「むぅ」
 教室、不機嫌そうにむくれているのはレイだった。
(また置いてかれた……)
 それはアスカにである、今日も遅刻寸前になってしまったのだ。
 レイはちょっとだけ感付いていた。
 呼んでも出て来ないから、だから置いていった、なんていうのは嘘だと言う事に。
(……やっぱり)
 第三眼を開いてアスカの姿を探して見るのだが見つからない。
 ならばその理由は一つしか無い。
(シンちゃんと一緒か……)
『抜け駆け』された、ぐぐぐぐっと拳を握り締めて悔しさに歯噛みする。
 そんなレイの傍の席でがたんと音が鳴った。
「……なんや、今日は綾波だけか」
 その独特のイントネーションだけで誰だか分かる。
「鈴原君……」
「ま、その方がええんやけどな」
 トウジの顔もまたぶすっくれていて不機嫌そうだった。
「どうしたの?、その顔……」
「なんや?、なんかついとるか?」
「そうじゃなくて……」
 トウジはすまん、冗談や、と謝罪した。
「この頃負けがこんどるやろ?、それでちょっとな……」
 今は会いたくない、と言っているのだ。
「負けって……、でも」
 言うな、とトウジは手で制した。
「わかっとる、そやけど、わしは負けとるんや……」
 始業前で騒がしいというのに、ここだけが暗い。
「つまらん意地や思う、そやけどな?、せっかくもろた力や、そやのに役に立たんっちゅうのは、立たせられてへんワシが悪いんや、……そう思わんとやっとられへんやろ」
「そう……、かな?」
「そやったら、なんでこんな力授かったんや?」
 その疑問は、レイにはとても新鮮に聞こえた。
「え?」
「こんな力持った奴が、なんの理由も無くぽこぽこ出て来るんか?、そやったら持ってる奴と持てへん奴との差ってなんや?、……わしはな、その差が欲しいんや」
「差が?」
「そやなかったら、無駄な力を持ってるだけで、わしはそこらにおる奴と同じやろ?、そんなん、申し訳ないやないか……」
 誰に、とは言えなかった。
 なんとなくだが、トウジなりの『矜持きょうじ』を感じ取ったからだ。
「それに……、馬鹿にされるのもええ加減嫌になったしな、なんとかせんと」
「うん……」
 ふわあ!、っと背伸びをした。
「なんでわしら、こんなもん貰えたんやろなぁ?」
 これまでの敗戦から来た悔しさが募って、とうとう空しさに変わったらしい。
「みんな便利や言うて喜んどるけど、不思議なもんやで」
「不思議?」
「そやないか?、今まで不便やったか?」
 それはレイには分からない感覚だった。
「そやろ?、こんなもん無くったって普通にやっとった、手に入ったもんは便利かもしれんけどな、使わんでも困らんのやったら、全くの無駄やないか」
「……だから、意味が欲しくて、とにかく役に立たせたいの?」
「ま、そういうこっちゃ」
 レイには、ふうんとしか言えなかった。
『物心』ついた時からもう一つの『眼』と付き合ってきたレイにとっては、物を見る目、音を聞く耳、匂いを嗅ぐ鼻、味を知る舌と変わらないのだ。
 別段、役に立てようと思わなくても、日常の中で用いてしまっている。
 だからレイには、勝手にお前もそうだろうと、同じだろうと誤解しているトウジの考えを否定することは出来なかった。
 問い返された時に、説明する自信がなかったからだ。


 レイとトウジが話し合っている頃、シンジ達はまだ喫茶店に居た。
「ねぇ、シンジ……」
 アスカは思い切って訊ねた。
「この間……、ずっと一緒にって、言ったでしょ?」
「え?、うん……」
 歯切れが悪くなる、双方共に。
「ねぇ……」
「なに?」
「どうして、あたしにそんなこと言ったの?」
 え?、とシンジは驚いた。
「なにが……」
「だって……、変じゃない」
 顔を伏せる。
「あんた、レイが好きなんでしょう?」
「え……」
「なのに、あたしに傍に居ろって……、そんなの」
 ああ、と理解する。
「そうだね」
「……」
「昔は好きだったかもしれない、レイの事は」
「え!?」
 アスカは驚き目を丸くした。
「そ、それ、どういう意味よ?」
「……言葉のままだよ」
 シンジはようやくとどいたカプチーノに口をつけた。
「最初は……、偶然だったんだ、偶然出会って、気持ちの良い子だなって思った、だから一緒に居て楽しかった」
「……」
「けど、今は違う……、色々有り過ぎてね、余裕が無いんだよな」
「余裕?」
 うん、とシンジ、口の周りについた泡を親指で拭う。
「ここに落ちついてから……、色々あった、アスカが来て、使徒が目覚めて、力に目覚めて……、やる事が多くなった、やらなきゃならない事が増え過ぎて、どうしたらいいんだろうって……、そればっかりで、だから好きだから一緒に居たいとか、そんなこと考えてる余裕が無くなって……」
 肩をすくめた。
「今じゃ中学の頃の自分の気持ちも思い出せないんだ」
「……シンジ」
「でも……、アスカに言ったのは、アスカが思ってるのとはちょっと意味が違うかな?」
「え?」
 もう一度口を付けて、シンジは間を持った。
「僕ね……、父さんに頼まれたんだ、レイの事」
「レイの?、どうして……」
「それは言えない、言えるのはレイには秘密があるって事だけ、それはもう気がついてるよね?」
 こくりとアスカは頷いた、それを見てシンジも頷き返す。
「好きだったのかもしれない……、レイの事」
「……」
「でも今はもう、そうだったとしても言えない、言う資格がないから」
「資格?」
「うん……、だってそうでしょう?、自分の秘密を、大事な事を、友達面した奴が隠してるんだよ?、隠してて付き合ってるんだ……、それが分かった時、アスカなら許せる?」
 アスカは歯を食いしばった。
 許せる、その一言が言えなかったからだ、感情的な自分は、きっと……
 その様子が、克明に想像できてしまって。
「だから……、僕はきっと嫌われる、恨まれる事になる、そんな僕が自分の気持ちを受け入れてもらおうなんて甘いんだよ、……それはアスカにも言える」
「あたしにも?」
「……この間の話の続きになるんだよ」
「え……」
「もし……、僕がアスカに秘密を打ち明けたとするよ?、それを知ったレイはどう思う?、周りのみんなは?」
 あっと、アスカは理解した。
 そして理解すると同時に青ざめた。
 罵る人達。
 嫌悪の視線。
 それらはかつて、自分が扇動し、シンジに浴びせ掛けていたものなのだ。
「話すのは簡単だよ……、でもそうなったら、アスカには僕の傍に居てもらわないと困るんだ、誰にも喋らないように見張らせてもらわないとね、……それもせめて一年は、レイには知られたくないから」
「……一年?」
「うん」
 真顔で頷く。
「どの道、そう長くは隠していられないよ、レイの力があれば、きっといつかは真実に辿りつくんだ、その時、僕は……」
 アスカはその先は言わせなかった。
「シンジ」
 手を伸ばし、カップを取ろうとしたシンジの手を掴み取った。
 顔を上げるシンジと視線を合わせる。
「……嫌われるの前提で、本当にそれで良いの?」
「良いよ」
 泣きそうな顔で、声を震わせてシンジは笑った。
「嫌われるのは、慣れてるから……」
 アスカこそ、その言葉には泣きそうになった。


「04、起動します」
 ──ネルフ本部。
 その地下実験室にて、エヴァンゲリオン4号機のフィールド展開実験が行われていた。
「パイロットの心拍数、若干上昇しました」
「……緊張、のはずはないわね」
「フィールドの安定を保つために神経を注いでいるのよ、マヤ、フィールドの強度は?」
「はい、3、2、1、フィールド、肉眼で確認出来ます」
 リツコとミサトは強化ガラス越しに04を見下ろした。
「あれが……」
「ええ」
 04の白銀の盾、その大きさはエヴァに匹敵するのだが、半分、蟹バサミのような形状をしていた。
 そのはさみが黒い丸い物体を掴んでいる、実際にははさみから放出されているエネルギーが渦を巻いて球を成しているのだが。
「『単極子モノポール』、使い方によってはタイプラミエルの加粒子砲ですら『曲げる』ことができるわ」
「曲げるだけ?」
「コントロールが難しいのよ、封じるのはまた別の問題ね、別の宇宙にでも繋げない限り、行き場を失ったエネルギーがどうなるのか……、それは言うまでもないでしょう?」
 ──爆発。
 ミサトは苦い顔をした、もしカヲルにATフィールドが使えるのなら、爆発を受けてもらった方が有り難いのだ。
 曲げるだけでは、周囲に被害をもたらしてしまうから。
「ねぇ……」
「なに?」
「あの子のATフィールドの展開実験、どうだったの?」
 リツコは煙草に火を点けた、場所もわきまえず。
「駄目ね、鈴原君のことでも分かってるはずでしょう?、そうそう展開出来る物ではないのよ」
「でも渚君には……」
「中和が出来る?」
 リツコはふうっと嘆息した。
「良い?、中和と相殺は違うのよ」
「え?」
「……例えばそう、音、これは同じ音をぶつければ消す事が出来るわ、これが相殺」
 噛み砕いて話す。
「では中和は?、台所で出た洗剤なんかの『毒』を中和するために同じ毒を入れる?」
「……中和するためには、中和剤が必要であって、それは必ずしも同種のものではないってこと?」
「ええ」
「……つまり、ATフィールドの展開能力については、また別の能力ってことになるのか」
「もちろん、可能性が無い訳ではないわ、それこそ鈴原君がそうだったようにね……」
 一つだけ……、それを確認する方法があるのだ、もちろん、ミサトは認めるつもりは無いのだが。
『増幅器』、エヴァである。
 微力ながらもその力を有しているというのなら、増幅器に掛けてやれば、認識、あるいは確認できるようになるだろう、しかし……
(アスカ……、レイもだけど)
 生体機構を有しているエヴァは、彼女達が乗り続ける事によって変質が激しく進んでいるのだ、それこそ、彼女達は時折『自分』のことのように話す。
 その内部……、コクピットに『他人』を入れるというのがどういうことか?
 冒涜では済まないだろう、『陵辱』に近いと感じるはずだった、特に、シンジを乗せてから顕著にその傾向が現れている。
『他人』を受け入れはしないだろう、それは彼女達がそうであるように、エヴァもまたそうなってきているのだ。
 それに……
(乗れるって確証を与えるのはまずいわ)
 カヲルならば、『拒絶』される可能性を考えて、リスクを背負うような『行動』は起こさないだろう。
 そう思ったのだ。
「ま、無い物ねだりはやめましょう」
 ミサトは無理矢理噛み潰した。
 肘を曲げ、単極子シールドを持ち上げている4号機に目を向ける。
「これを実戦に投入したとして、破壊されても『暴走事故』を起こさない……、なんとかそのレベルにまで持ち込んで」
「分かったわ」
 とリツコは答えた。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。