「酷い……」
 レイは口元を手で被って、体の震えを堪えていた。
 顔は蒼白を通り越してしまっている、ジオフロントの光景は画面ごしでも十分悲惨を通り越していた。
 いつか散歩した森、リツコやミサトとボートを浮かべた湖、ここに畑が作られると案内してもらった雑草地。
 全てが炭となり、灰となっていく。
 業火の中を練り歩く使徒の全高はついに十メートルを越えていた、ネルフ本部の地上施設に狙いを定めたようだが、この地で取れた特殊な建材を用いているだけあって、施設は良く堪えていた。
『レイ』
「はい!」
『ジオフロントの施設は無視して、職員は全員シェルターに避難させてあるから』
 レイは白い、ダイバースーツに似た特殊な服に着替えると、歩きながら口にした。
「でも、ようやくシンクロに成功したばっかりなのに」
『ごめんなさい……、でもここにある火力ではどうしようもないのよ』
 スピーカーから流れているのはミサトの声だった。
 レイの知らないことではあるが、グレネードを越えてバズーカやロケットランチャーなども一応は準備されていたのだ。
 ……何故、そのような火器が蓄えられていたのか?
 ミサトは説明しなかったし、するつもりもなかった。
 知りたければ勝手に探るだろうし、教えたくない事情もあったのだ。
 ──このようなことが起こる可能性があったなど。
『裏死海文書のことは覚えてる?』
「はい」
『あれの解読によれば、暴れているのは第三使徒らしいわ、サキエル、それが名前よ』
「サキエル……」
『エヴァが仕留めたみたいね、そして力尽きたエヴァもまた眠りについた』
「生きてたんですか?」
『エヴァ同様に……、あるいは復元したのか、自力で』
 正面の扉が開く、そこでは多くの人間が慌ただしく走り回っていた。
 作業員を避けてレイは己がこれから命を預ける存在を見上げた。
「お願いね」
 一つ目の巨人は、静かにその場に佇んでいた。


『第一ロックボルト解除』
『拘束具除去、第一次接続開始します』
『第二次接続開始』
『ファーストチルドレン、トランスモードへ移行』
『シンクロ開始』
 レイはゆっくりと瞼を開いた。
 粘液質のコクピットは異常な程に気持ちが悪かった、女性器の内壁のような肉壁の穴に両腕、両足を通し、そして頭にはH.M.D.ヘッドマウントディスプレイを被らされていた。
 背中側にあった、ここに潜り込むための亀裂は癒着して消えている、きゅうっと収縮して腹と背中にも肉壁は密着して来ていた。
 シンクロが開始されると同時に、粘液の感触が消え去っていった、それは巨人と一体化した事を指し示す。
『シンクロ率、30%』
 その低さのためか、多少は自分の体の存在と、粘液の気持ち悪さを感じられた。
『レイ、いける?』
 レイは試しに『拳』を握り込んでみた。
 ぎぎゅっと、素体に被せられているゴム質の特殊素材が音を立てた。
 エヴァはレイの動きをかなり正確にトレースしているようだ。
「なんとか、いけそうです」
『地上に出たら後はあなたに任せるわ、敵についてもそうだけど、エヴァについても未知数だから、あなたの感じた通りにやってみて』
「はい!」
 レイはゆっくりとエヴァを起き上がらせた。
『おお!』
『動いてる!』
 周囲の作業員の声が聞こえる。
『頼んだぞォ!』
『負けるなよぉ!』
 レイは手を振り返そうとして思い直した。
 ──きっと怒られるよね?
 そう思ったからなのだが、それぐらいは見逃してもらえる様な雰囲気であった。


 出撃した巨人の名前はエヴァンゲリオン零号機と言う。
 サキエル同様にこの地に眠っていた巨人をベースに、人類によって復活を行った兵器である。
 燃え尽きた森林、その灰が降り積もっていたハッチが開き、零号機がエレベーターで持ち上げられる。
 熱波が渦巻き、エヴァを撫でる、しかし零号機は使徒だけを睨み付けていた。
「大きい?」
 レイは火傷したらどうしよう?、なんて呑気な考えを振り払った。
 使徒の情報を確かめる、大きさは十二メートルに達している。
「成長しているの?」
 ちりとこめかみに何かが発した。
 反射的に横にふらつかせると、閃光が顔のあった位置を通って背後に突き刺さり、爆発した。
 ──ゴォオオオオ!
 炎の中に佇む使徒は、名前に反して悪魔のようであった。
 燃え盛る火が使徒を黒く影に染めている、赤い瞳だけが輝いている。
 恐ろしさと緊張から、レイはごくりと生唾を飲んだ。
「行きます!」
 眉間に集中し、第三眼を開く、同時に零号機の眼前にも鬼火が生まれた。
「見える!」
 レイはエヴァを走らせると、拳を振り上げ、突き出させた。
「え?」
 空ぶる。
「どうして!」
 ゴッと後頭部に痛みが走った、肘にある突起物で殴られたのだと気が付いたのは、数歩よろめいてからだった。
「いったぁ!」
『レイ!、なにやってるの!』
「なにって……」
 困惑しながら、ああそうか、と思い出す。
 確かに今、殴りつけて躱される未来を視た、だからこそ使徒が躱す先に殴り付けた訳だが、考えてみれば間抜けな話しだ。
 外れるとわかっている拳を誰が避けるだろうか?
 将棋と同じで、こうすれば、こう返される、だからこう、と、詰めていかなければならないのだ、いきなり結果に飛べばまた違った展開になるに決まっている。
(未来は一定じゃない……、少なくとも、あたしには変えられるんだ)
 だからこそ、生きていて楽しいのだ、『こんな力』はそれほど当てにはならないから。
 未来が見えても、変えられるのは自分の手の届く範囲だけだ、そして手の届かない所では、自分にはどうにもできない事柄が行われ、そして……、こうして自分が選ぼうとしていた未来さえも歪ませる。
(あたしはっ、まだシンちゃんとエッチしてないんだから!)
 およそ中学生らしくない発想を抱く、それも仕方ないのかもしれない。
 レイは一度ならず自分の未来を確認してしまっている、その中には『性行為』に始まり『出産』に至るまでの克明な『情報』も含まれていた。
 知識はあるのだ、それでも嫌悪するような内容だったから考えなかった。
 ──今までは。
 けれど今は違う、シンジは明らかにその『未来』には出て来なかった存在だから、だから『期待』しているのかもしれない。
 先のわからない未来が欲しくて。
 そんな感情が、そのような考えを浮かばせる。
「ナイフ装備、なにこれ?、あ、そっか、振動するんだっけ」
 H.M.D.の内側、エヴァの視神経から流されている画像の隅にカウンターが表示される。
 円のメモリが時間経過と共に減っていく、それは高振動によって切れ味を増すナイフだが、内臓されている電池に限りがあるのだろう。
 レイはそのナイフを繰り出した、一撃、二撃、突くように出す。
「あ!」
 右、左と半身を引いて躱した使徒は、右腕を引き、さらに突起物まで引き絞っていた。
(だめ!)
 繰り出される拳、手のひらから突き出される光の剣。
 ──ガン!
 それは零号機を突き飛ばすようにし、さらに肩を貫いていた。
「シンジくんっ!」


 泣き叫ぶ声にはっとする。
 シンジは空耳じゃないと感じた、駅のエスカレーターホールだ、隣の階段を降りようとしていたシンジだったが、思わず立ち止まってしまっていた。
「あ……」
 急に視界が狭まっていく、真っ暗になっていく、そして暗闇にぼんやりと浮かび上がって来た物があった。
「君は……」
 エヴァンゲリオンが下からシンジを見上げていた。
「君は……」
 ──……て。
「君は」
 ──……で。
「君はっ」
 思わず手を伸ばす。
 そしてそのままシンジは暗闇へと落ちて行き……
「え?」
 次の瞬間、シンジはあの巨石像の前に両膝を突く形で呆然としていた。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。