではない、直接は無理でも……」
 他人を忍び込ませれば良い。
 それにエリスも居る。
「アスカがな……」
 変に大人ではあったが御しやすく、わかりやすい子であった。
 単純と言ってもいい。
 良い子になる、その一点で完璧さを求めたのがいい現われだ。
「なぜだ?」
 何処で狂った?
 アレクはタバコを噛み切り、残った部分も吐き捨てた。
 アスカの唇を奪った。
 体も汚した。
 以前のアスカであれば、そのプライドから屈辱に耐え切れなかったはずだ。
「その程度だというのか?」
 自分と言う存在が。
「歯牙にもかけぬほど下らないというのか?」
 事実アスカにとってはそうだ。
 犬に噛まれた程でもない。
 エリスが今のままならばいい。
 エリスを再度人形として操る事が出来る、が、アスカの存在がその自信を揺るがす。
 アスカのように変わらないとは限らない。
 心が弱いからこそ付け入る隙がある。
 誰が変えた?
 心を埋めた?
 サードか?
 そのはずはない、シンジは死んでいるから。
 例えそうでも、喪失感から大きな穴が空いているはずだ。
 では誰だ?、ダッシュか?
 偽りの身代わりにすがった所で、本当の強さが手に入れられるだろうか?
 答えは”否”だ。
 自分がそうであったように。
 今だに心が乾いているように。
 何故!?
 焦燥感に駆られる。
 わたしは父親のはずだ!
 だが救いの手は差し伸べられない。
 わたしこそ真っ先に得られるはずのものだろう!?
 だがアスカは来なかった、ドイツに、母の眠る地に、父の元に。
 それどころか関係を拒むかの様に連絡を絶った。
 わたしのものだ!
 テレビに映る笑みは。
 わたしのものだ!
 人々に与えられた癒しは。
 わたしのものだ!
 歓喜にうち震え、涙を流しながらすがる人達。
 それを抱き留め、微笑む少女。
 あれはわたしのものだ!
 トンネルに入る。
 ……?
 車が一台停まっていた。
 ドアにもたれかかり、タバコに火を付ける男が一人。
 オレンジ色の常備灯にコートの色が変色している。
 そのコートの襟首からは尻尾髪が一房垂れ下がっている。
「心配することは無かったか……」
 男がタバコを捨てると、同時に道路に火が走った。
 まるでアレクのRV車を追いかけるように。
「あ!?」
 アレクは男のことを思い出した。
 一時期娘の保護者代わりをしていた男だ。
 ガード役の男だったはず。
 慌ててバックミラーを覗けば、後方から火が追いかけて来る。
「!?」
 それは車を包みながら追い抜いた。
 視界が炎で塞がれる。
 何も見えなくなって慌てる。
 ガン!
 次いで衝撃、フロントがひしゃげる。
「が!」
 シートベルトをしていなかったために、アレクはフロントガラスをぶち破って炎の中へ身を投げ出した。


 走り出す車は葛城ミサトと言う女性が乗っていたのと同じ青い車。
 炎上する炎を突き抜け、そこで停まる。
 アレクが激突したような壁はどこにもない。
「終わりましたね?」
 炎上する炎に顔を照らされながら、やけに白い肌の少年が助手席に滑り込んだ。
 その髪は銀、瞳は赤。
 張り付いていた雪がヒーターに溶け始める。
「ま、やり残しみたいなものだからな」
 後部座席では髪の長い女性が高いびきで横になっていた。
 足元……、になるはずの場所に転がる、ドイツでは珍しいビール、『YEBISU』
 少年はアレクを皮肉るようにシートベルトをつけた。
「ま、いつかはと思ってたからな」
「だから彼女に手を出さなかったんですか?」
「まさか」
 無精髭の生えた顎を撫で、シフトを入れてアクセルを踏む。
「他人の人生を背負うほど余裕が無かったんだよ」
 締まりのない口元が歪んだ。
「彼女も居たからですか?」
 ちらっと目で背後を指す。
「恐かったのかもな、くり返すのが」
「今は?」
 お互いの歳は倍も離れているのに、その言葉は対等にかわされている。
「どうせ死ぬのなら一緒がいい」
「死は等しく、そして不当に訪れますよ、いつ、何処に居ても」
「違いない」
 楽しげに笑う。
 死海から始まった三人の旅は、今だ終わりを迎えない。


「アスカ、エリスをお風呂に入れてあげて」
「はいはい、レイ、手伝って」
「ええ……」
 チルドレン専用の寝台車両。
 中二階になっている下側に、立って浴びるだけのシャワーボックスがあるのだが、当然アスカがそれだけで満足するはずも無い。
 レイは収納ボックスから丸められたビニールシートを横倒しに引っ張り出した。
 圧搾空気で膨らんだそれは、まさしくビニールプールの拡張版だ。
 もちろん材質は特殊なもので、熱湯を入れても溶けることは無い。
 シンジはアスカにぐったりとしたエリスを抱き渡すと、外に回って防火用水とコンテナ車を放水パイプで繋いだ。
 コンテナに内蔵された浄化システムが水をクリーンにして、暖房にも使用している煮沸ガスがお湯を沸かす。
 レイはシャワー栓を元から外して蛇口とホースを繋いだ。
 コックを捻るとジャバジャバと適温のお湯が流れ出す。
 その間にアスカはエリスと共に裸になっていた。
 眠っている様なエリスを背後から抱きしめてプールに浸かる。
 お湯はまだお尻を浸す程度だが、直に膝にまで来るだろう。
 さすがにそれほどの深さが無いので、肩まで浸かることは出来ない。
 寝そべるようにするしかないのだが、アスカはエリスを一人で寝かしたりはしなかった。
 ピクピクと瞼が動いている、すぐに目は覚めるだろう。
 その時、皆と同じようにシンジを嫌悪するか、それとも忘れるかしているに違いない。
 でも、ね……
 直感的に分かるのだ。
 きっと覚醒と同時に孤独を感じ、不安に陥る。
 あたしもそうだったもの……
 その時に誰かが側に居てくれたら。
 誰かが抱きしめてくれてさえいれば。
 こんなに、遠回りする必要は無かったものね……
 アスカはきゅっと、エリスの小さな体を抱きしめた。
 人の温もりが全身を通じて伝わるように。


「碇君……」
 レイは熱いくらいのココアを入れると、外にいるシンジに手渡した。
「ありがとう、綾波……」
 にこりと微笑み受け取る。
 感覚の失せかけた指先が、ジンジンと痛みを訴えた。
 黒いコートに赤いNERVの文字。
 レイは自分の、白に赤のネルフの文字とそれを比べた。
 好きになるのに資格はいらない。
 それ以上に、ただ感情的になればいい。
 理屈もいらない、感じたままに受けれ入れればいい、伝えればいい。
 それがレイの学んだ事だった。
「碇君……」
 再び名を呼び、冷たくなった頬に手を添える。
「綾波?」
 レイは顔を向けさせると、シンジの唇に唇を重ねた。
 一度目は上唇を、ニ度目は下唇をついばみ、舐める。
「どうしたの?」
 シンジはそれでも間近から離れないレイの鼻息を意識してしまった。
 シンジにはレイの行動の意味がつかめない。
 それは嫉妬だった。
 アスカの恰好を見たシンジは、一瞬だけ顔を歪めていた。
 シンジ……
 気が抜けたのか?、コンテナに戻って人の目がなくなるとアスカは泣いた。
 ただシンジの名を呼び、瞳に涙を溜めただけだったが。
「アスカ……」
 シンジは胸が傷むのを堪えられなかった。
 アスカを抱き寄せ、唇を合せた。
 アスカの方が背が高いので、首の後ろに手をやって引き寄せなければならなかったが。
 レイはアスカの顔中に口付けをするシンジに焼き餅を妬き、少しずつ陰鬱さを払拭して頬を紅潮させていくアスカに嫉妬していた。
「わたしには、まだなのに……」
 まだ手をつけてくれていない。
 いや、キスのように、本当に手付け程度のことしかしてくれない。
 レイは口先を尖らせた。
 酷く優しくなった。
 誰にでも。
 それは碇君だけができること……
(僕のしてあげたいと思っていることと、アスカや綾波が感じてくれたことって、違ってると思うけどね……)
 部屋の中で虫を見つける。
 殺さずにシンジは外に捨てる。
 アスカの青い目には、『潰すと汚いから』と映る。
 レイの赤い瞳には、『殺すのは可哀想だから』と見える。
 シンジがどうしてそうしたのかは、シンジだけが知っている。
 あの子には、どう見えるの?
 シンジに好意を抱くかもしれない。
 シンジの行いを優しさの様に錯覚するかもしれない。
 誰の愛も受け入れずに死んだ、悲劇の少年サードチルドレン。
 だから焦っているのかもしれない。
 わたしには碇君だもの……
 でも誰もがそうは見ない。
 身代わりの人形として見ている
 レイが放っているのは間違いなくアンチATフィールドだ。
 これの前では、誰もが心を開き、泣きすがる。
 目の前の存在、レイが理解し分かり合ってくれる人間と感じるからだ、が……
 碇君は……
 そんな人達が、シンジの前では頑な程に心を閉ざす。
 それはATフィールドによる殻を被ると言う事だ。
 自分の形を、強固にするために……
 それこそがシンジの力のために必要な事ではある、しかし……
 碇君……
 もう一度、今度はシンジの唇を貪った。
 拒絶は強ければ強いほど都合が良い。
 癒しの手を差し伸べられるからだ。
 碇シンジは神格化されていけばいい。
 だがダッシュである自分にはなにもいらない。
 蔑まれ、あるいは同情を誘う立場の方が、エリスの様な人達の心には溶け込みやすい。
 そして嫌悪の対象である方が治しやすい。
 まるでシンジが計算付くでそうしているように感じられ、レイは不安を感じていた。
 シンジがレイを、アスカを受け入れないのは、二人のアンチATフィールドに抗えるだけのATフィールドを纏っていると言うことであるから。
 シンジが今だに、二人に心を解き放っていないと言う証拠でもあったから。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。