レイは覚えていた。
はじめてシンジにエヴァを見せた時のことを。
その時シンジは、確かにエヴァと通じ合う様な態度を取っていた。
──ジオフロント。
二年前の使徒覚醒事件のために森林公園のほとんどが閑散としてしまっていた。
一応、再植林は行われているものの、元の森に戻るには相当の年数が必要になるだろう。
シンジはそんな森の中に居た。
若木ばかりの森は林ほどにも隙間が埋まっていない、足元の雑草や苔ばかりが幅を利かせている。
そんな環境だ、散歩をするにも面白くない、時折樹木の発育の具合を確かめに人が来る以外、そうそう立ち入る者など居はしない。
シンジはそんな場所に、一人で腰を下ろしていた、見渡す限り面白い物など何も無い、街路樹程度の太さしか無い木の幹に背を預けていた。
左手は体を支えるために下ろされ、右手には雑草の葉を持っていた、くるくると回し、弄んでいる。
──ざわざわと葉が騒ぎ始めた。
目を閉じて、体を幹に預ける、草木がシンジを中心に騒ぎを広げた、そして突然に成長を始め、木々などはめきめきと軋みを上げながら、一度に数十センチも伸長していく。
それに応じて、シンジの顔にやつれが見えはじめた、隈が出来る。
「……神様、か」
そんなシンジを望遠レンズで捉え、監視している者が居た。
ミサトである。
「なんです?」
「……もし、神様が人の中に降りて来たのなら、きっとシンジ君みたいなんじゃないかって思ってね」
「ああ……」
ミサトの直属の配下である日向マコトは、非常に納得して返事をした。
「シンジ君、何だか凄く落ち着いてて……、恐いぐらいですよね」
「……そうね」
ミサトの顔は浮かないものだった。
その気分を分かち合える者が居るとすれば……、リツコだろうか?
「シンジ君、随分と変わってしまいましたね」
本部内の巨大エスカレータ、リツコが付き従っているのはゲンドウだ。
「そうか?」
「はい、憂いと、悲しみ……、そして慈愛、愛情?、まるでマニュアルにでも従っているように、そう見せているように感じられてなりません」
「……そうだな」
ゲンドウは否定しなかった、いや、そうであることを知っているのかもしれないとリツコは訝った。
「司令?」
「……あれは、危険だ」
「『あれ』、ですか」
「そうだ」
息子をあれ扱いするゲンドウに何かを告げようとする、しかしそれよりも早くゲンドウは口にした。
「否応なく『あれ』は人の注目を浴びる事になる、なっている……、そのような状態で利己的な姿を見せたならばどうなる?、管理、監視すべきだと騒ぎ立てる者が出て来るだろう」
リツコははっとした。
「安心?、油断させるために?」
「そこまでとは言わん、しかしパフォーマンスは必要だ」
「……彼の負担になってもですか?」
「問題無い、シナリオは順調に消化している」
「シナリオ?」
ふっとゲンドウは、何かを企む表情で悦に笑った。
──夜。
かちゃかちゃと食器を片付けるシンジが居る。
その後ろ姿を、ミサトはビール片手に眺めていた。
ランニングシャツに、短パンと気楽な格好だ。
「……ねぇ、シンちゃん?」
「はい?」
「どう?、調子は……」
ミサトは言ってしまってから失策に顔をしかめた、こんな聞き方では警戒させてしまうだけではないかと反省したのだ。
「……悪くはないですよ、多分」
「そう……」
「はい」
「そっか、まあ、学校の方で選挙が終わるまではこっちの仕事も中断されたままだし、のんびりしててくれて良いんだけどさ」
シンジは食器を乾燥機に片してから振り返った。
「なんです?」
「ん〜〜〜、発掘工事ってさぁ、どこで何が出て来るか分かんないじゃない?、だからあなた達を動員出来ない今って、危ないって事でなんにも手がつけらんないのよねぇ」
ああ、とシンジは納得した。
「暇だって事ですか?」
「はっきり言ってくれるじゃない?」
「僕一人で待機しててもいいですけどね」
「……すっごい自信ね?」
「そうじゃないですよ……」
「なに?」
「……みんなより『力』があるのは本当ですけど」
「……」
「でもその分、僕は、臆病だから……」
「臆病?」
シンジは顎を引き、ミサトの目を見たままで頷いた。
「時々、思うんです……、アスカや鈴原君を助ける時、どうしてこんなことをやんなくちゃならないんだろうって、守るとか、助けるって、それって危なくなってからのことでしょう?、血の引く思いをして待ってなくちゃならない、それから飛び込まなくちゃならない、それなら最初から僕が行ってればって」
「うぬぼれじゃない?、それって……」
「違いますよ、僕だけで行けば、アスカや、綾波が危なくなってるのを見て、恐くなったりしないですむから、だから……」
「シンジ君……」
「自分でもよく分かんないんです、みんなを鬱陶しく感じるし、一人で居たいって思うのに、まるっきり一人にされてしまうのも嫌で」
「仕方が無いわ、人の心なんてゼロイチで分析できるものじゃないもの」
「そうでしょうか?」
「アナログなのよね……、微妙なのよ、その『程度』とか『具合』を掴む感覚が無いと、人付き合いは上手くいかないわ、馴れ馴れしくし過ぎてしまうか、疎遠になってしまう」
「ソエン、ですか?」
「そうよ?、付き合いの悪い、つまらない奴だって思われてしまうって事、思われて、敬遠されてしまうって事、わかる?」
「……多分」
「そう、でもこれだけは覚えておきなさい?」
シンジはミサトの真摯な瞳に呑まれてしまった。
「あなたが恐いと感じるように、アスカもレイも、あなたが傷つく事を恐いと感じてしまうんだからね?」
ミサトとそんな会話を持ってしまったからか、シンジは学校に向かいながらも何処か物憂げに考え込んでしまっていた。
「まあ、好きって……、言ってもらったこと、あるような、気もするけど……」
どうしてだろうか?、アスカがこちらに追いかけて来た時、レイも交えてそんな話をしたはずなのに……
好意を持って接して貰った記憶ほど、あやふやにぼけて思い出せないのだ。
「嫌な事なら幾らでも思い出せるのにな……」
イジメに合い、全員から無視されたこと。
その中心に居たアスカ、その顔、表情。
顎を上向きに、見下すような……
目。
今のアスカからは想像も出来ないほど悪意に満ちていた、脅えて萎縮するしか無かった、胸が痛くなる、苦しくなる。
(認めなくちゃいけないんだ……)
辛く、苦しかった、追いかけて来てくれたアスカにあたったこと、俺はこれからも一人でやってかなきゃならないんだ、その裏にあった感情。
──独りは嫌だ。
恐かった、アスカが、アスカに知られてしまう事が。
脅えていた自分を知られてしまうのが恐かった、弱みを見せたら……、もっと苛められてしまうから。
だから平気なふりを装った、そんな自分を作り上げた。
何でも無いさ、大丈夫さ、そう言える自分になった、けれど……
(結局は、それも弱いって事なんだよな……)
シンジはふぅっと息を抜いた。
そんな風に孤独に耐えられる自分にならなければ、とても生きてはいられなかった、壊れてしまいそうだった。
死んだ方が楽なんじゃないかと思えていたから……、誰にもかまって貰えないのに、居ると邪魔だと思われているのに、必要とされていないのに……
どうして、ここに居なくてはならないのか?
自分がここに居たい、と思えるような事が何も無かったから、音楽と、ゲームに凝った。
漫画にもだ、このマンガ本の連載が終わってからでも死ねるじゃないか。
今死んだら、続きが気になるじゃないか……、その程度の執着しか、『生』に対しては持てなかった。
人への繋がりを、物へのこだわりにすり替えて、堪えて……、だけど。
──所詮は護魔化しだ。
本当の自分をさらけ出すのが恐くて、違う、ばれてしまうのが恐ろしくて、護魔化しに嘘を重ねて本当にしてしまおうとしていた、だがそれではいつまで経っても、本当の意味で強くはなれない。
「分かってるさ」
シンジは……、いつかの、遠くの誰かに語り掛ける様な声音を作った。
「分かってる、永遠の時間を旅して来た君の孤独を僕は分かってる、だから、心配しないでよ……」
謎の独り言は、暫く続いた。
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。