Defense of the SeaBase 1

 コンテナに入り込んだ瞬間、アスカは妙な違和感に囚われた。
(なにこれ?、臭い……)
 下手なワンルームマンションよりも広いというのに、異様なほどの臭気が漂っていた。
(汗の匂い?)
「どうなさったんですか?」
「あ、なんでもないわよ……」
 怪訝そうなエリスを置いて中に入る。
(あたし?)
 LCLが乾いているのもある、自分の鼻がおかしくなったのかと思いながら、アスカは着替えを取るために階段を上った。
「お姉様?」
 硬直したアスカに戸惑いながらも、後に続く。
 そしてエリスは見た。
 乱れた布団とその上に転がる肢体。
 体の乾いても、汗によって寝乱れた髪は依然として張り付いている。
 横向けに幸せそうな寝顔をシャギーのかかった横髪で覆い、まるで赤子のように右手の人差し指をはんでいた。
 そしてやや丸みのある太股、その付け根から漏れるようにこぼれ出る白いものを見た時、エリスは……
「う〜ん……」
 バタンと、鼻血を吹いて卒倒した。


「ちょっとシンジ、待ちなさいよ!」
「だ、だってエリスが……」
「う〜ん……」
 シンジが戻った時、まだアスカは固まっていた。
 その足元に血まみれで倒れ伏したエリスに、シンジは……
「どうしたの?」
 と惚けた事を言ってしまった。
 硬直した筋肉を無理矢理動かして振り返ったアスカの形相に、シンジはようやく彼女が凝視していたものの正体に思い至ったのだ。
「ん……」
 襟首を引っ掴まれたシンジだったが、レイの寝ぼけた声に胸をなで下ろした。
「レイ、起きなさいよ!」
 矛先が逸れてくれたので、なんとか胸をなで下ろす事が出来た。
 まあ、それも一瞬の事だったが……
「……碇君」
 上気した頬、とろんした瞳、明らかに寝ぼけた感じで、だがレイは真っ直ぐに半分腰を抜かしているシンジを見つめてそう言ったのだ。
 さらにつけくわえるなら……
(こ、こいつ!)
 明らかに誘っている、女の仕草を見せつけている。
 アスカはその媚びたものに覚えがあった。
(ミサト……)
 懐かしい名前を思い出す。
 独り立ちしているようで居て、男に縋る事で自分を維持していた女性。
 それ故に支えが消えた時、彼女は強がる事しか出来なかった。
 しかしそのことよりも、アスカは強い衝撃を感じていた。
(またなの?)
 支えにしていたのはアスカも同じだった。
 しかし彼が支えに選んだのは一人だけ、それも途中で投げ出すような事をした。
「シ〜ン〜ジ〜……」
 レイを見捨てろとは言えない、だが自分を見捨てることは許さない。
「ははは、はい!」
 だからアスカは、嫉妬を前面に押し出した。


(あああああ、あれは何?、なんだったの?)
 エリスはふらふらとおぼつかない足取りでコンテナを出ようとした。
 憧れていた女性の二番目が眠っていた、それだけだ。
 では彼女が見たものは何だったのだろうか?
 股間からつたっていたもの。
 ついでに、白肌の至る所に赤い小さな腫れが残っていた。
 背と肩口には掻かれたような傷痕。
 凝視したわけでも無いというのに、人間の認識力というのは恐ろしいものであって。
 事細か、詳細に至るまで記憶してしまい、さらにはエリスを羞恥のどん底に叩き落とそうと画策を計る。
 エリスはぶるぶると首を振った、考えたくない、思い出したくない、忘れてしまおう、あれは無かったことなのだ、そうだ自分はまだ何だったのか分かっていない、分からないままの方が幸せなのだと……
 しかし現実はそうはいかない。
「コブ付き」
「あーっ、あんたいま笑ったわねぇ!?」
「あ、動いた……」
「って動くかー!、お腹触ってんじゃないわよ!!」
「そうだよ綾波ぃ、昨日の今日で動くはず無いじゃないかぁ」
「そう?」
「そうだよ」
「わからないわ……、だってわたし、人じゃないもの」
「あんたねっ、こんな時だけ人間やめるんじゃないわよ!!」
「出産は女の喜び……、これなのね?」
「まだ産んでないでしょーがー!、シンジ!」
「なに?」
「妊娠検査薬持って来なさい!」
「えー!?、なんで僕がぁ……」
「あんたがやったんでしょうが!」
「うっ、そうだけどぉ……」
「なによその目は……」
「確かみんな、勤務スケジュールの都合があるからって黄体ホルモンの錠剤飲んでたんじゃ」
「あ……」
 にんまりとアスカ。
「そっかそうよねぇ?」
 さらにニヤニヤと。
「なに?」
「あんたバカぁ?、常備薬を飲んでるって事は、妊娠しないって事よ!」
「そうなの?」
「そうよ!」
 何故だか勝ち誇ったような態度を取る。
「残念だったわねぇレイ!、これで初めての相手はあたし、シンジの子供を生むのも最初はあたしよ!」
「なんでそうなるんだよ……」
「子供、受胎、愛する人の子を宿すのは神聖な事、喜ばしいこと……」
「ならなおさらあんたじゃダメね?、やっぱり一番好きな相手でないとぉ!」
 シンジは女達の争いに後ずさった。
 潮風に揺れる髪がまるで炎にあぶられて吹き上がっている様なアスカと……
 逆に風が足元を這う冷気のようにスカートをはためかすレイの視線。
 その恥も外聞も無いやり取りに、否応も無くエリスは細部に至るまで明確に思い出さざるを得なかった。
「ちょっとあんた……」
「え?、な、なに?」
 エリスは側まで逃げて来たシンジに溜め息を吐いた。
「なんとかしなさいよ?」
「な、なんとかって……」
 不敵な笑みを浮かべ合う両者に冷や汗を流す。
「どうやって?」
 へらっと引きつった笑みを浮かべるシンジ。
(ああもう!)
 何故こんな奴がもてるのか?
 エリスは理不尽な怒りにかられた。
「あんたね男でしょ?、責任取りなさいよ!」
「責任?」
「そうよ!」
「取ってもいいの?」
「え……」
 エリスは自分の失言に気がついた。
「そ、それは……」
「でしょ?」
(なに勝ち誇ってんのよ!)
 エリスは苦虫を噛みつぶしたような顔をした。
(お姉様の喜ぶ顔は見たいけど……)
 そうなるとシンジにアスカを選ばせるしか無い。
(だめだめだめ!)
 愛するアスカをこのような男に渡せるだろうか?
 応えは断じて「否」である。
(やっぱり、ここはレイ様に……)
 普段は口元にのみ微笑を浮かべる綾波レイ。
 だがそれが引き結ばれた途端に印象は百八十度回頭する。
 絶対零度、常夏の陽射しさえその凍土を溶かす事は叶わない、それが例えアスカの烈火のごとき感情であってもだ。
「あんたね!、シンジが居ない間、誰が面倒見てあげたと思ってんのよ!?」
「アスカ、あなたでしょ?」
「だったら少しは感謝して譲りなさいよ!」
「感謝はしているわ」
「どこがよ!?」
「だから、碇君は責任をもって幸せにしてあげるから、安心して」
 キーッとヒステリックな声が上がった。
(いくらお姉様を守るためだからって、そんな……)
 どうやらエリスには、そのような姿は知覚されないようである。
 アスカほどではないにしても、エリスはレイを慕っていた。
「ど、どうしよう……」
 その二人が取り合いをしている少年はと言えば……
「冬でも暖かいねぇ……」
 達観している。
「なぁんでこんなのが……」
 はぁっと深く溜め息を吐く。
 あるいは碇シンジ、彼のオリジナルはこうでは無かったのかもしれない。
(そうよ、お二人ともその影を……、幻をいつまでも追っておられるんだわ!)
 知らないというのは幸せな事である。
 が、それはそれとして。
 救いの神は、別の場所から現われた。


 本部からの通信をが入ったとの連絡を受けて、シンジは一人でコンテナに篭った。
 コンテナトラックからであれば、衛星経由でマギと直接コンタクトを取れる。
 暗号変換も通常では考えられないほどにかけられる、それにこの艦の通信機を使っては記録を取られる可能性もある。
 それらを考えなければならないほどの話しだとシンジは考え、多少身構えていた。
「で、アスカ達にまで内緒にするなんて……、一体何の話なんですか?」
 向こうには日向とマヤ……、ネルフの本当の意味でのトップが揃っている。
「ああ……、そっちにマーク3が行ってるだろ?」
「ええ、パイロットは未だに出て来ませんけどね?」
 くつろいだ様子で、自分で入れた紅茶に手を伸ばす。
 しかし頭の中では、あの不気味に沈黙を保っている白い巨大魚のことが思い浮かんでいた。
「貴方に会うかどうかは……、微妙でしょうね?」
「どういう事ですか?」
 眉を寄せる。
 まるで顔見知りであるかの様にも聞こえたからだ。
「先日……、君の口走った事が尾を引いていてね?」
「はい?」
『もう一度サードインパクトを起こしますよ!』
「あれは効き過ぎたな」
 苦笑する日向。
「はったり……、だったんですけどね?」
 シンジは頭を掻いた。
 初号機でもあれば話は変わって来るだろうが、あいにくと今は空の彼方に浮いている。
「もちろんほとんどが信じているさ……、でも君の『力』のことは彼らもよく知っているからね?」
 癒しの奇跡。
「あるいはそれがと言う声も収まらなくなって来ているのよ」
「……監視ですか?」
「どうも僕達には任せておけないらしい」
 皮肉る。
「昔から『本部』には秘密が多かったからね?」
「ああ……」
 シンジはゲンドウの時代のことを指しているのだと察して苦笑した。
 使徒は本部にのみ進行して来る、その理由は明らかだった。
 本来支部を作る必要は無かったはずなのだ、だが金は出させなければならない、そのための理由として各国にエヴァの開発を行わせていた。
「今でも、ですか?」
「シンジ君が秘密兵器か何かだと思っているらしい、ま、レイちゃんの事もあるし、否定し切れる物じゃないからね?」
 言葉を濁さざるをえない部分が多々あるのだ。
「補佐官辺りからは所詮はクローンなんだから廃棄しろって声も出始めているのよ……」
 マヤは多少の心配を含んで口にした。
 かつてのシンジから、ならば、と死を望む姿が想像できたからだ。
「ドイツ支部の人間のほとんどに、あの台詞は聞かれてしまったらね?」
「他の支部……、いや、組織の人達にも、ですか?」
 嫌になる。
 だが自分が狙われる分には、自己の責任なのだから。
 それは自分の立場に対する責任とも合致する。
「仕方ありませんね?」
 だからシンジは受け入れた。
「上の者達はシンジ君とサードインパクト、さらに現在の世界との関りを知っているからね?」
「今抑えるのに躍起になっているから、その内そんな声は聞こえなくなるわ?、それにあの話も広まり始めているし」
「あの話?」
「殉教者、碇シンジ君の事よ」
 三人の顔に、同時に馬鹿げた物が浮かび上がった。
「あんな作り話で……」
「だが文字通りシンジ君の魂は僕達一人一人の中で生きているからね?」
「まんざら嘘ってわけでも……」
「いいですよ、……そんなこと、今更どうでも」
 席を立つ。
「それより、ハワイで拿捕した潜水艦を引き渡しますから、よろしくお願いしますね?」
「了解した」
 通信を切る、そして手元のリモコンでハッチのロックを解除する。
「さてと……」
(まだ怒ってるかな?)
 シンジは気が重くなるのを感じながらも、扉をくぐって外へ出た。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。