沈痛な面持ちで登校したのはアスカだけではなく、レイもであった。
 さすがに昨日のあの話の後では気まずいと感じたからか、掛ける言葉を見付けられなくて、レイは一人で登校して来ていた。
 シンジに何を思われているのか考えるだに怖かったのかもしれない、しかしシンジが望んでくれていないのなら、一人にさせたほうがいいだろうと……
 そんな言い訳は確保していた。
 教室にアスカを見付ける、ん?、とレイは小首を傾げた、教室の空気がおかしいからだ。
 誰もがアスカに対して不信の目を向けていた、登校して来た友達を呼び寄せては、アスカに対してヒソヒソと噂話を展開している。
 何事かと立ち尽くしてしまう、そんなレイを追い抜いたのはシンジだった、誰かが話し掛けて、それがこの間、自分に向かってつまらないことを言ったクラスメートだと気が付いた。
「よっ、碇」
 馴れ馴れしく。
「お前も大変だよな、司令の息子って奴もさ」
 不審げにするシンジに、駄目押しをする。
「惣流さん、前の学校じゃ仲悪かったんだって?、それがチルドレンに選ばれた途端、媚び売ってさぁ、付き合ってやるのも大変だろ?」
 何の事は無い、お前に話し掛ける人間なんて、みんなそうだとおとしめているだけだ。
 ぐっとなるレイ、何かを言いかける、しかし必要は無かった。
「で、君も忠告して、恩を売っておこうってわけ?」
 硬直した隙に離れるシンジだ。
 レイは喝采を送るべきか、そう告げたシンジの心を思いやるべきかに悩んで……
 結局どちらにも傾けなかった。


 屋上の柵に胸を引っ掛けて、アスカはぼうっと時を過ごした。
 向こうではこうなることを恐れていた、だからシンジに態度を改める事なんて出来なかった。
 しかし今は今だ、周りは関係無い、シンジだけだ、そこまで思い詰めてこちらへ来たはずなのに……
(あたしって……)
 どんな風に噂を立てられるのかが怖くて、シンジに近寄れない。
 ふと、アスカは気配を感じて肩越しに後ろを見やった。
 レイだ、歩いて来て、そのままアスカの隣にもたれかかった、柵に腰を当てて。
「まあ、やっかみってのは仕方ないから」
 レイの言葉に顔をしかめる。
「なによ?」
「……チルドレンの選抜候補生が集められてる訳だから、さ、競争意識激しいの」
 ああ、と納得する。
「どうでもいいんだけどね、そんなこと」
「……」
「あたしはただ、シンジに酷いことしたままだって思ったから」
「わかってる、……ごめんなさい」
「はん?」
「昨日、言い過ぎたから」
「いいわよ、別に」
 アスカはさらに力を抜いた。
「外れてるとは思ってない、痛かったのは痛かったけど……」
 はぁっと溜め息。
「正直、シンジがあそこまで感情捨ててるなんて思ってなかったのよ、どうでもいいなんて、本当はどうにかして欲しいって思ってる癖にって思ってた、だから嫌味みたいに言ってるんだって、けど」
「うん……」
 レイも同意する。
「シンジクン、本当にどうでも良いみたいね、好きって言っても、ありがとうって言うだけで」
「一応言っとくけど、あいつの好きって、本当に好きだから言ってるのよ?、あいつ言ってたもん、優しくされて嬉しいって感じちゃいけないのかって、それってあんたのことでしょ?」
 かなぁ?、とレイ。
「喜んでくれてたのならいいけど、どうせなら次も期待して欲しいって思う……、でもシンジクンって、絶対にそれ以上って望んでくれないみたい、一回誘ったの、キスとか、その先とか、二人っきりだししてみたくないのかって」
 アスカは動揺を悟られないようにして訊ねた。
「で、なんて?」
「出来ないって、自分を信じてないからって」
「なにそれ?」
「わかんない」
 レイは風になびく髪を押さえた。
「でもわかってきたこともあるの、シンジクンってこの先どうなるかわからないような、不確かなものに頼るつもりってないみたい」
 それはまあね、とアスカ。
「ママに死なれて、パパに捨てられたみたいになって、おじさんとおばさんには居候って事で処理されてたし」
「処理?」
「そう……、別々に暮らしてるみたいにね、こんなことがあったわ……、シンジがね、学校の帰り道に、捨てられてたぼろぼろの自転車を拾ったの、意味なんてなかったみたい、河原に捨てられてた、サビの浮いた、ブレーキホースの外れてる奴だったわ、それをね、乗って帰ろうとして警察に見つかったの、おばさんには自転車くらい買ってあげるだけのお金はお父さんから貰ってるってさ、……でもね、やっぱり余所のおばさんじゃない?、シンジにとっては、だからお金をくださいなんて言えなくてさ、晩ご飯代だって貰うお金が……」
「ちょ、ちょっと待って?、おばさんの家に居てどうして晩ご飯代なの?」
「え?、ああ……、だって邪魔者扱いされてたから」
「……」
「面倒だってね、あたしだって新しいママがそう愚痴ってるの聞いて拗ねてた時期あったし……、間が悪かったって言うのはあれだけど、シンジとは半分、奪い合いみたいになってたのよ、友達が欲しい、優しくしてくれる人が欲しい、ってね」
 はたと呟く。
「あたし、なんであんたなんかにこんな話してるのよ」
「……さあ?」
「まあいいけど……」
 気怠く許す、それどころではないからだろう。
「どこまで話したっけ……、そうそう、晩ご飯代浮かせてさ、CD買ったりして、……風邪引いた時なんか大変だったわ、病院帰りでおばさんに連れ返られてるとこ、偶然見たんだけどさ、栄養失調なんて恥ずかしい、とか、ちゃんと食べさせてないみたいじゃないか、とか、色々言われてたし」
「そう……」
「一番身近な人にそんな風に言われたらね……、他人の癖にって思うしかないじゃない」
「……詳しいのね」
「仕方ないじゃない、ママがおばさんに愚痴られててさ、それをアタシの前で話すんだもん、自分達と一緒にご飯を食べようとしないとか、あてつけみたいにコンビニのお弁当食べて、とか、全部シンジのせいにして、さんざんなこと言ってたんだって」
 シンジの叔母の言い様が正しいのかどうかは、これまでのことを考えれば容易に察しがつくだろう。
「好きなの?、シンジクンのこと」
 アスカは正直に答えた。
「さあ?、どうかな……、嫌いじゃないけど、罪悪感って言うのが一番正しいとおもうし」
「でもあたしがキスしたって聞いて驚いてたじゃない」
「驚きはするけど、でも嫌じゃなかった」
「ん?」
「嫌だって感じはしなかったの……、あたしがここに来てるのはそんなことに関係してないから」
 まあ、とレイ。
「どっちみち、いいの?、教室」
「はん?」
「すっかり司令の息子に尻振ってるってことになってるけど」
「どうでもいいわよ、そんなの」
 ぱたぱたと手を振る。
「あたしが来てるのは、シンジと話したかったからなのよ?、わかり合いたかったのかもしれない、どっちにしたって、チルドレンなんてものになるためじゃないわ」
「そう……」
「でも……、それがいけないのかもね、アンタの言う通りよ、シンジとわかり合えたらもうどうでも良いから、チルドレンになって、ジオフロントになんて篭らないで転校しちゃうかもしれない、そうなったらやっぱりかって、シンジには言われるんでしょうね」
 レイは空を仰ぐように首を倒した。
「……どうなんだろ?、シンジクンも生活費の支給が目当てって感じがするし、働けるようになるのってジオフロントに入る前だし」
 レイとアスカの悩みは対岸にあるものだった、アスカがジオフロント、チルドレンなどに、なんらの魅力も感じないのは当然のことだろう、シンジが入るからというだけで、十年も穴倉に篭るなどとんでもないとさえ思っている。
 だがもしシンジがジオフロントに入ると決めた時、着いていかなかったらどうなるだろうか?、シンジの中ではアスカはやはり『その程度』の存在のままで止まってしまうだろう。
 それが怖い。
 一方でレイは確実に入らなければならない立場にあった、もしシンジが入らないと言い出したなら?
 彼の口にした通り、今だけの付き合いになると言うことだ、ならシンジが深い付き合いにならないようにしているのは実に正しい判断だと言えよう。
 少女二人は、非常に複雑なものを抱えて溜め息を吐いた。
 純粋に好きと言うだけではいられないレイと……
 単純でいいはずの好きだと言う気持ちを抱けないアスカ。
 二人は何処かで、突き動かしてくれるものを探していたのかもしれない。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。