すっと落とされた影に彼はぼけっとした顔を上げた。
「あ、惣流さん……」
「……いい度胸ね、バカシンジの癖に」
「え?、ふぐ」
 アスカはシンジの頬をつかむと、うにゅうにゅと左右に引っ張った。
「挨拶もしないで無視ってのはどういうつもりよ」
「どうって……、ごめん」
「なになに?」
「惣流さん、碇君のこと知ってたの?」
「うん……、まあ、腐れ縁って奴よ、ね?」
「……」
 シンジは不思議そうに見上げるだけだ、無視するならともかく、そんな風に優しく紹介される理由がよくわからない。
 こういう時、その目が何か企んでると言わんばかりに笑っていないのがアスカなのだが、いや、アスカなのだと知っているからこそシンジには意図を計る事が出来なかった。


 その男が見下ろしているのは、四角い実験部屋だった。
 装甲板に覆われた部屋だ、そこにはシンジが見たものと同じ巨人が直立させられていた、ただし同じなのは本体であろう人造人間の部分だけだ。
 他の部位は全て最新の科学技術によって開発された機材に取り替えられていた、鎧も不格好に分厚いものから、すらりとしたスマートな形状の品に交換されている。
 色はオレンジ色、目は一眼。
 肩にはEVAのマーキングが入れられていた、ナンバーは『00』だ。
「ここにいらっしゃったんですか?」
 入室したリツコは、灯も点けずにいた誰かの存在に驚いた。
 首だけ振り返ったのは碇ゲンドウだった、シンジの父親だ。
「赤木君か」
「……昨日、シンジ君が来ました、初号機を見せましたが」
「かまわん……、レイに任せてある、問題無い」
「……ありませんか?」
「レイが必要だと感じたのならそれで良い」
 リツコは溜め息を吐いた、どうしてそうまでして信用出来るのかわからなかったのだ。
 レイはその気になればこちらの心を覗くことができる、不信を持てば迷わずそうするだろう。
 現在は自己嫌悪から自制の方向に傾いているが、その天秤がいつどう動くかは彼女の気持ち一つなのだ。
 誠実に尽くしていればそんな心配は無用……、とはいえ『普通』でありすぎる彼女には、時には不安に彩られるのも事実であった。


「ふうん、惣流ってのは凄いんだな」
「うん……、まあね」
 お昼休み、屋上。
 ヒカリの誘いがあるからか、この時ばかりはレイは追いかけて来ない、まあ、当然のごとく誘いはあるのだが、レイもシンジを針のむしろに曝すつもりはないようだった。
 パンを手にシンジ、これはレイと学校の途中にあるコンビニで買って来たものだった。
 ちなみにレイが弁当を作ろうとしないのは単に『技術』の問題である。
 シンジと一緒にいるのはケンスケだ、このところ相棒が鬱陶しい感じなので別行動していた、ここで偶然、ばったりとなった、というわけである。
「小学校の頃にさ、日本じゃ飛び級制度が無いからって、外国に行くって話もあったくらいだし……」
「通信教育もあるんだろ?、大学って」
「あるけど、……わかんないや」
「そっか」
 生返事を返す。
「まあ色々あるんだろうな、親の方針とか」
「方針?」
「ほら……、勉強よりも伸び伸びと育ってくれた方が、とかさ」
「なるほど……」
「それに惣流さん家って結構有名どこみたいだしさ、学歴なんて最終のが付いてればいいんじゃないのか?、いいとこのお嬢さんってことで振る舞えれば良いとか」
「……詳しいんだね」
「そういう奴って多いんだよ、この学校、ほら、碇も司令の息子だからって言われたろ?、あいつのパパって偉い政治家なんだよな」
「へぇ……」
「気に食わないんじゃないの?、自分より碇と仲良くしてるのが」
「って、レイさんのこと?」
「あいつも結構アタックしてたんだぜ?、でも綾波って誰とも付き合わなかったからさ」
「ふうん……」
「ジオフロントのプロジェクトに参加してましたってのは絶対ステータスになるだろう?、だったらさ、惣流さんとこもそう判断したのかもしれないぜ?」
「……」
「なんだよ?」
「いや……、別に」
「碇」
 ふうっと溜め息。
「そういうのってさ、気持ち悪いぞ?」
「え?」
「何か言いたそうにしておいて言わないのってさ、気持ち悪く感じるって」
「……じゃあ、言うけど」
 たどたどしく。
「そういうの、考えて、どうするのかな、って思って」
「ん?、まあ……、な」
「相田君……」
 やり返す。
「気持ち悪いよ、そういうの」
 苦笑する。
「じゃあ言うけどさ」
 おどけて説明する。
「そういうのを聞きたがる奴も居るって事、そういう情報売ってるんだ」
「売るの?」
「まあゴシップ誌の手前ってとこかな、写真とかも売ってるし」
「じゃあ……、僕から聞いてるのも?」
 ん?、とケンスケ。
「ああ、それは逆、売らない」
「どうして?」
「本当のことっていうのは『売れない』の、大衆は真実よりもフィクションを好むってね、だからこうして人に話して感触確かめたりもするわけよ、時々さ、洒落になってないかもって思うこともあるし」
「例えばどんな?」
「ん〜〜〜、ほら、誰かが誰かと二人きりでデートしてた、なんて噂流したとするだろ?、で、俺は知らなかったけど、実はその片方には付き合ってる奴が居た、当然周りは騒ぐし、その付き合ってる奴等も疑い合って関係が悪くなるよな?」
「うん」
「そういうのってまずいだろ?、けど、聞きたがってる奴のニーズに合わせると、どうしてもそういう話になるじゃないか、だからさ、ある程度は問題にならないようにしてるってわけ」
 シンジはそれでも問題はあるような気がしたが、しかし言葉になるほどのものでは無かったので口を噤んだ。


 授業内容自体はおかしくとも、それでも風景自体におかしなものは何も無い、二十世紀以前と同じような光景がくり返されるだけだ。
 真面目に取り組む者、ぼやっとしている者、寝ている者、内職に励んでいる者、様々だった。
 そんな中、シンジはケンスケの会話を反芻し、クラスの名簿を開いていた。
 画面に表示したものをざっと眺める、しかし親の名前を見てもピンと来ない、大体クラスメートの顔も覚え切っていないのだから無理も無い。
 しようがないので、この間レイに絡んでいた子の顔を思い浮かべて見た、なるほどと思う、嫉妬が混ざっていたのかと。
 権力にまみれるというのはそういうことだ、親の権力を笠に着たとしても、自分にへつらって、ある程度は想い通りになって来たものが、より強い何かに奪われていく、それを理不尽とでも感じたのだろうと想像をする。
 当然の権利を犯される、理不尽……、自分の行い、考え、想い、行為、それらが他人に対して理不尽さを強いるものだったとしても、自分を省みることなく、自分の権利を犯す者の理不尽さを責める。
 本能的にシンジが自分にとって都合の悪い者として察したのかもしれない、だからレイの選択をそう断じたのかもしれない、自分に重ね合わせて、自分の狭量な想像で他人の考えを思い計る。
 そんな堪らないものをシンジは直感的に思い連ねた、言葉にするほどには理解できずとも。
「嫌な……、感じだよな」
 シンジは口の中だけで呟いた。


「シンジクン」
 HRの終了と同時に、レイは慌てた様子で声をかけた。
「ごめん!、急にリツコさんから呼び出し入っちゃって」
 ぱんっと手を合わせる。
「ネルフ……、来る?」
 一緒に、との誘いには、シンジはううんとかぶりを振った。
 そんなシンジにレイはむくれる。
「う〜……」
「なに?」
「なんでもない!」
 バンッと背を叩く。
「じゃ、ね!」
 なんだよもう、とシンジ。
「流石ねぇ……」
「碇君、ジオフロントに入れるんだ」
「特権ってやつ?」
 何人かが面白く無さそうにする、その空気に触れてアスカも顔をしかめる。
 しかしこれはチャンスだった、ようやく独りきりになってくれたのだ。
 アスカは皆に引き止められる前に教室を出た、もちろんシンジを待ち伏せするための行動であった。


「なぁにやってんのよっ、バカシンジ!」
 帰り道、コンビニで夕飯を物色していたシンジは、大き過ぎる呼び声に顔をしかめた。
「惣流さん……」
「なぁにシケた面してんのよ」
 シンジの鼻先をぴんと弾く。
「このあたしが声かけてやってんのよ?、少しは愛想良くしなさいよ」
 そんなこと言っても、と内心でシンジ。
「何か用?」
「べっつにぃ?、見かけたから声かけただけよ」
 シンジは、そう、と打ち切ろうとした。
 食い下がる。
「で?、あんたそんなもんばっかり食べてるわけ?」
「……良いじゃないか、別に」
「そおんなんじゃ、栄養偏ってしょうがないでしょうが」
「……」
「なによ?」
「……いつも」
「あん?」
「いつもこれだよ、僕は……、向こうに居た頃から」
 アスカはギュッと歯を食いしばった、失敗した、そう顔に出してしまう。
 シンジの扱われ方は、当然のごとく気になっていたから知っていた、平気な顔をしていても触れられたくないだろう、それぐらいのことは想像出来る。
 シンジはやはり彼女を無視した、というよりも反応を確認しようとはしなかった。
(いつもこうだ)
 何か言って来る、どうしても罪悪感を抱かせるような事を言ってしまう、気まずくなる。
 だから話さなくなる、だから最初から話さないように距離を開く。
「そ、そういえば、さ」
 無理をしてアスカ。
「あの子はどうしたのよ?、ほら、髪の青い子」
 いつもの喧嘩売りパターンだな、とシンジ。
「別に」
「別にって、……あんたら付き合ってんでしょ?」
「まさか」
 レジへ、そのために一旦会話は途切れる。
「……彼女に作ってもらえばいいじゃない」
「なんでさ」
 外に出る、シンジは嫌々ながらコンビニの前で話すことにした、経験からだろう、こういう時は決して解放してくれないと諦めたのだ。
 ジュースを買う、二人分。
 それを受け取り、礼も口にしないアスカ。
 それが二人の関係を雄弁に物語っている。
「あの子、どう見たってあんたのことが好きみたいだけど?」
「だから?」
「だからって……」
 困った顔をする。
「良いじゃない、頼めば」
「頼んでどうするのさ」
 シンジはらしくなく、苛立たしげに、つっけんどんな物言いをした。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。