Defense of the SeaBase 2

「それ、どういう意味よ!」
 予想に反して、外に出たシンジを震え上がらせた声はシンジへと向けられた物では無かった。
 アスカは肌の浅黒い少年と言い争っていた、アジア系の東洋人のようだった。
 髪は短く刈り上げている。
(どこかで?)
 見覚えのある顔だった。
「碇シンジの墓には何も埋まっていなかった、死んだと言う記録そのものも捏造された物だった」
 女性としては長身過ぎるアスカよりもさらに背は高い。
 彼はその首を巡らして、現われ出たシンジを睨み付けた。
「なぁ、そうだろう?、碇シンジ」
(あっ!)
 シンジは思い出した。
 真夏の太陽と青い空の下で抱き合う二人。
 そのバックにある巨大な竜を模した無骨な兵器。
 否定も、罵りもしないで、彼の言う事を肯定し、甘える事を許してくれた女の子。
 初恋、それが終わった時、自覚した瞬間。
 彼女が跳び込む事を選んだ少年。
 栗色の髪の少女をその胸に抱き留めた男の子の面影が、いま目の前に居る彼に重なった。
(確か……、ムサシって)
 シンジはすんでの所で顔の筋肉を固定するのに成功した。
「……誰?」
 強ばった顔を警戒色のように護魔化して問い返す。
「……ムサシ、ナインチルドレンだ」
「九番目の……」
「ああ」
 値踏みするような目は、やはりシンジのことを疑っているのだろう。
「……なに?」
 居心地悪そうに体を揺すって見せる。
「いや……」
 彼も勘繰り過ぎだったか、と顔を逸らした。
「マナは……、帰って来なかった」
 最後にそれだけを告げる。
 レイはピクリと、アスカは露骨に反応を示した。
 その名前に、ようやくアスカは相手が誰だか思い出したのだ。
(こいつ、あの時!)
 シンジの目の前でスパイと抱き合っていた、その相手。
(シンジ……)
 ちらりと様子を窺う、しかし。
 その時にはもう、背中を向けられてしまっていた。


 ハワイ島が見えて来る。
 セカンドインパクトによる大津波に、一度はそのほとんどを水中に没した島である。
 しかし現在は火山の隆起により再び押し上げられていた、もっとも、一度塩漬けにされた土地は作物が育たず、現在は苔や羊歯類の生い茂る寂しい姿を晒している。
「セカンドインパクト前は憧れの島だったって言ってもねぇ……」
 アスカはぼうっと艦載機の羽に腰掛けていた。
「今じゃ太平洋艦隊の基地ですものね?」
 隣では同じように膝に頬杖をついてエリスが島を眺めていた。
 まだ遠く、この明るい空の下でも黒い影としてゆらめいている程度である。
「……お姉様」
「ん?」
 エリスはこれまで躊躇していたものを思い切った。
 アスカの惚けた姿に、好奇心が抑え切れなくもなっていた。
「……あの人の」
 ムサシが居るはずのマーク3を見やる。
 クジラのようにわずかに背を海面に見せては、また水を割って潜っていく。
「ナインスの言ってたマナって……、誰ですか?」
 様子を窺う目を隠すために膝を抱える。
 さしものエリスも気が付いていた。
 その名前が出た時から、アスカも、レイも、シンジに触れるのを避け始めたと。


「碇君……」
 シンジは艦橋下部の前方部にある廊下で、柵に肘を突いて風を受けていた。
 正面には黒い島影が、海面からの輻射熱によって陽炎のように揺らめいている。
「綾波……」
 振り返り、シンジは再び柵に腰を落ち着けた。
 レイの髪は風によって後ろに流れていた。
 普段は見られないレイの顔の輪郭線に、シンジは彼女を別人の様に感じ取った。
(錯覚だ)
 そう思って振り切る。
 数時間ばかり前に貪り合ったのは嘘じゃない。
「マナは……」
 だが揺さぶりを掛けられ、それに動揺している自分も確かに居るのだ。
「あっちの世界に、何を見付けたのかな?」
 シンジの言葉の一つ一つに、レイは身を固くする。
「……好き?」
 彼女のことが、まだ。
 そう尋ねる事への恐怖からか、無意識の内に左手で右腕を掴み、握り締めていた。
「綾波……」
 シンジは青い顔色をして俯いているレイに苦笑した。
「そうじゃないよ」
 その顔を見つめて続ける。
「あの頃は……、恐かったんだ、みんなが」
「みんな?」
「そうだよ……」
 邂逅する。
 遠い目をして。
「ミサトさん……、アスカ、綾波も、みんなどこか自分のことばかりで」
 その言葉はレイに唇を噛み締めさせた。
「僕は優しくして欲しかったんだ、甘えたかったんだと思う……、今みたいにね?」
「碇君……」
 レイはようやく顔を上げた。
 そしてシンジの笑みを見付けて、顔をほころばせる。
「でもあの頃は誰も居なかったんだ……、何かを口にしたらアスカに『バカ』って言われた、父さんのことに触れると綾波は機嫌を悪くするから……、だからいつも思った事が言えなかったんだ、また怒られると思って、嫌われたらって、恐くて……」
 様子を窺ってから出ないと口が挟めず……
 そんな態度が、またさらに苛着いたものを感じさせていたというのに。
 アスカなどはそれによって神経を逆なでされ、言葉に刺を加えていたのだろう。
「でもマナは違ったんだ」
 気さくに話せた。
 話す事が出来た。
「嬉しかったんだ……、嬉しかったんだと思う、だから好きになったんだ」
(違う、甘えたかったんだ……)
 好きと言うと語弊があるが、甘えたかっただけでも無い。
「惹かれてたんだと思う……、初めてだったんだ、あんなのは」
 小学生の頃はいつも耳に届いていた。
『あいつのお父さんは、お母さんを殺した』
 何を口にしたとしても、その先入観がシンジの想いを跳ねのけるのだ。
 泣き言を伝えたくても、冷たい目を向けられるだけ。
 だから口を閉ざし、言葉を無くす以外に方法は無かった。
 口下手になり、思った事も言い放てなくなっていった。
 ミサトは上司としての顔を隠そうとしていた。
 しかしシンジはそれを見抜いていた。
 養父母、それに周囲の人達と同じ物を感じていた。
 裏を隠すための顔なのだと、仮面である部分を見抜いてしまっていた。
 だが父に対して、その憤りを訴えようとしたこともあったのだ。
 その声は、綾波レイと言う少女と、父の談笑の前にかすれさせる以外に無かったのだが。
 さらには、惣流・アスカ・ラングレー。
 彼女に対しては論外だった。
 自分だけを見ている少女に、自分を伝えてどうするのだろう?
 それが彼女の機嫌を損ねると感付いていたから、シンジは何も伝えなかった。
「僕も悪いんだけどね?」
 自嘲するのは、自分もまた自分だけの苦しみに浸っていたから。
 人の痛みなど気にしてもいなかったから。
 自分を救ってくれる事だけを期待していたからだ。
「僕が何かできたわけじゃないけど……」
 何も出来ないからと言って、だからと言って目を逸らすのは良い事なのか?
「できたわけじゃ……、ないけど」
「碇君……」
 呻きに、レイは間を詰めた。
 シンジは思い出していた。
 加持の伝言を聞いて崩れ落ちたミサト。
 その姿に、嗚咽に耳を塞いだ自分のことを。
「僕はもう、嫌なんだよ……」
 レイの気配に、シンジは前に倒れ込んだ。
 ふくよかな温もりに顔を埋める。
 誰に何を言われようと構わない。
 誰に何と罵られようと気にしない。
 ただ、目を背ける事だけはしたくない。
 せめて手は掴んであげたいと思う、苦しんでいる人が居るのなら。
 何かをしてあげられるほど聖人ではないけれど。
(碇君……)
 レイはシンジの髪を梳きながら、少しばかりの感動に浸っていた。
 これ程までに心を開いてくれた事に対してだ。
 シンジの苦悩が、まるで手に取るように分かるから……
「でも、僕を表に出して、真っ直ぐに向かい合わずに……、僕と言う紛い物を作り上げて、身を軽くして、ねぇ?、僕は……、卑怯者なのかな?」
 いま、シンジにはムサシの言葉が突き刺さっていた。
 過去の大罪から逃げ出すために名を変えているのだと。
「例え、そうだとしても……」
 レイの言葉に、シンジは顔を上げた。
「あなたの行為は、間違ってはいないもの……」
 それで救われている人達は居るのだから。
 帰って来なかった人々も、それはその人達が自分で望んだ結果なのだから。
「だから、頑張って」
 はっとする。
 その表情に、微笑みに、言葉に、声音に。
『頑張ってね』
 ミサトが重なる。
「うっ……」
 シンジは不覚にも。
 レイの胸に涙を流し、彼女の服に染みを作った。


 シンジのしている事が正しいのか間違っているのか、一人よがりなのかさえレイには判断が付けられなかった。
 しかしシンジの姿に肯定してあげたかったのだ。
 惚れた弱みと言えばそれだけのものである。
 何年も待ち続けたのだ。
 一度は……、弐号機に絡んで、シンジには置き去りにされてもいる。
 一人残された世界で、レイは無への回帰とシンジの帰還との狭間に揺れて、無為に苦しみの時を重ねていた。
 サードインパクトでの擦り込みなのかもしれない。
 インパクトの核とされた事で、シンジの叫びはリリスへと届いた。
 その刺激がレイに宿されていた魂を揺さぶり、本能を呼び起こす事になった。
 それこそがレイの呟きでもある、『呼んでいる』の真相である。
 シンジがレイを呼んだわけではない。
 誰かに縋りたいと言う想いに、リリスが癒してやろうと母性を揺さぶられただけである。
 それは霧島マナと同じ『誰にでも優しくなれる』、ただの性癖であったと言える。
 だが、それから色々な事があった。
 今は綾波レイ、一個人として碇シンジの袖を掴んでいる、離れないために。
 だからシンジのしている事を否定するような真似は出来ないのかもしれない。
 アスカを、自分を、想っているようでシンジは自分のしている事を優先している。
 そうでないのなら、このような事はやめて、あの街で自分達を側において静かに暮らしてくれるはずだから。
 もし他の道を、と薦めれば、シンジは二人を捨て置いてでもそのままの道を歩くかもしれない。
 あの時と同じように。
 一人で弐号機へ消えてしまったように。
(わたしを、捨てて……)
 レイは自分の想像にゾッとして、自らの体を抱きしめた。
『待て、待ってくれ、レイ!』
 耳に残る声がする。
(あの人は……、最後まで、わたしを見てはくれなかった)
 碇ゲンドウ。
 彼は自分だけの夢を追いかけていた。
 夢の中で再会した彼女は必ず自分を快く迎えてくれるのだと。
 もし自分が自分だけの夢を見て。
 シンジにその夢の手伝いをしろと、彼の手足を縛ったのなら。
(わたしは)
 己のした事が返って来るだろう。
『待って、碇君!』
 ゲンドウの泣き叫びに自分が重なる。
 あるいは彼は人形のように、……過去の自分のように付き従ってくれるだろう。
 自分を、亡くして。
 ハワイ、マウナケア山とマウナロア山を分断する潮の流れがあった。
 現在二つの山は、二つの島として存在している。
 その中央に挟まれる形で、件の水上基地は浮かんでいた。
 真上から覗けば八角形のテーブルを形作っている。
 その面になる一つ一つには桟橋があり、それぞれの艦が補給のために接舷を始めていた。
「なにやってんのよ?」
 アスカは潮風に吹かれながら、自分の体を抱きしめているレイに話しかけた。
「アスカ……」
「あんた……、泣いてるの?」
 言葉を失う、先だってのやっかみから、シンジが待ってるんじゃないの?、とからかおうとしたのだが……
「何泣いてるのよ?」
『妹』を抱き寄せる。
(こんなの……、あれ以来ね?)
 シンジの居ない二年間があった。
 こんな風に支えていた。
 移った情はそう消える物ではない、だから今でも……
(泣かれると弱いのよねぇ……)
 泣きじゃくるレイの頭を撫でながら、ふうっと自分に対して溜め息を吐く。
 シンジがどちらかを選ぶことは無い。
 それは確信に近かった。
 しかしレイが独占したいと言い出すかもしれない。
 その時、自分は?
(どうかしらね?)
 譲ってしまうかもしれない。
 この嫉妬深い、甘えん坊には。
「で、何泣いてたのよ?」
 アスカは、ようやくしゃくる程度に収まったレイに話しかけた。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。