──カタカタカタカタカタ……
 キーの上を踊る指は、小さな頃からその作業を繰り返し行って来ているのか、同年代の女性の指よりも太かった。
 リツコである。
 白衣のままで、なにやらデータを纏めている、室内は暗い、彼女の眼鏡はモニターの明かりを反射していた。
 その首にすっと腕が回される。
「……こんな時間まで仕事かい?」
 肩に顎を乗せるようにして囁く。
「加持君」
 リツコは少しも慌てずに答えた。
「子供達にばかり働かせてる訳にもいかないでしょう?」
「そうか?」
「ええ……、毎度毎度、子供達を戦わせて、得られたものから情報を集めて……、そしてまた戦いが終わるのを待って……、あの子達に比べると、あまり働いていないもの」
 そんなことはないだろう?、と加持は離れた。
「少なくともリッちゃんはよくやってるよ、俺が保証する」
「ありがと、……でもその調子でアスカを口説いたの?」
「おいおい」
 加持は心底困ったような顔をした。
「懐かれて困ってるのは俺の方なんだぞ?」
「そう?」
「ああ」
「でもその方があなたにとっては都合が良いんじゃない?」
 研究者ではない、もっと剣呑な光を目に宿してリツコは見据えた。
「知ってるわよ?、あなたの本当の目的」
「そうか……」
 加持は後頭部を掻き、声を改めた。
「けど、最後は本人の意志だ、そうだろう?」
「ええ……、だからああやって取り込んでる」
「そういう見方はしないで欲しいな」
 リツコは目を横に伏せた。
「ごめんなさい……」
「いや……」
 改まる加持だ。
「こっちも悪かったよ、……そうだな、図星をさされたと思ったのかもしれない」
 加持はふうと嘆息した。
「確かに俺は、ドイツ支部長から命令を受けてる、チルドレン、それもエヴァのパイロットを引き抜けってな?」
「エヴァ付きで?」
「それを認めてもらえるかどうかは分からないが……、渚カヲルが奪われたことはそれだけ痛手だったってことさ」
「引き換えに直接要求したいところを、裏工作で引き抜き、ね……」
「誉められたもんじゃないがな」
 おどけて見せる。
「まあ、俺ももう暫くは味噌と醤油に浸りたいからな、強引なことはしないさ」
 しかしリツコの視線は険しいもののままだった。


(眠れない)
 シンジは悶々とした時間を過ごしていた。
 もう深夜だ、ふと顔を横向けると、アスカのつむじが目に入った。
 すぅと安定した呼吸が聞こえる、眠ってるのか、そんな当たり前の感想を抱く、と……
「え?」
 もぞりと被っている布団に何かが潜り込んで来た。
「レイ?」
 器用に体をくねらせて布団の中を掘り進んで来る。
 なにやってるんだよと抵抗しようとしたのだが、無駄だった。
「ぷはぁっと」
 へへっと笑う顔が焦るシンジの正面に出る。
 シンジの腕に抱かれる様な位置に、だ、彼の右足にまたがるように足を置いて、決して邪険に出来ない笑いを浮かべる。
「静かにね?、アスカが起きちゃうから」
「起きちゃうって……、ちょっと、まずいよ」
「大丈夫」
 シンジの胸に頬を当てる。
「でもこっちは大丈夫じゃないみたい」
「え……」
「胸が痛いね?」
 レイの言葉にどきりとなる。
「……うん」
 シンジは認めた。
 小声で話す。
「馬鹿だよね……、今になってわかるなんてさ」
「ん……」
「辛かったんだ……、アスカに苛められて、辛かった、だから避けたんだ……、無視することも出来たのに」
 そうしてしまったのは……
「きっと、好きだったから辛かったんだよね?、あんな風に苛められるのが」
「シンジクン……」
「それで避けた……、辛かったのかな?、それともそんなアスカを見ていたくなかったのかもしれない、嫌で……、堪らなくて」
 たどたどしく、その上語彙ごいが少ない。
 しかしそれが逆に、レイに辛い想いを強いた。
 シンジの首に腕を回し、体をずり上げる。
「レイ?」
 顔を胸に押し潰されてシンジは顔を赤らめた。
 慌て、どうしていいのか分からずに手をさ迷わせる。
 ──どうしてこうしてしまったのか?
 レイには全くわからなかった、それ以上他の子への気持ちを吐露して欲しくなかったのかもしれない、あるいは自分が居ると訴えたくなってしまったのかもしれない。
 しかし実際には、シンジ、レイ共に互いに困惑するだけで……
 ──ドッドッドッドッド……
 早まった鼓動が、二人に一層の緊張を強いた。


 ──翌日。
「むぅ……」
 ぼさぼさの頭で起き上がったアスカは、寝不足気味の目を細めて不機嫌そうにあぐらをかいた。
 目の下にくまが出来ている。
 頭を掻こうと手櫛を差し込み、少し動かした所で顔をしかめた、絡んだ髪に指が引っ掛かり、頭皮を引っ張ってしまったからだ。
 どうも夢見が良くなかった気がするとシンジを探す、居た、シャワー室から音がする。
「……こいつは」
 そこで気がつく。
 何故かシンジの布団でくぅ、すぅと寝息を立てているレイの存在に。
「……ま、いっか」
 にへぇっと気味悪く笑った。
 叩き起こしてやろうと思った手を引っ込める。
「先に抜け駆けしたのはあんただからね?」
 アスカはそう囁いてやると、起こさないようにそっと立ち上がり、忍び足でお風呂へ向かった。


「ふぅ……」
 ちゃぽんと……
 昨日レイがそうしていたように、シンジは口元まで湯に沈んだ。
 その顔は赤くなってしまっている。
(膨張しちゃった……、恥ずかしい)
 白シャツに短パン一枚の薄着だったのだ、レイも似たような格好であったし、絶対に気付かれただろう。
(レイは……、恥ずかしくないのかな?、あんなこと)
 わからないなぁ、と考える。
 そんなシンジは年相応の少年よりも遥かに幼い、あるいはこれがシンジなのかもしれないが。
(最低だなぁ……、現金なんだ、僕ってさ)
 おかしさが込み上げて来る。
 色眼鏡も、含むものもなく、最初に出会った時に地のままで接し合えていたからこそ、本当の自分をとてもさらけ出し易い。
 逆に平然と演技する方がぎこちなくなるのだ、嘘を見抜かれるのではないかと。
(レイには……、避けられたくないな)
 鳩尾に向かって寒気が集中し、ずくりと疼く。
 ぶくぶくと泡を吹いてごまかす。
 その時だった。
 ガチャリと戸が開かれたのは。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。