「……」
 水中、シンジは静かに息を潜めていた、着底、リツコの読み通り泥は無かった。
(硬い、……床だ)
 やはりここも他と同じ神殿や祭壇なのだろうかと訝しむ、そこに水が溜まっているだけなのかもしれない。
(水が浄化されてる理由があるはずなんだけど)
 シンジは周囲の『気配』を探って舌打ちした。
 どうも深みにはまってしまったらしい、地形は壷に似たものになっていたのだ。
(水深百メートルを超えてる……)
 ミサトがアスカに告げなかった重大事が一つある。
 それはエヴァには水中で活動するための『酸素ボンベ』がないということだ。
 ATフィールドを消せば使徒の目を眩まして隠れる事も可能だろうが、それをするとこのコクピットが水没してしまう可能性がある。
(流石にここで水中でも息が出来るのか、『力』を試そうってつもりにはなれないんだよね)
 仕方が無い、と気を改めて、エヴァを歩ませる。
(まだ空気は持つ、出来るだけやってみよう)
 頭上を見上げる、と、ほのかに青みがかっている水面を荒らすかのように、黒い影が回遊していた。


 ──地上。
 全てが退避し、閑散とした岸辺には、放置された灯台が浩々と明かりを灯していた。
 それを背に、じっと佇んでいる弐号機が居る、片膝を付いて。
「それで?」
 アスカは静かに問いかけた。
「あの馬鹿があたしたちのこと心配してっ、自分から前に出てくれたってのは分かったわ!、けどね!、それが今ここでこうしてなくちゃならない理由になると思ってんの!?」
 苛立ち紛れに吐き出される暴言、それに対してミサトはこの言葉しか口に出来なかった。
『落ち着いて』
「あたしは落ち着いてるわ!」
『レイの報告じゃシンジ君らしい『影』が水の底で移動してるそうよ、無事だから』
「だから尚更!、……もう良い!!」
 通信を切る。
「まったく!」
 毒づき、一旦外に出る。
 背中の割れ目から出る時、それは肉ヒダが逃がすまいと邪魔をする、その上ぬちゃりと粘液が糸を引くのだ。
 ──本当に、女性の性器に良く似ている。
 アスカは這い出し、地面に下りると、腰に手を当てて胸を張った。
 湖を見る。
 静かなものだ。
 本来なら、このような時は外に出るべきではないのだろうが、そろそろ『電池』が切れてしまう、そうなれば02はただの屑だ。
(ずるいけどね)
 生身なら力でどうとでも逃げられる。
 00ゼロとバックアップ部隊が到着するまで時間を潰しているしかない。
 アスカは岸辺に寄ると、水の中に歩み入った、冷たい、スーツ越しでも刺すようだった。
 それでもしゃがんで、水をすくって顔を洗う。
「……」
 誰にも内緒のことがある。
 アスカはこの歳になっても、一人遊びというものをしたことがなかった、いわゆる自慰行為である。
 理由は簡単な物で、他人を見下していたからだ、そんな自分がいやらしい行為にふける妄想をしろと言われても出来るはずがなかった。
 第三新東京市に来て、シンジと親しくなってからもそれは続いた、結局のところで想像しようとするとどうしてもシンジが浮かんで来るからである。
 それだけ意識していたと言うことになるのだろう、かつて彼女の両親がそう口にしていた通りに。
 しかしそこにあるのは自己嫌悪の念だ。
 その上、ようやくシンジと和解に近い親密さを手に入れられたかと思えば、エヴァに乗る事を求められた、このエヴァが曲者だった。
 まるで女性器そのままの入り口から、子宮のような居心地の好いスペースに収まる乗り方。
 自分の股間を弄ろうとすると、それが思い出されて気持ちが悪くなってしまう、レイと同居するに至って、彼女が買って来る雑誌、週刊誌などだが……、それらの内容によっては刺激されたことがないでも無かった。
 それでもだ。
 我慢できなくなって、してみようと思えばどうしてもイメージとしてエヴァが思い浮かんでしまい、気が萎える。
 シンジはどうなのだろうかと思う。
 女の生殖器に体ごと沈む行為、03に乗る鈴原トウジはさほど気にはしていないようだが、01は全く機械が入っていない。
 内壁に圧迫される感じは、さぞかし『気持ちが好い』に違いない。
「エヴァに取られたら……、サイテイよね」
 振り返る、ようやく遅れていた00と輸送、バックアップ部隊が到着した。


「なんでわしには連絡が来んのですか!」
 ──発令所。
「ちょ、ちょっと鈴原君、落ち着いて」
「わしだけのけ者やなんて、酷いやないですか!」
 助けてよ、とリツコへ視線を向けるミサトであったが……
「……」
 リツコはすげなく無視をした。
 大体、トウジは不要と判断したのはミサトである、巻き添えを食うのはごめんだろう。
「ごみん……」
 取り敢えず、手っ取り早く護魔化そうとするが、甘かった。
「わしは無視して、そいつは呼ぶんですか?」
 トウジが指摘したのは、暇を潰しているカヲルについてであった。
「か、彼は呼んだ訳じゃないわ」
「そやったらなんでおるんですか!?、他の連中はジオフロントへの立ち入りかて制限されとるっちゅうのに」
 ふむ、と口にしたのはカヲルであった。
「確かにそうですね」
「なに?」
「いえね?、そろそろ検討しても良いのではないかと」
 興味を示すリツコに説明をする。
「上位能力者については規制を解放しても良いのでは?、少なくともこのような時には役に立つはずですよ?」
 はぁ、とリツコは嘆息した。
「確かにそうかもしれないわね」
「気乗りしませんか?」
「これでもね、子供を巻き込む事には罪悪感を感じているのよ」
「そんな、今更なことを」
「そうでしょうけどね、それでも出来るだけ『犠牲』は少なくしたいのよ」
 なるほどね、と本心と本音を見せてくれたリツコに敬意をあらわす。
「わかりました、けれどそれは傲慢と言うものですよ」
「そう?」
「僕達には僕達なりに自信があり、自尊心があり、プライドがあります、あなたがたの過保護過ぎる環境の中ではストレスが溜まる一方ですよ、そして知っていますか?、小さな箱の中に閉じ込められた蚤はそれを限界と認識して高く飛べなくなってしまうことを、篭に閉じ込められた鳥は大空へ舞い上がる力を育むことなく育ってしまう、僕達に必要なのは守ってくれる大人では無く、僕達を育ててくれる人達ですよ、何しろ、僕達にはあなたがたのように未来像として『絶望』できる『例』がない、僕達は僕達なりに生きていくしかないんですよ、あなたがたは恐れる余り、触れる事さえためらって、枠と規制で問題を先延ばしようと、僕達を抑え付けるだけですからね」
「……」
「自分達で、自分達の手で、未来を作りだす以外に安心出来る方法が無いと言うのに、あなた達は僕達に期待する一方で、そのようにして足を引っ張る、少しは信用してもらいたい物ですね」


 ──水中。
「それにしてもさ……」
 ぶつくさと愚痴が多くなってきているのは、それだけ不安だからだろう。
「なんで襲って来ないんだろう?」
 ズゥンと、歩く度に重々しく震動する。
 浮力があるために極端ではないのだが……
「一定以上下には潜って来ない……、だめだな、こういう時、アスカ達のエヴァならコンピューターで何でも調べられるのに……」
 何かがある、それは分かるのだが何なのかまでは特定出来ない。
「01って結構不便な機体だったんだな……」
 今更ながらに考える。
 機械補助の多い機体であれば、照明も搭載しているからこのような時なんとでも出来る。
 しかし全てを『能力』に頼っている01とシンジの場合、このような事態下ではとにかく『力』を利用するしかない、その分当然、消耗がとても激しかった。
 シンジは焦りを感じ始めていた。
(このままじゃ……)
 エヴァからの侵食は何も皮膚の接触による浸透のみで行われる訳ではないのだ。
 その操作が思考制御である以上、こうしてシンクロ起動しているだけでも意識に曖昧さが発生する。
 疲れのためではない、注意力が散漫になっているわけでもない、思考能力が奪われていくのだ、エヴァンゲリオンに。
 人としての判断力を、獣の本能が食い潰そうとしている、そう感じられる。
 人であるということは、道徳や理性、自己保身、あらゆる制約があるということだ、それだけ自分に制限を掛けていると言う事になる。
 しかし、シンジは自分とエヴァが持つ本当の『ポテンシャル』というものを知らない、限界を知らない、だから今の安定状態を壊したくないと抑えているのだ。
 制限を外して、無我夢中、あるいは必死になるのは簡単なのだが、そうすると今度は不必要なレベルでの力を振るってしまうからもしれないから。
 それも、敵や施設だけでは無く、知り合いにまで。
(まずい、よな……)
 シンジは、おおよそこの水底の端へと辿り着いていた、そしてそこに、とてつもない物を発見し、驚愕した。
「な、んだよ、これ……」
 そこには、白い巨人が、七つの目の描かれた仮面を付けて、崩れるように朽ちていた。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。