とても高い青空。
白い雲。
その全てがぐるぐると回っている様な喪失感に襲われた。
「なによ……、それ」
貧血を起こし掛けているのか、アスカの顔は蒼白になっていた。
膝も震えている。
終わっていた、終わっていたのだ。
自分にとって楔となっているあの出来事の数々は、シンジにとってはとっくに終わったことなのだ。
終わった事として処理されていた。
「そんなの……」
悔しさでも悲しさでも無い、複雑な感情が込み上げてくる。
それでも纏わりつこうとする自分は、一体どんな風に見られていたのだろうか?
自分の過去を清算しようと勤めている自己満足女?
それだけであったのだろうか?
アスカは拳を固めると、俯いて肩を震わせた。
「問題は……」
カヲルは話を続けた。
「シンジ君は、本気でこの世の未練の全てを清算しようとしている事だよ」
ぴたりと震えがやんだ。
ゆっくりと顔を上げる。
「どういうことよ……」
「うん……、シンジ君はこの世に見切りをつけている、あくまでも僕の私見だけどね、彼はもうこの世に新しい喜びを見付けるつもりがないらしい」
「喜び?」
「悲しみも苦しみも、喜びがあるから感じることさ、それが未来への希望に繋がる……、でも彼は今を境に終わらせることで、少しずつけじめを取っている」
遠回りな言い回しだったが、アスカはなんとなく分かる気がした。
単純な話だ、見たいドラマがある、だから家に帰る、だが見逃すのを覚悟して遊ぼうとしても気になってしまう、それは未練だ。
ならば最初から見なければいい、興味を示さねば自由で居られる。
それだけの……
「なによそれぇ……」
「惣流さん……」
普通の子なら顔を被ってしまうのかもしれない。
普通の子なら涙を流して泣きじゃくるのかもしれない。
しかしどちらでもなく、ただ体を震わせるアスカを哀れに思った。
(辛いんだね、君も……)
慰めの言葉は一つ間違えば哀れみになる。
この誇り高い少女は、それを望まないだろうとカヲルは思った。
でなければ一人このような土地に住み、あのような戦いに身を投じてまで、少年の傍にあろうとする事など出来なかったはずなのだから。
(その分、無理をしていたんだね……)
痛ましくなる、怖くなかったはずがない、不安にならなかったはずがない。
だがその全てがこうも無残に、なんの意味も持っていなかったと知らされれば崩れもしよう。
「惣流さん……」
カヲルはアスカを抱きしめたくなったが、その衝動を堪えた。
彼女の苦しみを癒すのは簡単なことだ、だが甘えは依存へと繋がり逃げ道になる、他人を支えとした時、本当にこの子は自分だけのことを考えるようになってしまうだろう。
──それでは嫌な人間になるだけだ。
ジレンマを感じてカヲルは内心で自嘲した。
今のアスカには食指がそそられる、雄の本能だろうか?、男にも保護欲はあるのだ、母性とも違った形のものが。
だがそれを感じさせられる時、相手は輝いている時か傷ついている時かのどちらかだ、そして常に欲してしまう相手は『他人のもの』なのである。
自分の隣でこの子が微笑んでくれたら、誰でもそう夢想する、カヲルですらそうだった。
けれども彼女の心の震えは、彼女が最も大切にしている人物に対して浮かべている感情なのだ、だからこそ輝いている時も歪んでいる時も彼が絡んで来る、欲しいと思う、今の彼女は揺れ動いている、その天秤を自分へと傾けるのは容易な事だ。
──だけど、それを維持し続けることは出来はしない。
自分と『彼』では歴史が違う、彼女との間にあるものが違い過ぎる、たとえ彼女に笑顔を与えることができたとしても、それは彼と共にあった時の彼女のものには比べ物にならないほど質が落ちてしまうだろう。
可愛いのは、恋をしているから、そして勝負は彼が彼女に恋をさせた時点で決まっている、今更自分の出る幕はない。
アスカをものにしたとしても、それは表層的な勝利でしかなく、本当の意味での勝ちにはならないのだ、つけいる隙があったからと言って、手に入るのは苦痛だけだ。
真の彼女を、彼女が持つ価値を、輝きを引き出すことは出来ないのだと分からされて。
(辛いね、これは……)
これが恋というものかとカヲルは感じた、これに比べれば自分が初恋だと思ったものも、ただ好意を抱いていただけに過ぎなかったのだな、と。
自分が慰めてしまえば手っ取り早いのだ、そうすれば彼女は辛さを忘れて明るくなれる、シンジのことを忘れさせてやった方がきっと幸せだ。
──だが。
「君は……、どうするんだい?」
ずるいなとカヲルは思った。
葛藤を振り切るために、彼女に決断をさせるのだから。
彼女が決断してくれれば、自分は諦める理由を手に入れられる。
「このまま引き下がるのかい?」
「引き下がる?」
訊き返したアスカの声は、初めて聞いた言葉だとその意味を把握してはいなかった。
「たはははは!、そろそろMAGIの診察も終わるかなぁって思ってさ」
ミサトは先の件でちょっと引き気味に口にした、背後ではまだマヤが怯えている。
「大体ね……、約束通り間に合わせたわ」
「……というわけでぇ」
場所、変わって会議室。
「これから皆さんには、部署ごとに別れてシステムの把握に努めてもらいたいと思います」
ミサトとリツコの前には十数人の少年少女が集められていた、彼らが新しく入った面子なのだ。
どこの部署もコンピューター関係のスタッフを必要としていた、この巨大な施設は全てMAGIによって管理されている、そのスーパーコンピューターは専属スタッフでなければ十分には扱えない。
技術部などは大きな計算を必要とする度に上に頼まなければならず、その非効率さが問題になっていた、彼らが配置に付けば末端で全ての処理をこなせるようになるのだ。
「それでは……」
ミサトは一同の配属先を発表した。
「……なんか」
放課後。
ネルへと顔を出したシンジは、雰囲気の違いに戸惑っていた。
「なんだろ?」
「なにそれ?」
なに言ってんの、とレイ。
「変なシンちゃん」
「あ、いや……、えっと、そっか」
気がつく。
「子供が多いんだ……」
子供と言っても同年代か一、二歳上か下かの人間である。
ここのところの登用で、ネルフ職員の平均年齢は恐ろしく引き下がっていた。
ふと見るとレイがジト目になっている。
「な、なに?」
「……」
ぼそりと呟く。
「また女のコ狙ってる?」
「またってなんだよ!」
「シンジクンってエッチだからねぇ〜」
「だれが!」
「ん?」
指を差す。
「いったい何人とキスしたのかなぁ?、そ、それからエッチなこととか」
後のは不安からだろうか?、少しぎこちない質問だったが……
「そんなことしてないよ!」
「うっそだぁ」
「嘘なもんか……」
憮然として口にする。
「そりゃ……、キスはあるけど」
「あるんだ……、そっか」
「?」
シンジにはどうしてレイが嬉しそうにするのか分からなかった。
(キスしたことあるって言ってるのに)
色々と考えて、一つの可能性を導き出す。
(キスするような奴になったかって、思ってる?)
まるで親が子の成長を微笑ましく思うように?
なんとなく面白くなくて口を尖らせる。
『フィフスチルドレンは、ケージへと……』
掛かった放送に顔を上げる。
「4号機の試験を先にするのかな……」
シンジは先日カヲルと話した事を思い出して、少しだけ顔を歪めてしまった。
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。